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2月12日
お笑い芸人・安田大サーカスの団長は「坂道の多い田舎で苦労する!」と愛媛県明浜へ
タレントの堀越のりは「世界遺産になろうとしている田舎に行きたい」と島根県大森へ
〇 お笑い芸人・安田大サーカスの団長は「坂道の多い田舎で苦労する!」と愛媛県明浜へ


愛媛県明浜

人口:4,408人
特産品:みかん・真珠・ハマチ


3人組のお笑い芸人・安田大サーカスの団長は、クロちゃんの希望で坂道の多い田舎へ。やってきたのは愛媛県明浜。段々畑でのみかん栽培がさかんな町だ。
旅は山の頂上からスタート。少し歩くと、前には青い海と石積みの段々畑が広がる絶景が広がっていた。1時間半をかけ、坂道を下りきって港へ出た団長。船着場で、戦争時に海軍で活躍したおじさんの武勇伝を聞かされ、家にお邪魔することに。家には海軍時代の帽子と、小渕首相からもらったという賞状があった。話もはずんだので、勢いでお泊まり交渉をしてみる。おじいちゃんは番組を知っていたが、なかなか信用してもらえない。交渉は失敗に終わってしまった。

再び町をさまよい歩く団長。通りかかった温泉の送迎車に乗せてもらい、露天風呂に入った。ここからが本当の宿探しだ!
漁師の家に泊まりたいと何軒かで交渉をするが、立て続けに失敗。バスで隣りの集落に移動する途中、乗り合わせた高校生が泊めてくれると言うので家までついて行ったが、お母さんの承諾が得られなかった。

夜7時になると、辺りはもう真っ暗。海から吹く風で、寒さが一段と増す。たまたま通りかかった路地でお父さんを発見した団長は、迷わず交渉してみる。するとその家の次女が団長と同じバスに乗っていたらしく、事情を知っていて泊めてもらえることに。電気工事店を営むお父さんはテレビが大好きで、お笑いにも詳しかった。

翌朝は学校へ行く子供達を見送り、一宿一飯の恩義。団長は、お父さんの大切な金魚の水槽を置く台をつくることにした。芸人になる前に建築現場で働いていた経験を生かし、立派な台が完成した。
お父さんとおばあちゃんに完成した台を見てもらうと、気に入ったおばあちゃんが自分のテーブルにすると言い出した。団長も喜んでいるおばあちゃんを見て、水槽の台からテーブルに急遽変更!お世話になった家族に喜んでもらえるお礼もでき、団長は幸せな気分で坂の多い田舎を後にした。


〇 タレントの堀越のりは「世界遺産になろうとしている田舎に行きたい」と島根県大森へ


島根県大森

人口:457人
特産品:簀巻かまぼこ・そば
郵便番号:694-0305

堀越のりは「自分もこれから有名になれるように」と、世界遺産になろうとしている田舎を希望。山の中で降ろされ、そのまま山を下っていくと集落に出た。下っていく途中で世界遺産を見つけられなかった堀越は、世界遺産のヒントを求めて畑で作業中の人たちに話しを聞いてみる。すると「マブ」というのがこの町で有名なもので、世界遺産になろうとしていることが判明。「マブ」が何だか分からない堀越は、とりあえず「マブ」を目指して歩く。

ウォーキング中のお母さんが、「マブ」=「間を歩く」、すなわち鉱山を人間の手で切り開いた、鉱山の坑道の事を指していると教えてくれた。そして歩き続けること1時間。ようやく間歩に到着したが、すでに閉まっていた。残念ながら中には入れないので、入口から中をのぞいてみる。ここはかつて石見銀山から銀が採掘され、江戸時代には世界でも有数の銀の産地として栄えた場所。間歩だけでなく、ベンガラ色の石州瓦の屋根が並ぶ町並みも含めて世界遺産の候補地となっているのだ。
間歩を確認した堀越は、美しく歴史のあるこの町で今晩の宿探しを開始。集落を目指して歩くが、人が見当たらない。誰とも会えないまま集落まで戻ると、日も暮れて寒くなってきた。香ばしい匂いがしたので行ってみると、ゴマ豆腐屋だった。のぞいた店内には、さっき会ったウォーキング中のお母さんが!ご主人もいて、堀越はゴマ豆腐を頂く。作り始めて30年と、年季の入ったゴマ豆腐に舌鼓を打つ堀越。ご馳走も頂き、すっかりくつろいだ堀越はこの場所から動きたくないとお泊まり交渉をしてみる。すると、ご主人がすぐに承諾してくれた。早速、店の向かいに建つ家にお邪魔する。

ほどなく、同じ町内でゴマ豆腐屋を営んでいる息子さんが帰ってきた。息子さんは堀越の事を知っていた。身分がはっきりしたところで、堀越はお母さんと一緒に晩ごはんの仕度を始めるが、料理が得意ではない堀越の包丁捌きにお母さんはヒヤヒヤ!そんなお母さんの様子にも気づかず、お世話になる事になった堀越は少しでもお役に立ちたいと、頑張って大根をおろしたりリンゴの皮を剥いたりと出来る限りの手伝いをした。
お世話になった家の店は魚屋も兼ねており、生け簀から取り出した新鮮なヒラメを捌いて刺身にしてくれた。魚料理を中心とした料理が食卓に並び、晩ごはんの始まり!美味しい魚料理が、一日中歩いていた堀越の空腹を満たしてくれた。

お父さんはかつてサラリーマンだったが、お母さんと結婚した翌年に脱サラをして今の店を開いたという。今や店の自慢の一品となったゴマ豆腐。30年前から作っているが、商品化したのは10年前。売り出すまでに20年もかかったのだ。何も味がしない素材から味のある品を作るには苦しい事もたくさんあったが、夫婦で苦労をのりこえてゴマ豆腐を商品化した。今では、全国各地のお客さんに発送しているという自信の一品なのだ。息子さんも同じ町内にゴマ豆腐店を出しており、親子3人で切り盛りしている。この味を守るため、毎日作るのはその日の分だけ。そんな話を聞いた堀越は、自分ももっともっと頑張らなければと感心しながら聞き入った。

翌朝も朝早くから店ではゴマ豆腐作りが始まった。堀越も一宿一飯の恩義にゴマ豆腐作りを手伝おうとするが、30年間作り続けてきた夫婦の作業には立ち入る隙が無い。あまり手伝うことが出来なかった堀越は、せめてものお礼にと店の掃除をかって出た。ゴマ豆腐を陳列するショーケースなど、店の隅々までを黙々と掃除した。

そしてお別れの時。ゴマ豆腐に対する家族の真摯な姿勢と、その道一筋で一生懸命頑張っている家族に堀越はエールを送った。「世界遺産」という大きな称号を獲得しようとしている町で、大きく羽ばたきたいと頑張る家族に刺激された、島根県大森の旅だった。