TV TOKYO   毎週土曜日 22:30〜22:55 放送
地球街道 バックナンバー
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3月28日放送分
 

いくつもの「道」を走りました。いくつもの「橋」を越えました。快晴の中を、雨の中を、風の日も、雪の日も。地球という舞台に刻まれた道を、懸命に走ってきました。
「その道を走れば、夢が叶う」。そう言って走り始めた地球街道の旅も今回で終わります。旅人75人、訪れた国37カ国、走行距離5万キロに及ぶ壮大な旅を振り返ります。

水、大地、建築・・・が生み出した絶景の数々
◇その道は絶景へと続く
南米、ボリビアの大地を走ったのは、鶴田真由さん。
六平直政さんは、ベトナムの世界自然遺産、ハロン湾にて・・・。
カナディアンロッキーで、八木沼純子さんが目にしたのは・・・。
オーストラリアの広大な大地を駆け抜けたのは、勝村政信さん。
憧れのマダガスカルにやってきたのは、水野美紀さん。
高嶋政宏さんは、アイスランドで、神秘の大地に感動。
アフリカの大地で、命を賭けた絶景を目にしたのは、野村真美さん。
建築も私たちに驚きを与えてくれました。
ポルトガルで、林隆三さんは・・・。
ギリシャを走る草刈正雄さんが車を停めたのは、断崖の上に建つ天空の修道院。

旅の楽しさ、旅の喜びとは?地球街道ならではの旅の醍醐味・・・それは、音楽と寄り道。
◇その道に音が響く
財津和夫さんが訪れた「フェリーニの道」
渡辺美里さんの「サウンド・オブ・ミュージック」
千住明さんは、イタリアでの旅の記憶をひとつの曲に
◇寄り道をすると・・・
宍戸開さんがスウェーデンで見つけたのは・・・。
衣笠祥雄さんがアメリカで立ち寄ったのは・・・。
高橋克実さんがスペインで見つけたお気に入りの風景は・・・。
カナダ一美しい紅葉の森、ローレンシャンを目の前に床嶋佳子さんは・・・。
西村和彦さんが旅したイタリアのラッツィオ州の小さな村は、雲海の上に。
中国の広大な竹林の中で、村田雄浩さんは・・・。

「地球街道」のはじめの一歩・・・
中村雅俊さんが少年時代に憧れたアメリカ「ルート66」

私たちの前には、また新しい道が待っています。
道は続きます。果てしなく、どこまでも。


ドライブガイド
3月21日放送分
 
あなたの知らないニューカレドニア 天国に一番近い浜へ

南太平洋、ニューカレドニア。旅人は、山本太郎さん。天国に一番近い島、ニューカレドニア。そこはまだ、私たちが知らない文化と美しい風景があります。そこにはちょっと不思議な宿があり、伝統を守り続ける暮らしがあります。

<ヌメア>
ニューカレドニア本島の町、ヌメアの夕暮れ時。海沿いの広場では、男性たちが集まって人気のスポーツ・ペタンクに興じています。ペタンクとは、2つのチームに分かれて、鉄の球を相手チームよりもどれだけ的に近づけられるかを競うゲームです。カーリングの手投げ版といったところ。ペタンク歴60年の技に驚きつつ、山本さんも挑戦してみます。きれいな夕陽が海に沈んでいきます。

<マレ島>
本島から飛行機乗って、目指すは、「天国に一番近い浜」があるマレ島。眼下には美しい南太平洋が広がります。
本島から飛行機で30分。東京23区ほどの大きさのマレ島は、地殻変動で珊瑚礁が隆起してできた島です。この島にはおよそ7500が暮らしています。マレ島は手つかずの自然が残り、独特の文化を守り続けています。
島の南部に位置するエニ村は、マレ島の中でもとりわけ美しい村。村のメインストリートを歩くと、山本さんがくるというので村中の人が集まってきました。この村では、外部からきた人は、「コスチューム」という酋長への挨拶の儀式をしなければなりません。来客はタバコとお金を布でくるみ、酋長への貢物にします。まずはそれを長老に渡します。すると、長老と村民から歓迎の意が示されます。そうすると、いよいよ酋長の家へ向かいます。山本さんも少し緊張・・・。長老の手から酋長へ貢物が献上されます。酋長からは歓迎のことばとともに、腰に巻くパレオがプレゼントされました。浜では、村の女性たちが山本さんのために伝統料理のおもてなし。伝統料理のブーニャは、サツマイモ、ヤマイモ、魚の上にココナッツミルクをかけ、それをバナナの葉で包み、蒸し焼きにしたものです。食後は、こどもたちが昔から伝わる踊りを披露してくれました。
エニ村を後にした山本さん。今夜は、伝統的な家屋「カーズ」に泊まります。ニューカレドニアの民宿です。山本さんが泊まる部屋は、なんと突き出た岩場に建っている日本の庵のような佇まいです。

<天国に一番近い浜・ジャバドラン>
天国に一番近い浜を目指す山本さん。しかし、簡単には行けません。足場は悪くサンゴが隆起してできた岩がどこまでも続きます。岩場だけでなく、その道なき道は森の中へと続きます。やがて目の前に、荒削りな岩肌が立ちはだかります。一歩一歩慎重に足場を選んで歩みを進めます。歩くこと2時間、ついに目の前に美しいビーチが!シャバドランのビーチ。ここが、天国に一番近い浜。美しきシャバドランには、波と岩場が作り出した小さな滝までありました。

<ニューカレドニア本島・ブーライユ>
サーファー山本さんが、念願のサーフィンを。ニューカレドニアきってのサーフスポット・ブーライユへ。ブーライユの海は珊瑚礁で囲まれているため、その先までボートで行かないとよい波が来ないのだそうです。沖に出て、さあ、初乗り!



ドライブガイド
3月14日放送分
 
絶景のニューカレドニア 天国に一番近い島を走る

東京から飛行機で8時間半。「天国に一番近い島」といわれるニューカレドニアは、南太平洋に浮かぶ楽園です。俳優の山本太郎さんが、驚きの絶景を目指し、ニューカレドニアを旅します。

<ヌメア>
人口8万人、ヌメアは島一番の都市です。ニューカレドニアの正式名称は「フランス領ニューカレドニア」。先住民であるメラネシア系の人々と、フランス人をはじめとしたヨーロッパ系の人々が暮らしています。
太郎さんがニューカレドニアに着いたのは日曜日。早速色とりどりの野菜や果物が並ぶ、名物の朝市をのぞいてみます。魚屋さんでマグロを試食させてもらったり、カフェでカフェオレとクロワッサンというフランスの朝食の定番を食べたりと、いよいよフランス気分が高まってきたようです。

<レニア島>
ヌメアの人々の休日の過ごし方は様々ですが、その定番の1つがクルージング。ヨットやクルーザーでとある場所に向かい、そこで家族とともに過ごすというのです。クルーザーを持たない観光客にとっては、タクシーボートが便利。太郎さんも、早速「とある場所」を目指します。タクシーボートに揺られること20分。沖合に見えてきたのは無人島です。そう、ヌメアの人々は「ピクニック」と称して家族とともにこの島で過ごすのです。
島に上陸し「南の島に来た実感がわいてきた!」という太郎さん、ここで休日を過ごしているご家族のお話を伺いました。週末のたびに島を訪れ、釣りをしたりリラックスして過ごすというご家族。何ともうらやましいお話ですね。
ということで、太郎さんも、ニューカレドニアで最初のお楽しみ、シュノーケリングです。透明度の高い海には、かわいい魚がたくさん泳いでいました。

<ヌメア〜>
今回太郎さんは彼女と同伴です。その彼女とは…新しいサーフボード。一緒に寝るほど愛しい「彼女」なのだそうです。
翌日、彼女を車に載せ、いよいよヌメアを出発。海のイメージが強いニューカレドニアですが、ヌメアから国道1号線を北上していると、なかなか海は見えてきません。「ずっと海沿いを走ると思っていたのに」という太郎さんですが、それもそのはず、ニューカレドニア本島の中心には南北に中央山脈が走っており、1000m級の山々がそびえ立っているのです。青い海ももちろんですが、その雄大な山の表情もまた、絶景なのです。

太郎さんは、進路を東へと変えました。その山脈を越えてみるためです。北上を続ける太郎さん、森を抜けると、橋の上から網を投げる漁師さんを発見しました。お話を伺うと「日本人が伝えた投網だよ」とのお答えが。実は19世紀末、ニューカレドニアのニッケル鉱山で働くため、およそ6千人の日本人が移住してきました。そしてこの地に住みついた日本人が、この投網の技術を伝えたのだそうです。…それは意外。皆さんご存知でしたか?というわけで太郎さん、日本人代表として投網にチャレンジです。さあ、魚はかかっているでしょうか…(結果は0匹と残念でしたが「今は干潮だから魚は釣れないんだ」とフォローしてくれました)。すると漁師のローランさん、朝獲れた魚を見せてくれました。「食べたいなあ」という太郎さんのお願いに、ローランさん、快く昼食に招待してくれました。
釣った魚はどうやって調理するかと見ていると…衣も何も付けずにそのまま揚げるだけ。実にシンプル。テーブルには、サラダやアサリのボイルなど、豪華な食事が並びます。ローランさんは、普段食べるものは海や自分の畑で獲れたものでほとんどまかなえると言います。つまり、自給自足。お金を使うのは、タバコや砂糖を買うときくらいだそうです。究極のスローライフ、ですね。

すっかりご馳走になった太郎さん、ローランさんオススメの絶景を目指し、再び東海岸を目指します。
美しい海と雄大な山々。どこか日本の風景と似ている景色は、かつてこの地に移住した日本人にとって、心和むものだったに違いありません。その絶景は「海も山も両方好き!」という欲張りな太郎さんの心もすっかり満たしてくれました。



ドライブガイド
3月7日放送分
 
我が永遠の記憶「心の旅」への道〜萩から仙崎へ〜

それぞれの人生の中で、人には、大切に思う場所があり、忘れえぬ人がいることでしょう。中村雅俊さんの大切な場所は、山口県の萩と仙崎。20代、30代の雅俊さんに大きな影響を与えた出逢いがあったからでした。萩から仙崎へ。それは、雅俊さんの永遠の記憶を辿る旅です。

<山口県萩市>
昭和52年、雅俊さんはNHKの大河ドラマ「花神」で、幕末の長州で奇兵隊を率いた高杉晋作を演じました。初めての時代劇。俳優・中村雅俊にとってターニングポイントとなったドラマでした。

長州藩の中心地だった萩は、今もそこかしこに幕末の風情が漂っています。城下町の一角には、後に維新の立役者となる木戸孝允や伊藤博文など、多くの人材が集まっていました。そんな町を歩き、雅俊さんが向かったのは高杉晋作の誕生地。33年前にも一度、撮影の合間に訪れているのだそうです。しかし、家は後世建て直され、当時から残っているものはほとんどありません。

菊が浜は、夕陽の美しい浜辺。実は雅俊さんには、ここで撮影した思い出のシーンがあるそうです。高杉晋作登場の場面、浜辺で木刀を振り回すシーンです。雅俊さん、浜辺に落ちていた木の棒を拾い、当時のシーンを再現します。

高杉晋作ゆかりのものが残されていないだろうか?そんな思いで訪れたのは、萩博物館。ここには「高杉晋作資料室」があり、様々なゆかりの品が観覧できます。室長であり、高杉晋作の研究家でもある一坂太郎さんにご案内いただき、今回、展示されていない貴重なものを特別に見せていただくことができました。それは、高杉晋作が自分で作った木刀。当時の息吹を感じてみたいと、思わず木刀に顔を近づけてみた雅俊さん。晋作の匂いはもう残っていませんが、じんわりとこみ上げるものがあったようです。

萩の町の北にある岬では、この季節ならではの光景が見られます。笠山椿群生林は、東京ドーム2個分の広さを誇る、日本最大級の椿の群生林。2万5千本もの椿は、すべて自生です。林の中を歩く雅俊さん、遊歩道にはまるで誰かが撒いたかのように、椿の花が落ちています。椿は花びらではなく花ごと落ちるのですが、その花、一体どこに咲いているかと言うと、高さ10mにも及ぶ木の上の方。落ちた花は、地元の方々の手で毎日掃除されています。ちょっともったいない気が…と思ったら、観光客のためにきれいな花を残してくれているのでした。

<山口県長門市>
萩に隣接する長門市の海沿いの町、仙崎。ここも、雅俊さんにとって大切な人の故郷です。
1981年に発売された「心の色」の作詞家・大津あきらさんは、雅俊さんの1つ年上。12年前、大津さんが47歳の若さでこの世を去るまで、まるで兄弟のように本当に親しくしていたのだそうです。
雅俊さんは、大津さんのご実家へ。現在そこにお住まいなのは、大津さんのお母様。東京にあった大津さんの仕事部屋を仙崎に移し、12年間そのままの状態で残してあるのだそうです。
コンサートで大津さんが作ってくれた曲を歌い続けているという雅俊さん。今でも忘れられないのが、大津さんが亡くなった時のこと。棺の前で、大津さんと雅俊さんを結びつけてくれた思い出の曲である「心の色」を歌ったのだそうです。お母様も、その時のことは忘れられないご様子。2階に案内していただき、思い出話に花を咲かせていると、雅俊さんも初めて聞くという「心の色」誕生のエピソードを聞かせてくださいました。美しい夕陽に感動してできたという「心の色」。それは、仙崎の風景から生まれたものでした。
雅俊さん、どうしてもこの町でも特に好きな場所で歌いたくなってきました。大津さんが亡くなった翌年、友人たちの手で建てられた「心の色」の歌碑のそばで。大津さんはその場にいなくても、きっとどこかで聞いていてくれるはずです。大津さんへの思いがこもった「心の色」を。




ドライブガイド
2月28日放送分
 
2月21日放送分
 
疾走!冬こそ北海道!!神秘の道東 もうひとつの神秘へ

60カ国以上の国をめぐり、現在登山家としてエベレストやマナスルなど、世界の最高峰に挑み続けている、元F1レーサーの片山右京さん。今まで冬の北海道を訪れたことがなく、冬の北海道が織りなす神秘の風景にずっと憧れ続けていたのだそうです。そんな右京さんが目指すのは「神の湖」と呼ばれる摩周湖。右京さんが、雪の北海道で見たものとは…

<釧路湿原>
釧路湿原は、東京・山手線内の3倍ほどの面積を誇る、日本最大の湿原です。
ここを流れる全長154qの釧路川で、右京さんはカヌーにチャレンジ。海外ではカヌーの経験があるそうですが、冬のカヌーは初体験。しかも川面は、シャーベット状の氷で覆われています。釧路川をすべるように進むカヌー。そこは時折鳥のさえずりや、カヌーが水面をこする音が聞こえてくるだけの、静寂に包まれた世界です。
そしてこの季節、ここで見られるとっておきの風景があります。それは、霧氷。氷点下では、水の方が暖かいため、川から上った水蒸気が樹木に当たり、昇華します。それが木の枝や葦にくっつき、幻想的な風景を作り出すのです。それは、冬の湿原を彩る一瞬の輝き。霧氷は、朝日が上るまでの気温に左右されるため、厳冬期の一瞬だけ目にすることができる現象なのです。

<鶴居村>
「鶴居・伊藤サンクチュアリ」は、タンチョウの給餌場。タンチョウは、絶滅の危機にある鳥です。現在およそ1000羽が確認され、越冬のために餌が与えられています。タンチョウは、春夏を湿原で過ごし、秋になると鶴居村にやってきます。冬の間、凍りにくい川を寝床としていますが、今の釧路湿原では冬を越すだけの餌を自力で取ることができないため、昼間だけ給餌場に飛来するのだそうです。

<摩周湖>
「右京さんは、摩周湖を目指します。展望台から見ると、そこは深い霧に覆われていました。
「神の湖」と讃えられている摩周湖は、流れ込む川も流れ出る川もないカルデラ湖です。しかし、年間を通じてその水位がほとんど変わらないのは、ここの水が、地下を通る伏流水になっているためです。その影響は、半径100kmにも及びます。ですから摩周湖は「神の湖」と呼ばれているのです。

<清里町>
神の湖・摩周湖のもうひとつの神秘を見るために、右京さんは清里町にある宿へ。お世話になったロッジの名は「旅人の宿・風景画」です。アウトドア関連の会社に勤めていた山下さんがこの地にひかれ、北海道に移住したのは10年前のこと。そして自ら設計建築し、旅人を迎えるための宿を始めたのだそうです。宿の名前を「風景画」とした理由は、2階に上がるとわかります。それは、壁一面が窓になっており、その窓がまるで額縁のように風景を切り取るから。窓から見える斜里岳は、まさに風景画のような美しさです。
夕食作りは、山下さんご夫妻の共同作業。素朴ながらも、できるかぎり地元の食材を使い、心がこもった手作りの料理です。

翌朝、自然ガイドでもあるご主人の案内で山の中へ。目指すは神の湖・摩周湖の力がもたらす奇跡の場所です。雪深い道も歩けるスノーシューを装着し、森の奥へと進みます。木が骨組みとなって天然のかまくらができている場所、森を流れる川に氷のオブジェ。自然の恵みを目にしながら3時間ほど歩いた2人の目の前に表れたのが、「神の子池」です。
静かに、蒼い水をたたえる「神の子池」。その中には、朽木が横たわっています。実はこの池の源は摩周湖。こんこんと湧く伏流水は、1日1万2千トンもの湧水量を誇り、水温は年間を通じてほぼ8度に保たれています。神の湖・摩周湖の子どものようだからと、ここは「神の子池」と呼ばれているのです。それは、地球が作り出した奇跡の場所です。

右京さんは、再び北海道の大地を走り始めました。まだ見ぬ神秘の絶景がそこに待っているから。それは、知床の深い森です。



ドライブガイド
2月14日放送分
 
スペイン縦断 銀の道を走る!〜豚と羊と世界遺産〜

スペイン西部、イベリア半島を南北に走る1本の道を、人は「銀の道」と呼びます。およそ2千年前、古代ローマ人によって作られた軍事用の道。その名の由来は諸説ありますが、古くから人を運び、物を運び、スペインの歴史そのものが刻まれた道なのです。冬のスペインを訪れるのは初めてだという近藤正臣さんが、「銀の道」の終着地セビーリャを目指します。

<「銀の道」旧街道沿い>
「銀の道」沿いの旧道脇に立っているのは、「ミリアリオ」と呼ばれる古代ローマ時代の道しるべ。かつてイベリア半島の中心都市であったメリダから、1マイル(古代ローマ時代=約1.5km)おきに置かれていたものだそうです。
近藤さんが立ち寄ったのは、とある羊小屋。羊飼いのおじさんに「いいものを見せてあげるよ」と、小屋の中へ案内されると、そこには太い石の柱が何本も。そう、なんとあの古代ローマ時代の道しるべが、羊小屋の大黒柱に変わってしまっていたのです!近藤さんが立ち寄った羊小屋はおよそ400年前に建てられたそうですが、どうやらその時、道しるべをあちこちから持って来て柱に利用してしまったらしいのです。近藤さん、思わず「そんなことしちゃダメなんじゃないの?」と聞きますが、おじさんは「この羊小屋が建てられたのはすごく昔のことだから、よくわからないよ」とのこと。そりゃそうなんですけど…

<カセレス>
中世の貴族の住宅群がほぼ当時のまま残る旧市街は、その街並の美しさから、世界文化遺産に登録されています。
近藤さんは、名物を求めてカセレス郊外にある「ラ・ハリージャ」へ。ここは、伝統的な手法でチーズを作り続けている工房です。その作り方は、乾燥させた朝鮮アザミの花から作った天然の凝固剤を使って羊のミルクを固め、1つ1つ丁寧に型に詰めて、高い湿度を保った冷蔵庫で2ヶ月熟成させるというもの。そうしてできあがるのが、名物、トルタ・デル・カサールです。工房の方は「世界一おいしいチーズですよ」と言うのですが、実は近藤さん、チーズが大嫌い。口に入れるまでにちょっと時間がかかりましたが、思い切って…!さて、「世界一おいしいチーズ」は、近藤さんのチーズ嫌いを克服させることができるでしょうか?

世界遺産の町、カセレスが最も美しいのは、夜かもしれません。そこで近藤さんは夜の町を散策。町の中心にある広場に出てみると、教会の塔の上にコウノトリを発見しました。通常、冬はアフリカで過ごし、春再び戻ってくるはずのコウノトリ。今ではすっかりここに住みついているようです。ドライブ中、巣はいくつも見たけれど、中に本物がいるのは初めて見たと言う近藤さん。世界遺産の町での、思いもかけない出会いでした。

<メリダ>
「銀の道」を何かすること1時間。「小さなローマ」と讃えられる町、メリダです。まるで遺跡の中にあるかのようなその町で近藤さんが訪れたのは、およそ6千人を収容できたという、半円形のローマ劇場。近藤さん、思わずシェイクスピア(?)のお芝居のセリフを絶叫。ナレーションの中村雅俊さんも、思わず「その気持ち、わかる!」と言ってしまうほどのはしゃぎっぷりを見せていただきました。

<モネステリオ>
再び「銀の道」を走り出した近藤さんの目に飛び込んできたのは「デエサ」と呼ばれる樫の木林。広大なドングリの林には、たくさんのイベリコ豚が放し飼いにされています。冬の時期、ドングリだけを食べさせて、さらに厳しい基準をパスしたイベリコ豚のみ、最高の生ハム「ベジョータ」になるのだそうです。
たくさんのイベリコ豚に囲まれた近藤さん、何をしているかと思えば、何と豚の大事な食料であるドングリを拾っていました。そしてそのドングリをパクリ。どうやらこの林のドングリ、近藤さんが子どもの頃に食べた椎の実と同じ味がするのだとか。「この豚たち、こんなにおいしいドングリ食べてるんだ…」と納得の近藤さん。…となれば、生ハムも絶対おいしいはず!と、町にあるバル・レストランへ。そこに、最高級の生ハムの最高の食べ方があるというのです。

最高級の生ハム「ハモン・イベリコ・ベジョータ」ができるまでには、3年という時間が費やされます。その生ハムをおいしくいただくには、切り方がとても重要なのだそうです。レストランテ・マジョルカのデメトリオさんは、スペインの生ハム切りコンテストで優勝した達人。その見事な包丁さばきは、まさに職人技。近藤さんも待ちきれません。ところがデメトリオさん、生ハムは出してくれたものの、フォークがない。まさか、見るだけ…?と、心配になる近藤さん。実は生ハムは、手で食べるのがスペイン流。最高級の生ハム、お味はいかがでしょうか?

<セビーリャ>
「銀の道」の終着点、セビーリャ。ローマ時代、大航海時代と、貿易の重要な拠点として発展しました。シンボルの「ヒラルダの塔」がある大聖堂は、世界遺産に登録されています。

「銀の道」を走り終えた近藤さんが最後に向かったところ。それは、夜のバル。夜の1時過ぎだというのに、皆さんフラメンコを踊ったりお酒を飲んだりで大盛り上がり。スペインの、長く賑やかな夜はまだまだ続きそうです。

ドライブガイド
2月7日放送分
 
スペイン縦断 銀の道を走る!

スペイン西部、イベリア半島を南北に走る1本の道を、人は「銀の道」と呼びます。その名の由来は諸説ありますが、古くから人を運び、物を運び、スペインの歴史そのものが刻まれた「銀の道」。冬のスペインを訪れるのは初めてだという近藤正臣さんが、ヒホンからセビーリャまでのおよそ820kmの道のりを走ります。

<ヒホン>
「銀の道」の起点は、カンタブリア海に面した町、ヒホン。
この町の名物は、日本人にとって非常になじみ深い食べ物だということを聞き、近藤さんは一軒のバルへ向かいました。お店の方が「名物のオリシオがあるわよ」と出してくれたのは、なんとウニ。しかも茹でたウニです。ヒホン流のウニの食べ方は、丸ごと海水で茹でるというもの。「生で食べた方がおいしいのに、もったいない!」と言いつつ、近藤さん、しっかり完食です。

<ブエニョ>
スペイン北西部、人口130人ほどの小さな村、ブエニョ。
村を歩く近藤さんが見つけた不思議な建物は、「オレオ」と呼ばれる高床式の倉庫。雨が多いスペイン北西部で、穀物を湿気から守るために生まれたもので、古い物では数百年ほど経つそうですが、未だに現役。まるで頑固なおじいさんのような佇まいです。

引き続き村を散策していた近藤さん、ようやく村人のおばさんを発見。勇気を出して「日本から来ました」と話しかけてみると、「はいはい、よくいらっしゃいました」と、つれない態度で逃げられてしまいました。歩き去るおばさんの足音がぽこぽこと響きます。「木靴…?」と不思議に思った近藤さん、めげずにおばさんの後を付いて行ってみることに。しばらくすると、そのおばさんのご主人と思われる、木靴を履いたおじさんを発見。お話を伺ってみることにしました。「マドレーニャ」と呼ばれる木靴は、雨の多いこの地域だからこそ生まれた生活必需品。ぬかるみの所を歩きやすいし、足がとても暖かいのだそうです。どうしても木靴が欲しくなってしまった近藤さん。さて、旅の間に見つけることはできるでしょうか?

<レオン>
サンティアゴへと続くかの有名な「巡礼の道」と「銀の道」が交差する、古くからの要衝レオン。旧市街は、10世紀に造られた城壁に囲まれています。
町のランドマークは、レオン大聖堂。13世紀に建造された、ゴシック建築の傑作です。中へ入った近藤さんが目にしたのは、壁一面に施された、700枚を越すステンドグラス。息を飲むその美しさは、ただただ「すごい」の一言です。

マヨール広場では、市が立っていました。冬のヨーロッパ名物、焼き栗やみかんなど、買い物に夢中の近藤さんでしたが、偶然、木靴を履いているおばあちゃんを発見!聞くと、お店の場所を案内してくださるというので、お言葉に甘えることにしました。教えられたのは、一見普通の靴屋さん。意を決してお店に入ってみると…ありました!たくさんの木靴です。中には豪華な彫刻が施された木靴も。近藤さんは「彫刻は誰に教えられたわけでもなく、自力で学んだんだよ」と教えてくれた、御年80歳のアベリーノさんが丹念に彫り上げた木靴を迷わずお買い上げです。念願の木靴の履き心地はいかがでしょうか?

<ポルトガル国境>
近藤さんは「銀の道」を外れてちょっと寄り道。ポルトガルとの国境を目指すことにしました。車を走らせる近藤さんが思わず通り過ぎてしまった「セグラ橋」が、スペインとポルトガルの国境。ということで、改めて橋の上へ。2つの国境をまたいだ近藤さん、「俺は今2つの国にいるんだぞ!」と思わずピース。まるで子どもみたい…ですが、わかりますよね、その気持ち。

<セグラ(ポルトガル)>
橋の上からふとポルトガルの方を見ると、丘の上に小さな村が見えました。ポルトガルに入って最初の村です。近藤さんは、ためらうことなくその村へ。初めて出会ったポルトガルの村、セグラです。
近藤さんは、国境から見えた教会へ。たどり着くと、そこには日没を待つおじさんたちがいました。「ちょっと寒いよ」と言うおじさんたちと一緒に、ベンチに座って夕陽を眺めます。

翌日、近藤さんは再び「銀の道」を走り出しました。終着点のセビーリャまでは、およそ300kmです。



ドライブガイド
1月31日放送分
 
豪雪の道を走る!!〜新潟・松之山から長野・秋山郷〜

江戸時代後期、新潟の商人・鈴木牧之が1冊の本を著しました。雪国の暮らしを記した「北越雪譜」には人々の知恵と文化が綴られ、当時「里見八犬伝」と並ぶ大ベストセラーとなりました。それから170年。雪国の暮らしぶりはどう変わったのでしょうか?新潟県新発田市出身の三田村邦彦さんが見た、現代の「北越雪譜」の旅の始まりです。

<新潟県十日町市>
日本有数の豪雪地帯、新潟県十日町市。旅の始まりは、松之山温泉。草津、有馬と並んで「日本三大薬湯」の1つに数えられる名湯です。湯煙漂う温泉街も、今はすっかり雪の中。
雪が降っている時期にここを訪れるのは初めてだという三田村さん、街を歩いていると、騎馬に担がれた2人の男性に出会いました。「お婿さんが投げられる」というのですが…?「婿投げ」は、この地域に300年ほど前から伝わるお祭りで、前年結婚したお婿さんが、高さ5m以上のお堂の上から放り投げられるというもの。もともとは、よそ者に集落の娘を取られた腹いせに婿を投げたのが始まりだとされ、お嫁さんが雪の中からお婿さんを助け出すことで、2人の絆がより深くなるよう願う行事なのです。三田村さんがお話を伺った関根さんも、放り投げられて雪まみれ。無事旦那さまを助け出した奥様、「旦那さまが投げられていかがでしたか?」と聞かれ、「素敵でした」…お2人の絆はますます深まったようです。いつまでもお幸せに!

松之山は、日本有数の豪雪地帯です。特に、昭和56年と59年には、山間部で6mを超す記録的な積雪となりました。ここで暮らす人々は、日々、雪との格闘です。三田村さんは、雪かきをしていた方にお話を伺ってみました。ご自宅に案内してくれた丸山さん、屋根には3mの雪が積もったこともあるのだそうです。外装に多少手を加えてあるとはいえ、築100年の立派なお宅。太い梁や柱が、過去の豪雪に耐えてきたのです。ひとやすみさせていただき、奥様が作ったというおかずまでいただいてしまった三田村さん。そろそろ今日の宿へ向かいましょう。

三田村さんの今夜の宿は、一軒まるまる借りられる古い貸し民家。雪国の暮らしを体験してみよう、というわけです。
この日の外気は2度。とにかく寒い!!そこで三田村さんは、囲炉裏に火を入れることにしたのですが、問題発生!杉の枝や薪が燃える煙で家の中が真っ白になってしまったのです。暖を取ったのに窓を開けなきゃいけないなんて、雪国の暮らしは楽じゃありません。
ここでの泊まりは自炊が基本。新潟に来たからには、魚沼産のコシヒカリでしょう!ということで、薪を割って、お釜でごはんを炊きます。待つこと40分、ほかほか、つやつやのごはんが炊けました。おかずは先ほど丸山さんからいただいたもの。サトイモやニンジン、ゴボウなどを煮てとろみをつけた、この地方の郷土料理「のっぺ汁」を温め、それをごはんにかけるのが、三田村流・おいしいのっぺ汁の食べ方です。三田村さん、思わず「うまい!」。心も体も温まる、おいしい新潟の味です。

<新潟県津南町・長野県栄村>
新潟県から長野県へ。三田村さんが向かうのは、豪雪地帯の秘境、秋山郷です。
秋山郷は、平成18年、記録的な豪雪に見舞われ、唯一のライフラインである国道405号線が1ヶ月にわたり通行止めになり、13の集落が雪の中に孤立しました。今年は、例年よりだいぶ雪が少ないようです。

秋山郷には、信号が1つもありません。三田村さんがゆっくりと車を走らせていると、牛乳パックを1本持って歩いている人に出会いました。三田村さん、「牛乳配達をしてるんです」とおっしゃる、お仕事中の阿部さんに付いて行くことにしました。地元出身の阿部さんの本業は、商品の卸業。しかし一般家庭からお願いされると、配達料なしで、食料品から電化製品まで、あらゆるものをお届けしているのだとか。「待っていてくれる人がいるから、雪が降っても、腰まで雪に埋もれても届けなきゃいけない」と語る阿部さん。助け合って暮らす、雪国の温かさです。

旅の終わりに三田村さんは、秘境・秋山郷の中でも最も美しい場所へと向かいます。そこには、新潟県出身の三田村さんも見たことがない絶景が広がっていました。



ドライブガイド
1月24日放送分
 
愛しきコート・ダジュール マティスの礼拝堂へ

元フジテレビの中村江里子さんと、元TBSの雨宮塔子さん。現在パリに住むお2人が親しくなったのは、ごく最近のことなのだそうです。江里子さんの思い出がいっぱいつまった場所、そして塔子さんが長年憧れていた美しき礼拝堂。愛しのコート・ダジュールで、お2人を待ち受けていたものとは…?

<ニース>
この日、ニースは大荒れ。実は江里子さん、ご家族に「嵐を呼ぶ女」と言われ、ここぞという時に必ずお天気が悪くなってしまうのだとか。「今日の雨も私のせいかも…」と落ち込む江里子さんですが、気を取り直してニースの街を散策してみましょう!
街で最もにぎやかなのが、旧市街の朝市。品揃えも豊富です。パリではよく市場で買い物をするというお2人ですが、この朝市には、ニースでしかお目にかかれないものもあるのです。お2人が見つけたのは「ソッカ」という大きなお好み焼きのようなもの。ニースの名物料理で、小麦粉ではなくエジプト原産のひよこ豆をひいた粉に、水、オリーブオイル、塩を混ぜた生地を、250度の窯で8分間焼いてできあがりです。さて問題は、そのお味。どうやらソッカを売る名物おばさんのテレザさんが、豪快にコショウを振りかけすぎてしまったようです。テレザさんは「日本人は辛いのが好きでしょ?」と、涼しい顔。とても元気なテレザさん、「日本人男性が結婚してくれたら、エネルギーの全てを捧げるわ」とのこと。元気をもらいたい独身男性の皆さん、ニースの朝市でテレザさんにプロポーズしてみては?

<ヴァンス>
今回お2人が最も楽しみにしていた場所、それは、ある画家が手がけた礼拝堂です。色彩と構図を徹底的に追及した、20世紀を代表する画家、アンリ・マティス。その晩年の代表作である礼拝堂は、マティスが大好きだという塔子さんが長年望んでいながら「最後の砦」として、ずっと訪れずにいた場所でした。
中世の佇まいが残る街、ヴァンスはマティスが晩年の一時期を過ごした街でもあります。その街はずれにさりげなく建っているのが「ロザリオ礼拝堂」です。休館中だったため、予約を入れ、管理しているお隣の修道院に開けてもらうことになっていたのですが、担当の方は「問題が起きました。中は無理です」の一点張り。本当は終わっているはずだった礼拝堂の中のペンキ塗りに、思いのほか時間がかかってしまっているというのです。あきらめきれないお2人は、礼拝堂の外へ。目の前に憧れの礼拝堂があるというのに「絶対にダメです」とつれない返事。結局お2人は予定を変更し、2日後に出直すことにしました。

<サン・ポール・ド・ヴァンス>
サン・ポール・ド・ヴァンスは、ヴァンスの隣町。中世の家並みが保存されており、コート・ダジュールの中でもひときわ美しい町、そして江里子さんのご主人の故郷でもあるのです。
江里子さんが塔子さんを連れて来たかったのが「ラ・コロンブ・ドール」というホテル。現在は休業中ですが、かつてピカソやブラックら、名だたる画家たちが盛んに出入りしていた宿。その時彼らが残して行った作品がいたる所に飾られているすごいホテルなのです。塔子さん、残念!宿泊は、またの機会ということで…
街を歩いていると、江里子さんが結婚式当日、ウエディングドレス姿でくぐり、街なかへと入っていったという門があります。何とその門も工事中!お2人の旅はトラブル続きです。
お2人は回り道して、教会に至る坂道へ。ここは、江里子さんがドレスを着てお父様と共に歩いた、忘れることのできない道。父と娘、そして家族がお互いのことを想う、美しい時間が流れていた、江里子さんにとってはとても大切な場所です。坂道を登りきると、江里子さんが式を挙げた「サン・ポール・ド・ヴァンス参事会教会」に突き当たります。完成したのは12世紀とも言われる古い教会。その後改修を繰り返すものの、今も中世の姿をとどめる美しい教会です。

<ヴァンス>
旅の最終日、お2人は再びあの礼拝堂へ。ドキドキしながら待つお2人のもとに、担当の方が笑顔で現れました。どうやら中を見せていただけるようです。

ロザリオ礼拝堂は、マティスが晩年、看護を受けた女性の依頼に応え、手がけたものです。4年近くの歳月を費やし、まさに心血を注いですべてのデザインに取り組みました。ステンドグラスの色は、青、緑、黄色のわずか3色。青は空と海を、緑は植物を、そして黄色は太陽を表しています。
マティスは、この礼拝堂のためにアトリエを改修。長い棒(筆)を使い、巨大な壁画の制作に取り組みました。試行錯誤の末に生まれた3点のタイル画は、一切の無駄がそぎ落とされています。キリストの受難の過程を描いた「十字架の動行」は、何度も何度も描き直し、3年以上の歳月を費やしたのです。
そしてお2人が、この礼拝堂の中で最もひかれたのが「聖母子」。幼いイエスを抱いた、聖母マリアです。温かい気持ちが、体の中から満ちてくるような絵、ステンドグラスを通る柔らかな光。モノクロームの絵にほのかに映る色は、色彩の魔術師と呼ばれたマティスの真髄ともいえる美しさです。

旅を終えたお2人は、共に言いました。「年を重ねて、また来てみたい」と。



ドライブガイド
1月17日放送分
 
江里子&塔子 南仏コート・ダジュール冬景色!!

元フジテレビの中村江里子さんと、元TBSの雨宮塔子さん。現在パリに住むお2人が親しくなったのは、ごく最近のことなのだそうです。南フランスは何度か訪れているというお2人ですが、それぞれがオススメの場所を案内しながらニースを目指します。初めての二人旅、その先に待っていたものとは…

<エクス・アン・プロヴァンス>
超高速鉄道TGVでおよそ3時間。エクス・アン・プロヴァンスは、2千年以上の歴史を誇る街です。湧き水が多いこの街は、夏には豊かな緑に包まれます。舗道には、「C」のマークが。ここエクス・アン・プロヴァンスは、近代絵画の父、ポール・セザンヌの故郷。「C」のマークをたどっていくと、アトリエなど様々なセザンヌゆかりの場所に行き当たる、というわけです。

お2人がここを訪れたのは、街がクリスマス一色のころ。街の一角に、何やら皆さんが真剣に物色している出店がありました。ずらりと並んでいるのは「サントン人形」。この地方で採れる粘土で焼き上げた後着色して作られ、大きさは2〜30cmほど。フランス革命で人形を飾ることを禁止された際、隠れて行うために小さくしたのが起源なのだそうです。クリスマスの前後に、思い思いのサントン人形を家に飾ることが、プロヴァンスの人々の楽しみ。3年前から人形を飾り始めたという江里子さんは、早速お買い物モードに突入。全部で10体のお買い上げです。
実際に人形を飾っているところが見たいというお2人は、お店の方にコレクターのシリルさんを紹介していただき、早速ご自宅へ。ごく普通の農家だと聞いていたのですが、そのスケールにびっくり。何と、立体感を出すために壁に穴まであけてしまっているのです。幅4m。祖父の代から70年にもわたって集め続けたという人形だけでなく、草木や土を使って、一昔前のプロヴァンスの牧歌的な暮らしを再現しています。デザインは毎年替え、今年は3日間かけて作り上げたというシリルさん。サントン人形は、世代を超えて受け継がれるプロヴァンスの伝統なのです。

エクス・アン・プロヴァンスから東へと伸びる道は、絶好のドライブルートです。その名も「セザンヌの道」。彼が愛したサント・ヴィクトワール山へと続く道です。セザンヌは、画材を抱えて何度もこの道を通り、個性的な姿を見せるサント・ヴィクトワール山を80枚以上も描きました。お2人は車を停め、さらに近づいてみることに。荒々しい岩肌を見せるその姿に圧倒されます。


<コート・ダジュール>
お2人の車は、プロヴァンスからコート・ダジュールの山の中へ。向かっているのは、江里子さんが「もう一度訪れたい」とずっと思っていた村です。
グルドンは、中世の頃、異民族の侵入から逃れるために、あえて崖の上の難所に作られた村。標高720m、堅牢な石造りの家が並びます。江里子さんは早速思い出の場所へ。実はここ、今から10年ほど前、現在のご主人に連れて来てもらって、とても感動した場所なのだとか。お2人の目の前に広がるのは、恋に落ちた江里子さんが見た絶景です。

今夜の宿は、塔子さんが以前取材で訪れながら、ランチしか食べられなかった因縁の宿「オステルリー・ドゥ・ラベイ・ドゥ・ラ・セール」。18世紀のブルジョワの邸宅を使用した、のどかでアットホームなこのホテルに、いつかゆっくり来たいとずっと思っていたという塔子さん。その夢がかないます。
用意されたのは2部屋。お2人はそれぞれどちらかを選ばなくてはなりません。1つは、教会広場と市場が見える「市場に面したヒマラヤ杉の部屋」、そしてもう1つは、軍人出身の英雄ド・ゴール大統領が、回想録を書くために何度も宿泊したという「ド・ゴール将軍の部屋」。迷いに迷ったお2人ですが、塔子さんは「かわいらしくてほっとする」という理由でヒマラヤ杉の部屋を、江里子さんは「マスキュランなものが好き」という理由でド・ゴール将軍の部屋を選びました。原稿用紙を持って来たという江里子さん、ド・ゴールが回想録を書いた部屋で、どんな文章が生まれたのでしょうか?
この宿のご自慢は、夕食。フランス屈指の名シェフ、アラン・デュカス氏がプロデュースする、シンプルで素材の味をいかした素朴な料理が並びます。

翌日お2人は、南フランスのリゾート地、ニースへ向かいます。しかし天気は大荒れ。ちょっと、嫌な予感です…




ドライブガイド
1月10日放送分
 
絶景オーストラリア東海岸
〜二つの世界遺産を目指して〜

今から3年前、国道1号線を北上し、パースからシャークベイまでの西海岸を旅した勝村政信さん。その壮大な絶景に魅せられ、いつしかふくらんだ夢が「国道1号線を走り、オーストラリア大陸を1週してみたい!」。今回は東海岸、ブリスベンからケアンズまでのおよそ2500kmを走ります。目指すは、2つの世界遺産です。

<タウンズビルとその周辺>
タウンズビル周辺は、古くから砂糖の産地です。19世紀末、この辺りのサトウキビ畑で働くために、多くの日本人が移住してきました。彼らのために1896年、オーストラリアで最初の日本領事館がタウンズビルに作られたのです。
1908年まで使われていたその建物が、今も残されています。勝村さんは、旧日本領事館を訪ねました。建物は、この地方特有の建築、クイーンズランダー様式。木造2階建てで、1階はガレージと納屋になっており、住居は2階部分のみ。夏の暑さをしのぐため、高床式住居になっているのです。現在こちらにお住まいのトンノワさんご夫妻は、当時ボロボロだったこの建物を、15年以上かけて自分たちで少しずつ修理してきたのだそうです。

この辺りには、とても珍しい動物が生息しています。オーストラリア東部とタスマニアにしかいないその動物が見たいと、勝村さんは国道1号線を外れてちょっと寄り道。その動物が棲みついているという釣り堀で、オーナーのピーターさんに「絶対に大きな声を出さないで」と注意された勝村さん。とても警戒心が強いというその動物とは…カモノハシです。哺乳類でありながら卵を産む珍しい動物で、水中で餌を捕獲するため、2分に1回ほど呼吸のために水面に上がってくるのです。その間、わずか10秒。勝村さんは、カモノハシを見ることができたのでしょうか?

<ケアンズ>
ブリスベンから1700km、ケアンズの町です。

勝村さんが向かったのは、1つ目の世界遺産。ケアンズ周辺には、90万ヘクタールにも及ぶ広大な熱帯雨林が広がっており、世界最古の熱帯雨林の1つと言われています。そしてここは、古くから先住民アボリジニたちが暮らしてきた森。彼らは食料や薬など、すべてのものをこの森で調達してきたのだと言います。勝村さんは、ガイドのロバートさんと共にその森へ。燃料や石けんとして使うという珍しい植物や、別の土地からやってきた人に情報を伝えるための壁画が描かれた洞窟、そしてアボリジニたちが「教会のような神聖な場所」と崇めるイチジクの木を見せていただきます。そこは、神々しくさえある太古の森です。

森を抜けて海に出ると、もう1つの世界遺産が広がっています。ケープトリビュレーションは、熱帯雨林とグレートバリアリーフの2つの世界遺産が出会う場所です。

勝村さんは、水上飛行機で世界最大の珊瑚礁、グレートバリアリーフへ。全長2千km以上、日本列島がすっぽり入ってしまう広さに珊瑚が群生しているのです。
勝村さんが向かったのは、小さな砂の島サドブリケイ島。この日1時間だけ、勝村さんの貸し切りとなりました。目の前に広がるのはエメラルドグリーンの海と水平線のみ。夢のような贅沢な時間です。5分も泳ぐと、そこは一面の珊瑚礁。グレートバリアリーフには、400種類以上の珊瑚が生息し、その周りには1500種類以上の魚が生息していると言われています。そこはまさに、珊瑚の海。

ブリスベンからケアンズ、およそ2500kmもの距離を走り切った勝村さん。果たして、晴れてオーストラリアを1周できるのはいつになるでしょうか…?



ドライブガイド
1月3日放送分
 
絶景オーストラリア東海岸
〜激走!2500km 国道1号線を行く〜

今から3年前、国道1号線を北上し、パースからシャークベイまでの西海岸を旅した勝村政信さん。その壮大な絶景に魅せられ、いつしかふくらんだ夢は「国道1号線を走り、オーストラリア大陸を1週してみたい!」。今回は東海岸、ブリスベンからケアンズまでのおよそ2500kmを走ります。そのゴールに待っていたのは…

<クイーンズランド州>
ブリスベンの町から走り始めた勝村さん、前回の旅で唯一の心残りがありました。それは、コアラを見なかったこと。「なんでみんなコアラを抱っこするんだろう?」そんなことを考えながら走っていると、勝村さん、「この国を代表する動物なんだから、もうちょっと愛らしく描いていただきたい」と思ってしまうほど微妙な感じのコアラの看板を発見しました。実はこれ、「コアラ注意」の道路標識。クイーンズランド州は、オーストラリアの中でも最も野生のコアラの生息数が多い場所なのです。運が良ければ「野良コアラ」を見つけられるはず!…と、頑張って探すこと30分。勝村さん、残念ながら野生のコアラを見つけることはできませんでした。

オーストラリアでは、野生動物はとても身近な存在です。しかし近年問題になっているのが、人間が飼っているペットに襲われる動物たちが増えていること。その野生動物の保護活動を支えているのが、たくさんのボランティアの方々です。勝村さんはその中の1人、マリリン・スプレッターさんを訪ねました。マリリンさんは現在、ご自宅で2匹のコアラの赤ちゃんを育てています。コアラは新鮮なユーカリの葉しか食べないため、2日に1度、自生しているユーカリの葉を取りに行くのだそうです。コアラにかかる費用はすべてマリリンさんの自己負担。ここで2.5kgになるまで育てた後に保護施設に預けられ、自分で餌を捕る訓練を受けてようやく野生に返されるのです。勝村さん、いよいよ念願のコアラとご対面。初めてコアラを抱っこし、ミルクをあげた感想は…?

勝村さんは国道1号線を北上します。走ること2時間、勝村さんの目に飛び込んできたのは「Driver Reviver」(ドライバー・リバイバー)の看板。直訳すると「運転手を生き返らせる人」…?実はここ、長期休暇の期間だけオープンする、ドライバーのための休憩所。少しでも車の事故を減らそうと、地元の人たちがボランティアでコーヒーやお菓子の無料サービスを行っているのです。週末の3日間で500人もの人々が利用するというこの施設でコーヒーをご馳走になり、すっかり生き返った勝村さん、再び1号線を走ります。

<フレーザー島(クイーンズランド州)>
翌日、勝村さんがフェリーで向かったのは、世界遺産の島、フレーザー島。
オーストラリア本土から流れ出た砂が、数十万年という気が遠くなるような年月をかけて堆積してできた世界最大の砂の島です。しかも不思議なのは、不毛なはずの砂の上に亜熱帯雨林が生い茂っていること。これは、砂の堆積の仕方や気候条件が複雑に絡み合い、植物と地面との栄養循環が徐々に形成されていったからだと考えられています。

車が走るのも当然砂の上。悪路を走ること1時間、ようやく反対側のビーチに出ました。75マイルビーチです。およそ120kmにわたって砂浜が続くこの道の別名は「ザ・ハイウェイ」。クイーンズランド州のれっきとした公道なのです。さらにある時は、ビーチは滑走路に早変わり。シドニーやブリスベンからのツアー客がセスナ機でやってくるのだそうです。

フレーザー島には、湖まであるのです。マッケンジー湖は、砂丘と砂丘の間のくぼみに雨水が貯まってできた湖。この辺りは大気汚染が少なく、雨水がきれいなため、湖の水は透明度がとても高いのです。勝村さん、しばしリゾート気分で泳いでいると、目の前に水着美女が!「来てよかったー」って、水着美女に会えたから、じゃなくて、フレーザー島が素晴らしい場所だから、ですよね?勝村さん。

<ロックハンプトン>
20世紀初頭の建物が今なお残る町、ロックハンプトン。この町は別名「ビーフ・キャピタル」と呼ばれ、オージービーフの産地として有名な場所です。…と聞いて通り過ぎるわけにはいかない勝村さん、一軒のお肉屋さんへ。お店のお兄さんオススメのTボーンステーキを1kgお買い上げ。これで約12ドルほど。あまりの安さにびっくりです。

お肉を買ったはいいものの、そのお肉をどうしましょう?そこで勝村さんが向かったのはとある公園。休日によくバーベキューを楽しむオーストラリアでは、公園に無料で使える電気式グリルが備え付けられているのです。というわけで、早速お肉を焼き始めた勝村さん、「公園でステーキを焼く」とはなかなかシュールな光景ですが、お肉が焼けたようです。味付けはシンプルに塩と胡椒で。さて、お味はいかがでしょうか?

