KIRIN~美の巨人たち~

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前田青邨「洞窟の頼朝」

二曲一隻の屏風には、平家打倒を掲げる源頼朝一行7名が描かれています。石橋山の戦いに敗れた彼らが、夜の洞窟にじっと身を潜めている場面です。一命をとりとめた男たちの安堵と不安、張りつめた空気が漂っています。その中で、赤糸縅(あかいとおどし)の鎧で身を固めた頼朝。自信さえ感じる穏やかなまなざし。頼朝にほんのりと纏う光には、華やかな金彩が施されています。
青邨がこの絵を描き上げるまでには、長い苦悩と迷走の日々がありました。

明治18年、岐阜県中津川市。乾物屋を営む家の次男として、前田青邨は生まれました。本名は廉造。絵を描くことが得意だった少年は16歳で上京し、当時の人気画家、梶田半古の画塾へ入門。2つ年上の小林古径と共に修練を積み、写生と古典の模写に明け暮れる日々。青邨は、武者絵で日本絵画協会の三等褒状を得るなど、順調にその歩を進めていきました。
しかし、当時の日本画壇は、西洋画の細密描写や華麗な色彩表現を日本画に取り込もうと模索していました。青邨も迷います。風潮に流され、洋画に転向しようと、道具一式を揃えることもしました。しかし、迷いの中で描いた作品は不評を極めます。道を失った青邨は、苦悩と焦燥の泥沼に落ちていくのです。苦悶の日々は3年にも及びます。

そんな青邨に転機が訪れたのは大正11年。37歳の彼は小林古径とともに、日本美術院から1年間のヨーロッパ留学の機会を与えられました。
そこで見たのが、700年前にイタリアで描かれたジョットの壁画。青邨は、聖人を1人の人間として描いたこの絵に深い感銘を受けます。そして、日本画でも西洋画でもない、前田青邨という画家として描きたいものを描く、そう心に決めたのです。
帰国後、彼は日本国中を回り、名だたる兜すべてをスケッチしました。そしてヨーロッパ留学から6年後、ある作品にとりかかります。それが今日の一枚『洞窟の頼朝』です。

日本画の線を鮮やかな彩色で消すという大胆な描写。長年の研鑽と、徹底した考証が描き出す圧倒的なディティール。絢爛たる装飾美。青邨はこう語ります。「歴史画といっても、結局は美しいものの創造であり、歴史を借りて自分の夢を描くものだといえましょう」
戦いに敗れ、逃げ隠れる男たち。安堵と不安が交錯する夜の洞窟の中。それでも再起にかける男たちの気迫と漲る自信。凛としたまなざしの頼朝は、この後平家を討ち、鎌倉幕府を開きます。この絵に画家が込めた思いとは、どんなものだったのでしょうか。

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