« 年末年始休みまであと2日 | コラムTOP | メディアのジレンマ »
2005年01月18日
まだ燃えてるのかよ
「まだ燃えてるのかよ。何とかしてやれよお」
夜11時半過ぎのスタジオ。
CM中に私のとなりで先輩アナウンサーが声を絞り出すようにつぶやいた。
10年前私はスポーツアナウンサーだった。
あの日も番組ではオフの自主トレに励む松井選手とか、ラグビーとか、躍動感あふれる情報が一杯だった。いつもと違ったのは報道特番の間にはさまれた短縮版だったことだ。
町が燃えていた。暗闇の中でも黒煙が巻き上がっているのが分かる。あの下にまだ人がいるんだ、しかも何百、何千と・・・。
阪神淡路大震災。未曾有の災害は私がアナウンサーになって3年目の出来事だった。
いつもなら満面の笑顔で伝えていたスポーツニュースも、その時ばかりは場違いな気がしてトークがはずまなかった。
重い気持ちで番組を終えると待っていたのはカミナリだった。
「佐々木、おまえは何であんなつまんなそうにやってんだ、仏頂面で無愛想で、何考えてやってるんだ」(そんなつもりはなかったけれど、どうやらそう映ったらしい)
プロデューサーに呼び出され怒鳴り散らされた。
「でも、神戸であんな被害が出ている中でさすがに笑いながら進行はできませんでした」
入社して初めて意見した(楯突いた?)ときだった。
事なかれ主義の私の性格をよく知っていただけにプロデューサーはちょっと驚いたようだ。で、一息ついて、
「気持ちはわかる。確かに大変な惨事だよなあ、だけどおまえ、スポーツを楽しみにしている人達もいるだろう。おまえが担当している番組をしっかり伝えるのがおまえの責任だろう」
ゆっくりとひげをさすりながら話してくれた。
その直後、私は担当していた報道情報番組で神戸から伝えることになったのだが、情けないことにインフルエンザにかかり寝込んでしまった。現地に行くことができず、もどかしい思いをした私は震災から2週間後、休みの日に一人で神戸に行ってみた。
―電車の窓から見える家並みはドミノ倒しをしたようで、バスと徒歩で三ノ宮からあてもなく、こなごなになった家々を呆然と見て歩いた。主の姿はなく柱の影に丸くなっていた猫の目の妙に光った緑の色を今でも覚えている。
避難所に行くとたくさんの人がテレビを見つめていた。布団を肩からかけて背中を丸めた中年男性。おばあちゃんの髪の毛はぼさぼさだった。
テレビの中では、きれいなピンク色のスーツに身を包んだ女性が「避難している皆さん、本当に苦労なさっているでしょう」とイヤリングをきらきらさせながら語っていた。
「いつもスポーツ見てますよ、」と突然男性が声をかけてきたかと思うといきなり紙切れを渡してきた。見ると
名前と電話番号が書いてあった。
「息子と連絡が取れないのですが、私は無事だとテレビで伝えてもらえませんか」
自分は仕事できたわけではない。現状を見つめたくてきただけだった。
とたんに自分が情けなくなって居たたまれない気持ちになった。
あの時に、いつかきちんとニュースが出来たらと、人の役に立つことが出来たらと、心のどこかで思ってやってきた気がする。
「6000人以上の命が奪われた阪神大震災から丸10年です」
スタジオでそう伝えたときに、私はあの10年前の自分を思い出していた。
本当に鮮やかにあのときの場面が浮かび上がってきて、少しだけ涙が出そうになった。