オーストラリア、国道1号線の旅はまだまだ続きます。ゴールのケアンズまで、あと1200km。



ドライブガイド
12月27日放送分
 
カッシア街道を走る!
永遠の都ローマへ

ボナセーラ!イタ〜リア!!
今月の地球街道は、4週にわたりイタリアを大特集!
4週目は、女優・高島礼子さんがイタリア中部の道カッシア街道を走り、悠久の歴史が降り積もる永遠の都・ローマを目指します。

<チヴィタ・ディ・バーニョレッジョ>
ローマを目指す高島さん、車はラツィオ州へと入りました。高島さんの目に飛び込んで来たのは、雲海の中、そびえるように立つ陸の孤島という驚きの風景。一体どうなっているのか気になった高島さんは、村に入ってみることに。まるで絵の中に入り込んで行くかのように橋を渡り、村の入り口へ…
断崖の村、チヴィタ・ディ・バーニョレッジョは、元々は1つの大きな町でした。しかし、17世紀に大地震が起きると、粘土質の滑りやすい地形から大規模な地滑りを起こし、陸の孤島となってしまったのです。以来村へと渡るには、一本の橋だけが命綱。近年は村を支える崖の崩落が続き「死に往く村」と言われていますが、この美しい村を守ろうと、イタリアの資産家たちが家を買い、村に残るおよそ20人の村人たちはお土産屋さんなどの観光収入で生計を立てています。「ここで生まれ育ったのに、どうしてここを愛さずにいられるでしょう」と語る村の人々。チヴィタ・ディ・バーニョレッジョは、生き続ける天空の村です。

<スートリ>
スートリの街に入りました。ローマまでは、あと50kmほど。ここに、カッシア街道沿いに残る数少ない古代ローマの遺構があります。
スートリ円形劇場は、およそ2千年前、ローマ帝国時代に築かれました。中へ入った高島さんが気になったのは、劇場の客席部分に継ぎ目がないこと。ということは…?実は3千人が収容できたといわれるこの劇場、なんとこの地にあった凝灰岩の大きな山から削りだして造られたもの。一枚岩の、希有で壮大な劇場なのです。

<ローマ>
フィレンツェとローマをつなぐ道、カッシア街道。その終点が、ミルヴィオ橋です。古代ローマ時代から続く街道の終点ですが、記念碑も何もなく、かなりさっぱりした感じの橋、でした。

フォロ・ロマーノは、19世紀の発掘以来、ここが古代ローマ時代の民主政治の中心であったことを、現在に伝えています。そのフォロ・ロマーノと通りを挟んだ反対側にあるのが、フォリ・インペリアーリ。ローマ帝国時代に造られたものですが、本格的に発掘が始まったのは1995年のこと。その半分が未だ土の中です。高島さんは、遺跡を触ってみることに。まさに、イタリア2000年の歴史に「触れる」旅。ローマは街のいたる所に古代の遺跡が残り、その遺跡もまた、現在と共存しているのです。

遺跡の街は、映画の街でもあります。スペイン階段は、あの女優がまばゆい輝きを放った場所。「ローマ」で「あの女優」といえば…そう、「ローマの休日」ですよね。オードリー・ヘップバーン演じるアン王女と、グレゴリー・ペック扮する新聞記者が繰り広げる、たった一日の恋のお話。公開から50年以上経った今でも色褪せることのない不朽の名作です。

では、高島さんもその街の中へ。
ジョリッティは、老舗の大きなジェラート屋さん。「ローマに来たら絶対に行く!」と決めていたところです。人気の秘密は、新鮮なフルーツやミルクをたっぷり使ったなめらかな作りたてのジェラートが、すぐに店頭に並ぶこと。高島さん、50種類以上あるジェラートからだいぶ悩んで、ピスタチオ、ダークチョコ、ストロベリーの3種類をセレクト。生クリームをたっぷり乗せてもらって、初めての本場ジェラートをいただきます!さて、念願のそのお味はいかがでしょうか?
日本のおじさま方は敬遠しがちですが、イタリアでは老いも若きも、ちょっとした幸せを求めてお店にやってきては、ジェラートをおいしそうに食べているのです。

高島さんは、いよいよとっておきの場所へ。
コロンナ宮の大広間は、「ローマの休日」のラストシーン、アン王女の記者会見が行われた場所です。ヨーロッパ各国を歴訪し、その印象を尋ねられた王女が「何といってもローマです」と答えた、あの場所。高島さんも、その壇上へ。しかし、その壇上へ至る階段に、どうしても気になる鉄の玉が…実はこれ、1849年にジャニコロの丘から発射された大砲の玉。イタリア統一軍とフランス軍が向き合っていた時に、宮殿の窓を破って打ち込まれたものなのだそうです。ローマの人は風変わりな物が大好きなので、あえて残しているんだとか。それには高島さんも納得です。

過去と現在、現実と非現実とが複雑に絡み合う街、ローマ。それこそが、永遠の都と言われるゆえんなのかもしれません。黄昏時の美しいローマの街並に、高島さんが感じたこととは…?



ドライブガイド
12月20日放送分
 
カッシア街道を走る!
フィレンツェからローマへ

ボナセーラ!イタ〜リア!!
今月の地球街道は、4週にわたりイタリアを大特集!
3・4週目は、女優・高島礼子さんがイタリア中部の美しい丘陵を走る、カッシア街道を旅します。ルネサンスが興った花の都・フィレンツェから、悠久の歴史が降り積もる永遠の都・ローマへ。イタリアの文化、芸術の真髄ともいえる都市を巡り、その奥深い美しさを堪能します。

<フィレンツェ>
およそ500年前、ルネサンスが発祥した地フィレンツェは、中世以降、偉大な文化や芸術家を育み続ける芸術の街です。その美しい街を歩く高島さん、向かっているのは街のシンボル、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、通称ドゥオーモ。1296年に着工し、140年以上の歳月をかけて築かれた、ゴシック様式と初期ルネサンス建築を代表する建築です。「ドゥオーモ」とは、イタリア語で「街を代表する教会堂」のこと。高さはおよそ100m、ドーム型の屋根には、見晴し台が設けられています。せっかくフィレンツェまで来たならば…登るしかありませんよね、高島さん。というわけで、早速出発!暗くて狭い階段を、ひたすら登り続けることおよそ20分、ようやくたどりついた見晴し台からは、世界文化遺産に登録された街並が一望できます。「バラ色の輝き」と謳われるほど美しいその風景、実は街の美観を損ねないよう、様々な条例が定められているのです。その1つがパラボラアンテナ。通りから見えるものは、建物の外観と同じ色に塗らなければならないのだそうです。違反をすると500ユーロの罰金も。美しい風景は、住民のたゆまぬ努力によって守られているのです。
高島さんは、ルネサンスの香りが未だ息づく街の中へ。看板やお店がなければ、まるで中世の街並を車で走っているような不思議な感覚です。
ウフィッツィ美術館は、世界有数にしてイタリア最高の美術館。そこには、ルネサンス期の名画が数多く残されています。高島さんのお目当ては、ルネサンスの巨匠・ボッティチェリ作、「ヴィーナスの誕生」。高島さんが「鳥肌が立つくらい美しい」と絶賛したヴィーナスは、人間の女性賛美を描いた作品であると言われています。
この美術館には、知る人ぞ知る回廊があります。美術館の裏手から、有名なベッキオ橋の上を抜け、対岸のピッティ宮殿に至るその回廊は、かつてフィレンツェを治めたメディチ家が造らせた秘密通路。何が秘密かと言いますと、回廊の窓。中から街の様子を眺めることはできても、外からは見えないよう、マジックミラーになっているのです。高島さんが一生懸命外に向かって手を振ってみると…?
フィレンツェは、ルネサンス時代からの工芸が連綿と続く職人の街でもあります。高島さんが訪れたのは、イ・モザイチ・ディ・ラストルッチ。驚異の絵画を作り出す、フィレンツェ・モザイクの工房です。フィレンツェ・モザイクとは、天然の石が持つ色合いだけを使って作るモザイク画。その精巧さは、一見すると、油絵具で描かれた絵画のようにしか見えないほどです。必要な色を持った石に型紙を付けて切り出し、その石をはめ込んで絵を作って行く、息がつまるほど緻密で、気が遠くなるような作業。絵画と同じ質感や色合いを石で表現する究極の職人技は、1460年代、フィレンツェを支配していたメディチ家の庇護のもと、ほとんど変わらず現代まで続いているのだそうです。高島さんが「筆では描くことのできない何かが表現されている」と語るフィレンツェ・モザイク。それは色褪せることのない「永遠の絵画」です。

<モンタルチーノ>
いよいよ街の南にあるローマ門を抜け、カッシア街道へ。フィレンツェの街を抜けると、イタリアワインの産地トスカーナの、美しく広大な大地が広がっています。ここは、世界有数のワインカントリーです。
高島さんは有名なキャンティ地区を抜け、モンタルチーノにある老舗ワイナリー「コルドルチャ」へ。ここは、トスカーナの長期熟成ワインとして名をなす「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」の醸造元のひとつです。「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」は、法律により熟成期間が50か月と定められているワイン。そのうち最低2年はオーク樽で熟成されます。
高島さんがオーナーのフランチェスコ伯爵に案内していただいたのは、コルドルチャの歴史がつまったヒストリカルセラー。そこには5万本ものヴィンテージワインが貯蔵されています。一番古いワインは1960年代初め頃のものだそう。高島さんの生まれ年のワインは、ここに眠っているのでしょうか?さあ、高島さん、バースデーイヤーワイン探しです!
ブルネッロ・ディ・モンタルチーノは、熟成すればするほどその本領を発揮すると讃えられています。高島さんの生まれ年、1964年のヴィンテージとなると、市場に出回ることはほとんどありません。伯爵の「ヴィンテージを味わうのは、唯一無二の経験なのです」という言葉からもわかるように、とても特別なワインを味わった高島さん。一体どんなお味だったのでしょうか…?
翌日高島さんは、再びカッシア街道を走り始めました。永遠の都・ローマを目指して。



ドライブガイド
12月13日放送分
 
アウレリア街道を走る!
世界遺産とジェノヴァを巡る

ボナセーラ!イタ〜リア!!
今月の地球街道は、4週にわたりイタリアを大特集!
2週めは、俳優・西村和彦さんが、全長574kmのアウレリア街道を走ります。ローマを出発し、目指すジェノヴァまで、残すところ250km。そこには、驚きと謎と絶景が待っていました。

<ピサ>
トスカーナ州、ピサ。…と言えば、やっぱり「ピサの斜塔」。正しくは「ピサ大聖堂・鐘楼」。西村さんが「やっぱり傾いてる!」と驚いたピサの斜塔は、1173年の着工後、およそ100年経って傾いていることが発覚。傾きを修正しながら建築を再開し、1360年に完成しました。傾きは、約5度。現在も壁のひび割れなどの修復を行っていますが、予約をすれば観光客も塔の上に登ることができるのだそうです。というわけで西村さん、早速登ってみましょう!…ところが西村さん、なかなかスムーズに進めません。それもそのはず、なんとピサの斜塔の階段は、1歩目から傾いているのです。およそ300段の階段を登り、ようやくてっぺんにたどり着いた西村さんの眼前に広がるのは、あのガリレオも眺めたであろうピサの街並。この鐘楼ができた理由、それは自分たちの街を眺めたかったからではないか?そこには、そんなことを思わせるような美しい街並が広がっています。

<カラーラ>
トスカーナ州、カラーラの街並が見えてきました。山脈を真っ白に染めているのは、雪…ではなく、大理石。実はカラーラは、世界でも屈指の大理石の産地で、およそ500年前、ミケランジェロが作った「ピエタ」も、ここの大理石を使っているのだそうです。
西村さんは、とある石切り場へ。見渡す限りの大理石ですが、カラーラにはそんな石切り場が200箇所以上もあるのです。カラーラの大理石の特徴は、その透き通るような白さ。その肌触りはまるで刃物のように冷たいのだとか。「確かに大理石は限りある資源だけど、自分たちにはローマ帝国以前から続く伝統がある」と語る、オーナーのフランコさん。連綿と受け継がれる大理石の文化を守るのが、カラーラに生きる男の誇りなのです。

<チンクエテッレ>
ローマからおよそ450km、世界遺産チンクエテッレにやってきました。「チンクエテッレ」とは「5つの村」という意味。リグーリア海に望むほぼ均等に並ぶ5つの村の総称で、険しい断崖にひっそりと佇む、宝石のように美しい村々です。観光客の車は、村には乗り入れ禁止。車を止めた西村さんが向かったのは、リオマッジョーレという、色とりどりのブロックをつなげたようなかわいらしい村です。港へ向かう西村さん、路地を抜けると見えてきたのは紺碧の海と、その入り江に作られた美しい家並み。それは世界遺産の絶景です。すっかりこの場所が気に入った西村さん、イタリア人のおじさんが「何やってるの?」と気にするほどの不穏な動き…実はご自身のブログに掲載する写真を、携帯電話で撮っていたのです。どんな写真が撮れているかは、西村さんのブログでご確認ください。

<ジェノヴァ>
夕暮れのアウレリア街道をひた走る西村さんに、ようやくジェノヴァの灯りが見えてきました。かつて大西洋航路の拠点として栄えたジェノヴァは、かのコロンブスの生まれ故郷。イタリアでは「コロンボ」と呼ばれて親しまれ、両親と5人兄弟が過ごした小さな家も残されています。

西村さんが真っ先に訪れたのは、今ジェノヴァで1、2を争う人気のレストラン「トラットリア・デッタ・デル・ブルーチャヴォスキ」。どうしても食べたいものがあったからです。それが、ピカッジェ・マッテ・アル・ペースト。「ジェノヴェーゼ」と呼ばれるバジリコペーストのソースでいただくパスタです。ペーストの主役は、プラ産の最高級バジリコ。大の料理好きでパスタをよく作るという西村さんも、ジェノヴェーゼだけは市販のものを使うのだとか。さて西村さん、本場の味はいかがでしょうか?
ジェノヴァ伝統の味を作り出すのが、シェフのマッテオさん。1862年創業のこちらのレストランを家族で守り続け、5代目にあたるそうです。実は西村さんのご実家も、150年以上も続くうどん屋さん。奇しくも東西若旦那のご対面となりました。そんなご縁で西村さん、本場生パスタの作り方を教わることに。うどんとは勝手が違い、けっこう腕にくる重労働ですが、日本に帰ってご家族に作ってあげるため、パパは頑張るのです。

ジェノヴァには、明治時代、日本に渡った人物がいました。画家であり、銅版印刷の権威として政府に請われて来日したエドアルド・キヨッソーネです。キヨッソーネは、当時の大蔵省印刷局で新しい技術を指導、紙幣や郵便切手のデザインの他、明治天皇をはじめ、多くの肖像画を手がけた人物。誰もが一度は見たことのある、西郷隆盛の肖像画もキヨッソーネが描いたものです。
エドアルド・キヨッソーネ東洋美術館には、日本を愛した彼が集めた膨大なコレクションが飾られています。そこで西村さんが見つけたものは、何と西村さんの家紋が入った兜。ジェノヴァと西村さんをつなぐ、不思議な縁です。

アウレリア街道は、ローマをジェノヴァを結ぶ全長574kmの古い道。その道を走り終えた西村さん、一体何を感じたでしょうか?


ドライブガイド
12月6日放送分
 
アウレリア街道を走る!
ローマ〜ジェノヴァ574km

ボナセーラ!イタ〜リア!!
今月の地球街道は、4週にわたりイタリアを大特集!
1・2週めは、俳優・西村和彦さんが、ローマと北部の町ジェノヴァを結ぶ全長574kmのアウレリア街道を走ります。その道には、日本とイタリアの意外なつながりと、驚きの事実が待っていたのです。

<チヴィタヴェッキア>
ローマからおよそ70km。ラツィオ州・チヴィタヴェッキアは、人口5万人ほどの港町。ローマに近いこともあり、地中海沿岸からたくさんの観光客が訪れます。このチヴィタヴェッキアこそ、日本と深い関わりがある町なのです。

町を歩く西村さんの前に、サムライの銅像が…支倉常長像です。仙台藩士・支倉常長は、1613年、通商を目的に、主君・伊達政宗の期待を一身に受け、遣欧使節団を率いて出発しました。太平洋を渡り、途中スペインで洗礼を受けた常長は、1615年にチヴィタヴェッキアに上陸。ローマを訪れ、教皇パウロ5世との謁見を果たします。しかし、真の目的である通商交渉は決裂。失意のうちに8年間の旅を終え、帰国した常長を待っていたのはキリシタン弾圧という非業の死でした。イタリアの港町に凛と立つ二本指のサムライ、支倉常長像。西村さんの目には、どう写ったのでしょうか?

そしてこの地にもう1つ、日本と深く関わる場所があります。日本聖殉教者教会です。そこにはマリア様のフレスコ画が。しかしこのマリア様、皆さんが思い浮かべるマリア様とはちょっと違うのです。…それは、着物姿であること。畳の上に立ち、お稚児姿のキリストを抱えるその表情は、紛れもなく日本人女性のものです。周囲の壁に描かれているのは「日本二十六聖人」。豊臣秀吉の命により捕らえられ、処刑された日本人20名、外国人6名のカトリック信者たちです。描いたのは、日本におけるフレスコ画の第一人者、長谷川路可。元々、日本の聖人を記念して建てられたこの教会が1951年に再建された際、殉教者の壁画を描いてほしいという神父のたっての願いで、路可に白羽の矢が立ちました。路可は修道院に寝起きし、言葉もままならない中、4年の歳月をかけてたった1人で壁画を完成させたのです。
現在、その路可の絵に深刻な問題が発生しています。専門家の赤外線調査により、ドームの裏側およそ2m四方の漆喰がはがれていることが判明。海に近いこの教会では、潮風などの影響で壁がひび割れ、フレスコ画に大きなダメージを与えてしまうというのです。完全修復には莫大な時間とお金が必要なのですが、現在は信者や観光客のお布施だけが頼り。1日も早い修復が望まれます。

<グロッセート>
西村さんの車は、イタリアいちの農業地帯、トスカーナ州へ。オリーヴ並木の先にある農園に立ち寄ります。西村さんを迎えてくれたのは、トスカーナ原産の、大きな角の牛。そしてその牛を追うのは「ブッテロ」。いわば、イタリア版カウボーイです。すると、ちょっと素敵なお兄さんから「乗馬ができるなら、俺たちとかかしゲームをしないか?」という意外な申し出が。「かかしゲーム」とは、馬に乗って互いに反対側からスタートし、先にかかしの腕に通した布を引き抜いた方が勝ちという、仕事の合間に彼らが行うゲームです。時代劇で乗馬の機会も多いという西村さん。ウォーミングアップをし、馬と呼吸を合わせたら…サムライブッテロ西村と、ブッテロ歴7年のマルコの対決!結果はいかに!?

昔ながらの道具を使い、オリーヴオイルを作っているという農園ホテル、ポッジョ・オリヴェートを訪ねました。
ここでは約4千本のオリーヴを栽培しています。良質のオリーヴオイルを作るには、完熟前に収穫し、その日のうちに加工しなければなりません。西村さんは、農園のオーナー、エンリコさんに案内してもらい、オイル工場へ。大きな石臼でオリーヴをすり潰し、ペースト状になったものを丸いシートに敷きつめ、幾重にも重ねていきます。それに圧力をかけて絞り出し、遠心分離機にかけると、エクストラヴァージンオイルの完成です。
商工会議所でオリーヴオイルの官能試験を担当している奥様のヴァレリアさんに、良いオイルの見極め方を伝授していただきました。まずオリーヴの香りを感じること。そして味わうこと。 トスカーナのオイルは、若々しい香りに苦みと辛みが良質の証し。西村さん、良いオイルを見極めることができたでしょうか?
その夜西村さんは、エンリコさん一家のバーベキューパーティーに招待されました。エンリコさんご夫妻と息子さんご夫妻、そしてその子どもたち。素敵な家族に囲まれて楽しい時間を過ごした西村さん、ご自分のご家族を思い出し、ちょっとホームシックになってしまったみたいです。

翌日西村さんは再びアウレリア街道へ。目的地ジェノヴァまでは、あと400kmの道のりです。


ドライブガイド
11月29日放送分
 
裏磐梯 錦繍の秋
〜夫婦で走る紅葉ロード〜

日本の秋の風物詩といえば、紅葉。全国各地に紅葉スポットは数あれど、会津地方の紅葉は格別です。今回は、紅葉を見るためだけに旅をするのは初めてだというチェリッシュのお2人が、磐梯吾妻スカイラインから磐梯吾妻レークライン、そして磐梯山ゴールドラインという3つの道を走り、知られざる絶景紅葉スポットを目指します。その道の先に待っていたのは…。

<磐梯吾妻スカイライン>
磐梯吾妻スカイラインは、「日本の道百選」にも選ばれている美しい道です。
標高の高いところから徐々に降りてくるという紅葉ですが、お2人がつばくろ谷(標高1200m)を訪れた時には、少し葉の落ちた木が目立つ感じ。…実はつばくろ谷の紅葉のピークは、お2人が訪れたちょうど1週間前だったのだとか。秋はとても急ぎ足。チェリッシュのお2人も、急ぎ足の秋を追いかけるように旅を続けます。
そして磐梯吾妻スカイラインは、作家・井上靖さんが愛した道でもあります。荒涼とした大地が広がる浄土平や、遠くかすかに湖を望む湖見峠など、彼の命名による展望ポイントが道沿いに8カ所あり、吾妻八景と呼ばれているのです。

<猪苗代町>
磐梯吾妻スカイラインを下りたお2人は、ちょっと寄り道。会津の秋の味覚といえば…そう、おそばです!今はちょうど新そばの季節。その味と香りを心ゆくまで楽しもうとお2人が立ち寄ったのは、地元でも評判のお店「おおほり」さんです。こちらのお店のご自慢は、すべてが自前であること。そばの実の自家栽培に自家製粉、そしてそば粉100%の手打ち。さらには天ぷらを揚げる油も、自家製の菜種油というこだわりよう。松崎さんは天盛りそば、悦子さんはにしんそばを注文し、仲良くわけあっていただきます。さてそのお味は?

<磐梯吾妻レークライン>
磐梯吾妻レークラインは、その名の通り湖の間を縫うように走る道。秋元湖、小野川湖、桧原湖の3つの湖を望むことができるのです。
レークラインの最初の見どころは、とある橋の上。お2人が「きれい!」と感動したのが中津川渓谷です。標高およそ800m、渓流沿いを鮮やかに紅葉が彩っています。

<磐梯高原>
レークラインを下りると、磐梯高原。1888年、磐梯山の噴火によってできた大小300以上の沼や湖が点在する、裏磐梯の景勝地です。遠くに望むのは磐梯山。民謡「会津磐梯山」にも歌われた、宝の山です。
お2人が歩くのは、五色沼自然探勝路。五色沼とは、毘沙門沼周辺の数十個の沼や湖を総称した呼び名。噴火による火山性物質の影響や水草によって、湖面が青、赤、緑など、様々な色合いを見せることからその名が付きました。その散策を楽しむお2人ですが、同年代の観光客が多いためか、たちまち囲まれ、写真攻めに握手攻め。とにかくすごい人気です。

<磐梯山ゴールドライン>
磐梯高原の先は、磐梯山ゴールドライン。紅葉が美しい、まさに黄金ロードです。
紅葉のトンネルを抜け、お2人が目にしたのは「幻の滝」という看板。「これは見なくちゃ!」と、車を止めて歩くこと5分。落差18mの滝は、今も正式な名前がないため「幻の滝」と呼ばれているのだそうです。以前はうっそうとした森に覆われていましたが、昨年遊歩道が完成したため、観光客が来られるようになったのだとか。

<会津若松市>
会津のシンボル鶴ヶ城。お2人は、その近くにある飯盛山に向かいました。
お2人の前に、不思議な建物が…それがさざえ堂。六角形で三層構造をしており、外観がさざえのような形をしていることからその名が付いたお堂です。頂上まで登り、お堂を降りて来て「一体どうなってるの?」と混乱するお2人。実はさざえ堂は上りの階段の上に下りの階段があり、二度と同じ道は通らないという二重の螺旋構造になっていたのです。江戸時代には柱の溝に西国33カ所の観音様が祀られており、お堂を一巡りするとその地の観音堂を巡礼したのと同じご利益があるとされていました。212年前に建立され、現在は国の重要文化財に指定されています。

<磐梯高原>
お2人は再び磐梯高原へ。どうしても行きたい場所があるからです。
曲沢沼は、紅葉写真を狙う人々にとって、聖地呼ばれている場所。そのため、全国からカメラマンの方が集まってくるのです。水面のもやと紅葉が映えるほんの一瞬は、とても幻想的。しかし朝もやに煙る風景は、ほんの1時間もすれば気温が上昇し、消えてしまいます。その美しい風景に「早起きしたかいがあった」と悦子さん。

湖を望む道、黄金に輝く紅葉を駆け抜ける道、裏磐梯、3つの道はまさに宝の山の絶景でした。



ドライブガイド
11月22日放送分
 
沖縄 国道58号線を走る!!
〜父と息子の二人旅〜

ゆっくり沖縄を旅したことがなかった父・林隆三さんと、沖縄は初めてという息子・征生さんが、沖縄の大動脈であり、あらゆる魅力にあふれる国道58号線を走ります。離島へ赴いた隆三さんと、幻の鳥を追う征生さん。2人の旅は、いよいよ「やんばる」の地に向かいます。

<伊平屋島>
いったん別行動をとることにした2人。隆三さんが向かったのは、運天港から北へ40キロのところにある伊平屋島です。
太平洋戦争末期、沖縄海域でさかんに敢行された、特攻。その最後の突入現場となったのが、伊平屋島でした。
日本軍が駐屯していなかった伊平屋島の島民たちは、早々に投降していました。占領という特殊な平穏の中で、伊平屋島は終戦の日を迎えます。最後の特攻機が突入したのは、まさにその時でした。最後の特攻機を操縦したのは中津留達夫大尉。作家・城山三郎さんは、彼に特別な思いを抱き、「指揮官たちの特攻」という本を記しました。厚い人望と、抜群の飛行技術を持っていたといわれている中津留大尉が、なぜか目標を外したからです。隆三さんは、島の人の案内でその現場へ。勝利に沸くアメリカ軍のキャンプ地と、突入地点との間は、わずか200mだったといいます。最後の特攻機、中津留大尉は、なぜ目標をそれたのでしょうか?そこには今も63年前の痛切なる記憶が残ります。

<やんばるの森>
沖縄本島北部、やんばるの森。今から27年前、この森で世紀の大発見がありました。飛べない鳥、ヤンバルクイナです。
父・隆三さんと別行動をとる征生さんは、世界中でやんばるだけにしかいないこの鳥が見たいと、ちょっと早起き。地元で動物の保護活動に携わる久高さんに案内していただきます。いっこうに森の中へ入る気配のない久高さん。すると、なんと車道にヤンバルクイナが現れました。胸からお腹にかけての縞模様と、真っ赤なくちばしが特徴の、かわいらしい鳥です。征生さん、どうしても見てみたかったヤンバルクイナとのご対面は、双眼鏡を持つ手が震えてしまうほどの感動だったようです。
近年、ヤンバルクイナは激減しています。その理由の一つに考えられているのが、ハブを駆除するために移入されたマングースによる補食です。また、道端にエサが多く、車道に出てきて事故にあってしまうこともあります。そこで久高さんたちは、ヤンバルクイナが現れやすいエリアと時間帯を調べ、運転する人に注意を呼びかけているのです。

<謝敷>
再び、父と息子の二人旅。やんばるに入った国道58号線は、青い海と深い森に挟まれるように北へと伸びていきます。普段は会話の少ない父と息子ですが、美しい海を前にすると、いつもとちょっと違うようです。その美しい海をのぞむ小さな集落が、謝敷です。
集落の、南国の村らしい雰囲気が漂う路地を歩くと、塀代わりに防風林の役割を持つ「フクギ」が植えられています。集落に住む具志堅さんのお宅の縁側でシークワーサージュースのおもてなし。実は具志堅さん、三線の師範。ということで、もうひとつのおもてなし。この集落の民謡を歌っていただきました。

<辺戸岬>
やんばるの森に突然の雨。2人は58号線を離れ、旧道を通ってみることにしました。すると前方にそびえる岩壁が。実はこの切り立つ岩壁は、削り取った後の姿。険しい地形ゆえ、巨大な岩山を削り、ここに道を通すしかなかったのだそうです。
峠を越えると、沖縄本島最北端、辺戸岬に到着。サンゴ質の絶壁からなる、絶景の岬です。天気がいい日は与論島や沖永良部島を望むことができるのだそう。
国道58号線は、那覇の明治橋からおよそ123キロこの場所で、一度途切れます。ところがこの先、海を越え、奄美大島、種子島を経て鹿児島市内へと続いて行くのです。その遥かなる旅路を、また父と息子で走る日は来るのでしょうか?



ドライブガイド
11月15日放送分
 
沖縄 国道58号線を走る!!
〜父と息子の二人旅〜

通称「ゴッパチ」。沖縄本島を縦断する国道58号線を、地元の人々は親しみを込めてそう呼んでいます。時代を映し、暮らしを支えてきたその道を、林隆三さんと息子・征生さんが旅します。目指すは、本島最北端の辺戸岬。驚きと感動があふれる道で2人を待っていたものは…?

<那覇>
国道58号線の南端は、那覇の明治橋。ここから辺戸岬までは、約120キロの道のりです。
かつてこの道は、アメリカの道でした。「軍用道路1号線」と呼ばれ、車は右側通行。
1972年の本土復帰後も、混乱を避けるため、右側通行のまま。左側通行に戻ったのは、復帰から6年後のことでした。

<浦添>
那覇から走ること30分「お腹がすいた!」という征生さんのリクエストにお答えし、隆三さんが立ち寄ったのは1軒のドライブイン。沖縄で最もよく見かける「A&W」です。
アメリカンスタイルのお店で、商品の受け渡し方法がとてもユニーク。ドライブスルーではなく、わざわざ車まで運んでくれるのです。そしてA&Wといえば、もちろんルートビア。「ビア」という名前を聞いた隆三さん、征生さんに「ビールはダメだよ」と言うのですが…実はルートビアは、10種類以上のハーブを調合して作られるソフトドリンク。
運転する隆三さんも安心して飲めるのです。さあ、お味はいかがでしょうか?

<北谷>
国道58号線は、浦添から宜野湾を抜け、北谷へ。隆三さんが車を止めたのは、道沿いにあるギャラリー。隆三さんが、ぜひとも立ち寄りたかったという「ボクネンズ・アート」です。
作者の名嘉睦念さんは、沖縄の風土や暮らしを描く木版画の作者。その版画作品は、裏手彩色と呼ばれる技法で制作されます。綿密な下書きはせず、墨で大まかに「当たり」をつけます。そして一気呵成に彫り進め、それが終わると墨色を摺り、その後紙を裏返して鮮やかな色彩を付けたら完成です。そのダイナミックかつ繊細な作品に、隆三さんも征生さんも圧倒されてしまいます。
「いいものを見せてあげます」と、睦念さんが2人を連れて行ってくれたのは、ギャラリーのすぐ近く。樹齢200年の「アコウ」の大木です。アコウは、亜熱帯に自生する木。他の樹木の枝から発芽し、根を伸ばして成長、最後には元の木に取って代わるという、強い生命力を持っています。「木は登ってあげた方が喜ぶ」という睦念さんの言葉にびっくりしつつも、木に登ってみる征生さん。睦念さんもそれに続きます。隆三さんは、そんな征生さんを見て大喜び。征生さんは、木が喜ぶ様子を感じることができたでしょうか?

北谷には小さな漁港があり、名人といわれる漁師さんがいます。内間勝男さん79歳。「タコ獲り名人」です。
今ではほとんど乗っている人がいないという「サバニ」という沖縄の伝統的な船で漁に出ます。内間さんのタコ漁は、蛸壺ではなく銛で突いて獲るというスタイル。「ぜひタコを獲っているところが見たい!」というお2人ですが、あいにくこの日は外海が荒れているため断念。後日スタッフが、内間さんの漁を追いかけることになりました。 北谷の港を出港して2時間、内間さんはリーフの上で船を止め、海に飛び込みます。タコの巣のありかを熟知する内間さんは、タコを見つけると、銛で一突き。吸盤の力の強いタコを押したり引いたりしながら一瞬の隙を狙ってタコをしとめるのです。その腕前は、とても79歳とは思えないほど。80歳までは現役で、とおっしゃる内間さんですが、この船を受け継ぐ人がいないのが気がかりなのだそうです。

<嘉手納>
北谷を過ぎると、58号線沿いに嘉手納基地が見えてきます。征生さんにとっては、初めて目にする沖縄の中のアメリカ。
町の面積の約83%に相当する敷地を持つ巨大な米軍基地です。

<今帰仁村>
隆三さんから運転を代わった征生さんは、国道58号線を離れてちょっと寄り道。近年大人気のドライブスポットに向かうためです。
古宇利大橋は、屋我地島と古宇利島を結ぶ、長さ約2キロの橋。通行料が無料の橋としては、日本最長の橋です。エメラルドグリーンの海を貫く美しい橋に、隆三さん、思わず「ドライブの相手が征生じゃなかったらな…」とぽつり。この橋は、素敵な女性を隣に乗せてドライブしたくなるほど、かっこいい橋なのです。

その帰り道、隆三さんがどうしても行きたい場所があるというので、2人は別行動をすることに。
隆三さんが向かうのは伊平屋島、征生さんが向かうのはやんばるの森です。父と息子の二人旅は、沖縄のさらに奥へと進んで行きます。



ドライブガイド
11月8日放送分
 
ナポレオン街道を走る
〜英雄喝采の道〜

パリ7区、堂々とそびえるアンヴァリッド廃兵院は、戦いに倒れた者たちのメモリアルです。その中央ホール、荘厳なる棺の中にたった1人で眠るのが、希代の英雄ナポレオン・ボナパルトです。ナポレオンの英雄伝説を物語る道が、フランス南西部の険しい山あいを走る「ナポレオン街道」。南仏ゴルフ・ジュアンからグルノーブルへと続く、およそ340キロの道のりです。

<ディーニュ・レ・バン>
コルシカ島の下級貴族の子として生まれたナポレオンは、鋭敏な決断力と軍事的才覚によって皇帝へと上り詰め、ヨーロッパ諸国を席巻しました。しかしその栄光もつかの間、皇帝の座を追われ、エルバ島に流されたナポレオンが再起をかけてゴルフ・ジュアンに上陸したのが1815年3月1日のこと。ナポレオンと千人の兵士たちは、パリを目指します。
行軍を始めてから4日目の3月4日正午、ナポレオンはディーニュ・レ・バンの町に到着します。町の広場に着いて、ナポレオンが最初に見たのが市場でした。なぜなら彼は、自らの健在と復活をアピールするために、人々が集まる市が立つ日にここにたどり着きたかったからです。現在は公営住宅に建て替え中のホテル プチ・パリで休息を取ったナポレオン軍は、午後3時にこの町を出発します。

<マリジェ>
ディーニュ・レ・バンからおよそ20キロ。ナポレオンが現在は市役所になっているマリジェ城に着いたのは、3月4日夜のこと。ナポレオンはここで短い仮眠をとった後、兵士たちが休んでいた城の庭で王党派の襲撃を警戒しながら夜明けまで過ごし、翌朝6時、1杯のコーヒーを飲んで出発します。

<ヴォロンヌ>
マリジェを出たナポレオン軍は、デュランス川の左岸を北上し、ヴォロンヌの町で休憩を取ります。
その町外れに、ナポレオンがここを訪れたことを示すちょっと変わったプレートが。そこに書かれているのは何と「1815年、ここでナポレオンが用を足した」。朝の1杯のコーヒーのせいでしょうか…?

<シストロン>
山道続きだったナポレオン街道は、この辺りから比較的なだらかな道へと変わっていきます。
山道続きの行軍が終わったナポレオン軍の前に新たに立ちはだかったのが、デュランス川にかかる1本の橋。町に入るには、この橋を渡る以外に方法がなかったのです。しかもシストロンには、12世紀からそびえる強固なシストロン要塞が建ち、ここで王党派の待ち伏せでも受ければひとたまりもない状況。…しかしナポレオンは3月5日の昼頃、悠々と橋を渡り町に入りました。ナポレオンは、当時ここにあったホテル・ブラ・ドールでシストロンの市長と食事をした後、早々に出発しています。

<ガップ>
シストロンを過ぎた辺りから、ナポレオンに対する民衆の反応は徐々に熱狂的なものへと変わっていきます。
3月5日の夜、およそ60キロの行軍の末ガップに着き、熱烈な歓迎を受けた時のナポレオンの言葉があります。「ついにだ!我々は確かにフランスにいるのだ!」

<モン・ドーファン>
ここでナポレオン街道を外れてちょっと寄り道。17世紀、ルイ14世に寵愛を受けた技術者ヴォーバンが手がけた、城壁に囲まれた要塞の町、モン・ドーファンです。現在人口およそ140人の小さな町全体が、今年7月、世界文化遺産に登録されました。町の美しさもさることながら、そこからの眺めも実に素晴らしいものです。

<コール>
ガップからおよそ40キロ。ナポレオン軍がコールの町に着いたのは、3月6日の夕方でした。
ここでもう一度寄り道。コールから北へ15キロ、美しくなだらかな山道を20分ほど走ったところに、知る人ぞ知る巡礼地があります。標高およそ1800m、ノートルダム・ド・ラ・サレット教会です。羊飼いの2人の子どもの前に聖母マリアが現れたという逸話の地に、1851年、聖堂が建てられました。ここには、世界中から毎年20万人もの人々が巡礼に訪れます。

<ラフレー>
3月7日早朝に、コールの町を出発したナポレオン。この後最大のクライマックスが彼を待っていました。
1815年3月7日午後3時、ナポレオンは、この行軍で初めて王党派の軍隊と対峙することになります。ナポレオン軍の兵士はおよそ千人、対する王党派は数倍の軍隊です。戦闘が始まれば勝ち目はない中、ナポレオンは自らの兵を制し、一世一代の大芝居を打つのです。「兵士諸君、私がわかるか。もし諸君の皇帝を撃ちたい者がいるなら今だ。私はここに立っている!」…すると王党派の兵士の中からあがる「皇帝万歳!」の歓声。そう、ナポレオンは危険な賭けに勝ったのです。そしてこの地は今「出会いの草原」と呼ばれています。

<ヴィジール>
王党派の軍隊も加わり、数倍にふくれあがったナポレオン軍は、怒濤の勢いでパリを目指します。
ヴィジールの町にある革命博物館に、ナポレオンがやって来た様子を描いた版画が残されています。 城の前にさしかかったナポレオンを、民衆は熱狂と歓呼で迎えました。この時ナポレオンは、反乱軍ではなくなったのです。

<グルノーブル>
いよいよナポレオン街道の終着地、グルノーブルです。
3月7日午後9時、ナポレオンはグルノーブルに到着しました。町に入る為のボンヌ門は閉ざされていましたが、民衆の手によって開かれ、グルノーブルへと入っていきました。その門はもう残っていませんが、この道をナポレオンが進むと、民衆は歌をうたって歓迎したのだそうです。そして現在「オーベルジュ・ナポレオン」というレストランになっている当時のホテルで、3日間の休憩をとったと言われています。 希代の英雄ナポレオンは、当時としては奇跡ともいえる行軍を果たしました。その後彼はパリへと入城し、再び皇帝に返り咲いたのです。しかし、その絶頂もわずか100日、ワーテルローの戦いに敗れたナポレオンは、またも皇帝の座を奪われ、絶海の孤島であるセント・ヘレナへと流されてしまいます。そしてこの島で、波乱に満ちた生涯を閉じたのです。



ドライブガイド
11月1日放送分
 
ナポレオン街道を走る
〜英雄復活の道〜

パリ・シャンゼリゼ大通りの先にそびえる凱旋門。この門の建設を命じた男こそ、希代の英雄ナポレオン・ボナパルトです。そのナポレオンの英雄伝説を物語る道が、フランス南西部の険しい山あいを走る「ナポレオン街道」。南仏ゴルフ・ジュアンからグルノーブルへと続く、およそ340キロの道のりです。

<ゴルフ・ジュアン>
ナポレオン街道の起点は、南仏コート・ダジュールにある、ゴルフ・ジュアンの海岸です。ニースとカンヌのほぼ中間に位置する、人口1万人足らずの小さな町の海岸に、とある記念碑があります。「1815年 ここにナポレオンが降り立った」…毎年3月、ここではナポレオンの上陸を記念した盛大な祭りが開かれます。およそ200年経った今でも語り継がれるナポレオンの上陸とは、一体どんなものだったのでしょうか?
1814年4月、ナポレオンはヨーロッパ同盟軍の圧力によりフランス皇帝の座を追われ、地中海に浮かぶエルバ島に幽閉されます。しかし、再起に燃えるナポレオンは、1年も経たずにエルバ島からの脱出を敢行しました。
1815年3月1日、ナポレオンはおよそ1000人の兵士を率いて、ゴルフ・ジュアンの海岸に上陸したのです。

<カンヌ>
南仏の高級リゾート地、さらに国際映画祭が開かれる場所として有名なカンヌ。
1815年3月2日の午前2時にカンヌに到着したナポレオンは、ここで3千人分の食料を調達し、ほとんど休むことなく夜明け前にはカンヌを出発します。現在も残るその道は、国道7号線から国道85号線へ入ります。

<グラース>
カンヌから車で30分ほど走ると、香水の都として知られるグラースの町です。ナポレオンがこの町に到着したのは、3月2日の正午前。この時、地元の住民たちは、兵士にはワインをふるまい、ナポレオンにはスミレの花を差し出した、と記録に残っています。
グラースでは、18世紀頃から盛んに香水が作られてきました。この町で最も歴史の古い香水工房「ガリマール社」で、今回特別にナポレオンをイメージした香水を作っていただきました。使われている香りのエッセンスは、ベルガモットやバニラ、グリーンティーなど14種類。プロの調香師のカロリーヌさんいわく、柑橘系のフレッシュな香りに仕上げました、とのことです。

<エスクラニョール>
グラースから40分ほど走ると、エスクラニョールの町が見えてきます。早朝にカンヌを出発したナポレオンは、およそ60キロの山道を移動し、日が暮れた頃に宿で休憩をとります。現在は一般の民家になっているこの場所でナポレオンが食べたもの、それは何と半熟のゆで卵。普段から、食べることは時間の浪費と考えていた彼にとっては、最適の食事だったのかもしれません。
エスクラニョールには、現在のナポレオン街道である国道85号線の近くに、舗装されていない道があります。この道こそ、ナポレオンが実際に行軍した旧道。その道は今でもほぼ当時のままの姿を残しています。

<カステラーヌ>
エスクラニョールから30分ほど走ると、切り立つ岩山に建てられた教会がシンボルの、カステラーヌの町。ナポレオンは3月3日の正午にこの町に入りました。
国道85号線から県道952号線に入った先、プロヴァンス地方の山深くに突如として現れるのがヴェルドン峡谷。谷の深さはおよそ700m。石灰岩がむきだしの、荒々しくも雄大な絶景です。ちなみに「ヴェルドン」とは「緑の贈り物」という意味なのだそう。

<バレーム>
3月3日の午後9時、ナポレオン軍はバレームに到着します。彼らの到着を知らされていた住民たちに温かく迎えられたナポレオンは、町の判事の家に泊まりました。この時判事は郷土料理を振る舞ったと伝えられていますが、正確な記録は残っていません。
皇帝の座を追われた男が、再びその権力を取り戻す為に進んだ道。ナポレオン街道はこの後最大のクライマックスを迎えるのです。



ドライブガイド
10月25日放送分
 
長崎街道を走る!
〜女2人旅は出島へ〜

福岡県小倉から長崎に至るおよそ230キロを、25の宿で結んでいた長崎街道。街道に残された歴史の味を堪能し、美しい有田焼の音色に触れた紺野美沙子さんと辛島美登里さんが目指すのは、長崎・出島。今回の旅で、2人を待っていたものとは…?

<佐賀県>
この日も絶好のドライブ日和!嬉野市、塩田の宿。当時の趣が今も残されている宿場町が旅の始まりです。
様々な異国文化が行き交った長崎街道は、別名「シュガーロード」と呼ばれています。当時大変貴重だった砂糖が南蛮貿易で輸入され、この道で運ばれたからです。お2人は、シュガーロードならではのお菓子を作っているというお店におじゃましました。店内は、お菓子作りの真っ最中。いい香りが漂っています。まるでホットケーキのようなそのお菓子は「逸口香(いっこうこう)」と呼ばれ、江戸時代に中国から伝わったと言われています。「よかったらどうぞ」と、焼きたてを手渡されたお2人。早速いただいてみると…何と中が空洞!あまりのおいしさとその空洞にびっくりするお2人。その絶妙なふくらみ具合は、まさに長崎街道が育んだ職人技です。

お2人は「温泉のある宿場町」として栄えた嬉野へ。ここは1300年の歴史を誇る名湯で、日本三大美肌の湯として知られています。温泉街の中には、いつでも無料でそのお湯を楽しめる場所があります。それが「シーボルトのあし湯」。やわらかいお湯に足を入れると、旅の疲れもすっかり癒され、さらに足もつるつる。まさに一石二鳥です。
嬉野でお肌に良いのは、温泉だけではありません。ここには、女性なら誰しもお参りしたくなるような神社があるのです。「豊玉姫神社」で2人が見たもの…それは何と真っ白なナマズ!実はこれ、美肌の神様。その昔、この大ナマズは肌の病に苦しむ嬉野の人々に自らの体をなでさせ、美しい肌を取り戻させたのだそうです。以来、美肌の神様として大切にされてきました。そのご利益は「素肌健康」「しわ退散」「皮膚病退散」。…となればお2人も、真剣にお参り。「美肌になりますように…」「アンチエイジングお願いします…」ナマズ様、これは責任重大です!

<長崎県>
お2人が高速をおりたのは、諫早インターチェンジ。長崎の手前ですが、今回は紺野さんがどうしても寄りたい場所があるのだとか。というわけで車は長崎街道をそれ、島原半島へ。走ることおよそ40分、長崎県・島原に到着です。

紺野さんがぜひ立ち寄りたかった場所、それは島原城の目の前にあるお店、中屋さん。ここで食べたかったのが、島原名物「かんざらし」です。「かんざらし」の歴史はおよそ100年。小さく丸めた白玉をさっと茹でて冷水でしめ、砂糖と長崎県産の蜂蜜で作った特製シロップをかければ出来上がりという、至ってシンプルなもの。ではそのおいしさの秘密とは、一体何でしょうか…?それは、水。島原には、町のいたる所で、冷たくて綺麗な水がこんこんと湧き出ています。湧き水は島原の人々にとって、とても身近な存在。生活用水として、憩いの場として、大切にされているのです。その湧き水を飲んでみたお2人、かんざらしがおいしくなる理由を実感したようです。
再び長崎街道に戻ったお2人。いよいよ長崎・出島が見えてきました。海外との交易が許されたこの出島の存在こそ、長崎街道がにぎわい、発展した大きな理由。現在は埋め立てが進んだため島の面影はほとんどありませんが、当時の建物が復元されています。 長崎街道を走り終えた紺野さんと辛島さん。旅の終わりを告げる鐘の音が鳴り響く中、新たに約束したことがあります。それは「今度は海外に行こう!」…仲良し2人の気ままな旅は、まだまだ続く!みたいです。



ドライブガイド
10月18日放送分
 
長崎街道を走る!
〜こんみさ みどりがめ 2人旅〜

福岡県小倉から長崎に至るおよそ230キロを、25の宿で結んでいた長崎街道。鎖国下の日本で、唯一外国に開かれた長崎へとつながるこの道は、異国文化が伝わった道であり、遥かヨーロッパへと続く夢の道でした。旅のきっかけは、辛島美登里さんから紺野美沙子さんへの1通のメール。辛島さんが、ぜひ紺野さんを連れて行きたい場所とは…?

