JAPAN☆ALL STARS 認定者リスト

2009.5 過去の放送はこちら:
5/29 :: 湯崎夫沙子(ゆさき ふさこ) イタリアのアニメ界を席巻!粘土を自由自在に操るクレイアニメ作家
40年以上にも渡ってイタリアアニメ界で活躍している湯崎は、粘土を1コマずつミリ単位で動かし、撮影していくクレイアニメの権威。 一つの粘土が色々なものに変化していく「トランスフォーメーション」という技法を世界で最初に考え出した。
その作品はイタリアだけに留まらず、スイス、そして日本でも現在放送中で、 世代、そして国境を越えて愛される作品を作り続けている。
5/29 :: 赤祖父俊一(あかそふ しゅんいち) 自然の神秘・オーロラのベールを次々とはがしていく地球物理学者
地球物理学者である赤祖父は、アラスカで北極研究を半世紀以上にわたって 行っている。
20代の頃にオーロラにひかれてアラスカにわたり、以降、オーロラ研究に 尽力し、未知の現象であったオーロラを、次々と解明していった。 今までは神出鬼没であったオーロラの出現を予想するシステムを開発し、 アラスカの新聞には毎日、オーロラ予報が載るようになった。 さらに、アラスカ大学・地球物理学研究所長を10年以上つとめ、 現在もなお、顧問としてオーロラ研究に貢献している。
5/29 :: 杉山龍丸(すぎやま たつまる) インドで「緑化の父」と呼ばれる男
インドの緑化に貢献し、不毛の大地をよみがえらせた男。 政界で活躍をした祖父・杉山茂丸が考案し、作家の父、夢野久作が経営 していた杉山農園で育つ。 1961年、インド人留学生の世話をしていたことがきっかけでインドへ 渡り、干ばつのために飢餓で苦しむ人々を目の当たりにする。龍丸は、 そんな人々を救うべく、杉山農園を売却して植林を開始する。 470キロに及ぶ国際道路にユーカリを植え、さらには、 誰もが成し遂げることができなかった、全長3000キロに及ぶ丘の土砂崩落を止めた。 現在、龍丸が植林をしたその場所は、緑豊かな大地となっており、人々は尊敬の意を込めて杉山のことを 「グリーン・ファーザー」と呼ぶ。
5/22 :: 岡崎葉子(おかざき ようこ) 地球ごと抱きしめ、華麗に大空を舞う 音速のアーティスト
空中のフィギュアスケートといわれる、「フリースタイル」という競技で大空を舞台にスピン、ループ、ポーズなど自由な表現を演じている。フリースタイルは、二人一組で空に飛び出し、空中での演技力を競い合うもの。2000年、その競技でわずか2年半というキャリアの際、年に一回行わるワールドカップで、見事日本人として始めて世界チャンピオンに輝いた。高度4000メートルの大空を舞台に、時速250キロで降下しながら演技する様は華麗にしてダイナミック!更に、2004年には世界選手権で金メダルを獲得。2003年に、オーストラリア人のダイビングパートナーと結婚。現在はイギリスを拠点に大空を舞うと共に、室内スカイダイビング場のインストラクターも勤める。去年、一児の母となった岡崎は、スカイダイビングにも子育てにも奮闘する日々。過去7000回ものスカイダイビングを経験し、将来は、空中でサーカスをしてみたいと、大きな展望を掲げている。
5/22 ::石原和幸(いしはら かずゆき) 世界の舞台で、3年連続ゴールドメダル受賞の 庭園デザイナー
1994年から、ガーデニングの本場である<英国のチェルシーフラワーショー>に精力的に作品を出展、その年にシルバーギルトメダルの栄誉に輝き06年、07年、08年と、日本人として、また、世界でただ一人、3年連続でゴールドメダル受賞という、初の快挙を達成。昨年彼が出展した作品「緑の扉」が受けた評価は「AMAZING!(驚嘆!)」だった。なぜなら、これまでイギリス人が 邪魔者として捨てていた苔を作品に変えたからだ。さらに、世界中の様々なガーデニング大会で チャンピオンに輝いたメンバーが集まり、チャンピオン中のチャンピオンを決める『シンガポール ガーデンフェスティバル』で、「Landscape Garden(ランドスケープガーデン部門)」で金賞を受賞した上に、出典作品中最高の作品に贈られる「Best of Show」のダブル受賞も果たし、名実ともに 世界を代表する庭園デザイナーとして、認められた。現在は、小さな鉢植えや花束から、大規模な ランドスケープデザイン、更には、ヒートアイランド対策から、緑化事業まで幅広く手掛け、 世界中を花と緑で笑顔にし、花や緑で世界を変えられたらと、いつも本気で考えている。
5/22 ::金栗四三(かなぐり しそう) 世界の絆となった日本マラソンの父
金栗四三は1911年(明治44年)、翌年に開催されるストックホルム・オリンピックに向けたマラソンの予選会に出場し、マラソン足袋で2時間32分45秒を記録、日本人初のオリンピック選手 となった。しかし、大会は異常気象のため40度近い猛暑に襲われ、68人中34人が棄権するというサバイバルレースになってしまい、金栗もレース途中で日射病で意識を失って倒れ、近くの農家で介抱された。日本の期待を一心に背負いつつ走り切れず、金栗は深い自責の念に駆られた。その後も、第6回ベルリン大会は第一次世界大戦のために中止、第7回アントワープ大会では、優勝を期待されながらも惜しくも16位、33才で参加した第8回パリ大会でも、32.3キロ地点で棄権。金栗は悲運のランナーとして語り継がれつつ、第一線から引退した。しかし彼はその後、日本のマラソン界の発展のために尽力。耐熱練習・高地トレーニング・箱根駅伝の企画、更には女子体育の奨励などなど、現在のマラソン界に繋がる、あらゆる試みが金栗四三の発案でなされた。 昭和42年75才のときに、金栗は一通の招待状を受け取る。スウェーデンオリンピック委員会からのオリンピック開催55周年を記念する式典への参加を促すものだった・・・「あなたはマラソン競技で行方不明になったままなので、ゴールをしに来て下さい」その粋な計らいに応え、金栗はオリンピック記念行事のグランドを走り、ようやく ゴールを果たした。54年と8月6日5時間32分20秒3は、五輪マラソンの世界最低記録だが、金栗にとっては、輝かしい記録となった。
