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2005年02月25日
きょうも「ホリエモン」のニュースがトップだった
きょうも「ホリエモン」のニュースがトップだった。
かつてニュースの中で「ホリエモン」と言えば、堀江さんが中央競馬場で走らせた競争馬のことだった。
それが、今では馬主の堀江さん自身を指す言葉になっている。
どの番組もホリエモンの字幕であふれている。
「ホリエモン、ニッポン放送買収」「今日のホリエモン」等々・・・
馬の名前が自分の愛称になるとわかっていたらもっと別の名前にしたのだろうか
「ホリエスター」とか「ホリエシンボル」「ホリエテイオー」・・・
でもやっぱり「ホリエモン」か。
音の響きが堀江さんの愛嬌ある表情やしぐさに妙にマッチしているところがおかしい。
ところがこの「ホリエモン」本業ではだいぶ馬主のそれとはマッチしない。
昨年9月のデビュー戦はタイムオーバー。
第2戦は16頭立ての14着。
第3戦は10着。
今年に入って行なわれた第4戦も10着に終わった。
結果を出せないホリエモンに
レース後、高野騎手はこう答えたという「まじめな馬だけれど、闘争心に欠けるところがある」
一方、馬主の「ホリエモン」はいまや闘争心を剥き出しに、フジサンケイグループを相手に
走りまくっている。ものすごい勢いだ。
その馬主の方の「ホリエモン」に話しを聞いた。
フジテレビとニッポン放送の大逆襲の次の日のことだ。
予定よりも30分遅れで登場した彼は、水色のVネックのセーターを着て、やはりどことなく疲れた表情だった。脂汗をかいているようにもみえた。
「さすがにお疲れの様子ですね」
思わず言うと、
「そうですかあ?でも僕よく寝てるので案外元気なんですよ」
聞けば、午後11時から始まった厳しい表情の記者会見の後、すぐに家に戻って午前1時には
ぐーぐー寝ていたそうな。8時間はしっかり寝るのがこの人のパワーの秘訣だそうだ。
私はこのインタビューのために、どれほど勉強したことだろう。
もともと商法とかマーケットにはとんと疎いため、連日新聞や解説本を読み込んで臨んだ。
日経金融新聞の解説にはかなり助けられた。
でも難しい。
内容が内容だけに柔和だった彼の表情がグッと引き締まる瞬間が何度もあった。
こちらも脂汗を掻きながら何とかインタビューを終えた。
共通のアロママッサージのお店の話に花が咲くころにはポワンとした人のよさそうな表情に戻っていた「最近いい、マッサージが無くって。」
彼はまさに注目を集めるレース途中。
勝てるのか。それとも厳しいレースが続くのか。
「ホリエモン」も彼も、勝負の世界で走りつづけている。
2005年02月03日
人が死んだとき
人が死ぬところを見たのは中学三年のときだった。
バスケット部の練習に出ていた私のところに顧問が走ってきた。
「佐々木、おばあさんが危ないそうだ、すぐに病院に行きなさい」
あの頃、父方の祖母はガンの末期だった。
父は連日病院に寝泊りし、祖母に何とか一日でも生き長らえてほしいとわずかな希望を託し高額な新薬も試していた。
事の深刻さをわかっていない私によくいったものだ。
「おばあちゃんのお見舞いに行きなさい、おばあちゃんが喜ぶから」
三社祭でみこしを担いだあとにみんなで食べる祖母の味、濃い目の下町のお煮しめが大好きだった。遊びに行くと私と兄の大好きなメロンシャーベットを山のように買っておいてくれたものだ。いつも穏やかな笑顔で私達を見つめていた。
暗い廊下を通り抜け、重く冷たい病院の扉を開けた瞬間に私は思わず後ずさりした。
初めて嗅ぐ鼻につんと染みる臭い。鳥肌がたって本能的に体が拒絶した。
「入りなさい」
立ちすくむ私に父が声をかけた、母がいて、兄がいて、白衣の人たちに囲まれた祖母がいた。遠くから見ると枯れ木のようだ。
「家族みんなで見守っててあげるんだよ、そばにきておばあちゃんの体をさすって上げなさい」
おそるおそる覗き込んだ。
白くひび割れた足。はだけた浴衣のべっとりとした質感は祖母の壮絶な戦いを物語っている。瞳は黒々と乾いて、炭のようだった。いつかどこかで見た瞳。
そうだ、かわいがっていたネコのシロが死んだときの目だ。
妙に冷たい頭の中に色々な光景が刻み込まれていく。