<福岡県>
江戸時代の初め頃整備され、現在でも九州北部の物流を担う大動脈である長崎街道。そのほとんどは国道へと姿を変えていますが、往時を偲ばせる場所も、いくつか残されています。
紺野さんと辛島さんが訪れたのは、内野と山家の宿の間にある冷水峠。昔ながらの石畳が残り、竹林から柔らかい光がさす静かな道です。江戸時代の旅人は、峠を流れるせせらぎで、のどの渇きをいやしました。そのため、ここは「冷水峠」と呼ばれているのです。
長崎街道は、江戸時代、唯一外国に開かれていた長崎・出島につながる道。そのため、海外から不思議なものが数多く入ってきました。例えば、将軍に献上するためはるばるベトナムからやってきた象、そしてラクダ。皆この峠道を歩いて行ったのです。

<佐賀県>
辛島さんの運転する車は佐賀県へ。神埼の宿で2人が見つけたのは、たくさんの「そうめん」の看板。おいしいものに目がないお2人、そのうちの1軒におじゃますることにしました。
多々良製麺は、創業170年以上の歴史を誇る、神埼でも老舗の製麺所。上質な小麦が穫れる佐賀平野が広がり、城原川・田手川という清流が流れる神埼だからこそ、おいしいそうめんができるのだそうです。そうめん作りは、寒くなるこれからがシーズン。ちょうど裏の工場でそうめんを干しているというので、見せていただくことにしました。夏のお昼ごはんは毎日そうめんだという紺野さん(お子さんには「またそうめん?」と言われてしまうそうですが)乳白色のカーテンのような美しいそうめんに感動です。
神埼でそうめんが作られるようになったのは、およそ370年前のこと。病に倒れた香川県小豆島の僧侶が神埼の住民に助けられ、そのお礼にそうめんの製法を伝えたのが始まりとされています。というわけで、その伝統の味を、特別に街道を眺めつついただきます。小麦の甘さをしっかりと感じられるおいしいそうめんをいただいて大満足のお2人。さあ、先を急ぎましょう。

鍋島藩35万7千石の城下町、佐賀。佐賀の宿を過ぎると、温泉で有名な宿場町、塚崎があります。1300年の歴史を誇り、古くから人々に愛され続けてきた武雄温泉。東京駅などを設計した辰野金吾が手がけ、大正4年に完成した天平式の楼門と新館がそびえ、かの剣豪宮本武蔵や伊達政宗、シーボルトも入浴したという記録が残されています。
そして、長崎街道のもう1つの有名な温泉街が嬉野です。この日のお2人の宿は、大正14年創業の「大正屋」さん。佐賀県産の和牛や、有明海の魚介を中心に地元の名産を厳選したお料理と、入浴後はお肌つるつるの温泉が自慢のお宿です。おいしいお料理を前に、初めて出会った時のお互いの第一印象や意外な告白など、話のつきないお2人。明日もドライブですが、大丈夫…?

翌日お2人が向かったのは、長崎街道を外れて走ること30分、佐賀県有田町です。ここは言わずと知れた焼き物の里。いたるところにお店が建ち並びます。そのうちの1軒、古田商店をのぞいてみたお2人、お店の中で不思議なものを見つけました。鉄串に刺さったたくさんのお茶碗が、全てひっくり返っています。…実はこれ、有田焼を使った打楽器だったのです。「碗琴」はおよそ50年前、和久陶平さんが考案した楽器。もちろん全て実用品として作られたお茶碗を用いているため、正確な音階を奏でるものを揃えるのは至難の業なんだとか。早速辛島さんも挑戦。曲はもちろん「サイレント・イヴ」。さあ辛島さん、うまくメロディーを奏でることができるでしょうか?

<長崎県>
辛島さんが、ぜひとも紺野さんと行きたい場所とは…?気ままな女2人旅は、長崎街道をそれて、長崎県平戸市へ。絶好のドライブ日和の中、平戸大橋を渡ったお2人がたどり着いたのは、美しい平戸瀬戸を一望できる丘の上。ここに、辛島さんの目指す場所がありました。宝亀教会です。平戸に現存する最古の教会である宝亀教会は、明治31年、多くの信者の寄付のもと、フランス人のマタラ神父が指導して完成しました。昨年には、長崎・平戸の教会群が世界遺産の暫定リストに登録されましたが、ここもその1つ。まるでお菓子で作られているかのような、かわいらしい教会です。江戸時代、隠れキリシタンとなってひたすら信仰を守り続けて来た信者とその子孫たちが、明治になってようやく完成を見た夢の教会は、2人を温かく迎えてくれました。





ドライブガイド
10月11日放送分
 
摩訶不思議マダガスカル
〜バオバブの並木道へ〜

アフリカ大陸の東、インド洋に浮かぶマダガスカル。東南アジアとの関連が深いとされ、アフリカでありながらアジアのような風景が広がる不思議な島です。
水野美紀さんは、マダガスカルの西海岸へと続く国道34号線を通り、バオバブの並木道を目指します。

<アンツィラベ>
マダガスカル第3の都市アンツィラベ。水野さんはその生活を支える市場へ。野菜や肉などの食料品はもちろん、日用雑貨から自転車の部品まで、何でも揃う青空市場です。その一角に、手動のミシンを器用に扱うご婦人たちの一団が。「毎日ここで縫い物をしてるのよ」と話すお母さん。市場で布を買ってくれば、すぐに何でも作ってくれるのだそうです。それを聞いた水野さんも早速布探し。30分迷って選んだ布をお母さんに渡して…さあ、何ができるのでしょうか?

<国道34号線沿い>
バオバブの並木道まで、遥かなるドライブ。水野さんが道沿いで見つけたのは、「タビビトノキ」と呼ばれる木です。歩いて旅をするマダガスカルの人々は、タビビトノキから出る水を飲んで喉を潤すのだといいます。それが、この木が「タビビトノキ(旅人の木)」と呼ばれる理由。この木の茎は、ストローのように真ん中に穴があいており、そこに溜まった露や雨水が多くの旅人を救って来たのです。

走ること3時間、舗装路が終わりました。でこぼこ道を必死の思いで進む水野さん。その先にたくさんの車が止まっています。こんな悪路で渋滞?…と思ったら、工事中。何と、道を造っているようです。当然、道ができるまでは足止め。地元の人たちも呆れ顔です。
30分ほど待って、ようやく通れるようにはなったできたての道。ところがそこは、今まで以上のでこぼこ道。まるでラリーをしているかのようです。「これ、道!?」と叫びながらも運転を続ける水野さん、ようやくできたての道を抜けました。…と、安心したのもつかの間。その先の集落からは、更なる悪路が待っていたのです。

国道34号線は、マダガスカルがフランスの植民地から独立した1960年代に建設されました。しかし、70年代に社会主義化すると、道の整備は滞ってしまったのです。現在でも復旧や整備に手間取り、物流に大きな問題を抱えているのが現状。そんなでこぼこ道が、およそ50キロも続きます。出発から13時間、その日の宿へ着いた頃にはとっぷりと日が暮れていました。

<ムルンダヴァ>
水野さんが一夜を明かしたのは、海沿いのムルンダヴァ。ここには、海の民ヴェズ族の村があります。女性たちはみなオレンジ色のものをお顔に塗っているようですが…実はこれ、タバキという植物の幹をすり潰した日焼け止め。毎朝タバキを塗って、寝る前に顔を洗うのが日差しの強いマダガスカル伝統の美容法なのだそうです。

水野さんの外国でのコミュニケーション方法は写真。写真を撮って、デジカメの小さな液晶画面で確認。みんなうれしそうに画面をのぞき込んでいます。村の人々とすっかり仲良くなった水野さんは、生活に欠かせない船作りのお手伝い。「大きな木から削りだすだけだよ」と言われるのですが、これがなかなか難しいようで…

ヴェズ族の船は、東南アジアの船と同じ。この船が、マダガスカル最初の住人が東南アジア方面からやって来たことの証しだと言われています。水野さん、村人の船に乗せてもらって出発!モザンビーク海峡に翻るヴェズ族の帆。風を切って走る水野さん。さて、乗り心地はいかがでしょうか?

<国道34号線>
サンテグジュペリの名作絵本「星の王子様」の中で、バオバブの木は星を壊すほどの大きな木として描かれています。相変わらず運転が大変なでこぼこ道は続いていますが、目の前には圧倒的な存在感のバオバブが!まるで、逆さまに地面に埋まっているかのようなその不思議な姿。「苦労しないと見ることができないところがいい!」と語る水野さんが、必死の運転の末、ようやくたどり着いた夢の場所には、遥か遠い宇宙と交信でもしているかのようなバオバブの並木道。そしてそれらを包む美しい夕焼けが待っていたのです。





ドライブガイド
10月4日放送分
 
摩訶不思議マダガスカル
〜サザンクロス街道のサルたち〜

アフリカ大陸の東、インド洋に浮かぶマダガスカル。その大地を走る国道7号線は、「サザンクロス街道」と呼ばれています。水野美紀さんの目的は、サザンクロス街道を走り、マダガスカル固有のサルに逢うこと。目指すはイサロ国立公園の森の中です。その夢を叶える旅に待っていたのは…

<サザンクロス街道>
サザンクロス街道は、首都アンタナナリボからモザンビーク海峡へと抜ける、およそ1000キロに及ぶマダガスカルの大動脈。大陸移動説によると、マダガスカルは、後のインドとアフリカに挟まれていた部分から分離したと考えられています。しかしアフリカ大陸との動植物の共通性は少なく、むしろ東南アジアとの関連が深いとされる国なのです。ここはアフリカでありながら、アジアでもある不思議な島。その証拠に、水野さんの目の前には美しい棚田が広がっています。南半球のマダガスカルでは、短い冬が終わり、今は田植えの時期。アフリカなのに…と驚かれるかもしれませんが、マダガスカルの主食は米なのです。

<アンツィラベ>
アンツィラベは、およそ18万人が暮らす、マダガスカル第三の都市。サザンクロス街道の起点となる街の一つです。マダガスカルのお米がどうしても気になる水野さんは、街の食堂へ。そこはサザンクロス街道を行く人々で混み合っていました。水野さん、特別にお願いして食堂のキッチンへ。炊く前のお米を見てみると、日本のお米より粒の小さいタイ米のような感じです。薪と炭で炊き上げること15分。さあ、お待ちかねのランチタイムです。鳥を煮込んだスープに炊きたてのごはん。マダガスカルで最もポピュラーなメニューの一つです。スープをごはんにかけていただくのが、おいしい食べ方なのだそうですが、さて、お味はいかがでしょうか?
料理と一緒に出される飲み物は、ごはんを炊いた釜にお湯を張り、お焦げと煮込んだ、お焦げ茶。玄米茶のようなお味だそうです。お腹もいっぱいになった水野さんは、サザンクロス街道を南へと走ります。

<サザンクロス街道沿い>
サザンクロス街道の道端には、あらゆる露店が並んでいます。道沿いで売られている帽子のようなもの、実はまな板。真ん中の出っ張りの上で切り、切った物をその横に置けるという優れもの。水野さんももちろんお買い上げ。東京のご自宅で使うのだそうです。

サザンクロス街道は、絶景に溢れた観光道路でもあります。車を走らせる水野さんの目の前に現れたのは、鏡もちのような巨大な山。マダガスカル語で「ボネドパップ」、「お父さんの帽子」という愛称で親しまれている一枚岩の山です。思わず「登りたい!」と言う水野さんですが、この山はマダガスカルの聖地。地元の人も、もちろん観光客も登ることはできません。遠くから、そのスケールの大きさを眺めることにしましょう。

<ホロンベ>
ホロンベは、およそ250平方キロメートルもの面積を持つ、マダガスカル最大の大平原。見渡す限りの大平原の中、車を走らせる水野さん。ドライブの楽しさを満喫です。ホロンベ大平原に、陽が沈みます。「普段こんなにのんびり夕陽を眺めるためだけの時間はない」と語る水野さん。本当に贅沢な夕焼けです。
そしてここは、夜になれば「サザンクロス街道」の名の通り、南十字星が輝くのです。

<イサロ国立公園>
イサロは、東京23区の1.3倍もの面積を持つ広大な国立公園。およそ1億7千万年前の自然の姿が、手つかずのまま残されています。ここに、マダガスカル固有の進化しなかったサル、「原猿」が棲息しているのです。水野さんは、ガイドさんの案内でその森へ。すると早速、何かをみつけたようです。それは、カメレオン。マダガスカルには、およそ50種のカメレオンが棲息しているのです。
2人は、さらに森の奥深くへと進みます。ガイドさんが指差した先には、1匹のサルが…!黒と白の輪をつなげたような模様の長い尾を持つ、ワオキツネザルです。見た目はまるでリス。「マダガスカルの人がニホンザルを見たらびっくりすると思う」と水野さん。確かに、目が大きくてとてもかわいらしいワオキツネザルは、私たちのイメージする「サル」とは全然違う顔をしています。
水野さんのお目当ては、もう一種類のサル。カメラマンの「いたいた!」の声に、木の上を見ると…いました!お目当てのベローシファカです。ベローシファカは、木の上で暮らす原猿。しかし、ひとたび地上に降りると奇妙な行動を見せるのです。その生態を見るため、水野さんはマダガスカルの南端へと向かいました。

<ベレンティー保護区>
走ること3時間。ベレンティーは、原猿たちの研究場所として作られた自然保護区です。大好きなタマリンドの実を食べていたのはワオキツネザル。食後は、お腹を出して日なたぼっこ。これは消化を促進するためだと言われています。そしてこの森で、ベローシファカの奇妙な行動を見ることができるのです。酸性の森の葉を食べたベローシファカは、アルカリ性の葉を食べて体内でバランスを取らなくてはなりません。本来は森の中を通るのですが、ベレンティーはイサロと比べて樹々が密集していないので、どうしても地面を通らなければならないのです。そこで彼らは、地面を横っ飛びで移動!かなり早い!そしてかわいい!水野さん、夢中で写真を撮ります。
不思議の島、マダガスカル。水野さんは、もうひとつの不思議に逢うために、再び走り始めました。そこには…?





ドライブガイド
9月27日放送分
 
ノルウェー北岬へ〜魂の歌ヨイクを追って〜

スカンジナビア半島北部、ラップランドの先住民族、サーメの歌「ヨイク」。厳しい自然に囲まれた暮らしの中で連綿と受け継がれて来た魂の歌です。ヨイクのアーティストとコラボレーションしたいと願う稲垣潤一さんが、北極海に面した断崖の岬「ノールカップ」を目指します。ヨイクの歌い手に会うために。

<ラクセル>
複雑なフィヨルドの海岸が続く一角に、奇妙な風景が広がる場所があります。「トロルホルムスンド」と呼ばれる奇岩群。まるでオブジェのように、奇妙な岩が立ち並んでいます。トロルホルムスンドは、柔らかな石灰岩による地層が、強風や氷結によって砕けてできたものだと言われています。過酷な自然が作り上げた、神秘の造形です。

<スモールフィヨルド>
フィヨルドの海岸沿いを北上すること30キロ。小さな漁港が見えてきました。ノルウェーは漁業が盛んな国。この時期、何を獲っているかというと、見事なタラバガニ。漁師さんに話を伺うと、この日は600kgも獲れたのだとか。こうなったら是非とも味見をさせてもらいたい稲垣さん、漁師さんにタラバガニを捌いてもらったのですが、それがまた豪快。甲羅を大胆にむしり取り、食べるのは足だけ。これを塩ゆでにしていただきます。こんなにワイルドな食べ方をしたのは初めてだという稲垣さん。お味の方は…おいしくないわけないですよね。

稲垣さんは、再び北上を始めます。荒涼たる大地に点在する家々の多くは漁師さんの番屋か別荘なのだそうです。そんな中、この地に生まれ育ち、ここに住むことにこだわり続けている方がいるというので訪ねてみました。絵や彫刻などを手がけるアーティスト、ウッツィさん。その作品の多くは、この土地の自然から受けるインスピレーションが基になっているのだとか。稲垣さんご自身も、ウッツィさんのお話からインスピレーションを得たようです。

<マーゲロイ島>
ノールカップのあるマーゲロイ島へは、海底トンネルを通って車で行くことができます。全長およそ7kmの、岩盤をくり抜いて作られたトンネルです。マーゲロイ島は人口およそ3300人。町を除く島の大部分は、岩石とわずかな草だけの風景です。稲垣さんは、いよいよ今回の旅で最も会いたかったヨイクの歌い手の家へ。迎えてくれたのはヴァールさん。ヴァールさんはヨイクの優れた歌い手で、リレハンメルオリンピックの開会式でもヨイクを披露したという経歴の持ち主です。ただし、本業はトナカイの放牧。彼らは年に2度、放牧しているトナカイを1カ所に厚め、所有者の印を付けるのだそうです。実は稲垣さんがお邪魔したのは、その作業をする小屋。ノールカップのすぐそばの集落出身であるヴァールさんは、古来からトナカイの肉を食べ、その皮で服や靴を作り、何百頭もの群れを移動させながら暮らしてきました。厳しい暮らしの中で、自然や家族など様々なものへの思いを表現する歌、それがヨイクなのです。さあ、念願のヨイクとのコラボレーション。ヴァールさんの歌声と、稲垣さんが叩くシャーマンドラムが響きます。日本からのお客さんを歓迎するヨイクを即興で作ってくれたというヴァールさん。2人のコラボレーションは、10分以上も途切れることなく続きました。

そして稲垣さんは、ヨーロッパ最北の岬へ。ノールカップは、海流と大気の影響で、霧が多いことでも知られています。稲垣さんがたどり着いたこの日も、霧で視界は真っ白。霧の中、ヨーロッパの北の果てで稲垣さんは…。





ドライブガイド
9月20日放送分
 
白夜のフィンランド〜魂の歌ヨイクを求めて〜

フィンランド北部、北極海へと至るスカンジナビア半島の大地を、ラップランドと呼びます。この大地には、古来から独特の歌声が響いてきました。それは、先住民族サーメの歌「ヨイク」。自然を、家族を、そして日々の出来事を歌うサーメの人々の魂の歌です。そのヨイクの歌い手に会いたい、それが稲垣さんの夢。フィンランド北部から国境を越え、北極海を目指すラップランドの旅です。

<イヴァロ>
ラップランド最大の湖、イナリ湖。その湖畔を走る国道4号線は、北極海へと続く道です。日本では味わうことのできない美しい風景の中を走り、稲垣さんが向かったのは、本日の宿ラッピンレウクです。ラッピンレウクは、ご主人のティモさんが自らの手で何年もかけて作り上げたロッジ。部屋には樹齢200〜300年の木を使い、優しい木の香りがあふれています。もちろん、フィンランドには欠かせないサウナ小屋も。薪で石を熱し、蒸気で室内を暖めるスタイルのサウナです。体が温まったら、目の前の湖に入って火照った体を冷ますのがサウナの仕上げ。ティモさんに続き、稲垣さんも勢いよく湖へ!…のはずでしたが、あまりの水の冷たさに断念。まあ、無理はしないことですよね。
サウナの後は、お待ちかねの夕食。すぐ近くの森で採れたというイラクサのスープは、ティモさんのご自慢。鉄分が多く、体にとてもいいのだそうです。メインはトナカイの肉。脂肪分が少なく、栄養価の高い肉で、昔からラップランドの人々の食生活を支えてきました。羊の肉に似たシンプルな味わいだそうですが、さて稲垣さん、お味の方はいかがでしょうか?

稲垣さんは今回の旅で、この地方の伝統楽器を使って、ヨイクの歌い手とコラボレーションをしたいと願っていました。そこでサーメの伝統楽器、シャーマンドラムの作り手を訪ねることに。円形の木枠に、湿らせたトナカイの皮を張って乾燥させ、最後にドラムの表面に絵を描いたらできあがり。昔はトナカイの血で絵を描くこともあったようですが、今はハンノキの樹脂を煮出したインクを使います。どうしてもシャーマンドラムが欲しくなってしまった稲垣さん、1つ譲っていただき、国道4号線をさらに北上します。

国道4号線沿いには、なぜか大きな口をあけたポストがあります。そこへやって来たのは路線バス。何とバスの運転手さんが、ポストに郵便物を投げ入れるのです。その名も「郵便バス」。1920年代に始まった、広大なラップランドならではのサービスです。この日乗せてもらったバスの運転手、パウナさんは、運転歴15年。あらかじめ配達順に並べておき、次々ポストに投げ込んで行きます。「日本のテレビに出るなんて、みんなに自慢しなくちゃ!」と、ジョークも快調でしたが、撮影中にまさかの失敗。「投げにくいったらありゃしない!」と怒られてしまいました。パウナさん、ごめんなさい。

国道4号線を遮るように横たわるテノ川。その先はノルウェーです。この国境の川は、極上のキングサーモンが釣れることでも有名。案内してくれたエサさんは、地元でも評判の釣りの名手です。一度に何本もの竿をボートに固定するユニークなやり方で、当たりを待ちます。深さ1.5mほどの川ですが、エサさんは今まで20kgほどの魚を何度も釣り上げているのだとか。そうこうしているうちに、当たりが来ました!どうやら大物のよう。稲垣さんも手伝って、2本同時にリールを巻き上げます。ところが…逃げられてしまいました。テレビの撮影だからといって、いつも釣れるとは限りません。でもそこは名人。前の日に釣れたサーモンをご馳走してくださいました。板に身を貼り付け、焦がさずに時間をかけてあぶる「ロイム」という調理法でじっくり30分。フィンランド式に、クリームソースをかけていただきます。脂が乗っておいしいサーモンをお腹いっぱいいただいた稲垣さんは、いよいよノルウェーに入ります。サーメの民族楽器、シャーマンドラムを携え、ヨーロッパ最北の岬に向かうのです。





ドライブガイド
9月13日放送分
 
遥かなるロシア〜壮麗!キジー島の世界遺産〜

ロシア北部の小さな島に、世にも不思議な世界遺産があります。まるで積み木で組み立てたような構造、複雑かつ美しい曲線…その建物があるキジー島へは、首都モスクワからおよそ1200キロの道のりです。中村雅俊さんがロシアの歴史と文化に出会う旅。目指すはキジー島、壮麗なる世界遺産です。

<モスクワ郊外>
モスクワを出発して1時間、かわいらしい街並に寄ってみることにした雅俊さん。町を歩いていると、庭の手入れをしている方に出会いました。お話を伺ったタティアーナさんは、普段モスクワのアパートに住んでいて、週末や休日を「ダーチャ」と呼ばれるセカンドハウスで過ごすのだそうです。休みの日に家庭菜園を楽しむ…そうした「ダーチャ生活」と呼ばれるライフスタイルが今、モスクワのような都会に住む人々の間で人気なんだとか。「よかったら食事をして行きませんか?」というタティアーナさんのお誘いで、赤かぶを煮込んだスープ、ボルシチをご馳走になりました。温かいおもてなしのお礼に、雅俊さんからは歌のプレゼントです。

<レニングラード街道>
モスクワとかつての首都サンクトペテルブルグを結ぶレニングラード街道は、ロシアの歴史と文化を育んで来た道。現在では、ロシア経済を支える物流の大動脈です。その道沿いで、立ちのぼる煙を発見。実はこれ、「サモワール」と呼ばれるロシアの伝統的な湯沸かし器。容器の中央にある空洞で薪を焚き、その熱でお湯を沸かす仕組みになっています。ではそのお湯の使い道はといいますと…何と、道を行き交うドライバー目当ての青空喫茶店。街道沿いでコーヒーブレイク、というわけです。雅俊さんも一息ついたところで、先を急ぎましょう。

<ノブゴロド>
モスクワから北へおよそ500キロ、ノブゴロドは9世紀頃、北方のヴァイキングたちによって築かれました。何度も戦火を逃れた街並は、その歴史的価値から1992年、世界文化遺産に登録されました。そのノブゴロドで立ち寄ったのが、古代楽器センター。この町に伝わる昔の楽器が復元展示されている博物館です。館長のポヴェートキンさんに、ヴァイオリンの原形の1つとも言われる「グドク」の音色を聴かせていただきました。

<サンクトペテルブルグ>
モスクワから700キロ。ロシアで最も美しいと讃えられるサンクトペテルブルグです。ソ連時代にはレニングラードと呼ばれたサンクトペテルブルグは、今からおよそ300年前、ロマノフ朝の皇帝ピョートルによって築かれた都です。ピョートル大帝は、それまで沼地だったこの場所を埋め立て、ヨーロッパの窓口となる近代都市にしようとしました。町の建設にあたってイメージしたのはオランダのアムステルダム。町には運河が張り巡らされ、その運河を巡るクルーズが、今人気の観光スポットになっています。

そんな運河のひとつ、ネヴァ河のほとりにあるのがエルミタージュ美術館。もともとはロマノフ朝の冬の宮殿として、イタリアから建築家を招き、8年もの歳月をかけて造られた、ロシア・バロック建築の傑作です。エルミタージュとはフランス語で「隠れ家」という意味。部屋中に施された金の装飾がロマノフ朝の栄華を今に伝える「紋章の間」や、黄金に輝く孔雀時計が置かれた「パヴィリオンの間」もさることながら、エルミタージュの魅力は何と言っても豊富な美術コレクション。ヨーロッパ絵画の名だたる巨匠たちの作品を始め、その収蔵品は300万点を越えると言われています。その中でも最高のコレクションと称されるのが「リッタの聖母」。レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた、キリストを抱く聖母マリアの姿です。19世紀にイタリアのリッタ公爵が絵を購入したことから、その名がつきました。エルミタージュ美術館、そこはもう「隠れ家」ではありません。

<キジー島>
サンクトペテルブルグからキジー島へは、およそ500キロ。北極海へとつながる道をひたすら進むと、見えてくるのがヨーロッパ第2の広さを誇る淡水湖、オネガ湖です。キジー島はこのオネガ湖の中にあります。

キジー島に建つプレオブラジェーンスカヤ教会は、1714年に建てられた木造教会です。木を巧妙に組み合わせて作られた構造は、ほとんど釘が使われていません。その複雑さは、有効な修復方法が見つからないほど。現在は老朽化により教会の中に入ることはできず、修復が急がれています。
その隣に、冬用の教会として1764年に再建されたポクロフスカヤ教会には、今でも中に入ることができます。キリスト教の教えを描いたイコンも、すべて木製。北国に建つ教会だからこそ、木の温もりを大切にしているのかもしれません。

モスクワからキジー島までの1200キロの道のり。その旅路で出会ったロシアの歴史と文化、そして人々。その旅を終えた雅俊さんが感じたこととは…?





ドライブガイド
9月6日放送分
 
遥かなる旅路〜我が憧れのモスクワ〜

ロシアの首都モスクワは、中村雅俊さんにとって40年越しの憧れの町でした。今から41年前、高校生だった雅俊さんにロシアへの憧れを抱かせたのは、五木寛之さんの著書「青年は荒野を目指す」。ジャズミュージシャンのジュンが、愛と自由を求めてヨーロッパを旅する物語の冒頭に登場するソ連(現在のロシア)の描写に、高校生の雅俊さんは強く感化されたのだといいます。憧れのモスクワは、雅俊さんにどんな姿を見せてくれるのでしょうか?

<モスクワ>
「城塞」という意味を持つクレムリンは、大統領府があるなど、まさにロシアの中枢。その横にある赤の広場の中央には、いつも人だかりができる場所があります。それがレーニン廟。ここには、1922年、共産主義国家・ソビエト連邦を建国したレーニンの遺体が、当時の姿のままで安置されています。
1991年ソ連が解体し、民主化されたロシアは現在、目覚ましい経済発展を遂げています。新しいビルの建設ラッシュに沸くモスクワで雅俊さんが目にしたのは、ソ連時代の象徴とも言える建物。高さ170m、27階建てのロシア外務省です。どこかニューヨークにあるエンパイアステートビルに似ていますが、モスクワには同じような高層ビルが7つあり、その美しさは「7姉妹」と讃えられるほど。そうした高層ビルの建設を押し進めたのは、ソ連の最高指導者スターリンでした。東西冷戦の真っ只中、アメリカに高層ビルがあることを知ったスターリンは、同じような高層ビルの建設を命じました。後に「スターリン様式」と名付けられたそれらは、強烈な国威発揚のシンボルとなったのです。

雅俊さんには、モスクワでどうしてもやってみたいことがありました。それは「青年は荒野を目指す」の主人公ジュンになりきること。そこでやってきたのがモスクワ中央競馬場。ジュンが競馬で100ドルをかけて見事にすってしまうシーンがあるのですが、雅俊さん、ジュンになりきってそのシーンを再現してみようというわけです。ロシアの競馬でポピュラーなのは、二輪車を引いて走るスタイル。日本のように競馬新聞はないので、出走表で予想します。ジュンが賭けた100ドルにならい、2500ルーブルの一点勝負!…ですが、窓口の女性は「信じられない」と呆れ顔。それもそのはず、雅俊さんが買った馬券は80倍も付く大穴だったのです。各馬一斉にスタート!…さあ、結果はいかに!?

モスクワの町をドライブしていると、思いがけず歴史に名を刻む道に出逢いました。クトゥーゾフ大通りは、およそ200年前、ナポレオンがロシア遠征の際、モスクワ制圧を目指して進むも、強烈な冬将軍の前に断念したという有名なエピソードの残る道。そのクトゥーゾフ大通り沿いに、今モスクワで大人気の劇場があります。連日子どもたちで満員の、ククラチョフ猫劇場。猫とピエロがコミカルなショーで楽しませてくれる劇場です。1990年の旗揚げ以降、猫たちの愛らしい姿が子どもたちの心をとらえてきました。何と、日本生まれの猫もいるのだとか…。

<クリン>
モスクワからおよそ90キロ、クリンは「白鳥の湖」などで知られる作曲家、チャイコフスキーが晩年を過ごした町。彼が暮らした家が、博物館として保存され、チャイコフスキーの代表作、交響曲第6番「悲愴」が生まれた机や、窓越しに見ていた風景も当時のままの姿をとどめています。「チャイコフスキーと同じ景色を見ているなんて夢のよう」と語る雅俊さん、さて、素敵なメロディーは浮かんだでしょうか?

<セルギエフ・ポサード>
モスクワから北東におよそ70キロ、セルギエフ・ポサードは、中世の面影を残す街を結ぶ「黄金の輪」と呼ばれる道を代表する町。トロイツェ・セルギエフ大修道院は、歴代の皇帝も足を運んだ、由緒ある教会です。

さて、ロシアのお土産の定番といえば、やはりマトリョーシカと呼ばれる入れ子人形。というわけで、雅俊さんはマトリョーシカの作り手、ナターリア・ボローニナさんを訪ねてみることにしました。ボローニナさんが見せてくれたのは、日本の七福神、福禄寿の入れ子人形。実は19世紀、日本を訪れたロシアの外交官がお土産に持ち帰った入れ子人形がヒントとなって、マトリョーシカが生まれたのだそうです。ボローニナさんが、雅俊さんをモデルに、マトリョーシカの絵を描いてくれることになりました。焼きゴテで白木の人形に絵を描いて行くのですが、雅俊さん、できあがったマトリョーシカの出来映えにびっくり。相当なお気に入りになったみたいです。

<モスクワ>
雅俊さんは再びモスクワへと戻りました。この旅でどうしても行きたかった場所の許可が下りたからです。緊張しつつ訪れたそこは、在ロシア日本国大使館。この大使館こそ、10代の雅俊さんの憧れの場所。「青年は荒野を目指す」を読んだ雅俊さんは「ソ連の外交官になろう」とひらめいたのだそうです。まずは宮城から東京へ、そしてソ連へ…のはずが、途中で方向転換して俳優の道へ。そのまま夢に向かっていたらどうだったんだろう…そんな思いをかみしめながら中へと入ります。

書き忘れた青春の1ページを埋めてくれたモスクワ。雅俊さんの、遥かなるロシアの旅路はまだまだ続きます。





ドライブガイド
8月30日放送分
 
神秘のモニュメント・バレー〜月光写真で挑む〜

月の光だけで撮影された「月光写真」。日光の46万5千分の1というわずかな光だけで風景を撮り続けているのは、世界広しと言えども石川賢治さんただ1人。その写真はまさに神秘の世界であり、どこまでも幻想的な世界です。そんな石川さんがどうしても撮影をしてみたかった場所、それがアメリカの原風景、魂の大地と称されるモニュメント・バレーです。

<フラッグスタッフ>
フラッグスタッフは、アリゾナ州北部の中心都市。モニュメント・バレーの玄関口に位置する町です。石川さんは、町外れのガスステーションで給油を。この先、町らしい町がほとんどないからです。ガソリンが満タンになったところで、モニュメント・バレーを目指します。

<モニュメント・バレー>
フラッグスタッフから走ること3時間。モニュメント・バレーは、グランドキャニオンの東およそ200キロ、ユタ州とアリゾナ州の州境に広がる荒野で、先住民ナバホ族の土地です。入園料は、大人1人5ドル。「ビュート」と呼ばれる小高い丘が連なる風景は、5千万年もの長い年月を経てゆっくりと大地が浸食され、作り出されたものです。ここが「アメリカの原風景」と呼ばれる理由の1つには、こんなことがあるのかもしれません。 ジョン・フォード監督の名作「駅馬車」はこの地で撮影されました。他にもここで撮影された作品は、実に50本以上を数えます。モニュメント・バレーは、アメリカの西部劇にとって聖地とも言える場所なのです。

モニュメント・バレーには、様々なビューポイントが点在しています。3本の細長い岩を修道女に見立てた「スリー・シスターズ」、ビュートの配置が絶妙なバランスの「アーティスト・ポイント」、2つの岩の間からのぞき見るような「ノース・ウインドウ」、そして、かのジョン・フォードが最も気に入り、しばしばカメラをセットした「ジョン・フォードポイント」などなど。長年撮りたかった憧れの風景を前に、石川さんのロケハンにも力が入ります。

モニュメント・バレーが広く世に知られるようになったきっかけは、1920年代前半に、グールディング夫妻がこの地に移り住んだことに始まります。彼らは、ロケ地を探していたハリウッドの映画会社にモニュメント・バレーの写真を持ち込みます。それを見たジョン・フォードがその風景に一目惚れ。夫妻の家を撮影隊の宿泊地とし、名作「駅馬車」を撮影したのです。モニュメント・バレーの美しい景観に魅せられた人々は、こぞってこの地を訪れました。そこで夫妻はロッジを開業。この地で撮影された貴重な映画資料などを展示している博物館も併設し、2人が亡くなった今も営業を続けているのです。

更なるモニュメント・バレーの魅力に触れるため、石川さんはガイドをお願いすることにしました。ナバホ族のガイド、シスコさんの案内で、ガイドがいないと入れない場所へと車を走らせます。やがて見えてきたのはこんもりとした土の山。実はこれ「ホーガン」と呼ばれるナバホ族の伝統的な家。シスコさんの知り合いが住んでいるということなので、ちょっと寄らせていただくことにしました。この家に住むヤジーさん親子に食事をごちそうしていただいたり、今はもう話せる人がごくわずかしかいないというナバホ語レッスンを受けたり、温かいおもてなしを受けました。

そして迎えた満月の夜。美しい満月のもと、石川さんはひたすら撮り続けます。そして生まれた奇跡の1枚とは!?





ドライブガイド
8月23日放送分
 
雄大なるカナダ〜思い出の地 カルガリーへ〜

八木沼さんは、1988年、カルガリーオリンピックに14歳という若さで出場しました。思い出の地、カルガリーを目指します。

<ジャスパー国立公園>
カナディアン・ロッキーにある4つの国立公園のなかで最大の面積を誇ります。アイスフィールド・パーク・ウェイはジャスパーの町からレイク・ルイーズまでのおよそ230キロを結ぶ、カナディアン・ロッキーきっての景勝道路です。八木沼さんはこの道を走ります。

<アサバスカ氷河>
北極圏をのぞく、北半球では最大のコロンビア大氷原から流れ出している氷河の一つです。その長さはおよそ6キロ、氷はもっとも厚いところでおよそ350メートルもあるとされています。氷河は岩を削りながら少しずつ移動しています。近年、地球温暖化の影響もあり、氷の溶けるスピードが早くなっています。1年間に15メートルも氷河の先端が後退しているそうです。氷の裂け目「クレバス」を発見。その青色に感激。
アイスフィールド・パーク・ウェイはカナディアン・ロッキーの大パノラマを体感する絶好の道。例えば、岩壁を這うように雪解け水が流れる様がすすり泣いているように見えることからその名がついた「ウィーピング・ウォール」。神秘的な青色の「ペイトー湖」。カラスの脚を思わせる形の「クロウ・フット氷河」 などなど。また野生動物に出会うこともしばしば。見えるもの全てが見どころの道です。

ジャスパーからスタートしたアイスフィールド・パーク・ウェイの終点「レイク・ルイーズ」は、カナディアン・ロッキーの宝石と讃えられる湖です。八木沼さんは、もう一つの宝石「モレーン湖」へ。モレーン湖は周囲3・5キロほどの小さな湖ですが、その美しさは息を飲むほど。またカナディアン・ロッキーには数多くのハイキング・コースがあります。グラッシー湖トレイルを歩いていくと、今まで見た湖とは全く違うどこまでも透明な水をたたえたグラッシー湖がありました。

<カルガリー>
思い出の地。1988年、カルガリー冬季オリンピック。当時わずか14歳の八木沼さんは、フィギュアスケートの日本代表。健闘むなしく結果は14位でしたが、カルガリーは八木沼さんにとって一生忘れえぬ場所です。
カルガリーのダウンタウンを歩いていて立ち寄ったのは1901年創業の「ライリー&マコーミック」。ここはカウボーイグッズを扱う老舗。1988年のカルガリーオリンピックで配られたという白いカウボーイハットに再会。店主のブライアンさんによればこのこれは、カルガリーのシンボルなのだそうです。

最後にフィギュアスケートのリンクがあったサドルドームを一望できる丘の上。そこは、ふるえるような喜びと、ふるえるようなくやしさを、 同時に味わった・・・場所。





ドライブガイド
8月16日放送分
 
感動カナダ〜極上の隠れ宿〜

カナダの大地を貫く一本の道。親しみと愛情を込め「ビーバー街道」と呼んでいます。「世界で最も住みやすい都市」と言われている町、バンクーバーを起点にカナディアン・ロッキーの麓へと続くその道です。1988年、八木沼純子さんはカルガリーオリンピックに14歳という若さで出場しました。その思い出の国カナダで自然と戯れ、カナダの極上の隠れ宿へ・・・。

<ウィスラー>
スキーリゾートとして世界的に有名な町です。一年を通して楽しめる、人気のエコツアーに参加。ここは世界的に希少な温帯雨林が残る場所。一説には、現存する原生林のうち温帯雨林に属するのは僅か3%といわれています。この森の特徴を表している生物ライケンを見つけました。ライケンは藻類と菌類が共生している生物で、養分を木からではなく空気中から吸収しています。そのため空気が非常にきれいな場所でしか、生きていけないのです。
そして、このツアーのクライマックスへ。高さおよそ20メートルの台の上から、ケーブル一本を頼りに谷を渡ります。

<リルエット>
かつてここは一攫千金を夢見た人々の宿場町でした。19世紀半ば、この町の横を流れるフレーザー川流域で金が発見され、ゴールドラッシュがおこりました。現在、人口2300人程の小さな町ですが、ゴールドラッシュ当時は1万5000人もの人々で賑わっていたそうです。ここからカリブーロードと呼ばれる、金を求める人たちのために開拓された道がありました。マイル0はここが起点という意味です。ここから「ビーバー街道」はカリブーロードの一部を辿ります。つまりビーバー街道は夢の道であり開拓の道でもあったのです。

<カムループス>
リルエットから東へおよそ200キロ。先住民の言葉で「川が出会う場所」という意味です。19世紀初め、ヨーロッパの探検家がここを訪れてからは毛皮の交易地として栄えた町で、今ではフライフィッシングの本場として有名です。八木沼さんも釣り名人に教わり、フライフィッシングに初挑戦。釣ったニジマスの一種「カムループス・トラウト」を日本流、カナダ流でそれぞれ料理します。その味は?

<ウェルズ・グレイ州立公園>
今夜の宿は、宿泊可能な観光牧場。部屋は丸太で作られたロッジです。ここで、八木沼さんは本格的な乗馬を初体験。カウボーイのポールさんと森散策。ポールさんとっておきの馬でしか行けない場所へ。
カナダ極上の一夜を過ごしました。

そして・・・カナディアン・ロッキー最高峰、標高3954mのマウントロブソンへ。ここから世界自然遺産、カナディアン・ロッキーが始まります。




ドライブガイド
8月9日放送分
 
壮麗!チェコの世界遺産〜チェスキー・クルムロフ城へ〜

チェコ南部の街チェスキー・クルムロフ。この街には世界文化遺産にも登録されている驚きの城があるのです。旅人・東儀秀樹がこの城を目指す。

<カルロヴィ・ヴァリ>
チェコ西部の街。ここは古くからヨーロッパ有数の温泉保養地として栄えてきました。ここの温泉は飲む温泉、飲泉です。まずは専用のカップを購入。このカップは歩きながら飲めるようにと把手に飲み口が付いているのです。さてそのお味は?
東儀さんにはこの街でもうひとつ行きたい場所があります。それはガラス工場。そうチェコと言えば『ボヘミアングラス』です。初めてガラス工場を訪ねるという東儀さんは職人さんたちの仕事ぶりに興味津々。そして職人さんたちが仕事の合間に飲むのは・・・ビール!さすがビール大国チェコ。 さてボヘミアングラスの特徴は卓越したカットの技術にあります。東儀さんも挑戦しますが・・・中々難しい。すると東儀さん突然閃きました!「ガラスのパイプみたいなものはありませんか?」と尋ね・・・一本一本そのガラスのパイプの太さをチェックします。すると・・・『ガラスで笛を作りたい!』と。早速穴の位置を決め、職人さんに穴を開けてもらいます。職人さんのアドリブで模様をカットしていきます。その出来栄えは!?

<カルロヴィ・ヴァリ〜ホラショヴィツェ>
カルロヴィ・ヴァリを出発し、南へと車を走らせます。広大な麦畑を抜け、いくつも街を通り抜け・・・その道を運転しながら東儀さんは子供の頃メキシコを車で家族旅行したことを思い出します。(父親の仕事の都合で幼年期をメキシコで過ごしました)

<ホラショヴィツェ>
人口300人ほどの小さな村ですが、この村の広場は世界文化遺産に登録されているのです。芝生の緑が美しい広場の周りを可愛らしい家々が並びます。バロック様式の建物です。バロックというと荘厳で華やかな建物を想像しますが、この村の建物は庶民の間で流行した素朴なもの。その民家の前で東儀さんは丸太でできた不思議な物を発見!それは井戸でした。2m以上ある丸太でできたなんとも大きい井戸。さてここの民家は2棟で1軒の家を構成しています。片方が家畜小屋でもう片方が住居と納屋でした。現在は両方とも住居として使い、中も暮らしやすいように改装してあります。そしてご好意でチェコの家庭料理を御馳走になることに。出てきたのは大きな団子のようなもの!?一体これは?ナイフで半分に切ると中からイチゴが!!これはイチゴのクネドリーキ。小麦粉、ジャガイモなどでできたパン生地でイチゴを包み、それを茹でただけのシンプルな料理。ちなみにクネドリーキとは茹でたり、蒸したパンのこと。さてそのお味は?

<ホラホヴィツェ〜チェスキー・クルムロフ>
さて気になるのはボヘミアングラスで作った笛の音色。東儀さんは広大な麦畑で車を停め、早速笛を吹いてみますが・・・果して音は出るのかそれとも・・・。

<チェスキー・クルムロフ>
この街もまた世界文化遺産に登録されており、画家エゴン・シーレが愛した街としても有名です。早速城へ向かう東儀さん。チェスキー・クルムロフ城は何世代にもわたって建て増しされてきた複合的な建物です。城門をくぐると、まず目につくのがカラフルな塔。そしてさらに中へ進むと、御堀の中に・・・・熊。この城では18世紀から熊が飼われてきました。紋章にも熊が使われています。そして中庭へ。右側の建物、一見石を積んで造られたものかと思いきや・・・それはすべて壁に描かれた絵。一個一個石の絵が描かれています。これはルネサンス時代イタリアで流行したスグラフィットという技法で、だまし絵の一種です。だまし絵は外だけではありません。舞踏会が行われていた仮面大広間。壁一面に描かれた絵は実に遊び心に富んでいます。描かれたテラスの絵の横には本物のテラス。本物の鏡の上に描かれた覗いている人の顔。2次元と3次元の世界が混在している不思議な世界。東儀さんは奇妙な気分に・・・。そして長い廊下を渡り別棟へ・・・。そこには18世紀に造られたバロック劇場がありました。オーケストラピットもあり、その片隅に置かれた不思議な物?それは効果音を作り出す道具です。風の音や雨の音などこれらで作り出すのです。さらに舞台下。そこには様々な舞台装置があります。 中央の大きな丸太を廻すと、舞台上のセットが一気に変わるという仕組み。そして東儀さんは200年前に造られたこの舞台で笙を奏でます。まるでパイプオルガンのような音色が劇場に響き・・・舞台のセットが動き出します!?





ドライブガイド
8月2日放送分
 
魅惑のチェコ〜迷宮のプラハから国境の街へ〜

「芸術の都」「百塔の街」「建築博物館」「迷宮都市」。 プラハの街は様々な言葉で讃えられます。そして東儀さんはこの迷宮の街を巡り、国境の街ミクロフを目指します。そこにはヨーロッパならではの風景が広がっているのです。三つの国が接している場所へ・・・。

<プラハ>
プラハの歴史地区は1992年世界文化遺産に登録されています。写真が趣味の東儀さんはカメラを片手に、旧市街をあてもなく彷徨います。そして急に早足に・・・そこには何かを待つ人だかりが。
旧市街広場の一角にある旧市庁舎の時計塔。15世紀に作られた天文時計が今なお時を刻んでいます。そして14時ちょうど・・・骸骨の人形が紐を引っ張り、その上の窓が開き、キリストの十二使徒の人形たちが顔を出します。みんなのお目当てはこのからくり人形でした。そして時計が大好きだと言う東儀さん、今回特別に時計の内部を見せて頂けることに。600年前に作られた時計の機械部分。非常に複雑な仕組みで太陽の位置や月の満ち欠けを示し、さらにはからくりまで動かすという多機能な機械式時計です。当時の科学の粋を集めて作られました。15時。再びからくりが動き出します・・・
さてプラハの歴史は支配と抑圧の歴史と言ってもいいかもしれません。そしてその反骨神から様々な芸術が生まれました。作曲家スメタナ、文豪カフカ、画家ミュシャなど。
人形劇もそんな歴史から生まれたチェコの芸術です。かつてハプスブルグ家に支配されていた時代、チェコ語の使用は禁止され、用語はドイツ語でした。唯一人形劇の中だけチェコ語の使用が認められていたのです。そして独立後、美しい伝統的なチェコ語を守ってきた人形劇は爆発的な人気を博したのです。東儀さんはそんな人形劇の人形たちに興味津々。中には日本の文楽と似た仕掛けが施されている人形も。
プラハの街を走ると、様々な様式の建物が建ち並んでいるのに気付きます。この街は別名「建築博物館」と呼ばれています。20世紀初頭に建てられたアパート。中へ入ってみると・・・なんとも美しい階段が!1930年代に造られた銀行は・・・一面アール・デコ!!!

