2014817日(日)夜754分~108

報道特別番組池上彰の戦争を考えるSP 第5弾~悲劇が生み出した「言葉」~

  • キャスター
    池上彰(ジャーナリスト、東工大教授)
  • アシスタント
    相内優香(テレビ東京アナウンサー)
  • ゲスト
    八千草薫、峰 竜太、宮崎美子、パックン、本仮屋ユイカ
  • 取材リポーター
    狩野恵里(テレビ東京アナウンサー)

「あの戦争」を思い出す時期が来る。8月15日前後、セミの鳴き声が夏空に響き渡る頃、「あの戦争の記憶をもう一度紐解いてみよう」と、池上彰とテレビ東京報道局が始めた「戦争を考えるSP」の第5弾である。この番組は、「あの戦争の記憶」とともに「今、地球のどこかで起こっている戦争」について考える機会でもある。民放がゴールデンタイムに「戦争を考える」企画を放送することはあまりない。それだけに池上彰が現場取材とスタジオ解説とともに戦争を伝えるこの企画は正に貴重なのである。

予告動画

マレーシア航空機撃墜!ウクライナで何が起こったのか?緊急現地取材

ウクライナが揺れている。ウクライナ政府と親ロシア派勢力の対立は激化する中、7月、マレーシア航空機がウクライナ東部上空で撃墜されて墜落、298人もの犠牲者が出てしまった。ウクライナでは、大国ロシアが黒海沿岸のクリミアを併合、さらに東部地域を影響下に置こうとしている。戦争は避けられるのか? 取材団は首都キエフに入り、突如戦災に見舞われた現地を取材。さらに夜行列車に乗り込み、ロシアが併合したクリミアに向かう。国境が出来たこの事態を池上はどうみるのか?「領土」「資源」の争奪。日本にも深い意味を持つ、「危機的状況」を池上解説で伝える。

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あの戦争の悲劇が生んだ言葉

(1) 刑場の露に消えた学徒兵・木村久夫
○大阪出身の木村は京都帝大に入学後、召集され、陸軍上等兵としてインド洋のカーニコバル島(池上地図解説)で通訳をしていた。スパイ容疑の現地住民を取り調べた際、拷問して死なせたとして戦後B級戦犯として逮捕され、シンガポールの戦犯裁判で死刑を言い渡され、1946年5月23日に執行された。28歳だった。

○戦没学徒の遺書や遺稿をまとめた「きけ わだつみのこえ」に収められた、木村の遺書は特に感動的な内容である。戦後日本の繁栄を祈り、自らがそこにいない無念が語られている。「私に代わり自由な社会で自由な進歩を遂げられんことを地下より祈る…真の日本の発展はそこから始まるすべての物語が私の死後より始まるのは、誠に悲しい。」「せめて一冊の著述でも出来得るだけの時間と生命が欲しかった。」と綴る。

○今年新たに「別の遺書」が存在していることが東京新聞の記者の取材から明らかになった。(東京新聞4月29日朝刊)その内容には、軍人に対する強烈な批判が記されていた。戦中の不合理な行い、終戦後における反省のなさを憤り、「軍人、正直に反省し全国民に平身低頭、謝罪せねばならぬところである。」と断じている。

○番組では、テレビ東京アナウンサーの狩野恵里が「きけ わだつみのこえ」を取材。木村の遺書を紹介し、彼の「無念」を伝える。そして周辺取材や当時の動画と合わせ、「戦争の不合理」がもたらす悲惨な結末を伝える。

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(2) 沖縄戦「沖縄県民かく戦えり」
パックンと相内優香アナウンサーの沖縄ルポ

○6月23日は「沖縄の日」。これは、1945年に牛島満第32軍司令官が自決した日である。沖縄は国内唯一の地上戦となり、日米の軍、民間人を合わせて戦没者総数約20万人という悲惨な戦場となった。沖縄県民約9万4000人が(県民の4分の1)犠牲になった。平和の礎での式典を取材。

○スタジオ池上解説で沖縄戦を描く。沖縄県民が戦争に巻き込まれた経緯を解説する。

○海軍の大田司令官は死の1週間前、海軍次官あてに異例の電文を発した。電文には沖縄県民の犠牲的戦いぶりが具体的に述べられた上でこう結ばれている。「沖縄県民かく戦えり 県民に対し後世特別のご高配を賜らんことを」。海軍壕跡を取材。
しかし現在に至るまで、沖縄県内の基地問題は解消できていない。沖縄にとって本当の意味での戦後は訪れていない。

○地上戦で、沖縄県民は「ひめゆり部隊」「鉄血勤皇隊」などが女性や中学生までもが駆り出され、戦争に巻き込まれて多くが命を落とした。沖縄県民の中にはスパイ容疑で軍に射殺される人もいた。機密保護の名の下、戦時下では不合理が働く一つの例として取り上げたい。

○米軍1万2000人が戦死。アメリカ側から見た沖縄戦を伝える。米軍の沖縄戦は当初「ピクニック気分の上陸作戦」(米軍従軍記者 アーニー・パイル)と報じられるほどだった。ところが上陸後、日本軍が反撃、米軍に大きな打撃を与えた。これによってアメリカは日本戦略を本土上陸作戦から原子爆弾の使用に変更したと言われている。

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(3) 樺太の悲劇「皆さんこれが最後です。さよなら、さよなら」
○1945年8月20日、南樺太・真岡郵便局の女性電話交換手9人が集団自決。8月9日、日本に宣戦布告したソ連軍は、北樺太から南下、兵士たちは虐殺、略奪、凌辱をほしいままにしていた。電話交換手は当時24時間の交代業務。電話交換業務だけでなくパニック化した住民への問い合わせに対応していた。引き揚げでは女性優先だったが、彼女たちは残留を志願。そして20日、配布されていた青酸カリを飲み集団自決した。

○現代日本から忘れ去られた地域・サハリン(樺太)。1875年「樺太・千島交換条約」で樺太はロシアの領土となるが、1905年日露戦争で日本が勝利。ポーツマス条約で、北緯50度以南を「南樺太」とし、日本に割譲された。その後日本人45万人が南樺太に移り住んでいた。40年後の1945年8月ソ連軍が突如、日本に宣戦布告。南樺太に侵攻、南樺太在住の日本人は戦争に巻き込まれ、各地で様々な悲劇が生まれた。
今、南樺太は世界地図で「空白」となっている。なぜか?池上彰の地図を使って時代と地理を解説する。

○アシスタントの相内優香がユジノサハリンスク(豊原)とホルムスク(真岡)を取材、南樺太の今を伝える。

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