おばあちゃんの足をそっとさすった「おばあちゃん」
静かだった脳波が大きくうごいた。
「おばあちゃん、分かってるのよ、あっこがきたこと」
手のひらを一杯広げて必死でさすると、白い皮膚が乾いてぽろぽろ落ちて、祖母の命が静かに体から流れ出ていくのを感じることが出来た。
今までいた人がいなくなる瞬間。
人がモノになってしまう瞬間。
思春期の私にはとてつもなく大きなショックで
あれから幾度、人の死について考えたことだろう。
「人が死ぬところを見てみたい」
殺人を犯した少年はそう言ったと言う。
素直な気持ちだったのかもしれない。
子供の頃アリンコの巣の中に水を流し込んでは観察した、あの日の私と同じ残酷な「好奇心」だったのだろうか。
漠然とした死がネットの中であふれ、さまざまな情報が入ってくる。
子供達は今、何をさがしているのだろう。
私は子供ができたら血のつながった親族のその瞬間は絶対に立ち会わせたいと思う。
父は最愛の母親の死を看取らせる事で命の何たるかを伝えようとし、祖母はそれに応えるように私が到着するのを最後まで頑張って待っていてくれたように思う。
血が通った親族だからこそできる人生最後の命の教育はたった一度だからこそすさまじく、深く深く心に刻まれるものだ。
2005年02月02日
メディアのジレンマ
「礼宮さまと川嶋紀子さんのご結婚が決まりましたが、どう思われますか?」
うわあ、テレビの取材だ。
15年前のあの時、学習院大学の構内は礼宮さまと紀子さまのご結婚話で持ちきりだったし、大学「後輩達」の一言を取ろうと正門に待ち構える各局の取材カメラの数に私達学生は興奮気味だった
「もし取材されたらどうする?」
「お化粧でもしておく?」
なんて、授業中に話していたことが実際に起こってしまった。
おりしも私はラクロスと言うスポーツの学習院チーム主将だった。
ここはしっかり受け答えをせねばなるまい。
「私達がグラウンドで朝練をしていると時々紀子さんがマラソンしていらっしゃることがあって、挨拶をするととっても素敵な笑顔で応えてくださるんです」
「後輩としてとっても喜ばしいことだと思っております」
模範解答だった。完璧だった。
しかし夕方のニュースで流れたのは、私が友達と「でもさあ、今日は休講になるかとおもったのにね~」と、がはは笑いをしている映像だった。
なんてことだ。見事なまでの受け答えの後の、インタビュアーが「ありがとうございました」といったその後の、油断して放った本音の一言だった。
私の母は、仲間うちでしばらくの間「バカ女子大生の母親」というありがたくないレッテルをはられたそうな。
メディアのジレンマである。
あの時「マスコミはひどい」と憤慨していた私だったが今や作り手としてその気持ちも分からなくもない。
インタビューの最中もいかに「いい味わい」を引き出せるかに集中している。象徴的な一言はやはり視聴者へのインパクトがある。建前よりは本音がほしいものだ。
さて、通常国会が始まった。冒頭から野党が退席するなど大荒れの様相だ。
岡田代表の怒りの表情のあとの、小泉さんのにやりとした顔。
映像からいろんな事を視聴者は感じ取っているに違いない。
以前、国会に党首討論を取材に行って愕然としたことがある。
声を張り上げ熱弁を振るう、テレビでお馴染みの「小泉さん」はわずか2~3分。
後の数十分は手元の用意された原稿を「棒読み」しているだけだった。
本当に見事な棒読みだった。
私達が届ける映像は時間的制約からどうしても「インパクト」のある「象徴的なシーン」
になってしまいがち。(小泉さんであればやはり身振り手振りで言い放つ短いセンテンツ)
ただ、それもメディアが拾い上げた一部分でしかない。
ほとんど顔を上げることなくつらつら読みつづける姿には正直「これもまた真実」
と目がさめる思いがしたものだ。
その日のスタジオで付け加えた。
熱弁を振るう、その映像のあとで「熱が入っていたのはこの郵政民営化の部分だけだけでしたが。」
映像と同時にもうひとつ補足するコメントがしたいと思っている。
15年前のあの日、休講になると思い込み学食でお茶していた友人は少なくはない。
そこにもひとつの「真実」があったのだから、それを伝えたあの日の彼らを責められるはずもない。
私も成長したものだ。