<テルチ>
プラハから東へ2時間。テルチの街へとやってきました。東儀さんも思わず「可愛らしい」と呟いたこの街の広場にはカラフルな建物が並んでいます。建物の高さと間口の広さが統一されており、ほとんどがルネサンス様式の建物です。ここもまた世界文化遺産に登録されています。
この広場の一角にちょっと変わった趣味をお持ちの方がいらっしゃいます。ヴィミエールさんは1920年〜30年代にチェコで作られたものをコレクションしています。着ているものも当時のものでコーディネートしているというほどの力の入れよう。中でも御自慢なのが自転車のコレクション。東儀さんは1936年製の自転車に乗せて頂くことに。カラフルな建物で囲まれ、石畳が敷かれた広場を走ります。その乗り心地は?

<ミクロフ>
国境の街です。東儀さんは町外れの小高い丘の上に。この場所からは南にオーストリアが望め、東にはスロバキアを望むことができるのです。チェコを含め、三つの国が接している場所。目には見えない国境。それでもそこを境に文化も生活様式も違う・・・東儀さんは不思議な感覚に。そしてその丘の上で東儀さんは篳篥(ひちりき)を奏でます。
やはりここまで来たら、国境を越えてみたい。東儀さんはオーストリアとの国境を車で越えます。しかし現在シェンゲン協定に加盟している国同士の国境越えは実にスムーズ。
誰も立っていません。ちょっと物足りない東儀さん。

国境を越え、オーストリアで東儀さんを待ち構えていたのは一面の花畑でした。





ドライブガイド
7月26日放送分
 
ブルガリアの絶景
バラの谷の楽園

バルカン山脈とシエラネオア山脈に挟まれた広大な大地に、世界最高の香りを誇る、何万本ものバラが咲き乱れる谷があります。それが「バラの谷」。「香り」が大好きで、よくアロマテラピーなどをするという桜井さんがバラの谷を目指す90キロのドライブは、ブルガリアの美しさと温もりに出会う旅でもあります。憧れのバラの谷で待っていたものは…。

<ヴェリコ・タルノヴォ>
ブルガリア中部の観光の拠点、ヴェリコ・タルノヴォ。人口およそ10万のこの町は、中世に栄華を誇った第2次ブルガリア帝国の都だった町です。その栄光の歴史と古風な佇まいから、「ブルガリアの心のふるさと」とも呼ばれています。町を散策する桜井さんが出会ったのは、庭の木になったさくらんぼの収穫をしているお母さん。「入っていらっしゃい」との思わぬお誘いに、少しだけおじゃまさせていただくことに。100年以上も前に建てられたという家のお母さんが桜井さんに見せたかったものは、窓からの素晴らしい眺め。優しいブルガリアの人の心遣いがうれしい桜井さんです。
ヴェリコ・タルノヴォは、ブルガリアの伝統技術を受け継ぐ職人たちの町でもあります。その仕事ぶりは、通りから眺めることができるのです。桜井さんが足を止めたのは、銀細工を作っている工房の前。とても緻密なつくりの銀細工に魅了されてしまった桜井さん、ご主人の仕事を見せていただきました。銀の針金を作るところから始まり、すべて手作りでの作業は、まさに熟練の技でした。

<アルバナシ>
アルバナシは、ブルガリアがトルコの支配を受けていた頃、特権階級が住んでいた町です。ここには、ブルガリアでも屈指の美しさを持つという教会があります。いたって素朴な外観ですが、一歩中へ入ると天井から壁、梁にいたるまで、あらゆる面が美しいフレスコ画で埋め尽くされているのです。こんなに多くの壁画が描かれ、状態も良く残されているのは極めて稀なんだとか。それは、質素な外観からは、想像もできない壮麗さです。実はこの教会は、イスラム教国であったトルコが支配していた16世紀に建てられたもの。ここは、抑圧の中で祈り続けたブルガリア人の、敬虔な信仰の場だったのです。

<ロゾヴォ>
ブルガリアの5月と6月は、1年で最も雨の多い時期。雨の中、桜井さんの車は、バラの谷の中程にあるロゾヴォへとやってきました。ロゾヴォとは、「バラの村」という意味。村の公民館には、たくさんの人々が集まっています。実はこの日は年に一度のバラの収穫祭。雨だからといって中止にはしません。バラの収穫は、村人たちにとって最も大切で、喜ばしい行事なのです。

お祭りの後、一軒の農家を訪ねた桜井さん。家の中にはバラの甘い香りが漂っています。その香りを放っているのは、収穫したバラの花で作った自家製ポプリ。他にも手作りのローズジャムやローズティーでのおもてなし。ここでは、バラは人々の生活にまで根付いているのです。するとおばあちゃんが、「明日はバラの収穫をするから、あなたもこれを着ていらっしゃい」と、かわいい民族衣裳を持って来てくれました。ところが、心配なのは止みそうにない雨。そこで桜井さん、日本のおまじない、てるてる坊主作りです。
翌日、願いが叶いました。バラの谷に植えられているバラは「ロサ・ダマスケナ」といい、世界最高の香りを持つローズオイルが採れることで知られています。ローズオイルとローズウォーターを採るために植えられたその何万本ものバラを、すべて手で摘んで行くのです。バラは、日が昇るに従って花が開き、香りが外へ逃げてしまいます。上質なオイルを採るために、早朝のうちにすべてを摘んでしまわなくてはなりません。桜井さんも摘み方を教わって、おばあちゃんが歌う「バラ摘み歌」を聞きながらお手伝いです。およそ2時間かけてこの日の作業は終わり。収穫したバラの花は、すべて蒸留所に運びます。ここでローズオイルとローズウォーターが精製されるのですが、およそ120個の花から採れるオイルはわずか1滴。「ブルガリアの黄金」と讃えられたローズオイルは、バラの谷の人々の暮らしの結晶なのです。甘い香りを放って咲き誇るバラの谷。憧れの地に、桜井さんは何を思ったのでしょうか…?





ドライブガイド
7月19日放送分
 
ブルガリア田園紀行
〜美しき隠れ宿〜

「ヨーロッパの田舎」と称される国、ブルガリア。のんびりした旅が大好きだという桜井幸子さんが、バラとヨーグルトの国で、その知られざる暮らしに触れ、美しい田園風景を満喫します。目指すは、極上のひとときを過ごせるという美しき隠れ宿です。

<ソフィア>
苦難の歴史を歩んで来た国、ブルガリア。社会主義体制から19年前に民主化を果たし、首都ソフィアは年々活気を増しています。そのバザールを歩く桜井さん、色とりどりの焼き物を見つけました。ブルガリアの伝統的な焼き物「トロヤン焼」です。細かく美しい模様が入っているのですが、一体、どうやって作っているのでしょうか?
さらに、町なかを歩く桜井さんが見つけたのは、ヨーグルト専門のお店。早速本場の味、一番人気の自家製ヨーグルトを食べてみましょう。

<コプリフシティツァ>
首都ソフィアを出発、国道6号線を東へと走ります。その6号線から一本脇道に入ると、ブルガリアで最も美しいと言われる町、コプリフシティツァがあります。町を散策する桜井さんの目の前に現れたのは、何とも立派なお屋敷。2階部分が大きくせり出した、ユニークな造りです。というわけで、早速おじゃましてみた桜井さん、築200年のお宅を拝見です。外に突き出た部屋は、眺めも陽当たりも最高の、ご自慢の応接間。そして部屋には小さな窓が。「登ってみますか?」とのご主人のお誘いを受け、梯子を登った先にあったのは、小さな屋根裏部屋。実はここ、かつてトルコの支配を受けていた時代に横行していた襲撃や略奪から逃れるための隠れ部屋だったのです。静かで美しいこの町にも、ブルガリアの深い歴史が残されていました。

<トロヤン>
国道6号線を離れ、北上した桜井さんの車は、バルカン山脈の中へ。向かったのはトロヤン地方。ソフィアのバザールで見つけた、あの焼き物のふるさとです。桜井さんは、小さな工房を訪ねました。400年もの歴史を持つといわれるトロヤン焼の特徴は、カラフルで複雑な模様。模様を付けるのは、熟練の技が必要なのだそうです。見事な職人技を見せていただいた桜井さんも、早速挑戦!ですが…。

<ペイナ村>
バルカン山脈を越えると、車は国道4号線へ。向かったのは今晩の宿です。宿の周辺は、バルカン山脈越えの交通の要衝で、昔からの旅籠が点在しているのです。ペイナ村の世帯数は、わずかに6戸。桜井さんが今晩泊まるのは、そのうちの1軒です。140年ほど前に旅籠として建てられたという、ブルガリアならではの隠れ宿。部屋には歳月を重ね、暮らしを支えてきた古民具がたくさんありました。
ブルガリアといえば、ヨーグルト。宿のお母さんは、毎日自分でヨーグルトを作っているのだそうです。食卓には、ヨーグルトを使った料理の数々が並びます。桜井さんが勧められたのは、ヨーグルトドリンク。なんと、塩とこしょうを入れて飲むのだそうです。これがブルガリア流。
そして食後のおもてなし。桜井さんのために、ペイナ村6世帯のほとんどの住民が集まってくれました。ブルガリアの人たちは、皆歌と踊りが大好き。桜井さんも輪の中に入り、楽しいひとときを過ごしました。

桜井さんの旅はまだまだ続きます。目指すは、ブルガリアが世界に誇る、甘い香りの大地。その名は「バラの谷」です。





ドライブガイド
7月12日放送分
 
京は遠ても十八里
〜鯖街道を行く〜

その昔、若狭の小浜から京の都へ、一塩したサバを運んだ、通称「鯖街道」。そこにはいくつものルートがありますが、そのうちの最短ルートこそが、大八木淳史さんが挑んだ「針畑越え」。ただし、その道は命がけ…一方、朝加真由美さんは、かつて最も盛んに利用された「若狭街道」で京都を目指しています。京は遠ても十八里。2人の旅人がたどる、それぞれの鯖街道の旅の続きです。

<大八木さんの旅>
ガイドの飯高さんとともに、命がけで「針畑峠」を行く大八木さん。思わず飯高さんに「わざと険しい道を選んでませんか?」と聞いてしまうほどの厳しい道が続きます。針畑峠に残る「深道」は、人々の往来を物語るように深く掘れてしまっています。かつて鯖街道を歩いた人の汗がしみ込んだ道を、大八木さんはひたすら歩き続けます。
峠に入って4時間。お昼も取っていなかった大八木さんは、ここで一服。すると飯高さんがおにぎりをわけてくれました。おにぎりの中身は、「へしこ」。「へしこ」とは、サバを塩漬けにし、糠で発酵させた若狭地方の伝統食品。古来より、冬を越えるための保存食として重宝されてきました。一生懸命歩いた後に、峠で食べるへしこのおにぎりの味は格別。一休みしたら、また歩き始めましょう!
鯖街道最大の難所を行く大八木さん、すっかり声も出なくなり、腰もひざも笑ってしまっている状態。でも昔の人はこの道を、40キロものサバを担いで駆け下りたのです。…と、待ちに待った飯高さんの「もうすぐゴールですよ」の一言。全長およそ10キロ、6時間かけて、ようやく針畑峠を越えることができました。
峠の出口は、小入谷という集落。立派な茅葺き屋根の家は、ガイドの飯高さんのご自宅です。30年前にこの地に移り住んだという飯高さん、「不便な土地だけれども、環境や歴史の深さなど、ここにはこだわり続けるだけの魅力がある」と教えてくれました。

ようやく車に乗り込み、京都を目指す大八木さんの車がたどり着いたのは、鞍馬。洛北の深い山中に位置し、若狭と都を結ぶ物流の中継地として栄えた集落です。そして、鞍馬と言えば「天狗」。ここは牛若丸が天狗に兵法や剣術を習った場所として知られており、牛若丸にまつわる伝承も、数多く残されています。木の根道もその一つ。ここを軽々と走って越えることが修行なのです。「ラグビーのサイドステップのトレーニングに似ている」と大八木さんさん。現役時代「ラグビー界の弁慶」と呼ばれた大八木さんには、ちょっとキツかったみたいです…
この地で生まれた伝統の味が「木の芽煮」です。「木の芽煮」は山椒の実と葉を、昆布と一緒に醤油や砂糖で甘辛く炊き上げたもの。鞍馬寺の建立以来、各地から訪れる参拝客のお土産として珍重され、千年以上も受け継がれている味です。山椒のいい香りが漂う店内で、お店のお母さんに「温かいごはんと一緒に食べるのがおいしいんですよ」と、木の芽煮をご馳走してもらった大八木さん。お味はいかがでしょうか?

大八木さんの車は、いよいよ京都市内へ。賀茂川に架けられた一本の橋は「出雲路橋」。ここが「鯖街道針畑ルート」の終着点です!
出雲路橋を走り抜け。大八木さんが向かったのは、出町柳にほど近い大八木さんおなじみのお店、「創作和食KIHARA」さん。実はオーナーシェフの木原さんは、大八木さんの同志社大学ラグビー部時代の後輩です。「こだわりの料理を作って!」との大八木さんのお願い…必死の思いで食材を運んで来た先輩のお願いを聞かないわけにはいきません。木原さん、早速調理開始です!

<朝加さんの旅>
若狭街道を行く朝加さんは、朽木へ。情緒あふれるこの場所は、織田信長の朽木越えに際し、功績を上げた朽木氏が治めた宿場です。特徴は、直線と直角の往来。すると朝加さん、「百貨店」を見つけました。
「丸八百貨店」は、昭和初期の建物。国の登録有形文化財に指定され、現在は地元の婦人会が運営する喫茶店となっています。朝加さん、休憩がてらこの町の道の特徴について聞いてみました。直角に曲がった道は蔵の鍵に似ていることから「かい曲がり」と呼ばれ、敵の侵入を少しでも阻むためのものなのだそうです。これも、戦国時代の名残りです。

朝加さんは朽木から、かつて難所と言われた「花折峠」へ向かいます。峠の手前で車を降りた朝加さん。お目当ては「鯖ずし」です。「鯖ずし」は、京の町衆のご馳走として、祭りや晴れの日には欠かせない料理。「花折」さんでは、先人の知恵に学び、一塩したサバで鮮度を保ち、特製の米酢に2時間漬け込みます。鯖ずしは、1日寝かせてからいただくのが旨さを引き出す秘訣。朝加さん、鯖ずしのお味は…?
かつて若狭街道一の難所とされた花折峠。今はもう往来はありません。いにしえの難所も、現代は花折トンネルとなり、そこを抜けると京都・大原です。

大原を過ぎた朝加さんの車は八瀬へ。比叡山麓に広がる八瀬は、古来より天皇家と深い関わりのある里。ここには、壬申の乱の折り、大海人皇子(後の天武天皇)が背中に受けた矢の傷を窯風呂で癒したという伝承が残されています。土で固めた饅頭形の窯風呂。朝加さんも入ってみましょう。

窯風呂で旅の疲れを癒した朝加さん、いよいよ賀茂川と高野川が出会う、京都・出町柳に到着です。小浜から約72キロ。ここが、鯖街道のゴールです!
そして、向かった先は大八木さんが待つお店。

<大八木さん・朝加さん>
小浜から、それぞれのルートをたどり、京都で合流した大八木さんと朝加さん。さあ、2人の鯖街道走破を祝して、乾杯しましょう!大八木さんが運んだサバが、後輩・木原さんの手で、おいしそうなシメサバに。さらに、木原さんが腕をふるったたくさんの料理が並びます。
鯖街道。若狭と京を結ぶその道は、物流の道であり、歴史の道でもあります。最短ルート(ただし命がけ)で針畑越えをした大八木さんと、快適ドライブで若狭街道を走って来た朝加さん。2人がこの道に感じたこととは…?





ドライブガイド
7月5日放送分
 
京は遠ても十八里
〜鯖街道を行く〜

かつて、若狭で獲れたサバは、一昼夜のうちに京の都に運ばれました。一塩したサバは、京に着く頃には、ちょうど食べごろになっていたといいます。福井県・若狭から京都へ。いつの頃からか、人はその道を『鯖街道』と呼ぶようになりました。サバとドライブをこよなく愛する朝加真由美さんと、京都出身、サバとラグビーをこよなく愛する大八木淳史さん。2人の旅人が、それぞれのルートを走ります。その道に残されたものとは…

<大八木さんの旅>
大八木さんの旅は、福井県小浜市から始まります。おいしそうな魚介類がたくさん並ぶ早朝の市場。ここで若狭の新鮮な海の幸を手に入れ、京都を目指すのです。お目当てはもちろんサバ。しかし近年、若狭近海ではサバの漁獲量が減っており、今では若狭で獲れたサバは高級魚なのだそうです。「針畑越えのルートで京都に行こうと思う」と市場の人に言うと「あの道は何が出るかわからないよ!」と、すっかり脅されてしまった大八木さん。それでも、最短距離で京都に着くという「針畑越え」こそ、大八木さんのたどる道。とにかく、前進あるのみです!

針畑峠に向かった大八木さん。峠の入り口で、今回の旅の助っ人、ガイドの飯高さんが迎えてくれました。針畑峠に残る道を使えば、最も早く京都に着くのです。ところが、目の前に立ちはだかるのはものすごい坂道。「サバを担いでいるわけではないから大丈夫ですよ」と事も無げに言う飯高さんですが…どうする、大八木さん!!
…と、悩んでいるうちに食材を載せた車は峠の出口に先回りするために出発してしまいました。さあ、もう引き返せません。大八木さんも覚悟を決めて、いよいよ針畑越えに挑戦です。登り口付近は集落に近いため植林が進み、道も比較的平らなのですが、進むにつれて険しさを増すのが針畑の道。足場の悪い山道を、崖を滑り落ちそうになったり転んだりしながら、決死の覚悟で進みます。すると大八木さんの前に、その昔、弘法大師が一夜にして掘ったと伝えられる池ノ地蔵井戸が。今も涸れることのない、きれいで冷たい水で顔を洗ってリフレッシュ。でも大八木さん、ゴールはまだまだ先ですよ。
一息ついてまた歩き始めた大八木さん。足がすくむほどの急斜面など、悪戦苦闘の道のりは続きます。果たして、無事京都にたどり着くことはできるのでしょうか?

<朝加さんの旅>
朝加さんの旅は、福井県小浜市にあるいづみ町商店街から始まります。「朽木屋」さんは、江戸時代から続く焼きサバのお店。今でも、毎日100尾以上は焼いているそうです。12代目になるというご主人が、焼きたてのサバをご馳走してくれました。朝加さん、お味はいかがですか?

小浜を出発した朝加さんはかつて最も盛んに利用された「若狭街道」で、京都を目指します。
小浜を出て初めての宿場町が「熊川宿」。天正年間、豊臣秀吉が重用した浅野長政により宿場町とされた場所です。鯖街道の中継地として栄えた最盛期には、日に数百人もの商人や馬方が往来していたそうですが、今では、まるでタイムスリップしてしまったかのように、当時の面影を残す歴史的街道遺産になっています。
熊川宿の名産といえば、葛。豆科の植物、葛の根っこ「葛根」を砕いてさらし、作ったのが純白の葛粉です。「まる志ん」さんは葛菓子専門の甘味処。注文を聞いてから作るという葛は、歯ごたえ抜群。朝加さんは、涼しげな「くずきり」をいただきましたが、夏には葛まんじゅうもおすすめ。おいしいくずきりで旅の疲れを癒す朝加さん、建物の古さが気になっているようです。聞くと、何と170年も前に建てられ、今もそこに暮らしているのだとか。当たり前のように生活しながら文化財を守って行く暮らしが、熊川宿にはあるのです。

鯖街道が伝えたものは、サバだけではありませんでした。「てっせん踊り」は、江戸時代、京の公家の間で大流行した踊り。この踊りもまた、鯖街道を通じてこの地に伝わりました。京の都で流行った難しい謡曲が伝わったのも、鯖街道の往来が盛んであった証しなのです。
若狭街道を行く朝加さんの旅は、まだ道半ば。歴史と文化をつなぐ鯖街道の旅は、次週へと続きます。





ドライブガイド
6月28日放送分
 
新緑の三陸路
〜東山魁夷「道」が生まれた場所へ〜

20世紀を代表する日本画家、東山魁夷。彼の代表作と言われているのが、どこか抽象的であり、心象風景のようにも見える「道」です。今も多くの人を魅了し続けるこの絵が生まれた場所に立ちたい!俳優としてだけでなく、画家としても活躍する榎木孝明さんが、新緑の三陸路を旅します。その道の先に待っていたのは、豊かな三陸の海の幸。そして…

<浄土ヶ浜>
旅の出発点は、岩手県宮古市の浄土ヶ浜。三陸きっての景勝地で旅の意気込みを語っていただくつもりが、この日の天気は大荒れ。「晴れていれば、絵を描きたいところなんだけど…」などとのんびりしたことを言っていた榎木さんですが、折りからの暴風雨で傘が壊れてしまうというハプニングが!あえなく撮影は一時中断。…ですが、榎木さんにはとっておきの裏ワザがありました。それは「車の中で絵を描く」こと。榎木さんにとっては、雨もまた良し、だったようです。

<国道45号線>
三陸を縦断する国道45号線は、榎木さんにとって青春時代の思い出の道です。今から30年ほど前、大学生だった榎木さんは、ヒッチハイクで20日ほど東北を旅したそうです。そんな榎木さんが見つけたのが、道路沿いにあった屋根付きのバス停。一人旅でお金がなかった榎木さんが、野宿をする際にお世話になったのが屋根付きのバス停でした。榎木さん、懐かしいバス停の佇まいに、30年ほど前の記憶を鮮明に思い出されたようです。

<机浜漁港>
絶好のドライブ日和となった翌日、快調に車を走らせる榎木さんの目に留まったのは、机浜漁港に建ち並ぶ番屋群。番屋とは、漁師さんが漁具を収納したり、寝泊まりする施設のこと。近年後継者不足などで急速に姿を消しつつあり、今ではなかなか見ることができなくなった貴重な建物で、水産庁指定の「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」に選ばれています。寄り道して港に向かった榎木さん、出会った漁師さんに「せっかくなので、海に出てみたい」とお願いしたのですが、あいにく外海は大しけ。でも、せっかくここまで来たのだからと、漁師さんが港に保管していたホヤをごちそうしてくれることになりました。まさに今が旬のホヤ。新鮮なものは、お刺身でいただくのが一番!ということで、番屋の調理場で榎木さんもお手伝いです。さらに、三陸産のウニも。ボウルいっぱいのウニをどうするかと言えば、もちろん…そう、豪快にごはんにかけて、ウニ丼のできあがり!さあ、お味の方は?…おいしいに決まってますよね、榎木さん。

<北山崎>
三陸海岸は、複雑に入り組んだリアス式海岸です。中でも、美しく厳しい断崖が続く北山崎周辺には、海沿いを歩く遊歩道が整備されています。波打ち際を歩く榎木さん、洞窟のようなものを発見しました。「北山崎自然遊歩道」は、地元の人々の手で昭和40年に作られたトンネル。ひんやりした空気の中、わずかな明かりを頼りに長いトンネルを抜けると、そこには神々しいまでに輝く入り江が。その入り江は、トンネルがなければ船でしか来られない断崖に囲まれていました。

<東京国立近代美術館>
今回の旅を始める前に、榎木さんはある場所を訪ねていました。東京国立近代美術館。ここに、昭和を代表する日本画家・東山魁夷の代表作、「道」が展示されています。昭和25年に描かれた「道」に空間的、時間的な「道」を感じた榎木さんは、その絵が描かれた場所、青森県八戸市の、種差海岸を目指すのです。

<種差海岸>
種差海岸は、天然の芝が波打ち際まで広がっている美しい海岸。その不思議な光景は、多くの著名人を魅了して来ました。榎木さんも、そんな美しい光景に魅了された1人。ですが、この海岸には道らしき道がないのです。というわけで榎木さん、あの「道」を探して聞き込み開始。
目指す道はもう少し先…地元の方に教えてもらった場所を頼りに車を走らせていると、走る道がどれもあの「道」に見えてドキドキする、と榎木さん。何とその道を通り過ぎてしまいました!あわててUターンし、ようやく見つけたその「道」は、どこにでもありそうな、ごくありふれた道。榎木さんご自身が、ここをモデルに絵を描いて、と言われたら無理かもしれない、と語るほど、何の変哲もない道でした。東山魁夷が描きたかった「道」は、戦後日本の進む道であり、自分自身が歩む道の姿だったのかもしれません。「やっぱり彼は偉大な画家だ…」そうつぶやくと、榎木さんは絵を描き始めました。榎木さんの「道」の絵を。





ドライブガイド
6月21日放送分
 
伝説の男に逢いたい!
〜アメリカ西海岸1500キロ走破〜

「日本のテレビは、アメリカの映画やテレビに大きな影響を受けている」と語る井上順さん。子どもの頃見たアメリカの映画やテレビは、見終わった後温かい気持ちになるようなものだったと言います。それが、井上順さんにとっての愛すべきアメリカ。懐かしのドラマの主人公に出逢い、名作映画の撮影地を訪ね、伝説の番組のMCに会いにいく!広大なアメリカ大陸の西海岸、1500キロの道のりです。

<サンタ・ローザ>
1人の懐かしい少年に逢うために車を走らせる井上順さん。たどり着いたのは、全米に7カ所ある身体障害者用の擁護犬訓練施設。順さんが逢いたかったのは、ここでボランティアに励む俳優、ジョン・プロヴォストさんです。
「名犬ラッシー」は、農村を舞台に、賢いラッシーと飼い主家族との絆や冒険を描いた30分ドラマ。ジョンさんは、2代目の主人公、ティミー少年を演じ、全米で人気を博しました。「名犬ラッシー」出演当時、全米をプロモーションで回った時の子どもたちの笑顔が忘れられず、撮影のない時はこの擁護犬訓練施設でボランティアをしているのだそうです。

<ブラウンズビル>
順さんの車は、カリフォルニア州からオレゴン州へ。人口1500人ほどのこの街で撮影されたのが、名画「スタンド・バイ・ミー」です。
1986年公開の映画「スタンド・バイ・ミー」は、4人の少年たちの友情と冒険の物語を、オレゴン州の美しい風景の中でノスタルジックに描いた青春映画の傑作。
まずは、リン・カウンティー・ミュージアムへ。ここでは手作りのロケ地マップがもらえます。まさに、街全体がロケ地。映画の中で子どもたちの秘密基地として作られたツリーハウス。その場所も、そのまま残っています。

<コテッジグローブ>
順さんにとって、あの映画で印象深い場所、それはブラウンズビルから小一時間のところにある街はずれ。4人が小さな冒険に出発するシーンが撮影されたのが、モスビー・クリーク・ブリッジです。本来はハイキング道路のこの道に線路を敷き、撮影されたあのシーンは、今も鮮明に順さんの心に残っているようです。

<ポートランド>
オレゴン州最大の都市、ポートランド。順さんは、その街なかにあるという、ちょっとした名物の公園を探しています。道路の真ん中、中央分離帯にある「ミル・エンズ・パーク」は、直径わずか60センチ、ギネスブックにも認定された世界一小さな公園です。実は電灯を立てる予定だった場所に、電灯が立たなかったので、緑を植えて公園としたのだそうです。アメリカならではのユーモア、ですね。

<コロンビア川歴史旧街道>
ポートランドの東およそ26キロのところにある1本の道。この道は「オールアメリカンロード」と呼ばれ、アメリカにある99のナショナルシーニックバイウェイ、「景色の良い裏道」の中でも最も眺めが良いとされた27の道のうちの1つです。美しい緑の中、順さんはご機嫌です。

<シアトル>
いよいよアメリカ西海岸最北、ワシントン州へ。順さんは「伝説の男」に逢うため、一心に車を走らせます。
1960年代から70年代にかけて世界中で愛された番組「世界の料理ショー」。料理研究家のグラハム・カーが、軽快なトークとともに調理するという、現在の料理番組のスタイルを築いたのです。できあがった料理は、番組の最後に、スタジオ観覧者の1人が試食できるというのが恒例でした。順さんが逢いたかった「伝説の男」とは、「世界の料理ショー」のMC、グラハム・カーさん。

とても真面目なグラハムさんと、おもしろいことが大好きな、妻のトゥリーナさん。2人が一緒だったからこそ、世界中で愛される番組ができた、と語るグラハムさん。これからは、病気を患っているトゥリーナさんのために料理を作り、その食事療法を広めたい、というのが目標なのだそうです。
伝説の男、グラハムさんがキッチンに立ちました。そして、「ミニマックス」という、身体へのリスクを最小限に減らし、味わいを最大限に高めた、オリジナルの方法で、順さんとトゥリーナさんのために料理を作ってくれました。順さん、憧れの試食タイム。お味の方はいかがでしょうか? アメリカ西海岸、遥かなる1500キロの道。そこを走破した順さんが感じたこととは…?





ドライブガイド
6月14日放送分
 
絶景のカリフォルニア
〜究極のエコロジーロッジと神秘の森〜

団塊の世代が楽しむ「大人の旅」をしたい、という井上順さんが選んだのは、サンフランシスコから北へ約430キロのドライブ。その道の先には、至高のカリフォルニア・ワインと究極のエコロジーロッジ、そして、世界一の高さを誇る神秘の森が待っていました。

<サンフランシスコ>
サンフランシスコといえば、言わずと知れた「坂の街」。いたるところに先が見えないほどの急勾配の難所があります。「一度その坂道を走ってみたかった」という順さん、自ら運転する車でその坂を下ります。気分はスティーブ・マックイーン!なのですが…。
フェリー乗り場では、火曜と土曜にカリフォルニア周辺の農場が集まり、マーケットが開かれます。サンフランシスコでは「ロハス」という、体や地球環境を考え、消費や行動を選択していくというライフスタイルが定着しているのです。売られている野菜などはすべて無農薬の有機野菜。順さんは、お店の方とコミュニケーションしながら野菜やチーズを購入します。

<ナパバレー/ソノマバレー>
サンフランシスコから走ること1時間。ナパバレー、ソノマバレーは、ブドウ畑が広がるのどかな丘陵地帯です。ここはカリフォルニア・ワインの聖地。その歴史には、1人の日本人の活躍がありました。
それは、カリフォルニアの「ブドウ王」と讃えられた長澤鼎(かなえ)。1852年、鹿児島に生まれ、13歳の若さで欧米列強の文物を学べとの薩摩藩の命により、イギリスに渡りました。その後数奇な運命からアメリカへと流れ、カリフォルニアでブドウ栽培とワイン造りに成功。ソノマバレーに広大なワイナリーを築き上げました。その栄光の証が、かつて長澤さんが建てた円形納屋。それは朽ちながらも、当時の壮大な農場の面影を残しています。現在、長澤さんのワイナリーは分断され、引き継がれています。そのワイナリーから眺めるカリフォルニアの大地。順さんは、偉大な日本人の足跡に思いをはせます。

この地で、順さんがぜひ訪ねたかった場所、それがカリフォルニア・ワインの最高峰、「オーパス・ワン」です。まずはその畑へ。葉の数から実の数まで、全て調和を保って栽培されているブドウは、もちろんオーガニックです。
そして、オーパス・ワン自慢の地下セラーへ。およそ1000個ものフレンチオークで作られた樽が並ぶ風景はまさに壮観。壁に冷水を通し、室温、湿度などが厳重に保たれています。この樽でおよそ18ヶ月熟成された後、瓶詰めされ再び18ヶ月寝かせます。現在の飲み頃は2004年のもの。早速テイスティング!…と行きたいところですが、車で来ている順さんはぐっと我慢。このワインをとっておきの場所で味わうために、1本購入です。

<シーランチ>
走ることおよそ1時間、太平洋が見えてきました。その美しい海岸線の先に、とっておきのロッジが待っているのです。海へ突き出した断崖の上に建つ巨大な木造建築。週末の別荘として作られた「シーランチ・コンドミニアム」です。建築を担当したのはチャールズ・ムーア。後にアメリカ合衆国の建築最高顧問にまで登りつめ、「空間の魔術師」と呼ばれた彼は、年間を通して強風が吹きつける厳しい自然環境に耐え、雄大な自然の景観を損なわないようにと、この究極のエコロジーロッジを建てました。10戸ある住宅にはそれぞれオーナーがいて、使わない日には一般に貸し出しが行われています。部屋は全て木造、そしてこの建物の一番の特徴は、まるで大型スクリーンで映画を見ているような、窓からの眺めです。この部屋で順さんがやりたかったこと、それは「何もしないこと」。マーケットで買ったチーズなどをつまみながら、オーパス・ワンを飲み、目の前の景色に見入る。それは、大人のための極上の時間です。

<レッドウッド国立公園>
サンフランシスコから約430キロ。カリフォルニア州最北にある、レッドウッド国立・州立公園は、世界的にも珍しい、100メートル級の樹が生い茂る場所。1980年には、世界自然遺産に登録されています。やはり圧倒されるのは、その樹々の高さ。世界一高いと言われる樹の高さは116メートルにものぼり、樹齢は1000年以上だと言われます。しかし、レッドウッドの森の驚きは、その樹の高さだけではありません。樹が傷ついたり折れたりといったストレスを受けると、1つの根から新たな樹々が生え、より大きく成長していくのです。それこそが、レッドウッドの力強い生命力の証。その森の、天を突くほどの高さと、あきれるほどの生命力、そのすべての神秘に脱帽の順さん、レッドウッドの森に何を思ったのでしょうか?





ドライブガイド
6月7日放送分
 
アイルランド春紀行
〜絶海に浮かぶ世界遺産〜

アイルランド南西部。何人も寄せ付けない大西洋の荒波に囲まれながら、険しくそそり立つ絶海に浮かぶ修道院。古村比呂さんの旅の先に待っている風景です。北緯51度、西経10度。アイルランド南西部、大西洋の上。夢の場所への道のりは、およそ140キロ。さあ、出発しましょう。

<ディングル>
アイルランドで最も西にある、活気あふれる港町、ディングル。この街の人気者がイルカのフンギです。およそ25年前から、このディングル湾に棲みついており、とても人懐っこく、その姿を見せては観光客を楽しませてくれているのだとか。ディングル湾をめぐる船の受付には「フンギが見られなかったらお代はいりません」という看板も。古村さん、早速船に乗り込みます。さあ、フンギに会えるでしょうか?

およそ3マイル、4.8キロに及ぶインチの海岸は、遠浅の砂浜がどこまでも続きます。風と波が、その砂浜に描いた模様。それはまさに息を飲む美しさです。

<アイベラ半島>
ケリー周遊路は、アイベラ半島を1周する、全長およそ170キロの景勝道路。目指す世界遺産の島へ向かう船が出るという港町、ポートマギーに着きました。看板も何も出ていない、窓に貼られた張り紙1枚だけの建物が、島へと渡る船の事務所。早速島への船をお願いする古村さんですが、「海が荒れてるから今日はダメだよ」とつれない返事。「明日は行けるかも」という言葉を信じて、また明日チャレンジすることに…

島への上陸を一旦あきらめた古村さんは、ケリー周遊路を再びドライブ。先を急ぐことなく、ただただ美しい景色を楽しむのも、車の旅の醍醐味です。 ケリー周遊路きってのビューポイントが、その名も「レディース・ビュー」。かつてイギリスのヴィクトリア女王がここを訪れ、絶景を讃えたと言われる美しい眺めです。明日は島へ渡れるでしょうか…?

<スケリッグ・マイケル>
翌日。「今日も船が出なかったらどうしよう…」と、おそるおそる船着き場に行ってみた古村さんですが、「今日は船を出せるよ」というおじさんの返事に一安心。荒波に備えてカッパを着込み、出発します。スケリッグ・マイケルまでは、およそ12キロ。古村さんがここを訪れた日の海は、珍しいくらいに穏やかだったそうですが、それでもかなりの揺れ。古村さん、ぐったりです。

荒波に揺られること1時間、ようやく島に到着。絶海の孤島、世界遺産、スケリッグ・マイケルです。古村さんは、その頂上を目指して階段を上り始めました。断崖の急斜面に作られたこの階段は、頂上までおよそ2300段。作られたのは1000年以上も前のことなのだとか。一体誰が、何のために…?

「スケリッグ・マイケル」とは、「マイケルの岩」という意味です。そしてマイケルとは、大天使ミカエルのこと。ここは、キリスト教の修道院跡なのです。同じミカエルを祀るフランスの世界遺産、モン・サン・ミシェルに初めて礼拝堂が作られたのが8世紀。しかしスケリッグ・マイケルの修道院は、それよりも古い6世紀に建てられたものだと言われています。閉ざされた環境にあることが幸いし、石積みの建物は作られた当時の姿を、今でもほぼ原型のまま残しています。かつて修道士たちはこの地で瞑想にふけり、祈りを捧げたのです。あらゆるものから隔絶された、修行の場…。スケリッグ・マイケルでの修道士たちの生活は、未だそのほとんどが謎に包まれています。

古村さんは更に上へ。海抜およそ200メートル、スケリッグ・マイケルの頂上へと…。眼下に広がるのは、あの荒波が嘘のような穏やかな海。静寂に包まれた孤高の修道院で、古村さんは何を思ったのでしょうか…?



ドライブガイド
5月31日放送分
 
アイルランド春紀行
〜絶景のアラン諸島へ〜

アイルランド西部にある小さな島、アラン諸島は、アイルランドが生んだ偉大な贈り物「アランセーター」の故郷。編み物が趣味だという古村比呂さんは、家族のぬくもりと絆の象徴といわれるアランセーターを編んでみたい!と、アラン諸島を目指します。その夢の旅に待っていたのは、優しさと大らかさにあふれた暮らし、そして、息を飲む絶景でした。

<ダブリンから西へ>
アイルランドの首都・ダブリンは、人口110万を越す大都市。しかし、ひとたび西へと車を走らせると、荒涼たる大地が続きます。古村さん、シャベルのようなもので土を切り出している人を発見。この、一見レンガのようにも見える土の固まりの正体は、ピート(泥炭)。枯れた植物が完全に分解されることなく、長い年月をかけて堆積したものです。ピートを掘っていたジョーさんが、ご自宅でその使い方を教えてくれました。石炭のほとんど採れないアイルランドでは、ピートが貴重な燃料。およそ1ヶ月、天日でじっくり乾燥させ、暖炉に入れて使います。じんわりと優しい暖かさは、まさに大地が育んだぬくもりです。

<キルフェノーラ>
アイルランドの夜といえば、パブ!もちろんお目当ては、本場の黒ビールです。パブでは誰もが友達。ひとりビールを楽しむ古村さんを、地元のおじさんが「隣の小屋でセットダンスをやっているから、一緒に行かないかい?」と誘ってくれました。(半ば強引に)おじさんに連れ出された古村さん、隣の小屋に行ってみると、老若男女たくさんの人々が音楽に合わせて踊っています。これが「セットダンス」。独特の旋律に乗せて繰り出される、軽快なステップが特徴の、アイルランドの伝統的な社交ダンスです。上着を脱いで、やる気満々の古村さん。ダンス、というより振り回されている感じではありましたが…こうして、アイルランドの賑やかな夜は更けていったのでした。

<ゴールウェイ>
アイルランド第3の都市、ゴールウェイ。アイルランド西部の中心都市です。この街で、古村さんが真っ先に立ち寄ったのが毛糸屋さん。そう、憧れのアランセーター用の毛糸を探しているのです。

アランセーターは、編み目模様が多彩なことで世界的に知られています。その細かく複雑な編み目模様は、実に想像力に富んでいます。編む人によって模様の組み合わせも変わるため、かつては模様を見れば誰が編んだ物なのかわかったと言われているほど。そしてその複雑な模様は、かつては白いセーターにのみ付けるものだったのだそうです。それは、白いセーターが男性用の結婚式や堅信式の衣裳だったから。神聖な儀式だからこそ、こうした模様を施したのかも知れません。それでは、このセーターが生まれた島へと向かいましょう!

<アラン諸島>
アラン諸島へ渡るフェリーは、ゴールウェイからおよそ40キロ西にある、ロサヴィールという港から出ています。波に揺られること45分、ようやく島に到着です。アラン諸島は、イニシュモア、イニシュマン、イニシィアという3つの島からなっており、今回古村さんが訪れるのは、その中で最も大きな「イニシュモア」。それでも人口は千人に満たないという小さな島です。ここが、アランセーターの生まれた場所。

海岸沿いの道を歩いていると、海藻を採っている人を見つけました。アラン諸島では、ヨーロッパでは珍しく、昔から海藻を食べる習慣があるのだそうです。食用はもちろん、薬としても使われたそうですが、その他にも、非常に重要な役目があるのです。それは、肥料としての使い道。もともと石灰質の岩でできたアラン諸島の大地には、ほとんど土がありません。そこで、海から持って来た海藻と砂、砕いた岩で土を作り、ジャガイモなどの作物を作っていたのです。真っ平らな一枚岩でできたこの島には、風を遮るものがありません。土さえもない過酷な自然の中、それでも人は知恵と工夫と努力を糧に、この島で生きてきました。そして、アランセーターも生まれたのです。

古村さんは、アランセーターの編み方を習うため、一軒の民家を訪ねました。温かく迎えてくれたのはマギーさん。母親が編んでいる姿を見ながら育ち、5歳のときから編み棒を握って来たというマギーさんでも、アランセーターを編み上げるには数週間はかかるのだとか。初心者の古村さんには難しいので、今回はミトンに挑戦します。マギーさんの手ほどきを受けながら編み進めていく古村さん、なかなか順調な滑り出しのようにも見えますが、「マギーさんが編んでいるのを見て、自分の頭で感じて、理解するのが大変」と語るように、伝統の技は、とても難しいものです。完成させるには、あと2週間はかかりそう。続きは、帰って東京で編むことにしましょうか…

古村さんは、イニシュモアの最も神秘的な場所へと向かいます。この世の果てを思わせる、荘厳なる風景。ドゥーン・エンガスは、およそ90メートルの切り立つ断崖の上に作られた、古代の砦です。およそ2000年前に作られた軍事要塞だとも言われていますが、詳しいことはわかっていません。アイルランドの西の果て、大西洋に浮かぶアラン諸島。どんなに過酷な自然の中でも、人々はたくましく、力強く生きています。その神秘の島で、古村さんが感じたこととは…?



ドライブガイド
5月24日放送分
 
とっておきのデンマーク
〜世にも不思議な・・・!?〜

東経11度、北緯57度。デンマークの北に広がる、荒涼とした風景の中に待つ「とっておき」。今から40年前、玉川大学の学生として演劇と日本舞踊の海外公演旅行に参加した西岡コ馬さん。その時見ることができなかった世にも不思議なものを見るのが、今回の夢です。

<フュン島>
旅の出発点は、フォーボーの街。街を歩く西岡さんが見つけた1軒のパン屋さん。所狭しと並ぶパンの中で、西岡さんのお目当ては「デニッシュ」です。デニッシュとは英語で「デンマークの」という意味。つまり、ここが本場、ということです。さて、お味の方は…?

<ユトランド半島>
フォーボーの街から西へ。橋を渡ると、そこはユトランド半島です。今回西岡さんが走るのは、この半島を縦断するハイウェイ「E-45」。南はイタリアから続くこのフリーウェイで、「とっておき」が待つレーソ島を目指します。
西岡さんは、高速道路を降りてちょっと寄り道。デンマークならではの名所に向かいます。ユトランド半島のほぼ中央、小高い丘の上に建つ塔のような建物が、その「名所」。そこにはデンマーク語で「最高地点」の文字が。海抜は、なんと170.95mだそうです。西岡さん、塔を昇って「デンマーク最高地点」からの眺めを楽しみます。
フォーボーから340キロほど。オールボーは酒どころとして有名な街です。この街で、西岡さんがちょっと試してみたかったのが「命の水」という意味の「アクアビット」。じゃがいもで作った蒸留酒です。アルコール度数45度のアクアビットは、ビールをチェイサーとして飲むのが通。おつまみは、この店自慢の肉料理、素朴な「牛肉の煮込み」です。今日のドライブはここまで。おいしいお酒と料理で、旅の疲れを癒します。
翌日、西岡さんが向かったのは、デンマークの最北端、スケーエンの海岸。実はこの岬で、ちょっと変わった風景が見られるというのです。ここグレーネン岬は、カテガット海峡とスカゲラク海峡がひとつになる場所。左から来る波と右から来る波が岬の前でぶつかり、奇妙な光景を作り出します。
西岡さんは、フレデリクスハウンの港へ。カーフェリーに乗って、レーソ島を目指します。東の沖合に浮かぶレーソ島までは約30キロ、90分ほどの船旅です。

<レーソ島>
東京都の1.2倍ほどの面積を持ち、人口およそ2000人のレーソ島は、デンマークで最も人口密度が低い地域と言われています。島を東へと走る西岡さんは、ちょっと気になる建物を見つけました。それは、製塩所。レーソ島は中世から塩作りの盛んな場所として知られ、今も昔ながらの手作業で塩作りをしています。年間に100万トンほど生産しているという塩作りを見せてもらいます。もちろん味見も…。

いよいよ、今回の旅の「とっておき」を目指します。それは、左半分の屋根が藁葺き、右半分の屋根はまったく別の素材でできている不思議な家。
実は、右半分はなんと「海藻」。小麦が育たないやせた土地のレーソ島では、藁葺きに使う藁も採ることができませんでした。そこで、島の人々は「オールグラス」という海藻を集め、それを根気づよく編んで家の屋根に仕立てたのです。海藻の屋根は、資源に乏しいこの土地だからこそ、人々が生んだ知恵。実際にこの家に住むご夫婦のお話を伺います。レーソ島の海藻屋根の家は、年々減っています。屋根の手入れに必要な海藻が、ほとんど採れなくなってしまったからです。現在この島に残る海藻屋根の家は、わずか20軒ほど。大切な伝統の海藻屋根を残そうと、島をあげての保存活動に取り組んでいます。

長かった旅の終わり、西岡さんはレーソ島に沈む夕陽を見に行きます。西の空には、沈む太陽。東の空には、昇る月。これもまた、「とっておき」の絶景でした。



ドライブガイド
5月17日放送分
 
デンマークの春
〜アンデルセンの故郷へ〜

1968年。当時21歳だった西岡コ馬さんは、玉川大学の学生として演劇と日本舞踊の海外公演旅行に参加しました。生まれて初めて旅した海外の国、デンマーク。西岡コ馬さんの、若き日の青春の旅路をたどる旅路は、春を迎えたデンマークの知られざる魅力にも出会える道でした。

<シェラン島>
デンマークの首都、コペンハーゲン。ここを訪れた誰もが見に行くもの、それが街はずれの海岸にある、おなじみ「人魚姫像」です。実は40年前、西岡さんは何を思ったかこの人魚姫の裏側に回って写真を撮ろうとし、海に落ちてしまったんだとか。当時の公演についてまとめた旅行記にも「西岡クンはその誘惑に耐えられず、海中に足をふみはずしてズブヌレとなった」との記述が…40年前の西岡さんと同じことを考える人は、今も後を断たないようです。皆さん、海に落ちないようにくれぐれもご注意を。

コペンハーゲン郊外、ここに西岡さんが忘れることのできない絶景があります。それは、40年前に宿泊したユースホステル。かつて泊まった部屋はすっかり新しくなっていましたが、西岡さんの心に深く刻まれた、今も忘れることのできない美しい風景は変わらずそこにありました。
コペンハーゲンから北へ50キロほど。スウェーデンとデンマークを隔てる海峡に臨む堅牢な城が、クロンボー城です。16世紀の北欧ルネサンスを象徴するこの城は、2000年、世界遺産に登録されました。またここは、シェイクスピアの戯曲「ハムレット」の舞台としても有名な場所。シェイクスピアは、12世紀に書かれたデンマークの歴史書にある逸話をもとに、あの名作を書き上げました。役者として幾度もハムレットの舞台を経験している西岡さんですが、実はクロンボー城も大切な思い出の場所。かつて仲間とここを訪れ、写真を撮った場所があるのです。どうしてもそこに行ってみたい西岡さん、クロンボー城の案内人に自ら交渉。さて、願いは叶うでしょうか…?

