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2005年02月03日

人が死んだとき

人が死ぬところを見たのは中学三年のときだった。
バスケット部の練習に出ていた私のところに顧問が走ってきた。
「佐々木、おばあさんが危ないそうだ、すぐに病院に行きなさい」

あの頃、父方の祖母はガンの末期だった。
父は連日病院に寝泊りし、祖母に何とか一日でも生き長らえてほしいとわずかな希望を託し高額な新薬も試していた。
事の深刻さをわかっていない私によくいったものだ。
「おばあちゃんのお見舞いに行きなさい、おばあちゃんが喜ぶから」

三社祭でみこしを担いだあとにみんなで食べる祖母の味、濃い目の下町のお煮しめが大好きだった。遊びに行くと私と兄の大好きなメロンシャーベットを山のように買っておいてくれたものだ。いつも穏やかな笑顔で私達を見つめていた。

暗い廊下を通り抜け、重く冷たい病院の扉を開けた瞬間に私は思わず後ずさりした。
初めて嗅ぐ鼻につんと染みる臭い。鳥肌がたって本能的に体が拒絶した。
「入りなさい」
立ちすくむ私に父が声をかけた、母がいて、兄がいて、白衣の人たちに囲まれた祖母がいた。遠くから見ると枯れ木のようだ。
「家族みんなで見守っててあげるんだよ、そばにきておばあちゃんの体をさすって上げなさい」
おそるおそる覗き込んだ。
白くひび割れた足。はだけた浴衣のべっとりとした質感は祖母の壮絶な戦いを物語っている。瞳は黒々と乾いて、炭のようだった。いつかどこかで見た瞳。
そうだ、かわいがっていたネコのシロが死んだときの目だ。
妙に冷たい頭の中に色々な光景が刻み込まれていく。
おばあちゃんの足をそっとさすった「おばあちゃん」
静かだった脳波が大きくうごいた。
「おばあちゃん、分かってるのよ、あっこがきたこと」


手のひらを一杯広げて必死でさすると、白い皮膚が乾いてぽろぽろ落ちて、祖母の命が静かに体から流れ出ていくのを感じることが出来た。


今までいた人がいなくなる瞬間。
人がモノになってしまう瞬間。
思春期の私にはとてつもなく大きなショックで
あれから幾度、人の死について考えたことだろう。


「人が死ぬところを見てみたい」
殺人を犯した少年はそう言ったと言う。
素直な気持ちだったのかもしれない。
子供の頃アリンコの巣の中に水を流し込んでは観察した、あの日の私と同じ残酷な「好奇心」だったのだろうか。
漠然とした死がネットの中であふれ、さまざまな情報が入ってくる。
子供達は今、何をさがしているのだろう。

私は子供ができたら血のつながった親族のその瞬間は絶対に立ち会わせたいと思う。
父は最愛の母親の死を看取らせる事で命の何たるかを伝えようとし、祖母はそれに応えるように私が到着するのを最後まで頑張って待っていてくれたように思う。

血が通った親族だからこそできる人生最後の命の教育はたった一度だからこそすさまじく、深く深く心に刻まれるものだ。

 
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