5/15 :: 蒼山日菜(あおやま ひな) 切リ絵アーティスト
蒼山日菜が作る、ハサミ1本で仕上げる「切り絵」が世界中で高い評価を得ている。 10年前、結婚をきっかけにフランスへ移住。専業主婦だった蒼山は言葉も話せない異国の地 で子育てをする毎日。そんな時に出会ったのがスイスの伝統工芸「切り絵」だった。 そんな彼女の作品がある日、雑誌社の目に止まり、世界の舞台へと駆け上がることに。 白と黒の単調で平面の世界だが、蒼山の切り絵には風が吹いているようだと評価されている。作品のもう一つの特徴は、すべて1枚絵で切れ目なく繋がって いること。その繊細さかつ 躍動感は、従来の切り絵の常識を変え、いまでは『紙の女王』と呼ばれるまでに。 1枚の紙から生まれた切り絵に300万円という値がついたこともある。
5/15 :: 相馬雪香(そうまゆきか) 世界の難民を救った
「憲政の父」と呼ばれた政治家、尾崎行雄を父にもつ「インドシナ難民を助ける会」の 創設者。インドシナ難民があふれた1970年代後半、日本は援助金を出していたが、 難民を受け入れてはいなかった。このことに疑問を抱き、67歳にして「インドシナ 難民を助ける会」を立ち上げた。2008年に96歳で亡くなるまで、相馬は常に世界に目を向け、世界の難民のために活動を続けた。
5/15 :: 鍜治真起(かじまき) SUDOKU(数独)の産みの親
世界的なブームを巻き起こしたパズル「SUDOKU(数独)」の父。 世界109カ国。熱狂的なファンは世界で数億人とも言われる。07年、英英辞典に も掲載。鍜治の趣味は酒と競馬。モットーは「人生テキトー、他力本願」。 そんな意外なキャラクターが欧米で大ウケ!? 05年でイギリスで大ブレークすると半年で欧州。 そしてアメリカ、アジア各国へ浸透した。そして、その人気はついにアフリカへ!?
5/8 :: 安床ブラザーズ <安床 栄人(やすとこ えいと)/武士(たけし)> インラインスケート世界チャンピオン
世界の若者たちに大人気!ハーフパイプで高くダイナミックな回転技などの演技を競うインラインスケート。高さ4mのハーフパイプを使ったバートという種目で世界のトップに君臨するのが日本人選手、安床ブラザーズ。兄・栄人は2歳半からローラースケートを履き、12歳から世界大会に参戦。14歳でワールドプロツアーで初優勝を果たす。ワールドプロツアーでは通算40回以上の優勝。弟・武士は3歳からローラースケートを始め、9歳で国際大会出場。アクションスポーツ最大イベント「X-GAMES」に11歳6ヶ月の最年少出場でギネス認定。これまでに100個以上のメダルを獲得している。
5/8 :: 竹島 由美子(たけしま ゆみこ) 世界のトップバレリーナを包むレオタード
世界でも有数のバレエ王国オランダやドイツなどで活動するバレリーナ(ドイツのドレスデン・ゼンパーオーパー・バレエ団所属)であるかたわら、レオタードブランド『YUMIKO』のデザイナーを務める。『YUMIKO』のレオタードは、自身がバレリーナであるがゆえに、バレリーナの心理をとことん理解して作られており、特に体のラインを美しく見せることに定評がある。その人気は、世界のトップバレリーナの大半が彼女のレオタードを着ていると言われているほど。また、その評判を聞いて、最近ではマドンナがヨーロッパツアーのために何枚も衣装の依頼をし、実際にツアーで使用した。その後も気に入って、よくオーダーがくるそう。
カスタマーメイドを行なっており、それぞれ自分の体に合うよう、特別なサイズの注文を受けている。(2007年、NYに直営店もオープンした。)
5/8 :: 杉原 千畝(すぎはら ちうね) 東洋のシンドラー
1940年、リトアニアのカウナスにある領事館に赴任していた1人の日本人のもとに、ポーランドから大勢の人が訪れた。ヒトラー率いるナチス・ドイツによる迫害を逃れるために流れてきたユダヤ人たちだった。彼らの逃げる場所は税関の無いオランダ領キュラソー島。そこに向かうには日本を通過しなければならない。通過ビザを手に入れるためには…彼らはリトアニア領事館の杉原千畝にビザを頼んだ。最初の避難民は100人程、それからも増え続けた。杉原は日本と連絡をとり、ビザ発給の許可を頼んだ。しかし日本はドイツと同盟を結ぼうとしていた時代。杉原の申し出を拒否。杉原は目の前の民衆を見捨てる事はできず、悩みに悩んだ末、ついに決断。『かくして、忘れもせぬ1940年7月29日からは、1分間の休みもなく、ユダヤ難民のため日本通過ビザ発給作業を、開始した次第です』杉原の手記にもあるとおり、毎日何百人分ものビザを書き続けた。もちろん、自分や家族が犠牲になる覚悟の上で訓令違反を犯したのだった。杉原の人としての道、勇気の決断により、救われた命は6000人とも8000人とも言われている。ユダヤ人たちにとって、これはまさに『命のビザ』だった。
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