<フュン島>
首都コペンハーゲンがあるシェラン島と、対岸のフュン島を結ぶグレートベルト大橋は、全長18キロに及ぶ壮麗なる橋です。完成したのは1998年。西岡さんがこの地を訪れた時代は、2つの島を結ぶフェリーが唯一の交通手段でした。その橋を、夕陽に向かってドライブです。

フュン島の中心都市がオーデンセ。およそ18万人が暮らす、デンマーク第三の都市です。そしてここがアンデルセンの故郷。路地の一角には、彼の生家が今も遺されています。オーデンセの貧しい靴職人の家に生まれたアンデルセンは、後年童話作家として大成功をおさめました。アンデルセン博物館には彼の遺品や、世界中の子どもたちのために翻訳されたたくさんの本が並んでいます。

アンデルセン博物館からすぐのところにあるオーデンセ劇場。20世紀初頭に建てられた歴史ある劇場です。40年前の4月、西岡さんは玉川大学演劇舞踊団の一員として、その舞台に立ちました。40年の歳月を越え、西岡さんは再び思い出の舞台へ。自らの役者人生の原点に立ち返った西岡さん、その胸に去来する思いとは…?


ドライブガイド
5月10日放送分
 
驚きのコスタリカ
〜神秘の熱帯雲霧林〜

中米の楽園と呼ばれるコスタリカ。四国と九州を足したほどの小さな国ですが、そこには驚くほど豊かな自然が広がっています。地球上のおよそ5%が、ここコスタリカに棲んでいると言われているのです。麻生祐未さんの夢は、そんな熱帯雲霧林を「飛ぶ」こと、なのですが…

<サラピキ地方>
首都サン・ホセから走ること約3時間。サラピキ一帯は、熱帯雨林に覆われています。多様な生物たちが暮らす命の森、ティリンビナ熱帯雨林保護区をトレッキングです。ガイドさんと一緒に吊り橋を渡ると、もうそこは熱帯雨林のジャングルの中。ここでは、一つの場所で養分を吸収したらその根を枯らし、新たな根を別の場所へと伸ばして徐々に移動していく「ウォーキングツリー」や、切り取った葉を巣に持ち帰り、それを発酵させて幼虫のエサとなるキノコを栽培する「ハキリアリ」、世界で唯一の白いコウモリ「シロヘラコウモリ」など、熱帯雨林独特の、すごい能力を持った動植物を見ることができるのです。
麻生さんのその日の宿は、熱帯雨林に囲まれたホテル。動物たちの様々な鳴き声を聞きながらハンモックに揺られます。

<ニコヤ半島>
テンピスケ川河口に広がる大湿地帯、パロ・ベルデ国立公園。ここのエコツアーは船でまわるのです。岸辺で悠然と休むワニやホエザル、イグアナ、そして水の上を走ることができるバシリスクなど、実にユニークな生き物たちが平和な暮らしを営んでいます。

<モンテベルデ>
湿気を多く含んだカリブ海からの空気が、標高1300mのこの地に雲、霧、雨となって降り注ぎ、独特な森林地帯を形成した、モンテベルデの熱帯雲霧林。そこは、高い木々の葉が広がる熱帯雲霧林で、日光を吸収するために背の高い植物に付着する「着生植物」、まるで猿のしっぽのような植物「モンキーテイル」などが多数棲息する、智恵にあふれた森です。 麻生さんの夢は、この森を「飛ぶ」こと。それは「森のタクシー」とも呼ばれ、もともとはレンジャーや研究者たちの移動手段だったカノピー。ジャングルの上空をワイヤーにぶら下がり、猛スピードで移動するのです。麻生さん、「夢」の感想は…?
この森には、世界一美しいと言われる鳥が棲んでいます。それは、幻の鳥「ケツァール」。ケツァールは毎日同じ木にやってくるというので、そのポイントをくまなく巡りますが、見つけるのは熟練の技。実に鮮やかな緑色をしたこの鳥は、古代マヤ文明では神の鳥として崇められ、手塚治虫の「火の鳥」のモデルになったとも言われています。麻生さん、幻の鳥を見つけることができるでしょうか?
最後に麻生さんが向かったのは、地球上で最も珍しい場所。それは、南北アメリカ大陸のほぼ中間点にあるコスタリカならではの絶景ポイントです。標高3432mの「イラス火山」がその奇跡の場所。西の太平洋までおよそ80km、東の大西洋までおよそ50km。ここは2つの海を肉眼で望むことができる世界で唯一の場所なのです。残念ながら、2つの海を見ることができるのは年に数回ほど。麻生さんが訪れた日は雲の海でした。そして目の前には噴煙を上げる火山が。
悠々と生きる山、懸命に生きる森。驚きのコスタリカを満喫した麻生さんは、その大自然を前に何を思ったのでしょうか?



ドライブガイド
5月3日放送分
 
魅惑のコスタリカ
〜パン・アメリカン・ハイウェイを行く〜

「豊かな海岸」という意味のコスタリカ。麻生祐未が、多様な自然が残る中米のコスタリカを旅する。コーヒー園でコーヒーブレイクを楽しんだり、サバネロの牧場を訪問する。

<サン・ホセ>
コスタリカの首都、サン・ホセ。その中心に建つ国立劇場は、19世紀末にヨーロッパから一流の技師を招き、パリのオペラ座を模して造られました。座席数1000席ほどの小さな劇場ですが、その造りは豪華絢爛そのもの。この国立劇場は、コスタリカの文化的シンボルとして今も人々に愛され、彼らの誇りでもあるのです。「コスタリカで革命が起きないのは、この国立劇場の窓を割りたくないからだ」と言われるほどに。

<エレディア>
麻生さんがコスタリカを訪れた3月中旬は、イースターの真っ最中。イースターはスペイン語で「セマナ・サンタ」。そのメインイベントが、キリストの受難と復活を再現するパレード、プロセシオンです。通常はキリストやマリアの人形などを乗せて廻るそうですが、エレディアでは、見ている人にわかりやすいようにと、役者たちがそれぞれの役割を演じるのが伝統。プロセシオンは、ローマにあるバチカン公認で、毎年1万人以上の人がつめかける盛大なパレードなのです。

<サン・ホセ近郊>
サン・ホセ近郊は、標高1000mを越える高原地帯。そこに広がっているのが、一面のコーヒー畑です。世界的に有名なコスタリカのコーヒーは、ちょっと酸味があるのが特徴。麻生さん、車を止めて極上の一杯をいただきます。

<カルタゴ>
コスタリカ最古の街、カルタゴ。この街のシンボルが、1926年に建てられたロス・アンヘレス大聖堂です。ビザンチン様式のこの教会には、コスタリカの聖母といわれる黒いマリア像が祀られており、中米各地からたくさんの人々が巡礼に訪れます。訪れた人々は膝をついて祭壇まで進んでいきます。それは、入り口から祭壇まで膝をついて参拝すると願いが叶うと言われているため。麻生さんも膝をついてお祈りを…何をお願いしたかは秘密、だそうです。

<グアナカステ地方>
熱帯乾燥地林が広がる、牧畜がさかんな土地。グアナカステでは、牧場で働く男たちは「サバネロ」と呼ばれます。サバネロとは、「草原の男」という意味。グアナカステ地方の伝統で、女性に愛を告白する際はギターの伴奏とともに歌でその思いを伝えるのだそうです。麻生さんは、サバネロたちが愛を告白した時のエピソードと共に、その「愛の歌」を聞かせてもらいます。 さらに麻生さんはサバネロのお宅を訪ねます。この辺りでは、今でも肉やビスケットを薪で焼くのだとか。その大切なかまどを見せてもらい、かまどで焼いたチーズビスケットをごちそうになります。さてそのお味は…?



ドライブガイド
4月26日放送分
 
バレンシア火祭り
〜一夜の夢物語〜

いしださんがスペインに来た一番の目的、それは巨大な人形を次々と燃やしていく「ファージャス」。世界的に有名な、スペインの3大祭りのひとつ、バレンシアの火祭りです。20年前に映画の撮影でこの地を訪れたいしださん、当時は楽しむことのできなかった火祭りの素晴らしさを感じたい、それが20年来の夢です。

<バレンシアへ向かう道のり>
バルセロナを出発し、高速道路を走ることおよそ1時間。いしださんはパーキングで車を止めました。何と、そこから歩いて世界遺産を見に行くことができるのです。車を降りて、わずか2分。およそ2千年前、ローマ帝国時代に造られた水道橋(すいどうきょう)です。かつて水が流れていたところを、歩いて渡ることができるのです。最も高い所で27m。いしださんは、臆することなく歩いていきます。 スペインののどかな田舎道の途中。景色につられて寄り道がてらに走っていたいしださんの車の前に横たわる穏やかで美しい川。でも、橋が見当たりません。すると…カーフェリーが待っていました。車1台でおよそ400円。3台まで載せることができるのだそうです。ゆっくりと、川の流れを利用して動く船は、川幅およそ150mを、ゆったりと、5分ほどで対岸に渡ります。

<ペニスコラ>
空と海の青を横目にしながらのドライブ。見えて来たのは、海に突き出た岩山に築かれた古い城、ペニスコラ城です。14世紀頃に地元の騎士団が築いたものですが、何と言っても素晴らしいのは見晴らし台からの眺め。紺碧の海が広がります。 そしてもう一つの贅沢が、この季節だからこそ味わえる、スペインの美味。ウナギの稚魚を使った料理だというのですが、1人前約2万円ととても高価…いしださん、ドキドキしながら注文です。それもそのはず、ウナギの稚魚は、1年のうち3ヶ月ほどしか食べることのできない貴重な食材。シンプルに、にんにく、鷹の爪と共にオリーブオイルで炒めます。さて、ウナギの稚魚、いかがでしょうか?

<バレンシア>
スペイン第三の都市、バレンシア。ここで行われるのが、毎年100万人もの観光客が集まると言われる「ファージャス」、火祭りです。その起源はおよそ200年前。聖人ホセの祭りの中で、古い材木を燃やしたり、社会を風刺した人形を外に吊るしたりしたことによります。20世紀後半には人形が大規模になり、ヨーロッパ有数の盛大な祭典へと発展していきました。通りのあちこちに立つ大小600もの巨大な人形は、おもにポリウレタン製で、近隣の町がそれぞれ人形師に発注し、1年かけて作られます。それが祭りの最後の夜にすべて燃やされるのです。
祭りの最終日、人々の熱気は最高潮に。クライマックスが近づくと、人々は思い思いの人形の前でその時を待ちます。一旦火がつくと、後はもう身動きが取れないからです。午前1時、人形に点火するのはこの人形を作った地区でミス・ファージャに選ばれた女性です。いよいよ、すべては炎の中へ。紅蓮の炎が人形たちを燃やします。バレンシアの火祭り、スペインの春、一夜の夢物語です。20年来の夢が叶ったいしださん、燃えさかる火に何を思ったのでしょうか?



ドライブガイド
4月19日放送分
 
カタルーニャ
〜2つの聖地へ〜

20年前にバレンシアの火祭りで映画の撮影を行ったいしださん。その時は時間が短く、スペインを楽しむことができなかったと言います。この地を再び訪れ、もう一度火祭りの素晴らしさを感じたい、それがいしださんの夢です。

<モンセラット>
バルセロナから北西へ約40分。かつてヨーロッパ中を旅した文豪ゲーテが「魔の山」と呼んだカタルーニャの聖地、モンセラット。スペイン語で「のこぎり山」という意味を持つモンセラットは、特異な地形のため、古くから修道僧たちの信仰の場となってきました。その中心が、11世紀に建てられたモンセラット修道院。過去の幾度もの弾圧にも屈せず、カタルーニャの人々の心の拠り所ともなってきました。そこには、人々の厚い信仰を受けている伝説の像、聖人ルカが彫ったとされる黒いマリア像があり、13世紀に誕生したという、ヨーロッパ最古の歴史を持つ少年聖歌隊の天使の歌声を聞くことができます。

<ヴァール>
モンセラットから南西へ40キロ。ここは、あるスペイン料理発祥の地です。いしださん、早速レストランでその料理を注文。するとお店の方から「焼いているところをご覧になりますか?」とうれしいお誘い。店の裏手に案内されると、そこで焼かれていたのは泥が付いたままのネギ。丸ごと焼くのは、水分と旨味を外に逃がさないためなのだそうです。このネギを使った料理とは…何と、丸焦げのネギ、そのまま。繊維の柔らかい中身だけを、トマトとアーモンドをベースにしたソースでいただきます。これがカタルーニャ名物「カルソッツ」。お味の方はいかがでしょうか?

<タラゴナ>
地中海貿易の港町として発展し、イベリア半島随一の繁栄を誇ったタラゴナ。その町の広場で行われていたのは、カタルーニャの民族舞踊で、千年以上の歴史を持つサルダーナ。知らないもの同士も自由に手を取り、いくつもの輪を作って行きます。いしださん、うまく輪の中に入ることができるでしょうか?

<モンフェリ>
モンフェリの小高い丘の上に建つ美しい教会、ここがいしださんの夢の場所です。モンセラット教会は、カタルーニャの聖地・モンセラットがモチーフとなっています。設計したのはジュゼップ・マリア・ジュジョール。かのガウディの右腕として活躍し、サグラダ・ファミリア等の建設にも関わった知られざる天才建築家です。1925年に着工されたモンセラット教会は、折からの資金難とスペイン内戦のために中断。ジュジョールは失意のうちに世を去り、教会は野ざらしのまま残されました。しかし半世紀以上の時が過ぎて、村人らの願いで工事が再開、14年かけて完成したのです。1人の天才建築家の夢は、村を愛する人々の手によって受け継がれました。モンフェリもまた、ささやかな永遠の聖地なのです。



ドライブガイド
4月12日放送分
 
フロリダ
〜US−1を走る!〜

海の上を走る、アメリカ国道1号線(US−1)。「Over Seas Highway」と呼ばれるこの道は、50もの島々を42の橋で結び、およそ240kmに渡ります。「世界で一番美しいハイウェイ」と呼ばれるこの道を走るのが、大友さんの長年の夢でした。

<マイアミ>
「ロバート・イズ・ヒア」は、新鮮なトロピカルフルーツを扱うお店。ここでしか味わうことのできない、フロリダ原産のフルーツがあります。ご主人のロバートさんは大友さんを店の裏手の果樹園へ。そこには、かつてフロリダの名産だった「キーライム」の木がありました。キーライムとは、南フロリダ原産のライム。10年前にキーライムの木に病気がはやり、州の条例により、ほとんどのキーライムの木を抜かなければならなくなったのです。ここにあるのがフロリダで処分を免れた唯一の木。ロバートさんは、「キーウエストまで行く」という大友さんのために、その木に実った貴重なキーライムを使って、名物のシェイクを作ってくれました。 「ロバート・イズ・ヒア」のほど近く、US−1沿いにお城があります。その名も、「コーラル・キャッスル」。その名の通り、素材は全部サンゴ。城の持ち主エドは、1923年から28年もの歳月をかけ、結婚間際に別れた恋人が戻ってくることを願い、この城をたった1人で作り上げたのです。

<フロリダキーズ>
道はいよいよ海の上へ。「キー」とは、「珊瑚礁でできた島」のことです。世界一美しいと讃えられるその道は、いくつもの島を越え、いくつもの町を過ぎて行きます。 マイアミから走ること3時間、ベイカーキーのマラソンは、オーバーシーズハイウェイの、ほぼ真ん中に位置する街。「ハービーズ」は、オーバーシーズハイウェイを行く旅人に愛され続けるお店です。その理由は、この店の名物料理にあります。コンク貝を使ったフロリダキー名物のコンクチャウダー。さて、そのお味は…? いよいよこの道のハイライト、「セブンマイルブリッジ」へ。コバルトブルーの海の中を、およそ7マイル続く「夢の架け橋」です。大友さんは、お気に入りの音楽とともにドライブ。セブンマイルブリッジを超えたら、キーウエストまでは、あと80kmほどです。 大友さん、いよいよフロリダキーズの最西端、キーウエストへ。アメリカ本土最南端の碑が建ち、観光客の絶えない南の楽園。ここが、US−1の終点であり、始点なのです。 このキーウエストを愛したのが、文豪、アーネスト・ヘミングウェイ。彼が1931年から8年間家族と共に暮らした家が一般公開されています。庭やベランダには、彼が飼っていた猫たちの子孫、およそ60匹がのんびりと過ごしていました。書斎にはヘミングウェイが使っていたタイプライターや椅子、彼が集めた思い出の品々が当時のままに残されており、この書斎で、「キリマンジャロの雪」や「誰がために鐘は鳴る」などといった有名な作品の多くを執筆したのだそうです。 旅の最後、大友さんは、ヘミングウェイも愛した夕陽を見るために海へと出ました。大友康平、52歳。その夕陽を前に、考えたこととは・・・。



ドライブガイド
4月5日放送分
 
憧れのフロリダ
〜太陽と友情と世界遺産〜

アメリカ大陸南東端に位置するフロリダ。そこは「Sunshine State」…太陽がきらめく州と呼ばれています。レコーディングでニューヨークやロサンゼルスを何度も訪れている大友さんですが、フロリダは初めての土地。夢は、サンシャイン・ステートの、でっかい夕陽を見ることです。

<タンパ>
大友さんが真っ先に寄りたかった町、フロリダ西海岸の真ん中に位置するタンパは、全米で7番目に大きな港湾都市。メジャーリーグの名門、ニューヨーク・ヤンキースのキャンプ地として有名です。大友さんがフロリダを旅したのは3月初旬。月末に控えた開幕に向け、調整が進みます。 大友さんのお目当ては…松井秀喜選手!2人は、かつて松井選手の応援歌を手がけたこともあるほどの間柄。久しぶりの再会に会話も弾みます。今シーズンの松井選手の活躍を祈って…

<マイアミ>
タンパから車で4時間。アメリカ最南端の大都市マイアミは、億万長者たちの別荘地として選ばれる常夏の楽園です。大友さんは、20世紀初頭、大富豪ジェームス・ディアリングが建てた別荘を訪れます。かつて家主のディアリング氏が魅せられたというイタリアのルネサンス風建築。家具や調度品もすべてヨーロッパ装飾でまとめられています。アメリカの個人住宅としては、最大の規模を誇ると讃えられた豪華さのこの邸宅は、現在は歴史博物館として一般に公開されています。 リトルハバナは、1960年代から、カストロ政権の誕生とともにマイアミへ移住して来たキューバ人が作り上げたコミュニティ。すっかりリトルハバナの雰囲気に溶け込んでいる大友さんは、一軒のレストランへ。ところが、そこで出て来たメニューが読めない!…それもそのはず、キューバからの移民が多いこの街で使われるのはスペイン語。英語はほとんど通じません。大友さん、読めないながらも何とかオーダー。さて、何が出てくるのでしょうか? 大都市マイアミから走ることおよそ90分、大友さんの目の前に広がっているのは、フロリダ半島の南端に広がる大湿原、エバーグレーズ国立公園です。面積はおよそ6000?、東京23区の3倍ほどの大きさです。1979年、ユネスコの世界自然遺産にも登録されており、熱帯から亜熱帯にかけての多種多様な動植物、生態系が保たれた、世界的にも貴重な地域です。この広大な湿原に出る特別な方法、それはエアボート。水深が浅く、水草が多い湿原では、水面下にスクリューを持つボートは使用できません。そのため、風力で進むボートが必要なのです。大友さんは、ベテランガイド・ジェシーの運転で湿原へ。 エバーグレーズの生態系は、水に依存する脆弱なもの。近年の異常気象、水質汚染などにより、湿原の面積は減少しています。この環境を守ることも壊すことも、人間の手に委ねられているのです。 いよいよ、大友さんが待ち焦がれていた時間がやってきました。エバーグレーズに沈むでっかいでっかい夕陽。大友さんは、その夕陽に何を思ったのでしょうか?



ドライブガイド
3月29日放送分
 
フランスの小さな村巡り
〜テーブルウェアを探して〜

「もっとディープなフランスを知りたい!」そんな生田さんを誘うのは、「フランスの最も美しい村」という1冊のガイドブック。この本に紹介 された小さな村を巡って、大好きなテーブルウェアを揃えることが生田さんの夢です。

<トゥールーズ>
南西フランスの中心都市トゥールーズ。美しいレンガの建物が並ぶこの街が、旅の出発点です。ヨーロッパを旅する時の楽しみのひとつが蚤の市。 生田さんも蚤の市へ。早速、かわいらしいお皿をお買い上げです。

<ロカマドゥール>
トゥールーズを出発して約3時間、辺りはすっかり暗くなってきました。闇夜の中、幻想的に浮かんでいたのはロカマドゥール。アルズー渓谷の 切り立った断崖にひっそりと築かれた、人口600人ほどの小さな村です。翌日、生田さんは村の中へ。 ロカマドゥールは、キリスト教の巡礼地です。巡礼が始まったのは12世紀のこと。その後、度重なる宗教動乱により村は荒廃してしまい、現存 する建物のほとんどは19世紀に入って修復されたものだと言われています。そんな中、奇跡的に残ったのが「ノートルダム礼拝堂」。巡礼者た ちが目指すのは、数々の奇跡を起こしたと伝えられる黒いマリア像が祀られたこの礼拝堂です。 荘厳で静謐な美しいロカマドゥールでさえ、「フランスの最も美しい村」の本には載っていません。生田さん、次なる「美しい村」を目指します。

<カルダイヤック>
ロカマドゥールから約1時間。「フランスの最も美しい村」に載っているカルダイヤックは、人口500人ほどの小さな村。生田さん、小さな村 の小さな古道具屋さんへ。店内には、生活雑器が所狭しと並べられています。テーブルウェアを選ぶ生田さんの目は真剣そのもの。お気に入りの ものは見つかったのでしょうか?

<コンク>
ここもまた、「フランスの最も美しい村」の一つになっている巡礼地コンク。人口300人ほどの、本当に小さな小さな村です。そこはまさに童 話の世界。 コンクの村の中心に建つ「サント・フォア教会」。12世紀に建てられた美しいこの教会には、見事な「タンパン」があります。「タンパン」と は、教会の扉の上部に彫られた彫刻のこと。テーマは「最後の審判」。真ん中のキリストを挟んで、向かって左が天国、右が地獄を表しています。



ドライブガイド
3月22日放送分
 
美しきシャトー巡り
〜フランス・ロワール川紀行〜

フランスで最も長いロワール川。その中流から下流にかけて広がるロワール渓谷は、2000年、世界文化遺産に登録されました。「フランスの庭」と謳われる美しいロワール川流域には、中世より数多くの城郭が築かれてきました。そこが、生田さんがずっと行きたいと願っていた夢の場所です。

<シャンボール城>
オルレアンから車でおよそ1時間半。ロワール渓谷に点在する古城の中でも、桁外れの規模を誇るシャンボール城は、1519年、フランス国王フランソワ1世の狩猟用の離宮として建設されました。その大きさは、幅165m、高さ56m、奥行き117mにも及びます。城の中央部分にそびえる大きな螺旋階段は、かのレオナルド・ダ・ヴィンチが設計に関わっていると言われています。他に類を見ない建物を望んだフランソワ1世ならではの、ため息が出るようなお城です。

<洞窟住居>
軟らかい石灰質であるロワール川流域の土壌は、古くから城や邸宅の建設に使われて来ました。そのような採石場にできた洞窟を、住居として利用している場所があります。12年前、廃墟となっていた洞窟の家を買い、リフォームされたというジャン・ジャック・ラテさんのお宅を案内していただくと、なんとそこには洞窟を利用したワイン貯蔵庫が。本業はレーサーであるというラテさんが、副業で作っているというワインをごちそうになり、思いがけないひとときを過ごしました。


<シュノンソー城>
16世紀に創建されたシュノンソー城は、19世紀まで代々の城主が女性であったため、「6人の女の城」と呼ばれています。ロワール川の支流、シェール川に、まるで橋のように建てられたシュノンソー城は、場所を変えて見ると様々な姿を楽しむことができます。さて、生田さんのお気に入りのアングルは?


<ブリサック城>
「ロワールの巨人」の異名を取る7階建てのシャトーホテル。500年もの間、ブリサック家に受け継がれて来たお城です。部屋数は大小合わせて約200。そのうちたった4部屋だけが宿泊できるようになっています。生田さん、早速お部屋へ。城の中でも一番小さな部屋だということですが、今でもまるで王様が住んでいるかのような豪華なお部屋にびっくり。その夜は、城主であるブリサック夫妻にプライベートディナーにご招待いただきました。親から子へ、連綿と受け継がれる歴史の重みを感じたシャトーホテルの夜でした。
翌朝、朝食を終えた生田さんは、馬車に揺られていました。長年の夢を叶えた生田さんが感じたこととは…?



ドライブガイド
3月15日放送分
 
絶景ニュージーランド
〜洞窟で星空を?!〜

色とりどりの水の風景と、圧倒的な大自然。驚きに満ちたニュージーランドで羽田さんが叶えたい夢、それは満天の星空を見ること。ところが、それはただの星空ではありません。洞窟の中で見える星空だったのです。

<タウポ>
ニュージーランド最大の湖「タウポ湖」から流れ出る唯一の川が、ニュージーランド最長の「ワイカト川」です。全長425㎞ に達するこの川を下ったところにあるのが、毎秒22万リットルもの水が落ちるという「フカフォール」。羽田さんが思わず声を上げてしまうほど美しいこの滝の秘密は、流れ落ちる直前で急激に狭くなる川幅と、空気を多く含んだ水にありました。
羽田さんが、ニュージーランドでぜひ体験したかったこと、それが釣り。「釣り人の憧れの地」と言われる場所で、初めてのフライフィッシングです。この辺りでよく釣れるのがニジマス。さて、釣果はいかに?

<トンガリロ国立公園>
ニュージーランドの北島を縦断する国道1号線。その車窓に現れたのが、3つの火山が連なるトンガリロ国立公園です。ここは、古くからマオリが聖地として崇めてきた場所でもあります。その文化的意義と景観の美しさから、1993年、世界複合遺産に登録されました。
聖なる山々を望む「シャトー・トンガリロ」は、1928年創業。トンガリロ山を歩く「トンガリロ・クロッシング」の為に訪れる旅人たちに人気の老舗ホテルです。地のものをふんだんに使ったおいしい料理と、ニュージーランド特産のワインで、ちょっと贅沢な一夜を過ごします。

<ワイトモ>
トンガリロ国立公園から約150㎞ 、ワイトモは、牧草地が広がるのどかな町。その大地の下には、何百もの洞窟が存在しています。そしてそこには、世にも不思議な世界が広がっているのです。もともとマオリの聖地であったルアクリ洞窟は、かつてマオリの人々しか入ることの許されなかった場所。長い螺旋階段を降り、たどりついた場所で、ガイドさんの言う通りライトを消してみると・・・そこに現れたのは満天の星空。天井に輝く無数の青白い光、その正体は「ツチボタル」。蚊のような羽虫の幼虫であるツチボタルは、体から粘着性のある糸を出し、洞窟の天井からぶら下げ、お尻のあたりから青い光を発して、エサとなる小さな虫をおびき寄せているのです。

大自然の力強さと、不思議に満ちた島、ニュージーランド。その道を辿った羽田さんが感じたこととは?

ドライブガイド
3月8日放送分
 
聖なる森 ニュージーランド
〜神の樹に逢いたい!〜

「地球の箱庭」と呼ばれるニュージーランド。そこには、太古の昔から息づく自然と、それを愛する人々が暮らしています。羽田美智子さんの夢は、そんなニュージーランドの自然に触れること。そして、「神様の木」と呼ばれる大きな木に会うことです。

<ロトルア>
古くから温泉の町として知られてきたロトルアには、町のいたるところに温泉施設があります。湧きだす温泉の中には、紐につながれた網が。そしてその中に入っていたのは、温泉たまごならぬ、ロトルア名物の「温泉トウモロコシ」でした。さて、お味の方は?
ロトルアの中心街から10分ほどのところに、数ある温泉の中でもとりわけ珍しい温泉があります。昔、マオリの戦士が闘いの傷を癒したと言われる「ヘルズ・ゲート」。ここには、地熱活動によって、温泉と一緒にミネラル豊富な泥が湧き出しています。この場所だけで湧き出す黒い泥は、薬として珍重され、高級品として物々交換されていたのだとか。かつてはマオリしか入ることの許されなかった秘湯ですが、現在は誰でも入ることのできる温泉施設になっています。中でも特に人気なのが、気軽に泥温泉を体験できる足湯。ミネラルたっぷりの泥で、羽田さんのお肌はつるつる?

<オークランド>
西海岸の町、オークランド。人口およそ120万人、ニュージーランド最大の町に、羽田さんが会いたかった人がいます。それは、「フラワーエッセンス」を使ったヒーリングを行っているフランチェルさん。「フラワーエッセンス」とは、花の持つエネルギーを水に移したもの。花にはそれぞれ人の心を癒す効果があると考えたイギリスの医学博士、エドワード・バッチによって作られたのが、その始まりなのだそうです。羽田さんが日頃からフラワーエッセンスを愛用しているということを聞いたレイチェルさんが、羽田さんのために特別なフラワーエッセンスを調合してくださいました。効果が表れるのは、果たしていつ頃になるでしょうか?

<ワイポウア・カウリ森林保護区>
オークランドから北へおよそ200km。羽田さんが会いたかった「神様の木」がここにいます。ここは、ニュージーランドに生育する「カウリ」と呼ばれる木を保護している場所。この森に詳しい、マオリの血を引くガイドさんに案内していただき、森を歩きます。しばらく歩くと、樹々の向こうに大きな一本のカウリが見えます。「タネ・マフタ」。マオリ語で「森の神」という意味のこの木には、「この木が大きくなることで、地面と空が離れて、この島に太陽の光が射すようになった」という伝説があるのだそうです。太古の昔から、この島を守り続けて来た、森の神様を前に、羽田さんは何を思ったのでしょうか?

ドライブガイド
2月23日放送分
 
杉田二郎&ばんばん
神秘の北海道
〜サンピラーを追って〜

北海道にはコンサート等で何度も来ていながら、ゆっくりすることのなかった杉田二郎さんとばんばひろふみさん。そして、敢えて真冬の北海道を旅先に選んだ2人がどうしても見たいもの、それは、世にも稀なる神秘の現象、サンピラーです。

<千歳>
「会いたい人がいる」と、杉田さんが一人向かったのが千歳。杉田さんが会いたい人、嶋田忠さんは、野生動物の写真や映像を撮り続けるカメラマン。18年前、杉田さんのコンサートに出演してもらい、自然について語ってもらったことがあるのだとか。18年ぶりにお会いした嶋田さんが用意してくれていたのは、千歳川でのカヌー下り。杉田さん、カヌー初体験です。
札幌のすぐ近くの川ですが、毎年何万匹もの鮭が遡ってくるほど美しい川なのだそうです。北海道の自然の魅力に触れたいと訪ねて来た杉田さんに、嶋田さんが見せたかったもの、それは北海道の冬景色だったのです。

<中標津>
杉田さんと別れたばんばさんが向かったのは、アイヌの人々が「神の鳥」と崇めたシマフクロウがやってくることで知られる旅館。ばんばさん、シマフクロウに会えたでしょうか?

<中標津>
再び合流した2人が車を停めたのは、とある農場の敷地内の一角にある小さな美術館。
どの作品も、道東の山や川、牧場など、素朴な風景を描いた版画ばかり。その版画の作者の一人、細見浩さんは、仕事の傍ら版画を作り続けて40年。題材はすべて近所の自然をモチーフにした何気ない風景です。
そんな細見さんのお気に入りの風景を、案内していただきました(武佐岳が見える道へ)。

<東藻琴>
どうしてもダイヤモンドダストが見たい2人は、絶好の場所がありそうな一軒の牧場を訪ねました。牧場主の増子さんによると、この辺りでは時々サンピラーが見られるのだそうです。この日は快晴、無風、気温はマイナス12度。その時・・・!
そしてその晩は、自分たちの飼う牛から採れた牛乳を使った家庭料理をご馳走になりました。

<小清水峠/屈斜路湖>
翌朝、2人は再びサンピラーが見られるという場所へ向かいました。屈斜路湖に近い小清水峠です。果たして、幻の「サンピラー」を見ることができるのでしょうか?

ドライブガイド
2月16日放送分
 
杉田二郎&ばんばん
神秘の北海道
〜森と湖のシンフォニー〜

杉田さんとばんばさんは、同じフォーク歌手で同郷ということもあり、今まで何度も共演している間柄。 北海道へはコンサート等で何度も来ているのですが、いつもコンサートが終わるとすぐに帰ってばかり。 美しい雪と氷の世界を作り上げる氷点下20℃の厳冬の北海道を走り、神秘の現象「サンピラー」を見るのが2人の夢です。

<陸別>
2000年1月に、氷点下37.7度を観測したという、日本で一番寒いといわれる町。
2人は、「凍上」という、地盤が凍って膨張する現象のために押し上げられてしまった建物を発見。極寒の厳しさを実感します。
町の広場で見つけた白い球のようなもの。一体何かと近づいてみると、それは「かまくら」。日本一寒いこの町では、毎年「しばれフェスティバル」というお祭りを開催しており、そのイベントで使用するものだとか。さて、居心地は?

<川湯温泉駅>
2人が立ち寄ったのは、古風なおもむきの駅舎。昭和5年に建てられた当時のままの姿をとどめています。無人駅になっているこの川湯温泉駅は、現在は喫茶店として利用されています。

<阿寒湖>
カルデラが生んだ湖。広大な阿寒湖も、冬は全面厚い氷に覆われます。マリモで知られる阿寒湖ですが、周囲には美しい森が広がっています。さらに温泉も湧き出る土地。
より深く森のことを知るべく、ガイドの方に案内していただくことに。寒さのために、幹に亀裂の入った木など、冬にしか見られない極寒の痕跡が見られます。そして行き着いたのは、「ボッケ」と呼ばれる場所。「ボッケ」とは、地熱で泥が沸き立っている様子を言います。その地熱が発する蒸気が、様々な氷の結晶を生み出しています。
真っ白い氷が全面に張りつめた阿寒湖。その湖上で作業をしている人たちが。近づいてみると、氷の下から網を引いています。ワカサギ釣りです。通常ワカサギ釣りといえば、氷に小さな穴を開けて釣るものですが、漁師さんたちは氷の下に網を張って漁をするのだそうです。漁の後、獲れたばかりのワカサギをごちそうになりました。

<小清水峠/屈斜路湖>
翌朝、2人は「サンピラー」が起こりやすいといわれる場所へ向かいました。そこは、屈斜路湖に近い小清水峠。果たして、幻の「サンピラー」を見ることができるのでしょうか?

ドライブガイド
2月9日放送分
 
驚異!の蜀南竹海
〜中国最美的十大森林 四川省〜

村田雄浩の中国の旅。どうしても見たいという「竹の海」を目指し、四川省南部を走ります。それは、笑いにあふれ、驚きにあふれた珍道中でした。

成都郊外の街、黄龍渓。この街には、清の時代に造られた街並が、今も残されています。その町外れで見つけた不思議なお店。店先の張り紙には「バーベルを持ち上げることができたらお金はいただきませんが、できなかったら5角(約8円)頂戴します」…?さて、どうしましょう?
村田、ちょっと一服。お茶を待つ間に現れた女性に勧められたのは、何と「耳かき」。何とも不思議な感触ではありましたが、クセになりそうな気持ちよさだったようです。

黄龍渓から4時間、宜賓。この街には中国最大の川、長江が流れており、かつては港町として栄えました。村田は、夕食を兼ねて夜の市場へ。辛いものが大好き、そしてここは四川…というわけで、お店で一番辛い、その名も「燃麺」をオーダー。茹でた麺と青菜に唐辛子やラー油をかけただけのシンプルな料理ですが、お味の方は…?

翌日村田が向かったのは「中国最美的十大森林」というキャッチフレーズの付いた場所。そこが、村田がどうしても見たかった、見渡す限りの竹の海「蜀南竹海」です。夏は涼しく、冬は温暖。さらに年間を通して湿度の高いこの辺りの気候は竹の育成に適しており、総面積120㎢、3県にわたって竹が群生しているのです。

この竹海で暮らす人々がいる、そう聞いた村田は、竹のイカダに乗って湖の対岸を目指します。一生懸命こいで、何とか対岸にたどり着いた村田が発見したのは、楊さんのお宅。ご好意で、昼食をごちそうになりました。冬にタケノコ?という感じはしますが、冬のタケノコの方が甘みがあっておいしいのだとか。村田、タケノコ料理を満喫です。
およそ3000年前からあるという蜀南竹海。古の人々が「天下の翠」「竹波の万里」と讃えたその姿、村田の目にはどう写ったのでしょうか?

【備考】
中国はジュネーブ条約に加盟していないため、国際免許は使用できません。番組では、中国の外事弁公室ならびに、公安局の特別許可を取得したため、運転することを許されました。

ドライブガイド
2月2日放送分
 
神秘の九寨溝へ
〜美しい水の風景・中国四川〜

標高3000mにある、神秘の「九寨溝」。旅人・村田雄浩が憧れてやまないという驚異の絶景、九寨溝へと向かう旅の途中には、驚きの中国が待っていました。

四川省の省都、成都。
立ちのぼる湯気に誘われた村田。街の人々と同じように、小麦粉に酵母を混ぜて発酵させ、それを蒸し上げた「饅頭」と、ゆでたまごのシンプルな朝ごはんをいただきます。 お粥もしっかりいただいて、大満足。

「茶館」と呼ばれる喫茶店に集う年配の男性たち。一体何をしているのか…?気になった村田、早速茶館へ。
そこには、美しい声で鳴く、たくさんの鳥がいました。中国では、小鳥を飼うのは男性の高尚な趣味のひとつ。
毎朝茶館に集まっては、鳥たちの鳴き声を競わせているのだそうです。お茶を飲みながら、鳥たちの声を楽しむ、優雅な時間を過ごします。

成都の街を出ると、風景は一変。延々と山道が続きます。この日の泊まりは茂県。その小さな夜の街を歩いていると、広場に集まって踊るたくさんの人々が。
この辺りでは、健康のために毎晩集まって、みんなで踊るのだそうです。老若男女関係なく輪になって。というわけで、村田も…

標高3000mを超えた辺り。松藩の北部には、チベット族の人々が多く住んでいます。チベット族の寺院を訪ねた村田。
内部に経文が納められ、回転させるとその数だけ経を唱えたのと同じ功徳があるという「マニ車」を回します。

いよいよ九寨溝へ。
九寨溝には3つの大きな渓谷があり、その渓谷に、114の湖と沼、17の滝が連なっています。その水が作り出す景観の美しさから、1992年、世界遺産に登録されました。
澄み切った水が、見る位置や太陽光によって様々に変化することから名付けられたという「五彩池」や、九寨溝一美しいと言われ、「神の池」の別名を持つ「五花海」、幅およそ200mの斜面を 水が流れ、その水しぶきが真珠のようにきらめくことから名付けられたという「珍珠灘」など、その風景はまさに神秘の絶景。憧れ続けた絶景を前に、村田が感じたこととは…?

【備考】
中国はジュネーブ条約に加盟していないため、国際免許は使用できません。番組では、中国の外事弁公室ならびに、公安局の特別許可を取得したため、運転することを許されました。

ドライブガイド
1月26日放送分
 
南イタリア音楽紀行
〜シチリア・映画音楽の旅〜

〈シチリア〉
地中海最大の島。映画音楽、ワイン、劇場など独自の文化を持つ場所。
◯パラッツォ・アドリアーノ:映画「ニュー・シネマ・パラダイス」の撮影が行われた村。トト少年役の男性に会う。
◯エンナ:民族舞踊団「コーレ」を見学、その後一緒に踊ってみる。
◯タオルミーナ: 映画「グラン・ブルー」のロケ地で、映画にも登場した海の幸パスタを堪能。
◯パレルモ:映画「山猫」の撮影(舞踏会のシーン)が行われたガンジー宮殿へ。ロッシーニがガンジー宮殿を所有していた祖先のために選んであげたピアノがある。調律はできていないものの、歴史あるそのピアノを弾かせてもらう。
映画「ゴッドファーザー3」のロケ地、マッシモ劇場へ。

〈バーリ〉
再び本土へ戻る。
◯ニコロ・ピッチーニ音楽院:千住さん憧れの作曲家、ニーノ・ロータの音楽学校。彼は26年間にわたり学長をつとめた。ニーノ・ロータの学長時代のエピソードを聞いたり、楽譜を見せてもらう。そして、生前彼が使っていたピアノで作曲。

〈マテーラ〉
マテーラで、アマルフィで作った五線紙に、ニーノ・ロータが使っていたピアノで作曲した曲を書き、絶景の中で演奏。

ドライブガイド
1月19日放送分
 
南イタリア音楽紀行
〜世界遺産の町をめぐって〜

イタリアスペシャルは後半の南イタリアへ。ナポリから旅をスタートさせた作曲家・千住明。美しい海岸で有名なアマルフィの活版印刷屋で昔ながらの印刷でオリジナルの五線紙を作ってもらう。立ち寄った農家でアマルフィ特産のレモンを使った料理をごちそうになる。アルベロベッロでは世界遺産にもなっている独特のとんがり屋根のトゥルッリで、住民が弾くアコーディオンを聴き、郷土料理をふるまってもらう。

〈ナポリ〉
スパッカナポリは「ナポリを真っ二つに割る」という名前の通り、ナポリの旧市街を二つに分ける道。この一帯は世界遺産にも登録されている。
◯移動式の八百屋さん:ナポリ独特の買い物の仕方をみせてもらったり、陽気なお兄さんが千住さんのために歌をうたってくれたり。

〈アマルフィ〉
アマルフィ海岸の中心地であり、観光の拠点。
◯紙の博物館:水がきれいなアマルフィは紙作りがさかん。千住さんも紙作りに挑戦。
◯活版印刷屋:千住さんにとって、紙といえば「五線紙」。そこで、昔ながらの活版印刷屋さんで、オリジナルの楽譜を作ってもらう。
◯レモン農家:アマルフィの名産はレモン。立ち寄ったレモン農家の方に、レモンをぜいたくに使ったアマルフィならではの料理をごちそうしてもらう。

〈アルベロベッロ〉
オリーブ畑が広がる農村地帯にとんがり屋根の家々が並ぶ街。
◯トゥルッリ:石灰岩を積んで造った円すい形の屋根と美しい白壁を持つ家々。住人が弾くアコーディオンを聴き、家の中を案内してもらう。その後アルベロベッロの郷土料理をごちそうしてもらう。

〈マテーラ〉
「サッシ」と呼ばれる凝灰岩に穴を開けて作られた洞窟住居がある旧市街地区。
◯教会:コーラス隊の賛美歌(?)を聴く。
フェリーでシチリアへ。

ドライブガイド
1月12日放送分
 

冬の北イタリア
〜憧れのヴェネツィアへ〜

ミラノとヴェネツィアの中間に位置する町、ヴェローナ。このヴェローナで古代ローマ時代の3本の街道が交差し、芸術、文化、商業、農業の中心地として繁栄を謳歌した。
そして、今では悲恋の舞台として有名になっている。イギリスの劇作家、シェークスピアの名作「ロミオとジュリエット」は、このヴェローナに住む若いカップルがモデルだったといわれている。その舞台となったバルコニーに立つ高島さん。
イタリアのアドリア海にかかる一本の道。海の上を走るこの道の先に、華麗なる水上都市がある。水の都・ヴェネツィア。
9世紀に北方民族の侵入から逃れて潟の上に都市を形成して以来、150の運河と400以上の橋を張り巡らせて、華麗な水上都市となった。海の帝国として14世紀にはアドリア海と地中海を制圧。その強大な力と美しさから「アドリア海の女王」と謳われる。
ヴェネツィアの繁栄ぶりを物語るのが、ドゥカーレ宮殿。共和国制を敷いたヴェネツィアで議員となった20歳以上の貴族男子全員が一同に会する場所、大会議の間。
さらに、ナポレオンが「この広場こそ世界の大広間だ」と絶賛したサンマルコ広場。
ヴェネツィアが舞台の1955年公開の映画「旅情」。カーニバルで使う仮面を扱う店やガラスのゴブレットを売る店など、映画に登場した場所が今も残っている。
ガラスのゴブレットが気になった高島さんは、水上タクシーで20分のムラーノ島へ。ヴェネツィアングラスのマエストロたちの島だ。
この美しきヴェネツィアと潟は、1987年世界文化遺産に登録された。しかし近年、地下水のくみ上げによる地盤沈下と地球温暖化による海面上昇により、水没の危機にさらされている。
ヴェネツィアに夜の帳が降りる頃、高島さんはゴンドラに乗ってみる。

ミラノに戻った高島さんが、イタリアの旅の最後にどうしても見たかったものがある。それは、サンタ・マリア・デッレグラツィエ教会の左側にある小さな食堂跡にあるという。撮影が許されるのは休館日の月曜日のみ。それでも世界中から撮影依頼が殺到するという。イタリアが生んだ天才、レオナルド・ダ・ヴィンチの最高傑作を、高島さんはたった一人だけで鑑賞・・・。

ドライブガイド
1月5日放送分
 

冬の北イタリア
〜神秘の音色と究極の美食〜

北イタリア最大の古都・ミラノ。15世紀にルネサンスが花開いて以来、人々をときめかしてきた華麗な街。この街のシンボルの一つが、壮麗なるゴシック建築の大聖堂・ドゥオモ。頂には黄金の聖母を抱き、2245体もの彫刻に飾られ、天空を突き刺すように135基もの尖塔が聳えている。1386年着工し、最後の尖塔が完成したのが、なんと500年後の1887年!気の遠くなるような年月をかけ、この美の結晶は生まれた。 ドゥオモ広場のすぐ近くには、世界で最も有名で最も美しいアーケード、ガッレリア。19世紀末に建てられたもので、床のモザイク、光の差し込む天井、漆喰のレリーフ、そして中央の十字路のドーム型の天井は圧巻だ。天井下部に描かれた4枚の絵は、ミラノの東西南北にあたる中国、アメリカ、アフリカ、北ヨーロッパを象徴している。 ガッレリアの先には、世界のオペラ界に君臨するスカラ座があり、あらゆる美を生み出すこの街は、「都市の女王」と称されている。

イタリアの街中いたるところにあるのが「バール」。バールはイタリアの社交場で、イタリアの人々は街中にお気に入りのバールをもち、出勤前、昼食時、夕食前後など一日に何度も訪れる。高島さんもバールへ入ってみる・・・。 ミラノから車で90分。中世の面影を色濃く残すクレモナ。レンガ色の建物が美しいこの街は、古くからヴァイオリン作りで栄え、希有な才能を生み出した。それが、最高のヴァイオリン職人のひとり、アントニオ・ストラディヴァリ。世界の名だたるアーティストが求めるヴァイオリンの名器、ストラディヴァリウス。現存する数は、およそ200といわれています。その中の名器中の名器がクレモナ市庁舎に保管されているという。そのストラディヴァリウスは、毎日1回試し演奏が行われているのだが、それが許されているのはただひとり、クレモナ音楽大学のモスコーニ教授。高島さんはモスコーニ教授の演奏に立ち会うことに・・・。 クレモナを流れるポー川は、北イタリアを横断する大河。そのポー川沿いのごく限られた地域に、イタリアで最もおいしいといわれるあるものがある。それは、クラテッロ。この地域だけで作られる豚の尻肉だけを使った生ハムだ。有名なパルマのプロシュートはモモ肉全体を使うが、クラテッロは最もおいしい尻肉だけを使い、7日ほど塩をなじませた後、熟成庫で1年以上寝かせるという。イタリアの大地と伝統が調和した味をいただく。 高島さんはさらなる美食を求めて一路北西へ。

アルバは、秋から初冬にかけてイタリア中で最も注目される街。というのも、アルバはイタリア随一のトリュフの産地。地下にできるキノコの一種、トリュフは、その香りから世界三大珍味の一つに数えられている。アルバは、トリュフの中でも最高級の白トリュフが採れる場所。高島さんはトリュフ狩りに名人に同行して山へ向かう・・・。

ドライブガイド
12月22日放送分
 

ふたりのリバプール
〜ビートルズが愛したすべてのもの〜

ビートルズの生まれた街、イギリス西部の港町、リバプールにやってきた桑山哲也・藤田朋子夫妻。 はじめに訪れたのは、ジョン・レノンが育ったミミおばさんの家。幼い頃、両親と離ればなれになったジョンは、ミミおばさんに引き取られて育ったのだった。現在、歴史的な建築物としてナショナル・トラストに管理されているその家の中へ。数々の名曲が生まれたジョンの部屋を訪ねる。

1957年7月6日。ビートルズの歴史上、最も重要な出会いが生まれたのがセントピーターズ教会。当時16歳だったジョン・レノンが仲間と一緒にこの教会で演奏していたところへ15歳のポール・マッカートニーがやってきたのです。「ポールに出会ったあの日、あの日こそがすべての始まりだった」のちにジョンはこんな言葉を残している。

次は、郊外にひっそりと佇む美しい赤い門扉。これは「ストロベリー・フィールド」への門。かつて、ジョン・レノンがこの門の奥に忍び込み、ひとりの時間を楽しんだという。

「ビートルズ最高の演奏は、録音されたことがない」かつてジョン・レノンはこう言った。ビートルズが最も輝きを放っていたのは、ロンドンに進出する以前のリバプール時代だったのかもしれない。その頃、ビートルズが拠点にしていたのが「カスバ・コーヒー・クラブ」。現在は閉店しているその店を訪ねた2人は、ピート・ベストと出会う。彼こそは、ビートルズの初代ドラマー。ビートルズが、ドイツのハンブルグで巡業していた1960年頃の話など、知られざるエピソードを聞く。リバプールの街の中心にあるマシューストリートには、ビートルズ・ファンの聖地がある。ビートルズがおよそ2年間で200回以上のライブを行った、キャバーン・クラブだ。

藤田は、アコーディオン奏者の夫・桑山哲也とともに、ビートルズが愛した伝説のステージへ立つことに…。

ドライブガイド
12月15日放送分
 

ふたりのイギリス
〜ビートルズの生まれた街へ〜

女優・藤田朋子が30年以上愛し続けてきたビートルズ。今回はビートルズ初心者の夫、桑山哲也とともに、ロンドンで、そして彼らの生まれ故郷リバプールで偉大なる4人の軌跡を追いかける。

ロンドンに着いた2人が早速やってきたのは、ビートルズのアルバム「アビイ・ロード」のジャケット写真で一躍有名になった横断歩道。この横断歩道のすぐそばに、ビートルズがほとんどのアルバムのレコーディングをしたアビイ・ロード・スタジオがある。スタジオの壁には、今でも世界中から訪れるファンのメッセージが描かれている。今なお世界の人々から愛されてやまないビートルズ。いよいよ彼らの故郷へ向かう…。

ロンドンを離れ、高速道路でリバプールへ。途中、B&B(ベッド&ブレックファースト)の予約を入れる。2人が選んだのはイングランド北部の酪農家の宿。朝食は新鮮な牛乳をはじめとした伝統的なイングリッシュ・ブレックファーストです。

B&Bを後にしたふたりは、それぞれ別行動することに。藤田さんはバスに乗り、陶磁器の生産で有名な街「ストーク・オン・トレント」へ。イギリス発祥の「ボーンチャイナ」の陶芸に挑戦する。一方、桑山sさんは、気ままにドライブ。リバプールの市街地が見渡せる埠頭へ。人口およそ45万人のこの港町が、ビートルズの故郷。リバプールで待ち合わせた2人はさっそく名曲「ペニー・レイン」が生まれた場所へ…。

ドライブガイド
12月8日放送分
 

神秘の湖
〜100万羽のフラミンゴ!!〜

大の旅好きで、これまで、あらゆる大陸を旅してきた野村真美さん。野生動物の楽園ケニアの広大なサバンナを舞台に繰り広げられる、動物たちの壮大なドラマを見たい。野村さんの旅は、さらにサバンナの奥深くへと進みます。

野村さんは、ケニアを訪れたからには絶対に会ってみたい人がいました。それはマサイマラの森の奥に住むマサイの人々。独特の踊りで村人の歓迎を受けたら、お宅を訪問。藁葺き屋根に土壁のシンプルな暮らしを見せていただきます。

人類発祥の地、グレートリフトバレー。

約500万年前「ヒト」が歴史をスタートさせた場所です。野村さん、ガイドさんとともにウォーキング。グレートリフトバレーの谷底を目指します。

チューイ・ロッジは広大な敷地を有する高級ホテル。インテリアから床にいたるまで、あらゆるものがヒョウ柄をモチーフにしています。「チューイ」とはスワヒリ語でヒョウのこと。その名の通り、なんと敷地内にはヒョウが暮らしているのです。このホテルのもう一つの自慢が朝食。「サプライズがあるんだ」とオーナーに連れて行ってもらった湖のほとりで、動物たちに囲まれて優雅に朝ご飯です。

ナイバシャ湖の中にあるクレッセント・アイランドは、ある野生動物を間近で目にすることができる、珍しい島。しかも車内から見るのではなく、歩いて近づけるというのです。その動物とはキリン。彼らのユニークな生態に、野村さんもびっくりです。

ナクル湖は、グレートリフトバレーの真ん中にあるソーダ湖。ここが、野村さんがどうしても訪れたかった場所です。湖をピンク色に埋め尽くすフラミンゴ。その数なんと100万羽。天敵が少なく、えさも豊富なこのナクル湖は、フラミンゴたちの聖地です。その生命の息吹を感じた野村さんは、いつまでも湖のほとりに立ち尽くしていました。

ドライブガイド
12月1日放送分
 

ケニア ヌー決死の川渡り!  〜サバンナ 生命の躍動!!〜

大の旅好きである野村真美さん。これまで、時にはバックパッキングもいとわず、あらゆる大陸を旅してきたのだそうです。 そんな野村さんの、唯一ともいえる未踏の地がアフリカ。野生動物の楽園ケニアの広大なサバンナを舞台に繰り広げられる動物たちのドラマ、とりわけヌーの川渡りを見たい、それが野村さんの夢です。

◯マサイマラ
首都ナイロビから西へ約300キロ、タンザニアと接するマサイマラ国立保護区は、野生動物たちの領域です。 大阪府と同じほどの広さを持つこの保護区は、野生動物の数がケニアで最も多い場所。 ベテランガイドさんの車に乗り換えて、サファリを楽しむことができます。広大なサバンナをまるで自分の庭のように走るガイドさんの案内で、 滅多に見ることのできない動物たちを目の当たりにした野村さん。そのしなやかで力強い姿に釘付けです。

サファリを終えた野村さんは、たった一軒のホテルを建てるためだけに造られた道を走ります。 10キロほど走った先に見えるのが、ムパタ・サファリ・クラブ。アフリカらしさとモダンさを併せ持った部屋は、 全てがロッジタイプという高級ホテルです。しかし、このホテルの自慢は庭からの壮大な眺め。道を造ってまでこの地にホテルを建てた理由、 それは眼下に広がるマサイマラを眺めるためだったのでした。

翌朝、野村さんは夜明け前にホテルを出発しました。気温の低い早朝に飛ぶ気球に乗ってサバンナの風景を楽しむことができる「バルーンサファリ」です。 涼しい朝は、動物たちにとっても一日で最も過ごしやすい時間。車窓から見るのとは違い、リラックスしてサファリを楽しむことができるのです。

野村さんは、気球から見たマラ川のほとりへ。 乾燥しているサバンナにあって、多くの動物たちに潤いを与えている川ですが、その距離を超えなくてはならないヌーにとってはまさに生死を分ける川。 車内で待つこと2時間、いよいよ1頭のヌーが川を渡り始めました。ひたすら前にいるものの後を追い、川を渡ろうとするヌー。 その時巻き起こったのは、まさに想像を絶する生死のドラマでした。

ドライブガイド
11月24日放送分
 

神秘のギリシャ 〜天空の修道院へ〜

壮大なる歴史の国、ギリシャ。草刈正雄さんは、いつの日かその地に行ってみたいと、長年憧れを抱き続けていたのだそうです。 そんな草刈さんがどうしても行ってみたい場所、それが天を突くようにそびえる奇岩群、メテオラです。

◯デルフィ
予言の神アポロンの神託が行われたという、古代ギリシャの聖地デルフィ遺跡。その中でも最も神聖な場所とされているのが、アポロン神殿です。 紀元前4世紀頃の姿を伝えるのは、今も残る土台と柱だけ。その地下には「大地のへそ」とされた石があり、ここが世界の中心だと信じられていました。 デルフィ遺跡のほど近く、草刈さんには立ち寄ってみたい場所がありました。山岳国であるギリシャは、知られざる温泉大国。 病気治療のために、医師に処方箋をもらい、適した温泉に入りに行くのだそうです。草刈さんも、ギリシャで足湯。

◯テッサリア平原
ギリシャ中央部に広がるテッサリア平原は、ギリシャ屈指の穀倉地帯。草刈さんは、ここで偶然出会ったご夫婦に、夕食にお誘いいただきます。 ギリシャの人々はみな、旅人に親切。それは日本語の「おもてなし」を意味する「フィロクセニア」という言葉が、古代から連綿と受け継がれているからです。 旬のキャベツと豚肉を使った、ギリシャの家庭料理をご馳走になり、お腹も心もほっこりあたたかくなりました。

◯メテオラ
およそ2500万年前の地殻変動や、風雨の浸食により出来上がった岩の塔が、世界自然遺産、メテオラの奇岩群です。メテオラは、世界文化遺産としても登録されています。その理由は、岩の頂上に建てられた修道院。このような場所に修道院が建てられたのは、より神に近い場所で修行することを重んじたためでした。 ヴァルラアム修道院は、14世紀中頃に建てられ、今日まで続く修道院。現在は、7名の修道士が修行の日々を過ごしています。 聖地メテオラでは通常礼拝堂の撮影はできませんが、今回特別に許可をいただくことができました。現在は女子修道院となっているアギオス・ステファノス修道院へ。 はるか、天空にそびえる修道院には、600年以上にわたって積み重ねられた時間が、静かに漂っていました。

ドライブガイド
11月17日放送分
 

ギリシャ紀行 〜エーゲ海の夕陽が見たい!〜

古代ローマの台頭以前、世界の中心であった壮大なる歴史の国、ギリシャ。 草刈正雄さんは、いつの日かその地に行ってみたいと、長年憧れを抱き続けていたのだそうです。 ギリシャの文化や自然、人々の生活を感じてみたい、そしてエーゲ海に沈む夕陽を見たい。それが、草刈正雄さんの夢です。

◯アテネ
ギリシャの首都アテネのシンボルが、市街地を見下ろす丘の上にある世界遺産、アクロポリス。
「アテネ栄光の証」と言われるそのアクロポリスの中にあるのが、パルテノン神殿です。
紀元前5世紀に建てられ、後のヨーロッパ建築に多大な影響を与えた「建築の理想」と呼ばれる遺跡を前に、草刈さん、ちょっと興奮気味。

◯ミコノス島
草刈さんには「海外の、それも初めての町を訪れた時に必ずすること」があるのだそうです。それは、「町を、ただひたすら歩く」ということ。
草刈さんは、エーゲ海を代表する美しい島、ミコノスの町を、足の向くまま、気の向くままに歩き続けます。 歩き疲れた草刈さんは、一軒の家へ。そこは島の生活を支えるパン屋さんでした。
500年前から使っているという釜を使って焼くパンは、島の人々に大人気。毎日250キロ以上分もの小麦粉を使ってパンを焼いているのだそうです。

◯ディロス島
ミコノス島から小さな観光船に揺られること30分、ディロス島に到着です。
ディロス島は、島全体に紀元前の遺跡が広がるため、世界文化遺産に登録された遺跡の島。
ディロス島が栄えたのは、紀元前5世紀以降のこと。エーゲ海の貿易港として発展し、太陽神アポロン、月の女神アルテミスの生誕地として信仰を集めました。 草刈さんは、紀元前に建てられた大富豪の住居跡へ。その床には・・・

◯ミコノス島
再びミコノスに戻った草刈さんは、島の港へ向かいました。
今では多くの観光客が訪れるこの島も、かつては小さな漁村でした。
草刈さんが海辺で出会ったのは、島一番のタコ捕り名人パトリックさん。
タコが大好物だという草刈さんのために、パトリックさんがエーゲ海伝統のタコ料理を作ってくれました。さて、そのお味は?
そして草刈さんは、パトリックさんが教えてくれた丘の上へ。そこで草刈さんが見たものは、エーゲ海に沈む夕陽。 それはこの地に憧れ続けた草刈さんの、夢にまで見た風景でした。

ドライブガイド
11月10日放送分
 

カナダ 一瞬の秋  〜あの風景を目指して〜

偶然手にした1冊の写真集に魅せられてしまったという床嶋佳子さん。その写真集とは、「世界で一番美しい」と謳われるカナダの紅葉の写真集。
いつか、その果てしない紅葉の場所に立ちたい、それが、床嶋さんの夢です。

◯ケベックシティ
ケベック州の州都、ケベックシティ。
「ケベック」とは、先住民の言葉で「川の狭くなるところ」という意味です。
来年400周年を迎えるこの町は、北米で唯一の城塞都市。その厚い城壁に囲まれた旧市街は、世界遺産に登録されています。

◯モントリオール
トロントに次ぐ、カナダ第二の都市。
近代的な高層ビルと歴史の重みを感じさせる石造りの建物が調和した街並みです。
床嶋さんは、街のシンボルとも言えるノートルダム大聖堂へ。1829年に建てられたネオ・ゴシック様式の美しい教会です。
祭壇と向き合うように設えられた荘厳なパイプオルガンを、34年間この大聖堂で専属オルガニストを務める方に弾いていただきます。

◯イースタン・タウンシップス
モントリオールの東およそ80キロ、アメリカ独立戦争後、イギリス国王に忠誠を誓うロイヤリストたちが住み着いたイースタン・タウンシップス。
今や、ケベックワインの主産地として有名な場所です。床嶋さんが向かったのは、1874年に建てられたビクトリア様式のオーベルジュ。
お楽しみはもちろんディナーです。名物は、1900年代初頭に飼育が始められたというあひる料理。
おいしい料理とワインで、ちょっと贅沢なカナダの夜です。

◯ローレンシャン
大小様々無数の湖が点在する、ケベック州ローレンシャンの森。
床嶋さんは、どこまでも果てしないカナダの燃える秋を、湖畔から、空から、そして夕暮れ時に味わいます。
果たして、夢にまで見たあの風景を見つけることはできたのでしょうか?

ドライブガイド
11月10日放送分
 

カナダ 一瞬の秋  〜あの風景を目指して〜

偶然手にした1冊の写真集に魅せられてしまったという床嶋佳子さん。その写真集とは、「世界で一番美しい」と謳われるカナダの紅葉の写真集。
いつか、その果てしない紅葉の場所に立ちたい、それが、床嶋さんの夢です。

◯ケベックシティ
ケベック州の州都、ケベックシティ。
「ケベック」とは、先住民の言葉で「川の狭くなるところ」という意味です。
来年400周年を迎えるこの町は、北米で唯一の城塞都市。その厚い城壁に囲まれた旧市街は、世界遺産に登録されています。

◯モントリオール
トロントに次ぐ、カナダ第二の都市。
近代的な高層ビルと歴史の重みを感じさせる石造りの建物が調和した街並みです。
床嶋さんは、街のシンボルとも言えるノートルダム大聖堂へ。1829年に建てられたネオ・ゴシック様式の美しい教会です。
祭壇と向き合うように設えられた荘厳なパイプオルガンを、34年間この大聖堂で専属オルガニストを務める方に弾いていただきます。

◯イースタン・タウンシップス
モントリオールの東およそ80キロ、アメリカ独立戦争後、イギリス国王に忠誠を誓うロイヤリストたちが住み着いたイースタン・タウンシップス。
今や、ケベックワインの主産地として有名な場所です。床嶋さんが向かったのは、1874年に建てられたビクトリア様式のオーベルジュ。
お楽しみはもちろんディナーです。名物は、1900年代初頭に飼育が始められたというあひる料理。
おいしい料理とワインで、ちょっと贅沢なカナダの夜です。

◯ローレンシャン
大小様々無数の湖が点在する、ケベック州ローレンシャンの森。
床嶋さんは、どこまでも果てしないカナダの燃える秋を、湖畔から、空から、そして夕暮れ時に味わいます。
果たして、夢にまで見たあの風景を見つけることはできたのでしょうか?

ドライブガイド
11月3日放送分
 

カナダ メープル街道 〜燃える秋・歴史の道〜

偶然手にした1冊の写真集に魅せられてしまったという床嶋佳子さん。
その写真集とは、「世界で一番美しい」と謳われるカナダの紅葉の写真集。燃えるようなカナダの秋を、全身で味わいたい!それが、床嶋さんの夢です。

◯ガスペ半島
セント・ローレンス川の河口に突き出たガスペ半島。「ガスペ」とは、先住民の言葉で「地の果て」という意味。
1534年、フランス人探検家ジャック・カルティエがこの地に上陸し、フランスの領有を宣言した場所です。

ペルセ沖にある無人島、ボナヴァンチュール島には、カナダの秋ならではの光景が待っています。
人っ子ひとりいない森を40分ほど歩いて島の反対側へ渡ると、目の前に広がるのは12万羽のカツオドリが暮らす世界最大級のコロニー。床嶋さん、岩を埋め尽くすカツオドリの鳴き声と姿に思わず絶句です。
渡り鳥であるカツオドリが繁殖のためこの島にやってくるのは4月。そして10月になると遠い南のメキシコ湾を目指し、飛び立って行くのです。

島から戻り、床嶋さんが向かったのは、ペルセからおよそ350キロ、リムスキーの町。ここからフェリーでセント・ローレンス川の対岸へ渡ります。対岸まではおよそ1時間。まるで海のような広さのこの川には、なんと13種ものクジラが棲息しているのだそうです。
川の両岸には、自然と歴史にあふれ、様々な名前がついた道がたくさんあります。床嶋さんはその中の「クジラの道」を走ります。その美しい風景に思わず・・・

サン・タンヌ・ド・ボープレには、1658年にフランスからの入植者によって建てられた大聖堂があります。カナダ屈指のカトリックの巡礼地であるこの大聖堂には、聖母マリアの母、聖アンヌの生涯をモチーフとしたモザイク画や、240枚にも及ぶステンドグラスが飾られ、あたたかい光に満ちています。
セント・ローレンス川の真ん中に浮かぶオルレアン島には、今も開拓時代の風景が色濃く残っています。床嶋さんはこの地に10世代にわたって住み続けているという1軒の農家を訪ねます。300年以上にわたり、家族を見つめ続けてきた家の中を案内していただき、自慢のメイプルシロップをごちそうになりました。
オルレアン島の対岸にあるサン・タンヌ渓谷は、紅葉の名所として知られる落差75mの滝。ダイナミックなその姿に床嶋さんも感動。次回はさらなる美しい紅葉を目指します。

ドライブガイド
10月27日放送分
 

驚きのスリランカ 〜紅茶と宝石と巨大魚と〜

田尾さんがスリランカを訪れたのは、スリランカ伝統の世にも奇妙な釣り「スティルト・フィッシング」をするためでした。「もっと釣りがしたい!」と内陸へ向かった田尾さんを駆り立てたのは、釣り人の意地だったのかもしれません。そこには、きらめくような世界が待っていたのです。

<ラトゥナプラ>
「宝石の街」という意味のラトゥナプラ。その名の通り、ここはスリランカ随一の宝石の産地。宝石の採掘は、街からわずか10分ほどの郊外で行われています。その採掘方法とは?

<ヌワラエリヤ>
カレーと並ぶスリランカ名物が紅茶。ラトゥナプラの北東、50kmほどに位置するヌワラエリヤは、良質のセイロンティーの産地です。標高1800mに達するこの高原は、年間を通して気候の変化が少ないため、1年中茶摘みが行われています。田尾さんも、茶葉を1枚1枚丁寧に手で摘んでいる女性たちのお手伝い。その後、19世紀から続く名門紅茶工場「グレンロッチ」で紅茶のできるまでを見せていただき、最高級の「ブロークン・オレンジペコー」をいただきます。

<ウダ・ワラウェ国立公園>
スリランカ南部の乾燥地帯に広がる「ウダ・ワラウェ国立公園」。330㎢の広さを誇り、主に野生の象を保護しています。田尾さんは巨大魚を求め、地元の漁師さんの案内で、公園内の湖へ。日本から持参した最新のルアーで、大物を狙います。果たして、幻の巨大魚を釣り上げることはできたのでしょうか?

<インド洋>
国立公園内での釣りを終えた田尾さん、次はいよいよ生まれて初めてのインド洋で豪快に一本釣りです。ここでの釣果はいかに!?

ドライブガイド
10月20日放送分
 

驚きのスリランカ 〜世にも奇妙な釣りがしたい〜

スリランカとは「光り輝く島」という意味。スリランカと聞いてなじみ深いのは、カレーや紅茶、そして宝石…。ところが田尾さんがこの国を訪れるのは、大好きな「釣り」をするため。休みともなれば海へ向かうという大の釣り好きの田尾さん。スリランカには、世にも不思議な伝統の釣りがあると聞き、それを体験せずにはいられなくなってしまったのです。

<ニゴンボ>
田尾さんが真っ先に向かったのは、スリランカ最大の漁港、ニゴンボの魚市場。インド洋で獲れた海の幸、そのほとんどはカレーの材料になるのだとか。田尾さん、早速ここで現地の方に「世にも奇妙な釣り」に関する聞き込みを開始です。
スリランカでも珍しい、マングローブ林をクルーズできるマードゥ川。船頭さんが連れて行ってくれたのは、この川でも特別な場所、「シナモン作りの島」でした。スリランカはシナモンの名産地。島に伝わるシナモン作りを見せていただきます。その工程はすべて手作り。日本では100gで2000円ほどする高級品なのです。 「スリランカと言えば、カレー」。というわけで、街に戻った田尾さんは、一軒の食堂へ。そこにはなんと20種類を超えるカレーが並んでいます。もちろん食べ方は「スリランカ流」。

<ゴール>
スリランカ最南端の街「ゴール」は、世界遺産に登録されている港町。その旧市街には、16世紀から400年以上続いた植民地支配の歴史を物語る建物が点在しています。
田尾さんは、世にも奇妙な釣りをするため、現地の人に聞き込み。南の方へ下り、念願の「スティルト・フィッシング」です。「スティルト」とは「棒」のこと。その名のとおり、網を使わずに海底に差した棒の上に座って釣り糸を垂れる不思議な釣り方です。田尾さんも、見よう見まねで早速挑戦。さて、その釣果はいかに!?

ドライブガイド
10月13日放送分
 

絶景大国アイスランド 〜もう一つの地球へ〜

北大西洋のほぼ中央に浮かぶ島国、アイスランド。北海道と四国を足した程の大きさです。そしてその大地に待っているのは、神秘の絶景の数々。高嶋政宏さんの夢は、「火と氷の国」と呼ばれるアイスランドの、氷河に立つことです。
アイスランドを周回している国道1号線。通称「リング・ロード」。ひとたびこの道を外れると、そこには別世界が広がります。

火山灰と溶岩で覆われたアイスランドの大地には、高い木々は育ちません。そこでよく目にするのがコケ。コケは古くから、アイスランドで暮らす人々にとって、大事な栄養源でした。現在もコケを採っているシグルンさんを訪ねた高嶋さんは、薬としても飲まれ、昔から珍重されてきたアイスランドゴケ採りに夢中。高嶋さんが採った袋いっぱいのコケを見て、シグルンさんが作ってくれたのは、アイスランドゴケのパンケーキ。さて、そのお味は?

氷河によって削られてできた入り江、フィヨルド。海のすぐそばには切り立った崖がそびえています。高嶋さんはその断崖の下に気になる小屋を発見。そこにはなんとも「臭い」ものが待っていました。その臭いものの正体とは?
火山の国、アイスランド。その火山が一望できるのがラーキ山です。高嶋さんは、その頂上へ。ラーキ山を挟んで、南北25kmにわたって連なる火山。今は静けさだけを残すこの火山群は、今から約200年前に大爆発し、9000人もの犠牲者を出しました。その火山を見て、高嶋さんが感じるのは「優しさ」。延々と続く火口群、そしてその先に見えたのは、憧れの氷河です。

高嶋さん、いよいよ氷河へ。ヨーロッパ最大の氷河、ヴァトナ氷河。氷の厚さは一番厚いところで900mにも及びます。しかし近年地球温暖化の影響で、年間50mにもわたって先端が溶け出していると言われています。そのスピードは年々早まっており、もしかすると半世紀後にはこの氷河を見ることができなくなってしまうかもしれません。雲海と、氷河と、幾重にも重なる山の尾根。憧れの場所に立った高嶋さんの感想とは?

絶景大国アイスランドのもう一つの名物が、温泉。いたるところに温泉がわき出しています。氷河で冷えた体を温める、まさに絶景の露天風呂でした。

ドライブガイド
10月6日放送分
 

絶景大国アイスランド 〜火と氷の国をめぐる冒険〜

「火と氷の国」と呼ばれるアイスランド。そこには、他では見ることのできない不思議な風景が広がっています。見渡す限りの火山と氷河が織りなす絶景の数々。そんな風景にずっと憧れていたという高嶋政宏さんの夢は、「黄金の滝」と呼ばれる滝を見ることです。

「ギャゥ」と呼ばれる「地球の割れ目」があるシンクヴェリトル国立公園。アイスランドは、北米大陸とユーラシア大陸の両方のプレートの上に乗っており、ここはその二つのプレートのちょうど境目。ここでは、通常では海底にあるプレートが露出しているのです。このような「地球の割れ目」が見られるのは世界で数カ所だけ。さらに、「ギャゥ」は世界遺産に登録されています。自然遺産ではなく、文化遺産として。それは、930年にこの場所で世界最初の民主議会が開かれたから。なぜこんな場所で議会が開かれたのでしょうか? 「地球の割れ目」の後は、「地球の息吹」。間欠泉とは、地下水が地熱によって温められ、一気に噴出するもの。ここストロックル間欠泉は、勢いが強いと30m?近くまで吹き上げるといいます。

キャンプ場で一夜を過ごした高嶋さんは、再び憧れの地にむかって走り出します。険しくなる道、行く手を阻む川を乗り越えたその先に見えたのが、憧れの「グトルフォス」。グトルフォスとはアイスランド語で「黄金の滝」という意味。川の幅はおよそ70m、滝は2段にわかれ、その落差はおよそ32m。氷河から溶け出した大量の水が作り出す、激しくも美しい流れ。そこに光が差した時、グトルフォスはまさに黄金の輝きを放つのです。憧れの滝を前に、高嶋さんは言葉もなく、ただ立ち尽くすだけでした。

ドライブガイド
9月29日放送分
 

メキシコ歴史街道 〜銀が造った道〜

モダンと伝統が混在する国メキシコ。城戸さんの夢は、メキシコの風景の中に歴史を感じながら、歴史が作り出した色を呼吸しながら絵を描くことです。

<ソチミルコ>
◯人口およそ870万の巨大都市、メキシコシティ。ここはかつて湖でした。その証拠を見るために城戸さんが向かった場所が、町の郊外、世界遺産のソチミルコです。かつての湖の名残である水郷は、今では市民の憩いの場になっています。都会の騒々しさとは無縁の静けさをたたえたのどかなソチミルコには、アステカ文明発展の秘密が隠されていました。

<グアナフアト>
◯16世紀、銀鉱脈の発見とともに生まれた町グアナフアト。銀の産出がわずかとなった現在は、観光と学問の町として賑わっています。城戸さんが向かったのは、町一番の眺めを誇る高台。およそ500年の歳月が降り積もったこの町は、メキシコの中でも指折りのカラフルシティと呼ばれているのです。

<レアル・デ・カトルセ>
◯レアル・デ・カトルセは、18世紀後半、銀の発見とともにできた町。一時はメキシコ第3の生産量を誇っていた町も、現在は廃墟同然となっています。城戸さんは、この町で何年にもわたって暮らして来た方にお話を伺いました。歴史の中に置き去りにされた町が放つ輝きと、溶け合う大地の色と町の色。城戸さんはそれらをどんな風に描くのでしょうか?


ドライブガイド
9月22日放送分
 

太陽の国メキシコを描きたい! 〜伝統の画材を探して〜

メキシコが生んだ偉大な画家、フリーダ・カーロ。城戸さんは、フリーダ・カーロ生誕100周年を迎える今年、どうしても間近で見たい絵がありました。自画像「折れた背骨」。フリーダの世界に圧倒されながら城戸さんの心に芽生えたもの、それはフリーダを生んだメキシコを描きたいというものでした。

<メキシコシティ>
◯メキシコの首都、メキシコシティ。ここには、真っ青に塗られたフリーダ・カーロの生家があります。18歳で不慮の事故にあい、脊髄などに深刻なダメージを負ったフリーダは、壮絶な痛みと闘いながら、ベッドの上で自画像を描き続けました。彼女が自画像を描き続けたベッドや、痛んだ背骨を支えたコルセット。自らの肉体を暴露する、激しくも悲しいフリーダの生き方を目の当たりにし、城戸さんが思ったこととは?

<サンパブリート>
◯マヤ・アステカ文明の時代から紙を作り続けている村。城戸さんはとある工房を訪ね、メキシコ伝統の紙作りを見せてもらいます。メキシコを描くためのキャンバスは、感触や匂い、色や模様など、木の質感を強くとどめた「アマテ紙」に決定。城戸さんも、アマテ紙作りに挑戦です。

<テオティトラン・デル・バジェ>
◯古代、サポテカ族が一大文明を築いた場所。村人の多くが、毛織物業に携わっています。城戸さんは、メキシコ伝統のアマテ紙にふさわしい自然素材の絵の具を探して、一軒のお宅へ。美しい赤がいくつかの色合いで染められた毛織物、その見事な赤の原料は、意外なものでした。 メキシコの大地が生んだ紙と絵の具。それらを使って城戸さんは、フリーダ・カーロが愛したメキシコを、どんな風に描くのでしょうか?


ドライブガイド
9月15日放送分
 

奥の細道 あの名句に秘められた謎

芭蕉の名句がいくつも生まれた「奥の細道」。芭蕉の句に秘められた謎に迫る、ちょっと大人の知的な旅の後編。芭蕉が東北を旅したのは、ちょうどこの夏の時期でした。「奥の細道」をたどる旅は、夏の東北を味わう旅。2人は芭蕉の句に隠された謎を解くことができるでしょうか?

<飯塚>
◯芭蕉にとって「奥の細道」は、源義経の足跡を訪ねる旅でもありました。そのため随所に義経ゆかりの場所が出てきます。医王寺もその一つ。芭蕉がこの寺で義経と弁慶の遺品を見て詠んだ句とは?そして、医王寺に残る義経と弁慶のお宝とは?

<立石寺>
◯立石寺は、通称「山寺」と呼ばれ、860年に比叡山延暦寺の別院として建立された古刹。もともと芭蕉は立石寺に行く予定はなかったといいます。芭蕉が立石寺を訪れたのは、俳友、鈴木清風に勧められたから。そしてこの山寺で芭蕉が詠んだのが、有名な『閑さや岩にしみ入る蝉の声』。この時期にここを訪れなくては解けない、芭蕉の句に隠された秘密とは?

<松島>
◯日本三景の一つ、松島。「奥の細道」の文面からは、芭蕉もその美しさに興奮している様子が伝わってきます。そこで思い浮かぶのが、『松島やああ松島や松島や』・・・実は、「奥の細道」にはそんな句は出てこないのです。それどころか、松島のくだりでは、芭蕉は句を詠んでいません。


ドライブガイド
9月8日放送分
 

奥の細道 〜 謎解きの旅〜

時は元禄。1人の男が江戸から東北へと旅立ちました。男の名は、松尾芭蕉。その芭蕉の旅をまとめたものが「奥の細道」です。芭蕉の名句がいくつも生まれた「奥の細道」。芭蕉の句に秘められた謎に迫る、ちょっと大人の知的な旅の始まりです。

<千住>
◯元禄2年、芭蕉がお供の曾良と共に深川を出発し、最初にやってきた場所。ここで早速芭蕉が詠んだ句の謎に迫ります。

<日光>
◯芭蕉はここで滝を見物しています。それは、華厳の滝ではなく裏見の滝でした。なぜ華厳の滝ではなく裏見の滝だったのか?芭蕉が裏見の滝で詠んだ句に、その秘密が隠されているのです。

<那須>
◯2人が立ち寄ったのは、芭蕉がどうしても見たかったという遊行柳。芭蕉が尊敬する西行が歌に詠んだ柳です。芭蕉が柳に見とれて詠んだ句とは?

<須賀川>
◯芭蕉の句に登場する「田植え唄」。300年以上も受け継がれているというその唄を聞かせていただきました。芭蕉も同じ唄を聞いたかも・・・?




ドライブガイド
9月1日放送分
 

スペイン アンダルシア 〜20年の時を超えて〜

20年前に伊武さんがスペインに滞在していた理由、それは、スティーブン・スピルバーグ監督の映画「太陽の帝国」に出演していたからでした。伊武さんにとって、忘れえぬ仕事であった「太陽の帝国」。そのロケ地が今どうなっているか、どうしても知りたいという伊武さん。伊武さんの記憶だけが頼りの旅が始まります。

<コリア・デル・リオ>
◯セビーリャから南へ約10キロ。我々日本人と、とても関係の深い街。 1613年、伊達政宗の命を受け渡欧したおよそ30人の慶長遣欧使節団。その子孫たちが今もこの地に残り、JAPON(ハポン)を名乗っている。

<サンタマリア>
◯アンダルシア西部、海沿いの街。 映画の撮影時に宿泊していたホテルや、ある日突然オリーブオイルを受け付けなくなってしまった伊武さんのために、ある料理を作ってくれた思い入れのあるレストランを探す。

<トレブヘナ>
◯「太陽の帝国」のロケが行われた場所。 当時は、ホテルからロケセットまで毎朝バスで移動していた伊武さん、街がどうなっているのか全くわからないため、バルで聞き込み。そこで教えてもらった、土地の持ち主を訪ねる。果たして、20年前の痕跡は残っているのか・・・

ドライブガイド
8月25日放送分
 

スペイン アンダルシア紀行 〜その光と影〜

かつてアンダルシアに40日間滞在したことがあるという伊武さん。 その時は仕事での滞在だったため、全くスペインを楽しむことができなかったと言います。 あれから20年、スペインという国のあらゆる魅力がつまっているといわれる、アンダルシアを旅します。

美しい海岸線にある街ネルハ。この辺りは、コスタ・デル・ソル(太陽海岸)と呼ばれる一大リゾート。 そこでコスタ・デル・ソルの漁師さんの伝統の味、イワシの塩焼きをごちそうになる。 また山肌に広がる美しい白い町ミハスでは街を散策。一軒のお宅に訪問し、街全体が白く美しい理由を尋ねる。 さらに町外れの闘牛場 を訪れる。 そしてアンダルシア地方第2の都市グラナダではグラナダ国王、アル・アフマールによって建てられたイスラム芸術の最高傑作、 アルハンブラ宮殿を訪れる。



ドライブガイド
9月1日放送分
 

スペイン アンダルシア 〜20年の時を超えて〜

20年前に伊武さんがスペインに滞在していた理由、それは、スティーブン・スピルバーグ監督の映画「太陽の帝国」に出演していたからでした。伊武さんにとって、忘れえぬ仕事であった「太陽の帝国」。そのロケ地が今どうなっているか、どうしても知りたいという伊武さん。伊武さんの記憶だけが頼りの旅が始まります。

<コリア・デル・リオ>
◯セビーリャから南へ約10キロ。我々日本人と、とても関係の深い街。 1613年、伊達政宗の命を受け渡欧したおよそ30人の慶長遣欧使節団。その子孫たちが今もこの地に残り、JAPON(ハポン)を名乗っている。

<サンタマリア>
◯アンダルシア西部、海沿いの街。 映画の撮影時に宿泊していたホテルや、ある日突然オリーブオイルを受け付けなくなってしまった伊武さんのために、ある料理を作ってくれた思い入れのあるレストランを探す。

<トレブヘナ>
◯「太陽の帝国」のロケが行われた場所。 当時は、ホテルからロケセットまで毎朝バスで移動していた伊武さん、街がどうなっているのか全くわからないため、バルで聞き込み。そこで教えてもらった、土地の持ち主を訪ねる。果たして、20年前の痕跡は残っているのか・・・

ドライブガイド
8月25日放送分
 

スペイン アンダルシア紀行 〜その光と影〜

かつてアンダルシアに40日間滞在したことがあるという伊武さん。 その時は仕事での滞在だったため、全くスペインを楽しむことができなかったと言います。 あれから20年、スペインという国のあらゆる魅力がつまっているといわれる、アンダルシアを旅します。

美しい海岸線にある街ネルハ。この辺りは、コスタ・デル・ソル(太陽海岸)と呼ばれる一大リゾート。 そこでコスタ・デル・ソルの漁師さんの伝統の味、イワシの塩焼きをごちそうになる。 また山肌に広がる美しい白い町ミハスでは街を散策。一軒のお宅に訪問し、街全体が白く美しい理由を尋ねる。 さらに町外れの闘牛場 を訪れる。 そしてアンダルシア地方第2の都市グラナダではグラナダ国王、アル・アフマールによって建てられたイスラム芸術の最高傑作、 アルハンブラ宮殿を訪れる。



ドライブガイド
8月18日放送分
 

オーストリア幻の花 〜エーデルワイスを探して〜

オーストリアの国の花エーデルワイス。美里さんは、映画「サウンド・オブ・ミュージック」の中で、人々が故郷を思い、「エーデルワイス」を歌うシーンに特別な思い入れを抱いています。野生のエーデルワイスを見たい、それが渡辺美里さんの夢です。

<ハルシュタット>
◯ザルツブルクからおよそ2時間。世界で最も美しい湖岸の街と言われるハルシュタットは、街全体が世界遺産に登録されている。美里さんは、町中で多く見られる「家の壁にくっついて生えている不思議な木」について街の人に訪ねたり、教会を訪れたりと街を満喫。
街で、世界最古の岩塩坑があると聞き訪れてみることに。一説には7千年前から岩塩の採掘が行われているとされ、現在も現役。山にいくつもある坑道の一部が見学コースになっており、岩塩の歴史や採掘方法などを見学することができる。目玉は坑夫たちが作業場の移動のために使ったという、長さ70mの木製すべり台。ヤッケに着替えた美里さんももちろん挑戦する。
アルプスの農家で変わった岩塩の使い方をしていると聞き、一軒の農家を訪ねてみることに。標高およそ1300mのところにある山小屋で、郷土料理をごちそうになったり、お礼に歌をプレゼントしたり。さて、変わった岩塩の使い方とは?
いよいよ美里さん、エーデルワイスを求めてさらに高いアルプスへ。3千m級のアルプスに囲まれた山岳道路を通り、「エーデルワイスの頂き」へ。「アルプスの宝」と呼ばれるエーデルワイスを探します。果たして美里さん、エーデルワイスを見つけることはできるでしょうか?

ドライブガイド
8月11日放送分
 

オーストリア紀行〜「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台へ〜

大好きな「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台を訪ねてみたい、それが渡辺美里さんの夢です。

<ザルツブルク>
◯映画の主な舞台となった街。美里さんは、主人公マリアと子どもたちが「ドレミの歌」を歌いながら噴水やバラのトンネルを踊り歩くシーンがとても印象的だったというミラベル庭園へ。他にも市内には「サウンド・オブ・ミュージック」のロケ地が10カ所以上あり、全て歩いて見て回ることができる。

<ザンクト・ヴォルフガング>
◯アルプスの山並みに囲まれた美しい湖、ヴォルフガング湖。その北側にある街がザンクト・ヴォルフガング。美里さんが目指すのは、映画の中でマリアと子どもたちがピクニックに出かけた高原。映画が撮影された当時と変わらない登山鉄道に乗り込み、40分ほどかけてゆっくりと登って行くと・・・!

<ヴェルフェン>
◯「サウンド・オブ・ミュージック」のロケ地を探して、ザンクト・ヴォルフガングから約2時間。ヴェルフェンに珍しいものがあると聞き、まずはそちらに立ち寄ることに。ケーブルカーに乗り、さらに山道を30分ほど歩いたところにあったのは、世界最大級の氷の洞窟。それはまさに、地球が作り出した神秘の舞台。 美里さんはヴェルフェンでひときわ目立つ城に上って、マリアと子どもたちが「ドレミの歌」を歌った高原を探してみることに。果たして目指す高原は見つかるのか?



ドライブガイド
8月4日放送分
 

カンボジアを走る!〜微笑みの人と大地と遺跡と〜

古代カンボジアの世界観、宇宙観を形にした遺跡「アンコール・ワット」を見て本当に感動し、もっと深くカンボジアを知りたくなったと語る清水さん。カンボジアの人々の笑顔に出会い、さらなるカンボジアの魅力を探る旅の続きです。

<シェムリアップ>
◯プサー・ルーは、アンコール・ワットから南へおよそ5km、シェムリアップの街にある最大の市場。新鮮な果物や野菜を求める人々で、毎日ごった返しています。中でも特に賑わいを見せるのが魚売り場。様々な淡水魚がところ狭しと並びます。その魚が獲れた場所を訪ねると、「トンレサップ湖だよ」という答えが返ってきました。清水さん、早速トンレサップ湖へ向かいます。

<トンレサップ湖>
◯東南アジア最大の湖、トンレサップ湖。乾季の面積は3300?。雨季を迎えるとその大きさは4倍にもなる不思議な湖です。5千人を超える人々が水上生活を営むトンレサップ湖には、教会や雑貨店など、生活に必要な様々な施設が揃っています。そこにはもちろん学校も。算数の授業中だった小学2年生のクラスにおじゃましました。

<シェムリアップ>
◯シェムリアップの街で、清水さんがどうしても立ち寄りたかった場所が 「クメール伝統織物研究所」。長引く内戦により消えつつあった伝統の絹織物を絶やすまいと、 もともと京友禅の染め物職人だった森本さんが建てた工房です。カンボジアシルクの特徴は、 黄金色に輝く糸。およそ160人の女性たちが、昔ながらの方法でシルクを織っています。
かつて600年以上にわたり、この国を支配したアンコール王朝。アンコール時代最盛期の王、 ジャヤヴァルマン7世により築かれたのが、「大いなる王都」を意味するアンコール・トムです。 その中心には、観世音菩薩の顔が刻まれた49もの塔が立ち並ぶ仏教寺院「バイヨン」があります。 その顔が四方を向いているのは、仏の慈悲がこの世界の隅々まで届くように という王の願いが込められているからなのだそうです。
そしてバイヨンのほど近くにあるもう一つの寺院が、ジャヤヴァルマン7世が母のために建てた「タ・プローム」。 スポアンと呼ばれる巨木に覆われた遺跡はとても神秘的です。 スポアンは、今もなお寺院を飲み込むように成長を続けています。カンボジアの人々は「このままの姿がいい」と、 巨木を取り除かずに、遺跡が発見された当時のままの姿を維持しているのです。
大いなる王の遺跡と、人々の笑顔があふれるカンボジア。この旅で清水さんは、 カンボジアのさらなる魅力を探ることができたのでしょうか?



ドライブガイド
7月28日放送分
 

カンボジアを走る!〜アンコール・ワットへの道〜

12世紀後半、アンコール王朝のスーリヤヴァルマン2世により、30年余りの歳月を費やして建立された「アンコール・ワット」。ジャングルに建つその美しい寺院を見たい、それが清水美砂さんの夢です。

<ウドン>
◯ウドンは、17世紀初頭から200年以上にわたり王宮が置かれていたかつての首都。その山の頂上には、王の墓が遺されています。王の遺骨が納められている仏塔は、今も多くの人々が参拝に訪れる神聖な場所。お祈りの時間には、僧たちが、山の麓まで声が届くようにと拡声器を使います。清水さんも一緒に塔の周りを回って祈りを捧げます。

<コンポンチュナン>
◯ウドンから北へ約50km。サトウヤシが立ち並ぶ田園が広がる村、コンポンチュナンには、カンボジアの伝統が息づいています。それは、古くから伝わる素朴な手作りの壷。食料の貯蔵や調理に使うというその壷は、少し変わった作り方をするのです。それがカンボジア伝統の技。さて、その技とは一体?

<シェムリアップ>
◯国道6号線は、「王道」とも呼ばれ、アンコール・ワットへと続いています。かつてカンボジアのみならず、インドシナ半島のほとんどを支配していたアンコール王朝。戦略や交易のために王が築いた都へと続く道、それが「王道」です。
その遺跡に入るには、入場パスが必要。直前のゲートで入場パスを作ったら、アンコール・ワットはすぐ目の前です。アンコールとは「王都」、ワットとは「寺院」のことを示し、ヒンドゥー教の神であるヴィシュヌ神を祀る寺院、そして王の墳墓として建てられました。王が描いた宇宙の姿を地上に築き上げた壮麗な建築、念願のアンコール・ワットを訪れ、アンコール王朝に思いを馳せた清水さん。翌日、アンコール・ワットに昇る朝日を見るために、この地をもう一度訪れます。そこで清水さんが感じたこととは・・・?



ドライブガイド
7月21日放送分
 

フェリーニへの道!〜ラストシーンの海を目指して〜

旅人、財津和夫さんには、忘れえぬ映画があります。 20世紀を代表するイタリアの映画監督、フェデリコ・フェリーニの代表作「道」。 財津さんはそれを、「本当に言いたいことがラストシーンで伝わってくる力強さを持つ映画」だと言います。 そのラストシーンの撮られた場所に立ちたい・・・財津さんは、 ローマからフェリーニの故郷リミニまで走ります。感動のラストシーンの浜辺を目指して。

<スポレート>
◯イタリア中部の街スポレートには、未だ中世の趣が色濃く残っています。
吸い寄せられるように立ち寄った路地裏は、財津さんの目に入るものすべてが石でできていました。 すっかり路地に魅せられてしまった財津さん、なかなか路地を立ち去ることができません。

<リミニ>
◯アドリア海に面した港町リミニは、フェリーニの生まれ故郷です。
フェリーニ財団には、映画「道」ゆかりの品が数多く残されています。 とっておきのお宝の数々に、財津さん、ちょっと興奮気味。
フェリーニの故郷の街で、財津さんがぜひとも会いたかったのが、 フェリーニの親友、ルイジ・ベンツィさんでした。中学、高校と同級生だった 彼らの青春時代の思い出や、生涯の友となった深い絆のお話を伺います。
ローマの海岸から始まった旅は、様々な街を駆け抜け、フェリーニの故郷、 リミニの海岸で終わりを迎えます。ゴールに待っていた衝撃の事実とは!?



ドライブガイド
7月14日放送分
 

フェリーニへの道〜映画の風景を探して〜

20世紀を代表するイタリアの映画監督、フェデリコ・フェリーニ。 旅人、財津和夫さんが、彼の代表作である「道」を初めて見たのは10代後半でした。 その時は、ロードムービーであることしかわからなかったという財津さん。 30代に入り、改めて映画を見直してみると、初めて見た時とは全く違った印象を受けたそうです。 フェリーニの「道」。その記憶に残る風景を探したい、それが財津和夫さんの夢です。

<ローマ>
◯スペイン広場にほど近いマルグッタ通りは、フェリーニが愛した道。 「こういう場所は、のんびり、じっくり歩きたい」と語る財津さんは、 通りに咲く可憐な花を見つけたり、イタリアの壁に興味を持ったり。 そんな財津さんが見つけたのは、フェリーニのアパート。彼はここで、 愛する妻と暮らしていました。その妻こそ、「道」でジェルソミーナを演じたジュリエッタ・マシーナでした。 19歳から亡くなるまでの54年間ローマで暮らしていたフェリーニ。 ローマには、フェリーニ行きつけの店やお気に入りの場所がたくさんあるのです。

<バーニョレッジョ>
◯ローマから2時間。バーニョレッジョの街のどこかで、映画「道」が撮影されたのだそうです。 映画を思い出しながら街を歩く財津さん、街の人に案内してもらい、今も残る撮影現場へ。

<アッシジ>
◯小高い丘の上に築かれたアッシジは、中世の佇まいが残る美しい街です。 その町外れに建つ世界遺産、サン・フランチェスコ大聖堂は、 1226年に亡くなった聖人フランチェスコを祀るために造られました。 祭壇の両側の壁には、聖人フランチェスコの生涯を描いた28枚のフレスコ画が並んでいます。 作者は、13世紀後半から14世紀初めに活躍した天才画家、ジョット。 日本人司祭、平さんがフランチェスコの祈りを鮮やかに描き出した絵に隠されたあることを教えてくださいました。



ドライブガイド
7月7日放送分
 

ロマンチック街道〜白亜の城でフルートを〜

ドイツ南部、バイエルン地方に、世界でも屈指の人気を誇る道があります。ロマンチック街道。全長350キロに及ぶその道の終着地には、美しき白亜の城が待っています。フルーティスト・山形由美の夢は、その白亜の城でフルートを奏でることです。

<ネルトリンゲン>
◯強固な壁に囲まれ、中世そのままの姿が残るネルトリンゲン。ここにはある珍しい風習が残っています。それが、戦争中にも置かれ続けたという「塔の番人」です。その人に会うために、高さ90mもの塔を頑張って昇った山形さん。番人が教えてくれた、中世から500年以上も欠かさず行われている任務とは?

<ミュンヘン>
◯今日のフルートを考案した、テオバルト・ベームのふるさとミュンヘン。その子孫が、今もミュンヘンに暮らしていると聞き、訪ねてみることにしました。19世紀半ば、ベームは豊かな音量と広い音域が可能な今日のフルートを生み出しました。当時ベーム自らが作り、万国博覧会で一等を取った歴史的な逸品を見せていただきます。

<フュッセン>
◯バイエルン国王、ルートヴィヒ2世が、中世への憧れとワーグナーのオペラへの敬愛を込めた、19世紀の城です。芸術をこよなく愛したルートヴィヒ2世は、優れたオペラを生んだ偉大な音楽家、ワーグナーに心酔し、パトロンとなっていたのです。
山形さん、優美な姿を見せる白亜の城で、いよいよ念願のフルートを演奏します。山形さんが奏でるフルートは、ルートヴィヒ2世の胸に響くでしょうか?



ドライブガイド
6月30日放送分
 

ロマンチック街道〜珠玉の町をつないで〜

「真珠のように美しい」と讃えられ、世界中の人々が憧れる美しい道があります。
その名も、「ロマンチック街道」。そこを走るのが、フルーティスト、山形由美さんの長年の夢でした。

<ヴュルツブルグ>
◯ロマンチック街道の起点となる町ヴュルツブルグは、中世以降、司教が治める町として繁栄を続けてきました。その司教のかつての宮殿が「レジデンツ」。ドイツ、バロック建築の傑作と謳われ、世界文化遺産にも指定されています。

<ローテンブルク>
◯「中世の宝石箱」と讃えられる町、ローテンブルク。1000年以上の歴史を有するこの町で、山形さんが立ち寄ったのは、とあるお肉屋さん。お目当ては、店一番の人気メニューなのですが・・・。
中世の面影が残る町をひときわ美しく飾っているのが、中世以来の伝統である、突き出し型の看板。この町に唯一残る、看板鍛冶の工房を訪ね、その熟練の技を見せていただきます。

<バイロイト>
◯「ロマンチック街道を離れ、山形さんは青春の思い出がつまった町、バイロイトへ。やってきたのは、学校。実はここ、山形さんが学生時代、「バイロイト青年音楽祭」というイベントに参加し、世界中から集まったプロを目指す学生たちと共にレッスンに明け暮れた場所でした。その時寮として使っていたのは、何と教室。とても寝心地がよかったという懐かしいベッドも登場します。「久しぶりにこの場所でフルートを吹いてみませんか?」という校長先生のはからいで、課外授業を兼ねた、小さなフルート演奏会が行われました。

<ディンケルスビュール>
◯ディンケルスビュールは、第二次世界大戦の被害を全く受けなかった珍しい町。それゆえ、中世の佇まいが色濃く残ります。夜9時、鐘の音と共に現れたのは、中世から続く、伝統ある町の夜警さん。見物人を従えて夜回りの開始です。
ロマンチック街道に生きる人々にとって中世とは、今もそこにある時代。山形さんはロマンチック街道を、さらに南へと進みます。



ドライブガイド
6月23日放送分
 

阿蘇の風に吹かれて 〜九州横断道路を行く〜

伊勢正三が別府から熊本までの九州横断道路を旅する。後編となる今回は阿蘇から熊本まで。
阿蘇山では、押し戸石の巨岩群や満開のミヤマキリシマが自生する仙酔峡をぬけ、ガイドとともに噴煙の上がる阿蘇山・中岳をトレッキング。山頂からは阿蘇の田園風景が一望。大いなる阿蘇の絶景と自然を満喫する。
加藤清正が残した道、豊後街道を西へ進み、今年築城400年を迎える熊本城へ。

<阿蘇市>
◯阿蘇山:九州中央部に位置する活火山・阿蘇。周りを取り囲む外輪山と呼ばれる山々と、カルデラ盆地の阿蘇谷。その中で唯一外輪山でだけ見られるのが、鬼たちが夜な夜なお手玉をして遊んだという伝説を生んだ「押戸石の巨石群」。まるで外国のような、古代の日本にタイムスリップしてしまったかのような不思議な景色の中で、伊勢さんは「風」を感じます。
阿蘇の大地の特徴は、もともと水を通しにくい地層の上に、およそ9万年前までの間に起こった大規模な火山活動により、火山灰や軽石、溶岩が堆積していること。そんな阿蘇の大地の恵みを感じることができるのが、「竹崎水源」。
阿蘇に降る雨が濾過され、豊かな湧き水となっています。早速伊勢さんも、阿蘇の恵みをいただきます。
阿蘇の初夏を代表する花、ミヤマキリシマ。その群落が、阿蘇五岳の一つ、中岳の裾野に広がっています。ここは、仙人も酔うほどに美しい峡谷。だから「仙酔峡」と呼ばれているのです。
仙酔峡からロープウェイで昇ること10分。熟練ガイドの池辺さんとともに、現在も噴煙を上げ続ける阿蘇山・中岳をトレッキング。噴火の痕跡をとどめるように、ゴツゴツとした岩が転がる、まるで月の世界のような風景の中を歩くこと30分。その山頂からは、大いなる阿蘇の絶景と自然を見ることができます。
◯豊後街道:現代の九州横断道路から遡ることおよそ400年。豊臣秀吉の重臣、加藤清正が残した道が「豊後街道」です。現在は遺跡となっていますが、一部は舗装され、県道337号線として、熊本城へとつながっています。
◯熊本城:加藤清正が数多の実戦経験を生かし、7年もの歳月をかけ、心血注いで築いた天下の名城です。今年は築城400年。初めて城内へ昇った伊勢さん、江戸時代へ思いを馳せます。
◯実山展望台:玉名市天水町。かつて英語教師として熊本に滞在した夏目漱石が「桃源郷のように美しい」と讃え、名作「草枕」の舞台となった地です。伊勢さんはその町を見下ろす展望台へ。止むことのない涼しい風と眼下に広がる美しく穏やかな風景。雄大な自然を体全体で感じることができる場所です。



ドライブガイド
6月16日放送分
 
風の、「やまなみハイウェイ」 〜九州横断道路を行く〜
伊勢正三が別府から熊本までの九州横断道路を旅する。
出発地の別府の資料館で、日本の女性バスガイド第一号となった女性と会う。ここちよい風の中、車を走らせる伊勢正三。九重町の飯田高原では、ラムサール条約にも登録されている美しい湿地帯「長者原」を訪れ、この地を撮り続けている写真家と山歩きを楽しむ。 大分屈指の清流、竹田市の神原渓谷で、伊勢正三が今最も夢中になっている趣味・フライフィッシングを楽しむ。

<別府市>
◯平野資料館:1日3万トンにも及ぶ湧水量を誇る湯の町・別府ならではの、昔懐かしい写真などが展示されている資料館。ここで伊勢さんは、どうしても会いたい人がいました。それは、九州横断道路の貴重なる証言者、村上あやめさん。実はあやめさん、日本の女性バスガイド第一号。今でも諳んじているという、独特の節回しの案内を披露してくれました。
<九重町>
◯飯田高原・長者原:2005年、ラムサール条約に登録された、美しい湿原。くじゅうの自然に魅せられ、山々を撮り続けている写真家・藤田晴一さんと待ち合わせて、山歩き。湿原に咲くはかなく美しい花々や、心地よい風を楽しみます。
<竹田市>
◯神原渓谷:大分屈指の清流。伊勢さんが今最も夢中になっている趣味が、フライフィッシング。自らの趣味を、「いつでも自分を少年時代に戻してくれる遊び」だと語る伊勢さん、「ミュージシャン」から「釣り人」の顔になって、魚を追いかけ、渓流を分け入ります。



ドライブガイド
6月9日放送分
 
「我が愛しのルート66 〜4000キロの旅の果て・シカゴへ〜」
かつてのアメリカの栄光の道「ルート66」4000キロを走る旅の最終回。今回は、ミズーリ州からゴールとなるイリノイ州・シカゴまでを走る。 ミズーリ州では、ジェットコースター・ロードと呼ばれるアップダウンの続く道。石灰岩からできた地層のためだ。地下の鍾乳洞も見学。
ブルースの町・セントルイスを抜けて、ミシシッピ川にかかるかつて「ルート66」の一部であった橋を歩いて渡る。
 イリノイ州の州都・スプリングフィールドで立ち寄った店は、コージードッグ(日本でいうアメリカンドッグ)発祥の店。少年時代の思い出などを語りながらコージードッグをほおばる中村雅俊にサプライズが・・・!
景色は、それまでの乾いた風景から森へと変わる。メイプルシロップの採取の様子を見せてもらった後、いよいよシカゴへ・・・。
シカゴでようやく探し当てた「ルート66」の最終地点。そこにはとても小さな看板「ROUTE66」そして「END」があるだけだった・・・。

<ミズーリ>
◯ファンタスティック・キャヴァーンズ:ミズーリ州を走るルート66は、別名「ジェットコースター・ロード」と呼ばれ、大きな起伏のある道が続きます。その理由は、石灰質の土壌であるということ。そのためミズーリ州には600以上もの鍾乳洞があるのだそうです。ここは、全米で唯一の「車で見られる鍾乳洞」。およそ1時間かけて巡る鍾乳洞はまさに時が作り出した芸術品です。
◯B-SHARPミュージックスクール:音楽の街セントルイス。ここでは子どもたちにとっても、ブルースなどの音楽はとても身近な存在です。雅俊さん、スクールに通い、ミュージシャンを夢見る子どもたちとセッションします。
◯チェーンズロックスブリッジ:アメリカで一番長い川、ミシシッピ川にかかる大きな橋。現在は歩行者と自転車のみがこの橋を渡ることができます。この橋を渡れば、ルート66最後の街、イリノイ州です。いよいよゴールを迎えるイリノイ州を目前に、雅俊さんは何を語るのでしょうか?

<イリノイ>
◯コージードッグ・ドライブイン:ルート66名物、コージードッグ発祥のカフェ。「コージードッグ」とは、日本でもおなじみの「アメリカンドッグ」のこと。できたてあつあつのコージードッグをほおばり、子どもの頃に食べた懐かしい味を楽しんでいた雅俊さんに突然のサプライズが・・・
◯ファンクスグローブ:イリノイ州の街マックイーンは、メイプルシロップが採れる南限。12月〜3月に収穫の最盛期を迎えます。今回は特別に、オーナーに収穫の仕方を教えていただきました。
◯シカゴ:いよいよミシガン湖に面した大都市、シカゴへやってきた雅俊さん。サンタモニカからシカゴまで、4000キロの旅の果てに感じたこととは・・・?

ドライブガイド
6月2日放送分
 
「我が愛しのルート66 〜オクラホマからミズーリへ〜」
中村雅俊が子どもの頃ドラマで見て憧れたルート66」。今回と次回で、シカゴまでのラスト1000キロを走る。途中、20年前からルート66を題材に描いてきた放浪の画家と出会う。
今や航空産業の町・タルサの航空博物館で遊んだ後、「ルート66」の父が線を引いた道路地図を見せてもらう。遊園地の跡や、採掘場の名残の品など、若かりしアメリカの足跡を通り抜け、7つ目のミズーリ州に入った。

<オクラホマ>
◯ ロック・カフェ
1931年にオープンしたロック・カフェは、ルート66を行き交う人々の憩いの場として大人気。お店の自慢は、何とワニのハンバーガー!さて、お味の方は・・・?
◯ シューツリー
ルート66の隠れた名所。誰かが木に靴をぶら下げたのをきっかけに、今では100足ほどがぶら下がっています。
ここで出会ったのが、車で旅をしながらルート66を描く放浪の画家、ボブ・ウォルドマイヤーさん。「ルート66は、象やクジラのように絶やしてはならない存在。それを描き続けるのが自分の仕事」と語るボブさんの車には、ルート66の地図が描かれています。雅俊さん、自分がたどって来た道のりを確認。あと3分の1の夢の続きは・・・?
◯ タルサ航空宇宙博物館
オクラホマ第2の都市タルサは航空産業の街。この博物館には、飛行機やロケットなど、実際に触って動かせる様々な展示物があります。雅俊さん、思わず童心に帰って・・・。
◯ ブルーホエール
1970年代に建てられたブルーホエールは、プールのある公園としてにぎわった場所。現在は閉鎖されてしまったルート66の夢のあとです。
◯ オクラホマ州立大学タルサ校
ルート66の父と呼ばれる実業家、サイラス・アヴェリー。事業の他にも道路の整備に心血を注いだ彼は、シカゴとロサンゼルスを結ぶ道路を計画、それがルート66の原型でした。
道路の整備計画を記した当時の貴重な資料を見せてくれたのは、サイラスさんの孫、ジョイ・アヴェリーさん。祖父の思い出や、ルート66にまつわるエピソードをうかがいます。

<カンザス>
◯ガリーナ博物館:ルート66が13マイル(24km)だけ通っているカンザスの街のシンボルが、この博物館。かつて鉛の採掘で栄えたカンザスの、古き良き時代を感じさせるものがたくさん展示されています。

ドライブガイド
5月26日放送分
 
「コート・ダジュールの春 〜断崖の「鷲の巣村」へ〜」
写真でしか見たことのなかった「鷲の巣村」。なぜあんな崖の上に家が建っているのか?そこではどんな人が、どんな生活をしているのか?不思議な「鷲の巣村」を、遠くから眺めるだけでなく、近くで見て、その中を歩きたい。それが紺野美沙子さんの夢です。

<ニース>
◯ 朝市
週に6日開かれている市民の台所。南フランスの日差しをいっぱいに浴びて育った色鮮やかでおいしい野菜が並びます。
◯ KEISUKE MATSUSHIMA
朝市で見た、おいしそうなズッキーニを食べようと出かけたレストラン。実はここ、ミシュランで一ツ星を獲得した日本人シェフ、松嶋啓介さんのお店。何よりも南フランスの野菜のおいしさにひかれてこの地に店を構えたという松嶋さんが作るフレンチは、この地で採れた旬の素材の味が際立っています。
紺野さん、南フランスのおいしい野菜を満喫です。

<サンポール>
急斜面に張りつくような佇まいから「鷲の巣村」と呼ばれる、断崖に建つ村。中世、外敵の襲撃を防ぐために作られた、迷路のような村です。紺野さん、歩いて村を散策。目指すはこの村で一番古い建物である教会、のはずだったのですが・・・。
村のメインストリートには、70軒もの画廊が立ち並んでいます。その中の1軒の画廊に立ち寄った紺野さん、鷲の巣村での生活を知りたいと、オーナーのフィリップさんのお宅へ。
ベランダからの眺めを見て、サンポールに住むことを決めたというフィリップさんの言葉どおり、目の前には南フランスの絶景が広がっていました。

<エズ>
「もうひとつの鷲の巣村」エズは、海抜427mの岩山に作られた小さな村。コート・ダジュールの絶景が見られることで有名な場所です。
ここで紺野さん、憧れていた1軒のホテルへ。断崖に建ち、地中海を見下ろすことができるホテルです。遠く中世の昔につくられた、不思議な鷲の巣村をたどる旅を終えた紺野さん、その感想は・・・?

ドライブガイド
5月19日放送分
 
「幻想のカマルグ大湿原」
「美しいものをこの目で見たい」それが、紺野美沙子さんが南フランスを旅する理由です。日常を忘れて、心を耕す時間を持ちたいと、憧れの地、幻想のカマルグ湿原を目指します。そこに待っているのは、南フランスの未知なる風景です。

<アルル>
◯ ラングロワの橋
南フランスの明るい色彩を求め、アルルにやってきた画家ゴッホは、跳ね橋のある風景に惹かれ、このラングロワの橋をモチーフにした8枚の作品 を残しました。ゴッホが描いた跳ね橋は戦争で焼けてしまい、現在は、焼け残った部品をもとに修復された橋が残っています。
◯ 円形闘技場
古代ローマ時代に建てられた円形闘技場。かつて2万5千人もの人が集まったと言われるこの闘技場は、現在も闘牛を行う舞台として使用されています。紺野さんは、闘技場を囲む外壁の上へ。そこは、中世の面影を残すアルルの街並を一望できる、とっておきの場所でした。

<カマルグ>
◯塩田
2つの川と地中海に囲まれた三角地帯であるカマルグは、かつて海であった場所に川が土砂を運ぶことによって作られた大地です。土の塩分が強いため、葦などの限られた植物しか育たず、それが、カマルグ独特の景色を生んでいます。古くから製塩で栄えたカマルグには、現在も広大な塩田があります。ストックされている塩はまるで白い山。見渡す限り真っ白な風景はまさに絶景です。
◯牧童小屋ホテル
湿原の中に建つホテル。白い土壁に、湿原で採れる葦を葺いた屋根は、カマルグ地方の伝統的建築物です。ホテルの近くの浜辺を、カマルグのシンボルである白い馬に乗って散策できると聞いた紺野さん、早速白馬に乗って海へ出ます。
○テリーヌ漁
カマルグ特産の二枚貝、テリーヌ。海辺でテリーヌ漁をしている男性のお宅に招待していただき、おいしいテリーヌ料理をいただきます。

ドライブガイド
5月12日放送分
 
「夢のカリフォルニア 〜 スタインベックが愛した風景を探して 〜」
中学生の頃読んだ、スタインベックの「怒りの葡萄」。その影響からか、30代の頃から農業に興味を持つようになった永島さん。スタインベックの生まれ故郷で「農業」を見てみたい!それが永島さんの夢です。

<アプトス>
◯朝市
毎週土曜日に開かれる朝市。ここで売られる野菜のほとんどが有機栽培。たくさんの新鮮な野菜を前に、永島さんは・・・。

<サリナス>
◯スタインベックハウス
スタインベックの生まれ故郷であるサリナスは、恵まれた気候のため、古くからレタスなどの野菜の栽培が盛んで「アメリカのサラダボール」と呼ばれています。そのサリナスの町に、今も大切に保存されているのがスタインベックハウス。1897年に建てられたこの家で、彼は大学に入るまでの18年間を過ごしました。現在は地元ボランティア団体によって運営され、1階はレストランになっています。
◯ナショナルスタインベックセンター
ダウンタウンにあるこのナショナルスタインベックセンターには、彼の直筆原稿や「怒りの葡萄」の初版本など、貴重な資料が数多く残されています。スタインベックの直筆原稿を初めて目にした永島さん。その感想は?

<カメールバレー>
「ここは昔のサリナスに似ている」と、スタインベックが愛した場所。この谷の深い緑と美しい緑にひかれ、何度も足を運んだそうです。

<パシフィック・グローブ>
目の前に広がる太平洋。その美しさもさることながら、パシフィック・グローブのもうひとつのシンボルがポイント・ピノス。1855年に建てられた、現存する灯台の中では西海岸最古のもの。永島さん、その美しい夕暮れを眺めます。

<チコ>
○ラロッカ・ヴィンヤード
200エーカーに渡って広がるラロッカさんのぶどう畑。20年前からぶどう作りを始めたラロッカさん一家の農業の様子や、おじいさんの代にカリフォルニアへやってきた当時のお話を伺います。ラロッカさんの畑で、ほとんど農薬を使わない有機栽培で育てられるぶどうは、おいしいオーガニックワインになります。大のワイン好きの永島さん、ワインのお味の方は・・・?

<フリモント山>
スタインベックが最も愛した山。彼方には、きらきらと輝くパシフィック・グローブの海が広がります。その風景こそが、スタインベックが愛したすべてのもの。美しい風景を前に、永島さんが感じたこととは・・・?
ドライブガイド
5月5日放送分
 
「もう一つの『卒業』 〜 アメリカ・カリフォルニア シネマの旅 〜」
永島敏行さんが高校時代に見た映画『卒業』。恋愛に憧れる自分と同じくらいの年代の主人公ベンジャミン扮するダシティン・ホフマン。カリフォルニアの明るい日差しの中、映画『卒業』のロケ地をたどります。

◯ベイブリッジ
最初に向かったのは、サンフランシスコとバークレーを結ぶベイブリッジ。主人公のベンジャミンが彼女を追いかけてロサンゼルスからサンフランシスコを抜けてバークレーへと向かうのです。このベイブリッジを渡って。二重構造になっているこの橋の上の段はバークレーからサンフランシスコへ向かう車線。しかし映画では、車が映らないという理由で、上の車線を走らせて撮影したといいます。

<バークレー>
◯カリフォルニア州立大学バークレー校
世界的に有名な名門校。映画のヒロイン・エレーンはここに通う学生という設定です。永島さんは当時映画を見て「俺たちの学生生活と全然違う、リッチだなー」と感じたそうです。撮影が行われた60年代はバークレーでは学生運動が盛んだったため、大学のシーンは別の場所で行われたといいます。「ベトナム戦争の頃だものね」と納得の永島さん。
○古書店
古書店の向かいのカフェで彼女を待ち伏せていたベンジャミンは、バスに乗ろうとする彼女を追いかけます。古書店の向かいのカフェは、映画に使われたカフェとは別のカフェでした。

<サンフランシスコ>
○サンフランシスコ動物園
ヒロイン・エレーンが別の男性と待つ合わせしていた動物園。「映画のイメージとは違う」という永島さん。それもそのはず、当時あった檻は、動物たちの飼育場所を自然環境に近づけるため70年代に撤去されたのだそうです。撮影当時赤ちゃんだったチンパンジーとご対面。
サイモン&ガーファンクルの大ファンである永島さんは、「ちょうどレコードを買うような年代になった頃で、サイモン&ガーファンクルの曲が流れる映画ということでも強烈なインパクトがありました。当時は初期のアルバムから全部そろえていました。サイモン&ガーファンクルの時代のアメリカというのは、今のアメリカとはちょっと違って、迷っているアメリカっていうのが見えたのが好きだったのかな?」とポツリ。

<ロサンゼルス>
○南カリフォルニア大学
ジョージ・ルーカスやスティーブン・スピルバーグなど多くの映画監督を輩出した大学。映画『卒業』の大学のシーンの多くは、ここで撮影されました。授業が終わって噴水の間からエレーンが出てくるシーンを撮影した場所に立った永島さん。噴水の奥には、ベンジャミンがエレーンが別の男性と結婚するという話を聞いた図書館も見えます。結婚式当日、ベンジャミンは彼女を奪い返すべく教会へ向かいます。
○教会
映画のクライマックスで、車を捨て教会へ走って向かうベンジャミン。撮影に使われたのは、1965年に建てられたユナイテッド・メソジスト教会。ユニークな形が関係者の目に留まり撮影地に選ばれたそうです。永島さんの印象は、「僕らが思っている教会のイメージとは全然違う・・・」「前半できれいだなあと思っていた(ベンジャミンと関係を持つ人妻役の)アンバン・クラフトがすごい形相でののしっている顔が印象に残っています。嫉妬なのか、エレーンの母親としての気持ちなのか、あそこが不思議でした。」 教会のシーンで出できた外階段が見当たらないのですが・・・。 そして最後に、永島さんも映画をまねて叫びます。「エレーン!」
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4月28日放送分
 
「サッカー!このすばらしきもの!! 〜 岡田武史 イギリス紀行〜」
スポーツ文化が根ざしているといわれている国、イギリス。誰でもが芝生のピッチで簡単にサッカーをすることができ、そういった人々がトップチームを支えている。本当にサッカーを愛している人たちの姿を見たいというのが、岡田さんの夢です。

<プレストン>
◯プレストン・ノースエンド
イギリス中部の街、ノースエンドに本拠地を構えるプロチーム。イングランドサッカー協会(FA)のもと、4部にわかれるプロリーグの2部、チャンピオン・シップの強豪。イギリスでは、クラブは専用の競技場を所有しており、その特徴はピッチと観客席が近く、防御の網を持たないこと。クラブの練習風景や専用スタジアムを見学した岡田さん、思わず・・・ また、スタジアムには、最初のワールドカップのトロフィーや、19世紀に使われていたボールなどが展示された、イングランド・ナショナル・フットボールミュージアムが併設されている。

<ストックポート>
◯ストックポート・カウンティ マンチェスター近郊の街、ストックポートを本拠地としているのが、1886年創設、現在は4部相当のリーグに所属する、ストックポート・カウンティ。オーナーはおらず、応援してくれるサポーターによってチームがまかなわれている。
試合前にはパブへ行き、自分の愛するチームについて盛り上がるのがイギリスの伝統。岡田さんもパブへ行き、地元の人たちと今日の試合について語る。
岡田さんの目には、世界で最も熱狂的な下部リーグを持つと言われるイギリスのサッカーは一体どのように映ったのでしょうか?
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4月21日放送分
 
「I Love Football 〜 岡田武史 イギリスで僕が考えたこと 〜」
サッカーをやっている以上、勝たなくてはならない。しかし、本当に勝つだけでいいのだろうか?岡田武史さんは、最近そんなことを考えているそうです。サッカーの母国で、もう一度サッカーについて考えてみたい、それが岡田さんの夢です。

<ロンドン>
◯フットボール協会
遥か昔から行われてきた「フットボール」。それまで地域独自のルールで行われてきたフットボールのルールを統一すべく結成された、世界最古のサッカー協会(Football Association)。1863年、初めての会合で制定された9条からなるルールが記された議事録を見せてもらう。

<アッシュボーン>
◯マス・フットボール
イギリス中部ののどかな街で年に一度行われる、近代サッカーの原型「マス・フットボール」。街全体をグラウンドとして7千人以上もの人が参加し、およそ5キロ離れたお互いのゴールを目指す。岡田さんは、パブで昨年のゴールゲッターと待ち合わせ。マス・フットボールで使われるボールを見せてもらう。

◯グラウンド
イギリスの街では、どこでも緑のフィールドを見ることができる。そして小さいながらもクラブハウスも完備。・・・と来れば岡田さん、じっとしているわけには行きません。早速着替えて久々のサッカー。さてその感想は?

◯ナローボート イギリスの伝統的な船遊び。15メートルほどのボートを借り切って、のんびりと船旅を楽しむことができる。産業革命の後、エネルギー源であった石炭を運ぶために張り巡らされた水路を行くため、船の幅は2メートルほどだが、キッチンやシャワーが備え付けられている。そして、普通免許を持っていれば、誰でも操船が可能。

<マンチェスター>
◯オールド・トラフォード
産業革命の原動力となった街、マンチェスターのシンボルが、マンチェスター・ユナイテッド。世界有数のビッグクラブであるマンチェスター・ユナイテッドの本拠地が、オールド・トラフォード。別名「シアター・オブ・ドリームス」。世界中の人々を魅了してやまない「夢の劇場」で、岡田さんが考えたこととは・・・?
ドライブガイド
4月14日放送分
 
「フランス 〜 ロンシャンの礼拝堂への道 〜」
仕事や旅行で何度もヨーロッパを回って来た柴俊夫さん。数々の名所や建築物を見てきましたが、その中でも「どうしても合点がいかない」建築物があるそうです。
それが、20世紀最高の建築家と謳われた、ル・コルビュジエの「ロンシャンの礼拝堂」。なぜあのような建物が、礼拝堂たりえるのか?その謎を解明するのが柴さんの夢です。

<ポワシー>
◯サヴォワ邸
ル・コルビュジエが44歳の時に建てた、代表的な作品。柱だけを残して建築全体を宙に浮かせたようなピロティ。ピロティに支えられて空中に浮かんだまるで白い箱のような住居部分は、視界が中庭へと広がり、空気が常に流れるような造りになっている。直線と直角が生み出す無駄のないフォルムは、「住宅は、住むための機械」であるという彼の理念をそのまま表現した傑作。実際に家に入ってみた柴さん、さて、その感想は?

<ストラスブール>
◯ノートル・ダム大聖堂
高さ142メートル。完成まで260年を要し、中世ヨーロッパで最も高い建築物だった。たくさんの職人たちが競うようにして作ったと言われる、おびただしい数の彫刻と並ぶ見所がステンドグラス。中でも直径13メートルにも及ぶバラ窓は、ゴシック建築ならではの絢爛たる光の芸術。 さらに、ノートル・ダム大聖堂とっておきの場所とは・・・?

<ベブレンハイム>
◯シャンブル・ドット
1階は石造り、2階より上は木組みと漆喰という、典型的なアルザス地方の家屋を使い、太い梁と柱が生かされたインテリアの、家庭的なフランス版の民宿。今夜はここで、家族と共にアルザス地方の郷土料理の夕食を楽しみ、宿泊。

◯ジャン・シップ フランスきっての白ワインの産地、アルザス地方。大のワイン好きの柴さんが向かったのは、13代、およそ350年に渡ってワインを作り続けて来たシップさんのワイナリー。今年、ワインの国際大会で金賞を獲得したという、シップさん自慢のワインに柴さんは・・・?

<ロンシャン>
◯ロンシャンの礼拝堂
西洋建築が石やレンガで建てられていた時代に、鉄とコンクリートを駆使し、装飾のない合理的な建築物を次々と建てていったル・コルビュジエ。彼が67歳にして、自らの理念を覆すかのような礼拝堂を建てたのがここロンシャン。もとは巡礼者のための教会が建てられていたが、戦争でダメージを受けたため、ル・コルビュジエの手によって生まれ変わった礼拝堂の壁は、斜めに傾き、窓は不揃いにしつらえてある。カニの甲羅からヒントを得たと言われる、天に向かって反り返るコンクリートの屋根、東西南北すべての面が異なる姿を見せる不思議なフォルムの礼拝堂。なぜこれが礼拝堂たりえるのか? 柴さん、いよいよ夢の礼拝堂へ・・・。
ドライブガイド
4月7日放送分
 
「フランス 青春のパリ  〜「勝手にしやがれ」の楽しみ方〜」
ジャン・リュック・ゴダール監督の出世作「勝手にしやがれ」。この傑作に衝撃を受けた柴俊夫が、憧れの映画の主人公になりきり、パリの街を颯爽とドライブする。
まずは、撮影道具を扱う店で、ジャン・ポール・ベルモンドになりきるべく衣装を探す。そして映画の中に出てきた映画館へ。さらに、衝撃のラストシーンが撮影された通りに立った・・・。最後に訪れたのは、映画のヒロイン、ジーン・セバーグが眠る墓地。
ドライブガイド
3月31日放送分
 
「トルコ俳句紀行 〜神秘の大地カッパドキア〜」
標高1000メートルを超える高原に広がる岩の大地カッパドキア。この不思議な風景は、およそ6000万年前の火山活動によって降り積もった溶岩や火山灰が堆積し、柔らかい地層と硬い地層が重なり合い、浸食して生み出されました。神秘の大地、カッパドキアで俳句を詠むのが黛さんの夢です。

<カッパドキア>
◯ユナック・エブレリ
紀元前1900年頃のヒッタイト時代にはすでに交易で栄え、その後4世紀頃には、迫害されたキリスト教徒が岩に穴を掘って住んでいたと伝えられるほど長い歴史を持ったカッパドキア。交番やホテルなど、今でも洞窟に作られたものが多く残る。6世紀頃の住居を改装して作られた「ユナック・エブレリ」は、カッパドキア地方のアンティーク家具とキリムを飾った豪華な造りで、何より静かなのが自慢のホテル。

◯ギョレメ村
現在も洞窟に住む人々の生活を知りたいと訪ねた村。村人に、洞窟を利用した住居や天然の冷蔵庫を見せてもらい、昼食をごちそうしていただく。お母さんにすっかり気に入られた黛さん、息子の嫁になってほしいとお願いされ・・・。

◯気球
気球に乗り、90分かけてカッパドキアを空中散歩。地元では「妖精の煙突」と呼ばれ、妖精たちが暮らしていたと伝えられる奇岩を楽しむ。黛さんの夢を叶えた一句とは?

◯サルハン・キャラバンサライ
かつて、ラクダに乗ったキャラバン隊が泊まった宿で見ることができるのは、イスラム神秘主義、メヴラーナ教の旋回舞踊。独楽のように体をひたすら回転させることで無我の境地に達し、神との一体化を目指すのだという。

<カンガル>
◯バルクル・カプルジャ
その名もズバリ「魚温泉」。人間の古くなった角質を食べる習性があるコイ科の淡水魚「ガラルファ」が入り込んで来るという温泉。トルコでは、皮膚病の治療に用いられており、ドクターフィッシュ、魚のお医者さんとも呼ばれる。黛さんも早速チャレンジ。魚に足をかじられて・・・。

<イスタンブール>
◯ボスポラス海峡
アジアとヨーロッパ、2つの大陸を隔てるボスポラス海峡に沈む夕陽を見つめながら、最後の一句を詠む。
ドライブガイド
3月24日放送分
 
「トルコ俳句紀行 〜十七文字のイスタンブール〜」
ユーラシア大陸の東西を結ぶシルクロード。そのシルクロードのアジア側の終着点がイスタンブールです。旅人は、俳人の黛まどかさん。憧れの地トルコを17文字で綴るのが、黛さんの夢です。

<イスタンブール>
◯ドンドルマ
トルコ名物の伸びるアイスクリーム。ヤギのミルクをベースに、サイハイ蘭の球根から採れる粉を混ぜているのが伸びる秘密。お味の方は?

◯エジプシャンバザール
別名「スパイス市場」。古くから、インドやエジプトの香辛料がイスタンブールに集まり、東はアジアへ、西はヨーロッパへ運ばれていた名残を見ることができる。

◯コーヒー占い
16世紀、オスマン帝国時代に嗜好品として定着したコーヒー。世界で最初にカフェができたのもイスタンブールであると言われている。その特徴は、フィルターを通さずそのまま飲む、ということ。また、飲み終わった後のコーヒーカップにお皿をかぶせてひっくり返し、カップの底に残った粉の形で占う「コーヒー占い」もさかん。早速占ってもらった黛さん、なんと3日以内に素敵な男性が現れると言われ・・・。

◯スルタンアフメット・ジャーミイ
世界的にも珍しい、6本の塔があるモスク。43メートルを誇るドームの内部には、およそ2万枚の青い花柄のタイルが貼られているため、「ブルーモスク」と呼ばれる。

◯キベレホテル
イスタンブールで人気のプチホテル。天井からは、オスマントルコ時代のものを中心に集められた世界各国のアンティークランプがぶら下がっている。その数なんと3500個以上。

◯アラハジュ村
遊牧民の生活から生まれた平織物「キリム」。機械織りが中心になっている現在でも、昔ながらの草木染めと手織りにこだわり、伝統を守り続けている村。村の女の子たちと一緒に、村に伝わる定型詩や踊りを楽しむ黛さん。どこか懐かしいその響きの中で、黛さんが綴った17文字とは?
ドライブガイド
3月17日放送分
 
「インド 華麗なる三都物語〜マハラジャ 白亜の都へ〜」
長年インドに憧れていたという夏木マリさん。インドを訪れるのは今回が初めてです。
夏木さんが憧れ続けていたのは、マハラジャが築いた、美しい色彩の街。それぞれ、ピンク、ブルー、ホワイトに彩られた街を目指します。

◯砂漠の楽団
インドの音楽に興味があるという夏木さん、古くから伝わるインドの音楽を聴いてみたいと、ジャイプールでも屈指の楽団と砂漠で待ち合わせ。独自の楽器で奏でられるリズムに、自然と体が動き出す夏木さん。インド音楽を満喫。

◯ジョドプール
15世紀、ラオ・ジョーダによって建設された、ラジャスタン州第2の都市。街中が青く塗られ、ジャイプールの「ピンクシティー」に対して「ブルーシティー」と呼ばれる。夏木さんは、ここで生まれた「なぜこの街は青いのか?」という疑問を解決すべく、街の人たちにその理由を聞いて回る。果たして、その理由とは?

◯村訪問
色彩豊かなラジャスタン州。その中でも特に個性的な村があると聞き、向かった夏木さん。村の女性たちはみな、美しい民族衣装を身につけていた。夏木さんもさっそく着せてもらうことに。村にすっかりとけ込んだ夏木さん、女性たちと台所で・・・。

◯ウダイプール
16世紀、ウダイ・シンによって建てられた街。川をせき止めて湖を作り、水の確保につとめたという。夏木さんはボートに乗り、その湖に建てられた白亜の宮殿レイク・パレスの外観を眺める。
その後、シティ・パレスへ。現在ホテルとして使用されているこの宮殿は、歴代のマハラジャたちによって建てられた、ラジャスタン州最大の宮殿。美しい景色を眺めながら、ゴージャスな気分でゆったりとくつろぐことができる。
ホテルを後にした夏木さん、ウダイプールが一望できる丘の上へ。色彩の街を巡る旅をしてきた夏木さんが、インドの旅の最後に見たものは?
ドライブガイド
3月10日放送分
 
「インド 華麗なる三都物語〜マハラジャの道〜(前編)」
長年インドに憧れていたという夏木マリさん。インドを訪れるのは今回が初めてです。
夏木さんが憧れ続けていたのは、マハラジャが築いた、美しい色彩の街。それぞれ、ピンク、ブルー、ホワイトに彩られた街を目指します。

◯アンベール城
16世紀、マハラジャが建てた城。ここの名物は、象のタクシー。かつて、数百キロの道のりを象に乗って旅したというマハラジャの気分を味わう。城壁に囲まれた剛健な外観とは対照的に、城の中は優雅なマハラジャの暮らしを思わせる宮殿が築かれている。

◯ジャイプール
18世紀、ジャイ・シン2世が築いた街。メインストリートに立ち並ぶ建物は、すべてピンク色に塗られ、別名「ピンク・シティー」と呼ばれる。その理由は、この地を訪れた英国の王子を歓迎するため、マハラジャが町中をピンクに染めるよう命じたためと言われている。

◯風の宮殿
ジャイプールのシンボル。かつて宮廷の貴婦人たちが、とおりを行き交う人々や祭りを眺めるためだけに建てられたもの。マハラジャの栄光を象徴する壮大な建築だが、裏に回ると・・・。

◯天文台
天文学に造詣の深かったジャイ・シン2世。古代からインドでは、天体の動きが人々に大きな影響を与えると考えられ、占星術が発達したと言われる。

◯占星術
夏木さんは、前々から興味のあるインド占星術を行うため、評判の占い師がいるホテルへ。果たして、占いの結果は?

◯バグルー
染色で有名な村。多くの染色技法の発祥となったインドでも、現在は化学染料による生産が中心となっている。バグルーでは、昔ながらの技術を守り、天然素材を使った染色をしている。木型を使って版画のように色を重ねるブロックプリントの技法を見せてもらう。
ドライブガイド
3月3日放送分
 
「知られざる長寿の故郷へ 〜間寛平57歳 中国で考えたこと〜」
「団塊の世代」と呼ばれる時代を、がむしゃらに走り続けてきた間寛平さん。気がつけば、57歳、これからの生き方を考える年齢を迎えていました。今回の中国の旅は、「生き方の極意」を見つける旅。知られざる長寿の村で、寛平さんが考えたこととは?

◯永福
桂林から南へ50km。永福は、70歳〜106歳の高齢者が1000人以上も参加する、長寿祭りが開催されたほど、長寿で有名な村。
ここで立ち寄ったのは、長寿料理で有名なレストラン。長寿料理の品評会で見事優勝を果たしたそのお味は・・・?

◯百寿
永福でも特に長寿の里として知られる町、百寿。町外れには、何と「158歳まで生きた」と言われる人の像が立っている。かつてこの人が暮らした洞窟は、現在お年寄りたちの集会場。寛平さんが案内されたのは、伝説の長寿の人も飲んでいたという井戸。地元の人も「不老長寿の水」として愛飲している。
長寿の町で一番の長生きは、106歳の周おばあちゃん。毎朝の食事を作ったり、山へ薪拾いに行ったり、できることを自分でやる、というのが周おばあちゃんのスタイル。寛平さんが周おばあちゃんに聞いた、長生きの秘訣とは・・・?
ドライブガイド
2月24日放送分
 
「間寛平 天下絶景!桂林を行く 〜中国・山水画の世界〜」
山水画を見て、その世界の奥には何があるのかと考え続けていた間寛平さん。憧れ続けた風景の先にあるものを求めて、桂林から龍勝を旅します。

◯桂林
漓江下り:およそ2時間の、穏やかな船の旅。眼前に広がるのは、遠い昔、大規模な地殻変動で海の底が隆起してできた不思議な風景と、昔から変わることない人々の暮らし。毎年50万人の人が訪れ、その奇跡の景観を楽しんでいる。そこで寛平さんが見つけたものは・・・?

興坪:川沿いの小さな町。港のすぐそばに見つけた不思議な建物、何と日本人が経営する旅館。これまで国際ボランティアとして活躍していたご主人の林さんは、10年前、美しい山水画の景色に魅了され、この地にやってきたとのこと。桂林をよく知る林さんに、絶景ポイントまで案内してもらう。地上200mからの、目のくらむような絶景とは・・・?

龍勝:桂林から北へ100km、龍勝には、高知県生まれの寛平さんがどうしても見たかった風景がある。山の頂上から見下ろすと、そこには麓から数百段にのぼる棚田が。600年以上前に始まったと言われる龍勝の棚田は、色鮮やかな季節の移ろいを見せる。田んぼで出会ったのは、チワン族と呼ばれる少数民族の女性。近くに住んでいると聞き、家に案内してもらった寛平さん。温かく、素朴なおもてなしを受け、感激。おみやげにもらった地鶏の卵を持って向かった先は・・・?
実は、中国は温泉大国。水着を着て入浴するのが中国のルールです。地下1200mの岩盤層から湧き出る温泉は、鉄分やマグネシウムなどを多く含む鉱泉。旅の疲れも癒え、心も体もほっこり大満足の寛平さんでした。
ドライブガイド
2月17日放送分
 
「愛華みれ ニュージーランド 神秘の氷河を歩く」
鹿児島で生まれ育った愛華みれさんは、雪を目にすることがほとんどなく、白銀の世界への憧れは人一倍。そんな愛華さんの夢は、雄大な風景が広がるニュージーランドで氷河の上を歩くこと。絵のように美しい風景の中を、夢に向かって走ります。

○ ファームステイ
宿泊をしながら、作業や食事など、家族と共に過ごす「ファームステイ」。愛華さん、広大な一軒のファームで、憧れのファームステイ。羊を追うお手伝いをしたり、家族とバーベキューをしたりと、ファームステイを満喫。

○ 原生林
ニュージーランドの西海岸一帯は、固有の原生林が残る地域。一万年前と変わらぬ景観をとどめていると言われる森を、ガイドに案内してもらう。

○ フォックス氷河
左右を森に囲まれた、世界でも稀な氷河。ここが、愛華さんの夢の場所。1日平均1mほど動いており、その姿は日々変化しているという。「憧れだった氷河の上に、少しでも長くいたい」と、1時間以上歩き続けた愛華さん。憧れの氷河で感じたこととは?
ドライブガイド
2月10日放送分
 
「愛華みれ ニュージーランドでペンギンに会いたい!」
「小さな体で一生懸命生きているペンギンが愛おしくて大好き」と語る愛華みれさん。そんな愛華さんの夢は、大自然の中で生きるペンギンの姿を間近で見ること。「野生動物の王国」と呼ばれる、初夏を迎えたニュージーランドを旅します。

○ クライストチャーチ
市民は皆ガーデニングが大好きで、別名「ガーデン・シティ」とも呼ばれる。愛華さんは、昨年夏のガーデニング・コンテストに優勝したご夫妻の家を訪ね、4千種類もの草花が植えられた自慢の庭を見せてもらう。

○ オアマル
19世紀ビクトリア朝時代の面影を残す町。美しい白亜の建物は、近郊で採れる良質の石灰石でできている。そんな石造りの建物にペンギンが住み着いていると聞き、訪ねてみることに。とても珍しいペンギンのすみかとは?
町外れの海岸では、ペンギンたちが海から上がってくる様子を観察することができる。体長約40cm、世界で最も小柄な「ブルーペンギン」たちの、平和で穏やかな暮らしを観察。

○ オタゴ半島
多くの野生動物が生息するオタゴ半島。ガイドの方に案内してもらい、アシカやオットセイなどを見る。オタゴ半島をさらに北上、この地で絶滅しかけているペンギンの保護に情熱を傾ける方を訪ねる。広大な牧場の一部にペンギンが住んでいたことから、30年にわたり、その保護に取り組んでいる。ここで、地球上に数千羽しかいないという「イエロー・アイド・ペンギン」を観察。
ドライブガイド
2月3日放送分
 
「溝口肇 アイルランド音楽紀行〜ケルトの響き〜(後編)」
何気ない風景も幻想的に見せてしまう不思議な力を持つ国、アイルランド。チェリスト・溝口肇さんが長年憧れ続けた場所です。美しきアイルランドの大地を、「世界で一番チェロを弾きたい」夢の舞台を探して、チェロとともに走る旅です。

○ ドネゴール州
アイルランド最北の州。ケルト民族の「ゲール語」が日常的に話されている、最もケルト文化が色濃く残っている。クローリーという街にあるパブ「レオズ・タバン」。実はここは、エンヤのお父さんが経営するパブ。かつてエンヤ自身もこのお店で働きながら歌っていたこともあるというお店。81歳で、現役のアコーディオン奏者であるお父さんとセッションをしたり、名物料理をごちそうになったり、夢見心地の一夜を過ごす。

○ ブッシュミルズ
ドネゴールから約3時間、イギリス領の北アイルランドへ。溝口さんの大好物、フィッシュ&チップスに舌鼓。
知られざる絶景があると聞き、行ってみた先には、小さな島が。島へはロープの吊り橋で渡る。さらに北上すると、見えてきたのは「ジャイアンツ・コーズウェイ」。およそ4万個の角柱の石が並ぶこの場所は、「巨人の作った道」と呼ばれ、1986年に世界遺産に登録された。
世界で一番チェロを弾きたい場所、アイルランドで溝口さんが見つけた夢の舞台とは・・・。
ドライブガイド
1月27日放送分
 
「溝口肇 アイルランド音楽紀行〜ケルトの響き〜」
U2やエンヤなど、数多くの世界的ミュージシャンを生み出した「音楽の島」アイルランド。豊かな自然が残るこの島は、チェリストの溝口肇さんが世界で一番チェロを弾きたい場所でもあるのです。「アイルランドでチェロが弾きたい!」その夢の場所を探す旅の始まりです。

○ダブリン
グラフトンストリート:笑いと音楽が絶えない街。「バスカー」と呼ばれるストリートミュージシャンが、プロ顔負けの演奏で楽しませてくれる。
郊外の楽器職人:現在、アイルランドと周辺地域にのみ暮らすケルト民族。かつては文字を持たず、その歴史が謎に包まれている。溝口さんは、アイルランド独特の音楽について深く知るため、ダブリン郊外に住む楽器職人を訪ねることに。お目当ては「アイリッシュ・ハープ」。魔法の力が宿ると言われるこの楽器の音色を聞き、いてもたってもいられなくなった溝口さん、ハープとチェロで、魔法のハーモニーを奏でる。

○モナスターボイス
ダブリンからおよそ1時間。キリスト教の修道院跡。「ハイクロス」と呼ばれるケルト文化独自の十字架を見て感慨深げな溝口さん。なぜなら・・・?

○トリニティ・カレッジ
1592年に創立された、アイルランド最古の大学。スウィフトやオスカー・ワイルドなど、数多くの文学者を輩出したこの大学の図書館「ロングルーム」こそが、ケルト民族、そしてアイルランドが世界に誇る財産。溝口さんの夢の舞台は・・・?
ドライブガイド
1月20日放送分
 
「高橋克実 ラ・マンチャの男になりたい〜スペイン・風車のある町へ〜」
スペイン、ラ・マンチャ地方は、物語「ドン・キホーテ」の舞台となった場所。そこには、広大な赤褐色の大地が広がっています。旅人・高橋克実さんが、長年憧れ続けてきた大地。まさにドン・キホーテの気分でラ・マンチャ地方を走ります。

○クエンカ山地
広大な平原が広がるラ・マンチャ地方の北西部に、切り立った岩山が連なるクエンカ山地があります。高橋さん、その山の頂上へ。
14世紀、外敵から身を守るために作られた断崖の上の街には、「宙吊りの家」と呼ばれる建物が。建物の一部はレストランになっているのですが、果たして「宙吊りの家」とはどんな建物なんでしょうか?

○コンスエグラ
人口8千人ほどの小さなこの街のシンボルが、白い風車。物語の中でドン・キホーテが巨人と思い込み、果敢に突進して行った、あの風車です。16世紀初めに、当時の科学技術の粋を集めて作られた風車も、現在は鎖で繋がれ、静かに丘の上に立っています。高橋さんがこの地を訪れたのは、10月下旬のこと。ちょうどサフランが最盛期を迎えていました。1つの花に3本しかないめしべが香辛料となるサフランは、かつて金と同じ価値があったと言われるほど貴重な植物。高橋さん、スペインでサフラン摘みのお手伝いです。サフラン摘みから、めしべを抜き取るお手伝いまでした高橋さん。ここまで手伝ったら、サフラン料理をぜひ食べてみたいと、町の料理自慢の奥さんの元へ。スペインならではの、サフランを使ったおいしい家庭料理をごちそうになります。翌朝、いつもよりちょっと早起きをした高橋さん。もう一度風車の丘へと向かいます。折しもこの日は、サフランの収穫を祝う「サフラン祭り」が行われていました。コンスエグラで年に一度だけ風車が回る日、それがサフラン祭りの日だったのです。
ドライブガイド
1月13日放送分
 
「高橋克実 ラ・マンチャの男になりたい〜ドン・キホーテへの道〜」
海外を旅するにあたり、誰もが強烈な目的を持っているとは限りません。それもまた、旅のおもしろさ。
スペインといえば『ドン・キホーテ』。高橋克実さんは、子供の頃から憧れていたドン・キホーテの道を行こうと決めました。ドン・キホーテの舞台、ラ・マンチャ地方への旅の始まりです。

○トレド
「16世紀で歩みを止めた街」と言われ、今なお中世の佇まいが残る。旅人たちの間では「もし1日しかスペインにいられないのなら、迷わずトレドに行くべきである」と言われるほどの街。今回高橋さんは、旅の記録を残したいと、出会った風景をスケッチにおさめることに。さて、高橋さんが描いた場所は?

○サラマンカ
スペイン最古の大学「サラマンカ大学」のある、学生の街。大学の前で、みんな必死に何かを探しているようです。その視線の先には、建物に施された見事な彫刻。高橋さんもその輪に加わりますが、一体何を探しているのでしょうか?
高橋さんがサラマンカ大学にやってきた最大の目的、それはあの「ドン・キホーテ」の原書を見せてもらうこと。19世紀以前の貴重な資料が収められた図書館へ向かいます。高橋さん、お目当ての本を見ることができるのでしょうか?
スペインの夜は、楽しいことがいっぱいです。バーとレストランが一緒になったような「バル」で、「タパス」と呼ばれるおつまみに舌つづみ。すると聞こえてきたのは楽しげな音色。その音色を奏でるのは、サラマンカ大学の伝統的な楽団「トゥナ」のメンバー。「これから女の子のいるところに行く」という彼ら。高橋さん、「女の子」と聞いてついて行かない手はありません。トゥナの即席メンバーとして、高橋さんが向かった先は・・・?
ドライブガイド
1月6日放送分
 
「高橋惠子 〜あなたの知らないもうひとつのハワイ 聖なるマウイ島〜」
永遠のリゾート、ハワイ。中でもマウイ島は、昔ながらの自然が残り、聖なる力が宿ると言われている島でもあります。そのマウイ島の東の果て、「天国のような」と言われる村、ハナをめぐる旅です。

○ハセガワ・ジェネラル・ストア:
「なんでも揃う」と歌われた、1910年に日系移民のショウイチ・ハセガワさんが始めたお店。ここでの高橋さんのお目当ては、マウイ特産のタマネギと、ハワイ名物のスパム。そしてカレー粉。さて、どこで料理をするのでしょうか?

○ハレアカラ:
次に高橋さんが目指すのは、マウイ島の象徴とも言える、標高3055mの山、ハレアカラ。ハレアカラは、国立公園に指定されている休火山で、「太陽の家」という意味。古くからハワイの人々に崇められてきた聖なる山です。整備されたハイウェイが山頂まで続き、そこから、クレ―ターの中にある山小屋を目指して約3時間のトレッキング。
ハワイならではの自然に触れます。山小屋に着いたら、日が暮れないうちに晩ごはんの支度。今日のディナーは、高橋さん特製のカレーです。翌朝6時。ハレアカラの壮麗な夜明け。

○ククイプカ:
古くからハワイでは、神々はあらゆる自然に姿を変えて目の前に現れると信じられてきました。カフナと呼ばれる祈祷師によって受け継がれるその伝統に出会うために、古代の神殿があるというククイプカへ。
ドライブガイド
1月1日放送分
 
『地球街道』正月スペシャル
「すべての道はローマから始まった!! 〜日比野克彦 アッピア街道全走破〜」
「すべての道はローマに通ず」
そう謳われた偉大なるローマ帝国が、人類史上最も古く作り上げた一本の道。
それが、今回の地球街道の舞台『アッピア街道』。『アッピア街道』は古代ローマの政治的中心地フォロ・ローマから、約600キロ離れたアドリア海の港町・ブリンディシを結ぶ。およそ2000年前、人類が初めて意思と目的を持って誕生させた「道」。道とは何か?道に築いた文化とは?道を作ることによって何を得たのか?人類の大いなる遺産『アッピア街道』を、現代アートの旗手・日比野克彦が駆け抜ける。
ドライブガイド
12月23日放送分
 
「高橋惠子 〜あなたの知らないもうひとつのハワイ〜」
女優・高橋惠子が立っているのはハワイの砂浜。しかも、そこは世にも珍しい赤い砂浜(レッド・サンド・ビーチ)。赤は鉄分が入っているため。溶岩の島が生み出した絶景だ。
今回は、あまり知られていないハワイの歴史や伝統を体感する旅。古くからハワイで子どもの誕生や豊作を祝って催されるハワイ伝統の宴「ルアウ」。そして「フラ」ダンス。フラは、文字を持たなかったハワイの人たちが子孫に大切なことを伝える言葉でもあるという。
高橋さんがぜひ行きたいという場所に車で向かう途中、地元で愛されている食堂に立ち寄ってみる。日系人が考えたというハワイ風ラーメン「サイミン」を食べる。どこか懐かしい味わいがした。
目指す場所は“天国のような”といわれる場所「ハナ」。細くうねる熱帯の道が続く。600以上のカーブを越えた先にその場所はあるという。100キロ以上の道を2時間以上かけて、ハナに辿り着いた。どこか懐かしさを感じさせるハナの大地。華々しい観光地とは対極にある素朴な風景が広がっている。宿はホテル・ハナ・マウイ。知る人ぞ知る秘境のリゾート。広大な敷地の中に、93室。ハナの自然を味わうために作られたホテル。アメリカの英雄・リンドバーグ夫人が書いた「海からの贈り物」にも登場するこの場所。リンドバーグ夫妻は、この宿とハナの景色に魅せられ、晩年この地に家を構えて暮らしたという。「海からの贈り物」を読んでこの地にやって来た高橋惠子は、何を感じるのか?
高橋は、この島でどうしても会いたい人がいた。レイオフ・ライダーさん。彼が古くからハワイで行われてきた祈りの儀式を司る「カフナ」だから。カフナに導かれて辿り着いたのは、古代ハワイの神殿・ヘイアウ。そこで祈るのは、自然と祖先に対する敬意。カフナは、チャントとよばれる詩を唱え、その気持ちを伝える。古くからハワイでは、自然や人、あらゆるものに内に秘められた力「マナ」があると信じられてきた。ヘイアウはその「マナ」の力が特に強いとされる場所。ヘイアウに立つと人は自分の中の「マナ」が高められると信じている。大地に立ち、海を眺め、その自然の力に思いをはせる。それが、ハワイの祈り・・・。高橋は車を走らせた。向かう先は、古くからハワイで人々が敬ってきた神聖な山。「ハレアカラ」、ハワイ語で太陽の家と呼ばれる場所。そこで、世界一美しい朝日を見るために・・・。
ドライブガイド
12月9日放送分
 
「六平直政 〜魅惑のベトナム 神秘の水紀行〜」

ベトナムは、美しい水の風景に溢れる国。その中でも最も美しい海が見たい、それが六平さんの夢です。
豊富な水量により、水がまるで煙のように舞い上がることから「煙の滝」の異名を持つ「ダライサップ滝」。横幅80mの、迫力満点の滝です。そこで六平さんが見た、信じられない光景とは? 滝の近くに、とても珍しい村があると聞き、そこへ向かった六平さん。そこは、かつて木材の運搬などの労働力とされていた象と暮らす村でした。現在13頭いる象たちは、労働力というよりもう家族の一員。動物が大好きだと言う六平さん、象の背中に乗せてもらい・・・。
南部の高原を後に、一路北へ。目指すはベトナムきっての景勝地「ハロン湾」です。「ハロン」とは、「龍が舞い降りる」という意味。奇岩が点在する神秘的な風景は、まさに南画の世界です。ゆるやかな海を進むうちに見えてきた水上集落。その暮らしぶりを知りたいと、六平さん、一軒のお宅を訪ねます。幽玄な海に流れる穏やかな時間とその暮らし。最後にご主人が六平さんに見せてくれたとっておきの景色とは・・・。

ドライブガイド
12月2日放送分
 
「六平直政  〜ベトナムクラフト紀行 千年の巧みと革新と〜」

実は美大出身で金工が趣味という六平直政。千年の伝統を誇るベトナムの「ものづくり」職人たちの技や、若いアーティストたちのパワーに触れるのが夢だったという。
古都ハノイの面影を色濃く残す「36通り」では金物屋さんの溶接を手伝う。そしてベトナム北部の伝統芸能「水上人形」を鑑賞、その人形作りにも興味津々。さらに、新進気鋭の陶芸家たちによって復興された「フーラン村」で若い芸術家たちとともに陶芸作品作りに挑む。

ドライブガイド
11月25日放送分
 
「石田ひかり  〜絵本の島ヴァイナルヘヴン アメリカ・メイン州やすらぎの旅〜」
3歳と1歳、2人の女の子の母親である石田さんが、子育てをする中で出会った1冊の絵本「ちいさな島」。その作者、マーガレット・ワイズ・ブラウンが36歳の時に書いた「ちいさな島」は、「ちいさな島」に渡った子猫が、島との会話を通して、自然の中の自分の存在に気づくというお話。その絵本が生まれた島へ向かいます。
アメリカ東海岸の最北端、メイン州の港ロックランドからカーフェリーに乗り込み、大好きな絵本が生まれた島「ヴァイナルヘヴン」へ。60年ほど前、マーガレットも同じように船でこの島にやってきたのだそうです。
島の図書館では、週に2回、子どもたちを集めて絵本の朗読会が開かれています。石田さんも参加させてもらい、「ちいさな島」を朗読。初めて日本語の「ちいさな島」を聞いた子どもたちの反応は?
マーガレットが暮らしていた家は、今では別のオーナーのものに。特別に許可を得て、案内していただきました。マーガレットは、33歳の時にこの家を買って以来、夏の3カ月間をこの家で過ごし、創作活動に没頭しました。
その家の前から石田さんが見た風景こそ、「ちいさな島」そのものだったのです。
ドライブガイド
11月18日放送分
 
「石田ひかり  〜なごみのアメリカ 絵本の島に行きたい!〜」
現在、3歳と1歳、2人の女の子の母親である石田ひかりさんが、子育てをする中で出会った1冊の絵本「ちいさな島」。その作者、マーガレット・ワイズ・ブラウンの足跡をたどる旅です。
マーガレット・ワイズ・ブラウンは、1910年にブルックリンで生まれました。大学卒業後、保育園に勤めたのをきっかけに絵本を書き始め、以来生涯をかけて100冊以上の絵本を世に送り出した絵本作家です。
ロードアイランド州、ウェスタリー。この街にある図書館には、マーガレットゆかりのものが遺されています。それは、地下の倉庫に大切に保管された「ちいさな島」の直筆原稿。特別に原稿を見せていただいた石田さんが、マーガレットの思いに触れて感じたこととは?
マサチューセッツ州の田舎道で石田さんが見つけた奇妙な光景。水の上に赤いじゅうたんを敷きつめたようなそれは、この地方の特産物、クランベリーの収穫風景でした。一風変わったその収穫方法、詳しくは番組で…。さて、クランベリー農場のご主人のお宅に招待していただいた石田さん、奥様お手製のクランベリー料理をごちそうになったり、絵本を読んだりと、あたたかい家族と素敵な時間を過ごします。
ドライブガイド
11月11日放送分 --
 
「タケカワユキヒデ・北海道 〜絶景の知床 キタキツネに逢いたい!〜」
1978年公開の映画『キタキツネ物語』の主題歌・劇中歌を作曲したのをきっかけに、知床に憧れ続けてきたタケカワユキヒデさん。今回の旅の目的は、「キタキツネに逢いたい!」。
生まれも育ちも北海道で、知床の自然を撮り続けているカメラマン・後藤さんの案内で、知床峠をトレッキング。原生の森を進み、知床の厳しくも優しい自然を満喫します。
エメラルドグリーンに輝く美しい水をたたえた、周囲220メートルほどの小さな「神の子池」。地下を通った伏流水がこんこんと湧き、1日1万2千トンの湧水量を誇るこの池の神秘的な姿は、まさに神様の贈り物です。
果てしなく続くまっすぐな道。北海道らしい広大な景色が広がる中、タケカワさんは再び森の中へ。森の動物たちが活発に動き回る夜を狙い、30年間憧れ続けたキタキツネに逢いに行きます。果たして、タケカワさんは、キタキツネに逢うことができるのでしょうか・・・。
ドライブガイド
11月4日放送分
 
「タケカワユキヒデ・北海道 〜北の大地・知床キタキツネに逢いたい!〜」
「大地の果て」を意味するアイヌ語、「シルエトク」が語源といわれる知床。
1978年公開の映画『キタキツネ物語』の主題歌を始め、劇中歌10曲を作曲したタケカワさんは、以来、本物のキタキツネに逢いたいと、知床に憧れ続けてきました。30年来の夢を叶えるために、彩り豊かな秋の知床を走ります。
「じゃがいも街道」は、その名の通り、道沿いに広大なじゃがいも畑が広がる道。知床に秋の訪れを告げるじゃがいもの収穫は、9月中旬から11月中旬ごろまで続きます。1件のじゃがいも農家を訪ねたタケカワさん、採れたてのおいしいじゃがいもをごちそうになるのですが、その意外な食べ方とは?
知床半島の北端の町、ウトロ。その街はずれを流れる清流、幌別川にも、秋がやってきています。数年ぶりに故郷の川に戻ってきたサケやマスが、産卵のために、一気に遡上を開始するのです。産卵を終え、力尽きたサケたちをヒグマやキタキツネが食べ、その糞が森の木々の養分となる・・・厳かな循環を繰り返す生命に、タケカワさんが感じたこととは?
タケカワさん、いよいよ知床の森へ。地元のネイチャーガイドと共に、原生の森を進みます。森が自ら行う、数々の精密なメカニズム。生きている森、その神秘を目の当たりにしたタケカワさんは、森の旅人となり、知床の森を進みます。30年来の夢、キタキツネに逢うために。
ドライブガイド
10月28日放送分
 
「宮本亜門・イギリス 〜絶景イギリス・断崖の劇場へ〜」
宮本亜門さんにとって、ロンドンは忘れえぬ街。およそ20年前、演出家を夢見ていた亜門青年が2年間、アルバイトをしながら暮らしていた思い出の街です。亜門さんは、当時友人から聞いた「断崖にある世界一美しい野外劇場」のことが忘れられないのだそうです。ロンドンから車で4時間、イギリス海峡が見えてくると、その目の前に見えるのはバーアイランド。歩いて渡れる島です。島のシンボルが、バーアイランドホテル。中はアールデコの調度品で統一された素敵なホテルです。満潮になった時にだけ体験できる、このホテル最高の醍醐味とは・・・?
コンウォール州は、イギリスの西の果て。劇場がある街、ペンザンスはコンウォール半島の突端にある小さな港町です。
亜門さん、夢の劇場に行く前に腹ごしらえをしようと、コンウォール伝統の味「コーニッシュパスティ」のお店へ。その昔、炭鉱で働く人たちのお昼ごはんとして食べられていた、栄養満点のパイです。特別にコーニッシュパスティ作りを手伝わせてもらい、景色のいいところで、自分の作ったパイをいただきます。お腹もいっぱいになったところでいよいよ劇場へ。
ミナック劇場は、ロウィーナ・ケイドという女性が、たった一人で40年もの歳月をかけて作り上げた魂の劇場です。真っ青な海を目の前にした断崖に建つ、空と、風と、海の劇場。20年越しの夢を叶えた亜門さんの新たなる夢とは?
 
10月21日放送分
 
「宮本亜門・イギリス 〜Heart of England 魅惑のうねうね道〜」
宮本亜門さんは、以前からひとつの疑問を抱いていました。「イギリスの道は、なぜくねくねと曲がっているのか?」右へ左へと曲がりくねった道を楽しみながら、その魅力を探る旅の始まりです。
ロンドンから西へ200km。コッツウォルズは、Heart of Englandと呼ばれる、古き良きイギリスが残された地方。かつては上質なウールの産地として栄え、現在ものどかな田園風景が広がっています。
カースル・クームは、「最も古い町並みが保存されている村コンテスト」で何度も表彰されている小さな村。その建物のほとんどは14世紀に建てられたものですが、愛情がたっぷり注がれ、今も大切に保存されています。
大変な散歩好きのイギリス人。そんなイギリスならではの道があります。それが、「パブリックフットパス(公共の小道)」。18世紀、私有地に入れないようにと柵や壁を作った地主に対し、「歩く権利」を主張してできたものです。亜門さんも、早速その道を歩いてみました。小川の水を飲んだり、家畜が逃げないような工夫にびっくりしたり。いろんな景色を見れて、充電できる素敵な空間です。
19世紀の工芸家、ウィリアム・モリスが提唱したアーツ・アンド・クラフツ運動は、機械による大量生産が主流となった時代、「職人たちの手仕事にこそ、真の労働の喜びがある」と説いたものです。今もその精神を受け継いだ工房が、チッピングカムデンにあります。1902年、ロンドンからこの地に移り、現在は4代目。今も100年前と変わらぬやり方で、銀製品を作り続けています。
なぜイギリス人が作った道はうねうねと曲がっているのか?そういうことは、地元の人に聞くのが一番と、亜門さん、パブへやってきました。さて、その真相は?
 
10月14日放送分
 
「中村雅俊・ルート66 〜その道はオクラホマへ〜」
子どもの頃から憧れ続けたルート66の旅。その4000kmの道のりも、いよいよ真ん中。8つの州にまたがるルート66のうち、4番目の州、テキサスが今回の旅の舞台です。ベガで見つけたのは、御歳89歳の名物おばあちゃんが館長の、小さな博物館。高価なものはなくても、そこにはルート66の歴史を偲ばせる温かいコレクションがたくさんありました。
テキサスを走る中村雅俊がずっと気になっていたもの、それが広大な畑の中に見える謎の物体。雨が少なく、広大な土地を持つアメリカならではの発想がいっぱいのこの物体の正体とは…?
ルート66を走っていて気がつくのが、電柱と有刺鉄線の多さ。マクリーンには、なんと有刺鉄線専門の博物館が。中村雅俊もそのピンポイントかつ膨大なコレクションにびっくりです。
いよいよ5つ目の州、オクラホマへ。テキサスとの州境の街、エリックで立ち寄った一軒のお店。そこで中村雅俊を待っていたのは、ルート66のディープな世界。雅俊さん、何とも激しく楽しいパフォーマンスに圧倒されてしまいました。
オクラホマで雅俊さんがどうしても立ち寄りたかった場所、それは一軒のガソリンスタンド。果たしてその理由とは・・・?
雅俊さんの旅も、残すところあと千キロです。
 
10月7日放送分
 
「中村雅俊・ルート66 〜遥かなる道はテキサスへ〜」
子どもの頃に熱中したドラマで出会ったルート66。いつか行きたいと胸を焦がし、今年の春、この長い旅は始まりました。アメリカの人々が大いなる親しみを込めて「マザーロード」と呼ぶ4000kmの道のりを、再び走り始めます。
ニューメキシコ州最大の都市アルバカーキーには、全米で最も盛んに行われているものがあります。それは、気球。初めての気球にちょっと興奮気味の雅俊さんが、どうしても気球に乗ってみたかった理由とは…?
美しい佇まいで、多くの芸術家を魅了する街、サンタフェ。厳しい建築制限により、今も美しい街並みが守られています。サンタフェ周辺に暮らすネイティブアメリカンを訪ねた雅俊さん。古くから伝わる楽器を守る若きネイティブと触れあい、その魂の音色に心を震わせます。
ツカムカリは、ルート66屈指の宿場町。ここが今夜の宿泊場所。まるで古いアメリカ映画のようなモーテルの1室。「変わらない」ということに誇りを持つアメリカの人々の心を垣間見る瞬間です。
8つの州にまたがるルート66。そしてようやく4つめの州、テキサスへ。
そこで雅俊さんが見つけたのは、ルート66の中間点を示す看板。その向かいにある、その名も「ミッドポイントカフェ」では、ルート66を旅する人々がその遥かなる道のりを半分来たことをお祝いするのだとか。もちろん雅俊さんも、日本ならではの方法でお祝いです。カフェの厨房をお借りして、中村雅俊、料理に挑戦。さて、出来栄えはいかがでしょうか…?
 
9月30日放送分
 
「星野知子・とっておきのイタリア 〜イタリアからの手紙〜」
旅をするといつも、何枚かのポストカードを書くという星野さん。イタリアならではの技、手作りの文房具や紙を使って心を込めた手紙を書きたい、というのが星野さんの夢です。
イル・パピロは、フィレンツェを代表する「紙」のお店。特別に、フィレンツェでしか手に入らない「マーブルペーパー」を作らせていただくことに。この道20年の職人さんと一緒に作った世界でたった一枚の紙、その仕上がりは…?
紙の次は、ペン。ヴィスコンティは、1本1本ハンドメイドの万年筆を扱うお店。すべて天然素材でできている、世界に1本だけの万年筆です。星野さんは、どんな万年筆を選ぶのでしょうか?
フィレンツェから車で3時間ほど走ると、サンマリノ共和国です。世田谷区ほどの大きさのこの国で最も有名なものが、切手です。まるで芸術品のような切手をいくつか選んだら、手紙を書く準備は完了。世界1枚だけの紙と、1本だけのペン。星野さんが心を込めて書いた手紙のお相手は一体…?
 
9月23日放送分
 
「星野知子・とっておきのイタリア 〜トスカーナに乾杯!〜」
以前から「トスカーナ」という言葉の響きに憧れていた星野さん。トスカーナの空と太陽の光の中で、イタリアが誇る最高のスローフードを味わうのが星野さんの夢です。 星野さんは、イタリアならではのスローフードを求めて早速市場へ。色鮮やかな野菜や果物、それらはみな、生産者が心を込めてじっくりと育てたものばかり。ここで星野さんの目を引いたのは、フィレンツェ名物のチーズ。このチーズの独特の製法とは? サンタ・マリア・ノヴェッラ教会の一角には、13世紀初め、修道僧たちが始めた世界最古の薬局が。500年間変わらぬレシピの香水や石鹸と共に、昔から薬として用いられてきたはちみつが並んでいます。星野さんは、市場で買ったチーズにぴったりのはちみつをお買い上げです。
ワインの産地として世界的に有名なキャンティ。ここには、ワインのほかに、17世紀から続く名物の珍味があります。トスカーナで獲れる、野生のある動物のサラミ。見た目はびっくりですが、お味は最高、だそうです。
世界的に名高いキャンティ・クラシコを作るワイナリー、「カステロ・ディ・アマ」。ここで最高のワインをいただくために集めたたくさんの食材。それらに、星野さんが作ったとっておきの日本の味を加えて、最高のランチタイム。さて、お味はいかがでしょうか?
 
9月9日放送分
 
「鶴田真由・ボリビア〜聖なるチチカカ〜」
純白の塩の湖、ウユニ塩湖に立つという夢を叶えた鶴田さん。しかし、鶴田さんの旅はこれで終わりではありませんでした。南米・ボリビアで叶えたかったもう1つの夢は、インカ帝国発祥の地と言われ、古代よりアンデスの人々に崇拝されてきた聖なる湖、チチカカ湖を訪ねること。
首都ラパスから南に300km、鉱山の町オルロで出会ったのは、世界遺産に登録された悪魔のダンス「ラ・ディアブラータ」。自らが悪魔に扮し、厄払いをするというこのお祭りに、いつしか鶴田さんも巻き込まれて・・・
ペルーとボリビアのまたがるチチカカ湖。ついに鶴田さんは、湖に浮かぶ葦の島を訪れました。湖には現在約40の浮島があり、ボリビア側には、およそ50人が暮らしています。もちろん、電気やガス、水道はありません。食糧も、チチカカの自然の恵みだけ。漁や料理をお手伝いしたり、島の子どもたちと一緒に遊んだり。鶴田さんと島の人々の楽しい時間は、あっという間に過ぎていきます。
最後に鶴田さんが、島の子どもたちに「夢」をたずねると・・・?
 
9月2日放送分
 
「衣笠祥雄・素晴らしきベースボール(後編) 〜我が愛しのフィールド・オブ・ドリームス〜」
アメリカの心、ベースボール。それは、どんな奇跡の物語さえ起こす力を秘めています。
メジャーリーグを頂点に、およそ300のプロ野球チームが存在するアメリカには、どんな片田舎にも、野球のグラウンドがあるのです。しかし衣笠さんが向かったのは、ちょっと特別なグラウンド。そのグラウンドに隠された秘密とは?
見渡す限り、とうもろこし畑が広がるアイオワ州。そこは衣笠さんの憧れの地、あの名画『フィールド・オブ・ドリームス』の舞台になった場所です。ケビン・コスナー扮する主人公が、幻の声を聞き、とうもろこし畑に作ったグラウンド。ダイヤーズビルという街には、そのグラウンドが今もそのまま残されています。憧れのフィールドに立ち、感無量の衣笠さん。そして、映画さながらに突然現れた懐かしき友、30年ぶりの旧友とのキャッチボール…人々の夢と希望に満ち溢れた、素晴らしきベースボールの旅、その永遠の輝き。
 
8月26日放送分
 
「衣笠祥雄・素晴らしきベースボール(前編) 〜マイナーリーグ夢紀行〜 」
衣笠祥雄が、もうひとつのフィールド・オブ・ドリームスを探してアメリカを旅する前編。
ボールとバットがあれば誰でもヒーローになれた「野球」。そんな夢を叶える場所・・・。シカゴ郊外のマイナーリーグの球団「クーガーズ」の本拠地の球場はいつも満員。遊園地のように野球を楽しむ。また、シカゴ郊外の球場に遠征に来たカナダの独立リーグに所属する2人の日本人選手。異国の地で夢を追い続ける彼らを駆り立てるものとは?
 
8月19日放送分
 
「城戸真亜子・オランダを描きたい! 〜光と影の大地〜 」
オランダには、世界中の人々を魅了する1枚の風景画があります。17世紀を代表する画家、フェルメールの『デルフトの眺望』。人々の日常を包むやわらかな光を、フェルメールみたいに描きたい、それが城戸さんの夢です。
オランダ政治の中心地、ハーグにある、たった1枚の絵のために建てられた美術館「パノラマ・メスタグ」。縦14m、横120m。360度をぐるりと囲むパノラマ画は、まるで本物の景色のようです。そしてこの美術館には、自然のものを利用した、ある仕掛けがあるのですが…。
デルフトは、フェルメールが生まれ、生涯を過ごした町。このわずか1km四方の小さな町は、オランダ一美しいと言われています。
新教会は町のシンボル。フェルメールが洗礼を受けた教会で、誰でも登ることのできる塔があります。木や石でできた狭い階段を上り続けること30分、ようやくたどり着いた頂上からは、美しいデルフトの町が一望できます。
そして、『デルフトの眺望』が描かれた場所へ。デルフトの町外れにあるこの場所から眺めるデルフトの町に想像力をかきたてられた城戸さん、いよいよオランダの光の中で絵を描くことに。城戸さんが見つけて描いた光の風景とは…?
 
8月12日放送分
 
「城戸真亜子・オランダの光 〜たったひとりの「少女」に逢うために〜」
運河の街、アムステルダム。ここには、17世紀オランダを代表する画家、フェルメールの作品が残された美術館があります。彼が描いたのは、優しいオランダの光に包まれた人々の暮らしでした。
最先端のダッチデザインのインテリアを堪能した後は、一面に広がる牧草地へ。オランダは300年以上前、国土の4分の1以上が海面より下にありました。干拓を繰り返し、国土を作ったオランダ人は、その歴史に強い誇りを持っています。その歴史を支えたのが、今も残る風車。今は住まいとなっている風車の暮らしを拝見です。
ハーグは、オランダ政治の中心地。ここには、オランダを代表する名物があります。城戸さんももちろんご賞味。さてお味の方は…?
さて、いよいよマウリッツハイス美術館へ。フェルメールの名画『真珠の耳飾りの少女』。振り返った少女の、美しいまなざし。憧れ続けた「少女」を前に、城戸さんが感じたこととは…?
 
8月5日放送分
 
「林隆三・郷愁のポルトガル 〜最もポルトガルらしい村へ〜」
ポルトガルの魂の歌、ファドを聴くという長年の夢を叶えた林さん。その歌手が言っていた「ポルトガルで最もポルトガルらしい村」を目指し、北ポルトガルを走ります。
ポルトガル発祥の地といわれるポルトの街並みは、歴史地区と呼ばれ、世界遺産に登録されています。サン・フランシスコ教会は、そんな歴史地区のシンボル。バロック装飾の極致といわれ、教会全体に施された細かな彫刻はすべて金箔で覆われています。
コインブラは大学の街。ヨーロッパで最も古い大学の一つ、コインブラ大学は、1308年の創立以来、多くの政治家や文化人を世に送り出した大学です。一般公開されている大学図書館は、まるで王宮のような造り。この図書館には、本を守るため、ある動物が住んでいます。さて、その動物とは一体…?
そしていよいよ、最もポルトガルらしい村、モンサントへ。レンガ色の家々が建ち並ぶこの村は、1938年に行われた「ポルトガルで最もポルトガルらしい村コンテスト」で優勝しました。かつてのポルトガルの風景をそのまま残す美しい村には、現在も60人ほどの人が暮らしています。まるで村全体がアートのような、ほかのどこにもない風景が広がる中で、林さんは一体どんなことを感じていたのでしょうか…?
 
7月29日放送分
 
「林隆三・心に響くポルトガル 〜ファドが聴きたい!〜」
林さんが、中学生の頃に見た映画『過去を持つ愛情』。
その舞台となったのが、ポルトガルでした。
その映画の中で、アマリア・ロドリゲスの歌うファドと、
ポルトガルの美しい景色に心を奪われてしまった林さん。
以来ずっと、ポルトガルで本場のファドを聴きたいという夢を温め続けてきました。
ナザレは、古くからの伝統が残る漁師町。
ポルトガルだと紹介されなければ、まるで日本と同じような風景が広がります。
そのナザレの意外な名物とは…?
 
7月22日放送分
 
「宍戸開・我が愛しのスウェーデン。野いちごの道は国境を越えて。 後編」
開さんが大好きな、ベルイマン監督の名作『野いちご』。映画の舞台になった道を走りたい…その夢の道は、ストックホルムから、南部の街ルンドへと続いています。
「ガラスの王国」として知られるスモーランド地方には、いくつものガラス工房が点在しています。美しいデザインで世界中から人気を集めるスウェーデングラスの歴史は、
16世紀ごろ、ベネチアから職人を招いたことに始まります。
ここで、旅の思い出になるものを作りたい。もちろん開さんは『野いちご』にまつわるものを、と考えました。自らデザインし、気合い十分で職人さんと相談。完成は2日後です。
開さん憧れの町、ルンドは、古くからの学生街。映画の中の主人公、そして開さんの目的地です。街のシンボルである大聖堂や、北欧最大のルンド大学。
全てが、開さんの心を震わせた映画で見たままに残っています。
さらに開さんは、国と国とをつなぐ道を走ります。それは、遥かなる一本の橋、全長16kmのオアスン橋です。
建設構想から約400年の時を経て完成した、スウェーデンとデンマークをつなぐオアスン橋。その国境の橋を渡って、デンマークへと入ります。
長年あたためていた夢を叶え、ヨーロッパの道を走る喜びと楽しさを感じた開さんの次なる夢は、どこにつながっているのでしょうか…?
 
7月15日放送分
 
「宍戸開・我が愛しのスウェーデン。野いちごの道は国境を越えて。 前編」
現在、写真家としても活躍中の開さんが大好きな映画、それは、1957年に公開された、ベルイマン監督の名作『野いちご』。
たとえその道に絶景やグルメがなくても、映画の舞台になった道を走ってみたい…その夢を叶えるために、ストックホルムから、南部の町ルンドまでおよそ700kmの道を走ります。
ストックホルムの中心にある旧市街、ガムラスタン。13世紀、ストックホルムの街を築く基点となった古い街です。映画『野いちご』の撮影も、ここで行われました。何度も繰り返し『野いちご』を見ている開さんにとっては、初めての街とは思えないようですが…バードステナは、13世紀から続く古い街。そこで出会った親切な方に、スウェーデンの人の暮らしを見せていただくことに。
古いものを大切にする、シンプルであたたかい、おしゃれな暮らしぶりを学びます。
ストックホルムからおよそ300km、グレンナという小さな村には、『野いちご』の撮影で使われたホテルがあります。
主人公の老人が、途中で知り合った若者たちと、湖の見えるテラスで昼食を取る、開さんお気に入りのシーン。今も残るその撮影現場に立ち寄り、感慨ひとしおの開さん。
しかし、夢の旅路はここでは終わりません。ルンドの街まで、あと400km…。
 
7月8日放送分
 
「天空のイリュージョン・ボリビア 後編」
鶴田真由・ボリビア。純白の大地。
世界最大の塩湖であるウユニ塩湖は、今から約20万年前、地殻変動によってできました。今ウユニは、雨季が終わり、乾季が始まったばかり。静寂に包まれた湖は、まるで不思議な鏡の世界です。
宿泊場所は、壁も椅子もテーブルも、すべてがウユニの塩でできた真っ白なホテル。もちろん、電気はありません。時を知らせてくれるのは、太陽と月だけです。
鶴田さんが目指したのは、その形から魚の島と呼ばれる場所。ここで、太陽が沈む前に行われる儀式に立ち会います。様々な供物を並べ、父なる太陽と母なる月、そして大地の神様に祈りを捧げ、人々の幸福と健康、世界の平和を願う儀式です。
儀式を終えると、それをまっていたかのように月が昇ります。それは、信じられないほど巨大な月だったのです。
翌日、マイナス10度の凍てつくウユニ塩湖で、鶴田さんは朝日が昇るのを待っていました。
世界最大の塩湖、純白の大地に立ちたいという夢を叶えた鶴田さん、ウユニ塩湖に上る朝日に、一体何を感じたのでしょうか?
 
7月1日放送分
 
「天空のイリュージョン・ボリビア 前編」
女性カメラマン鶴田が撮ったボリビアの写真の美しさに衝撃を受けた鶴田さん。その写真を目にした2年ほど前から、この地に立つことをずっと夢見続けていました。
ラパスは、世界中で一番標高が高い首都。旅人はみな、高山病に悩まされます。
そんな中、鶴田さんは市場へ。ボリビア独特の食べ物やファッションに興味津々です。
「月の谷」は、石灰岩の浸食によってできた絶景。それはその名の通り、地球上の場所とは思えない、不思議な光景です。この場所で鶴田さんが受けた、とっておきのおもてなしとは?
いよいよ憧れの地、ウユニに向かいます。目指すはチリ国境近く、標高4500mの電気もガスも水道もない場所。たくさんの水や食料を買い込んで、ガイドさんと一緒に出発です。
首都ラパスから車で8時間、いよいよ野生動物の楽園、ウユニに到着です。鶴田さんの目に飛び込んできたのは、何と赤い湖。自然が作り出す鮮やかな色、ゆうゆうと歩くフラミンゴの群れに感動です。
そして、憧れの地、ウユニ塩湖に向かう途中で鶴田さんが目にした衝撃的なものは一体…?
 
6月24日放送分
 
「台湾TEAロード 至高の茶が生まれる時」
松山猛・台湾TEAロード。
至高の茶が生まれる時。「旅する編集長」松山さんの夢は、世界一おいしいお茶を飲むこと。最高のお茶を求めて、新茶の季節真っ只中の台湾を旅します。極上のお茶を最高の状態で飲むために必要なアイテムを探して台湾中を駆け巡る松山さん。茶杯、茶壺(急須)が揃ったら、肝心の茶葉を求めて杉林渓(サンリンシー)へ。ところが運悪く、その日は台湾上空に台風が停滞していたのです!茶摘をあきらめた松山さんが向かった意外な場所とは…?
翌日は、松山さんの願いが通じたのか、見事な晴天。地元の人に混じってお茶を摘んだ松山さん、その茶葉を持って、台湾で6回もお茶チャンピオンに輝いた林さんの元へ。林さんは、松山さんに極上のお茶を飲んでもらうため、丹精込めて製茶を行います。いくつもの工程を経た、すべてが手作業のお茶作りは夜通し行われました。
最高の茶器、そしてお茶作りチャンピオンが作った茶葉。そして松山さんがもう一つこだわったもの、それは…
台湾の絶景を望むとっておきの場所で飲む渾身のお茶。今、一杯のお茶に感謝です。
 
6月3日放送分
 
「サハラ砂漠でケーナを吹きたい!モロッコの旅 後編」
田中健・モロッコ横断。遥かなるサハラ砂漠。
モロッコ南部を走る一本の道、カスバ街道。トドラは、鮮やかな緑が14kmも続く、街道最大のオアシスです。村はずれで出会った1人のおじいさんと意気投合し、ご自宅に招待された健さん。モロッコ式のあたたかいおもてなしとおいしい家庭料理ですっかり元気になり、遠い遠い砂漠を目指します。
カスバ街道には、日本では見ることのない、とても珍しい標識が立っています。それは「ラクダに注意」。わずかな緑が生える場所では、ラクダが放し飼いになっているからです。車も人も避けることなくゆうゆうと草を食むラクダを目の前にすると、「ラクダに注意」の標識にも納得です。
気温30度の中、サハラを目指してひた走る健さんにとってうれしい看板。「プレイス・オブ・リラクゼーション」とは一体どんな場所なのでしょうか?そして、そこで出会った若者が連れて行ってくれたすごい場所とは…?
いよいよ念願のサハラ砂漠。ところが、健さんを待っていたのは目を開けていられないほどの激しい砂嵐!まさにサハラの洗礼でした。健さんは憧れの場所で、ケーナを吹くことができるのでしょうか…?
 
5月28日放送分
 
「サハラ砂漠でケーナを吹きたい!モロッコの旅 前編」
田中健・モロッコ横断。サハラ砂漠でケーナを吹きたい!
世界で最も大きく美しい砂漠でケーナを吹くという夢に向かい、車を走らせます。
1000年以上も前に築かれた、モロッコ最古の町フェズ。今も当時と変わらぬ姿で、人々の生活の場として生き続けています。世界一の迷宮と呼ばれるこの町には、密集した家々が作り出す1000以上にも及ぶ路地があります。すっかり迷子になってしまった健さんがたどり着いた場所とは…?
サハラの玄関口、マラケシュ。町の真ん中にある広場は、大道芸や屋台が立ち並び、まるでお祭りのような熱気に包まれています。初めて出会うエネルギーに圧倒される健さん。なかなか広場を離れることができません。
サハラに向けてさらに車を走らせる健さんの前に立ちはだかったのは、美しくも険しい山並み。4000m級の山々が連なるアトラス山脈を越えると、そこには500年ほど前、戦乱の中で要塞と化した村があります。サハラまで待てない健さん、村の頂上で、モロッコの風と大地とセッションです。
しかし、夢に向け、再び走り出した健さんを待っていたのは、とんでもないサハラの洗礼だったのです…
 
5月20日放送分
 
「魅惑のノルマンディー・シネマの旅 後編」
萩尾みどり・魅惑のノルマンディー。後編は息を飲む絶景の数々。
フランス人の心の故郷とも言われるノルマンディーは、絶景の宝庫。
港町エトルタで見たのは、数多くの画家が描いた、高さ100mの切り立つ2つの断崖。果敢にも下を覗き込んでみる萩尾さん。あまりの迫力に思わず後ずさりです。エトルタのもう一つの名物は、昔ながらの農家や別荘。メゾンドットと呼ばれるそれらの建物は、「何もしない」をしに行く贅沢な場所。ノルマンディーならではのおいしい料理と、オーナーとの楽しい会話で旅の疲れも一気に癒されます。
第2次世界大戦時、連合国軍によるノルマンディー上陸作戦の舞台となったオマハ・ビーチ。ここには、その時命を落とした兵士たちが眠っています。広大な土地に無数に立つ十字架に、時の流れと命の重さを感じます。
そして念願の、モン・サン・ミシェルへ。中世以降、カトリックの聖地として多くの巡礼者を集めてきた世界遺産。様々な建築様式が混ざり合って構成された美しい修道院。人間が作り上げた絶景、自然の厳しさ、優しさを目の当たりにした萩尾さんは、この旅で一体何を感じたのでしょうか?
 
5月13日放送分
 
「魅惑のノルマンディー・シネマの旅 前編」
萩尾みどり・魅惑のノルマンディー、シネマの旅路。
萩尾さんの夢は、青春時代に憧れた数々の映画、その舞台になった場所を訪ねること。
古い港町、オンフルールは印象派の画家たちが数多く訪れた趣深い町。15世紀末に船大工によって建てられたという、フランス最古の木造教会が今も変わらず荘厳な姿を見せています。
ドーヴィルは、フランス屈指の高級リゾート地。ここには名画『男と女』のロケ地、「ホテルノルマンディー」があります。40年前と変わらぬホテルの佇まいに感動。ここで萩尾さんがどうしてもやってみたかったこととは…?
漁港の町、トゥルービルでは町を散策。気のいい魚屋のご主人が作ってくれた、獲れたての海の幸を使った料理を堪能します。
そしていよいよシェルブールへ。萩尾さんにとって最も印象深い映画『シェルブールの雨傘』の舞台になったお店を探して、ひたすら町を歩きます。萩尾さん、憧れのあのお店を見つけることができるのでしょうか?さらに、あの名画に隠された衝撃の秘密が発覚!その秘密とは…?
 
5月6日放送分
 
「絶景オーストラリア、2つの墓標を巡る旅 後編」
勝村政信・絶景オーストラリア、後編は生物の起源を目指します。
果てしなく続く道を走る勝村さんの目に飛び込んできたのは、一面ピンク色の不思議な湖。その湖の秘密とは…?
カルバリー国立公園で勝村さんを待ち受けていたのは、ものすごい数のハエ…だけではありません。切り立った岩肌に立つ地層。数百万年という年月をかけて造られた風景に、オーストラリアのスケールの大きさを実感。
自称カウボーイ?の勝村さんは、牧場で羊の追い込みのお手伝い。牧場主が作るワイルドな男の料理にびっくり。
そして最終目的地シャークベイへ。その入り口にあるペロン半島は、島全体が西オーストラリア固有の絶滅危惧種の保護区。普段見ることのできない動物たちを見せてもらったり、わずか1cmにも満たない貝殻が深さ10m、110kmにわたって続く壮観のシェルビーチを満喫。
いよいよハメリンプールへ。海中に無数に並ぶ岩。それが、海の墓標、ストロマトライトです。果たして勝村さんは、高校生の頃からの夢を叶えることができるのでしょうか…?
 
4月29日放送分
 
「絶景オーストラリア、2つの墓標を巡る旅」
勝村政信・絶景オーストラリア、2つの墓標を巡る旅。高校生の頃授業で聞いた、生物の起源が見たい、という夢を叶えるために、真夏のオーストラリアを走ります。
パースから2時間のランセリン砂丘。この場所ならではのアトラクション、10km以上続く広大な砂漠を4WDの車で疾走。
修道士の町ニューノシアで、ガイドブックに載っていない穴場のホテルに泊まります。
翌日、旬の食材を探しに、珊瑚礁の海に囲まれた豊かな島へ。漁に同行し、イルカの群れに遭遇したり、漁の間だけ開かれる学校で子どもたちと触れ合います。夜は、獲れたての食材を使った絶品漁師料理に舌鼓。お礼に勝村さんが作った日本食とは?
本土に戻り、向かった先はナンバン国立公園。荒野の墓標、ピナクルズです。太古の昔から築き上げられた原生林の化石が見渡す限りに広がる荒野。自然が作り上げた絶景です。生物の起源を見たい、勝村さんの旅はまだまだ続きます。
 
4月22日放送分
 
「田中美里・スイス不思議街道 後編」
田中美里・スイス不思議街道、後編はいよいよピラミッドに近づきます。
憧れの町トゥルンは、スイスの国民的画家カリジェの故郷。町を自分の描いた壁画で埋め尽くしたいと願っていたとおり、いたるところで色彩豊かなカリジェの絵が見られます。
世界一遅いといわれる氷河特急に車ごと乗り込み到着した村、グアルダで待っていたのはかわいい子どもたちとの出会い。一緒にそり遊びをしたり、まるで絵本の中から飛び出してきたかのような少年と触れ合います。
そしていよいよ夢のピラミッドへ。ヘリコプターから見た、眼下に広がる絶景に息を飲む田中さん。自然の神秘を前に言葉が出ません。
憧れのスイスで夢をかなえた田中さん。次なる夢は一体どこにつながっているのでしょうか。
 
4月15日放送分
 
「田中美里・スイス不思議街道 前編」
スイスでピラミッドが見たいという、少し変わったその夢を叶えるために、不思議がいっぱいの道を走ります。
エボレーヌは、古い木造建築が建ち並ぶ、驚くほど日本的な町。そこで春の訪れを告げるものと出会い、町の小さなレストランではチーズを暖炉で焼いた名物料理ラクレットに舌鼓。
車ごと乗り込むカートレインで峠を越えると、一面雪景色のシュクオル。雪国スイスならではのロマンチックなホテルに泊まります。
翌日、シオンの町にある、標高約600mの小高い丘に聳え立つ教会へ。そこで見つけたのは、世界最古のパイプオルガン。その神秘的な音色に思わず涙があふれます。
ピラミッドを目指す田中さんの旅はまだ始まったばかりです。
 
4月8日放送分
 
「母なる道 我が愛しのルート66後編」
中村雅俊・我が愛しのルート66、後編は、いよいよ広大なアリゾナ州へ。
街道沿いのセリグマンで待っていたのは、ルート66をこよなく愛する人たちとの出会い。ユニークなハンバーガーショップの愉快な兄弟の作るホットドッグに仰天!
ロサンゼルスから700キロ。初めての未舗装道路を抜けると、目の前に広がるのはグランドキャニオン。その絶景に、しばし呆然とする雅俊さん。その夜、ルート66沿いで最も有名なナイトクラブでの出来事とは…?
イーグルスにちなんだ町や、栄華を誇ったホテルなどに立ち寄り、さらに走ること200キロ。延々と続いた砂漠から景色は一変、かつて森林だった場所、化石の森国立公園に立ち尽くします。
シカゴまで残り3000km。雅俊さんの夢はまだまだ続きます。
 
4月1日放送分
 
「母なる道 我が愛しのルート66前編」
第1回目は中村雅俊が「母なる道 我が愛しのルート66」と題してアメリカの旅をお届けします。
1926年、シカゴからロサンゼルスまで全長4000キロの道として開通したルート66は金を求めて西を目指した男たちの夢をかなえる為に作られた道だったのです。そして男たちが夢からさめるようにルート66は1985年その役割を終え、地図から消えました。俳優中村雅俊が今回夢のルート66の痕跡を求め、アメリカに旅立ち、その道の不思議な魅力に迫ります。