画像 ルーヴル美術館に収められたレオナルド・ダ・ヴィンチ作『モナリザ』。あまりにも有名な作品であるがゆえに、これは本当に名画なのか、という疑問さえ抱いてしまいます。

画像山水画のような幽玄で広大な背景の中、超然と浮かび上がる一人の女性。美しいのか、不気味なのか、老いているのか、若いのか?見方によっては、まるで生きている人間のように微妙に表情が変わる不思議な作品です。今までこれ程模写された絵はないですが、どんな凄腕の画家が何年もかけて正確に模写しようとしても完璧にはできません。

画像レオナルド・ダ・ヴィンチは、イタリアルネサンスが生んだ「万能の天才」。画家としてだけでなく、医学や解剖学、自然科学、機械工学、軍事技術、土木建築など、あらゆる分野に情熱を注ぎました。彼の現存する油絵は、全世界に僅か十数点しかなく、その中で確実に彼が描いたとされる作品は少ない。それなのに、彼の絵が絵画史上至高の存在なのはなぜか。

画像レオナルドは14歳の時に故郷のヴィンチ村からフィレンツェにやって来ます。そして画家ヴェロッキオの工房に入り、兄弟子のサンドロ・ボッティチェリとともに芸術家としての修行に励みます。




当時メディチ家が支配するフィレンツェは、華やかなルネサンスの時代を迎えていました。レオナルドはそんな輝かしい時代の中、若き芸術家として絵画や彫刻、建築などで才能を発揮していきます。

  30歳で独立すると、それまで培った力を試そうと、ミラノ、ローマ、ヴェネチアなどの諸国を巡り、美と知性の足跡を残していきます。

そして、1503年、51歳でフィレンツェに戻ります。ルネサンスという時代が終焉を迎えようとするその頃、レオナルドは『モナリザ』を描きはじめます。

画像 彼はフィレンツェ共和国から与えられたサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の法王の間で、薄暮の時間に『モナリザ』を描いたといわれています。なぜ場所の特定ができるのか?その現場には、もう一人の画家がいたのです。

ラファエロ・サンツォは、レオナルドの絵画技術に私淑し、その様子をスケッチしていました。『モナリザ』のポーズが素晴らしかったからです。



画像当時肖像画は、人物の向きで3種類に分けられていました。真正面から描く、聖なる者たちのポーズ。そして、個人の肖像画を描くときに主流だった横顔のポーズ。もう一つは、北のフランドル地方で生まれた、最も人間の自然な表情を描くことができるという4分の3のポーズです。レオナルドはこの4分の3のポーズを採用し、黒い服の中に浮かび上がる重ねられた手が完璧な安定をもたらしています。

画像レオナルドはポーズの天才でした。模倣が尊敬の証だった時代、傑作と言われている肖像画は4分の3のポーズが多い。
科学と探求の人だったレオナルドは、イタリア・ルネッサンスを代表するボッティチェリの『春』で描かれたような“輪郭線”を使った人物の表現に反対でした。


画像人の眼が認識しているのは光と影であり、物体には輪郭線が無いというのが彼の考えでした。輪郭は陰影によって描かなければならないと考えたレオナルドは、輪郭が周囲に溶け込む薄暮の時間を狙い、陰影の微妙な現れをつぶさに観察しながら描いたといいます。

画像また、油絵を好んだレオナルドは、顔料を多めの油で伸ばし、極めて薄い色で描きました。乾かしては塗るという行為を繰り返し、薄い色の絵の具を塗り重ねることで、微妙な陰影を作り上げていきました。この「スフマート」(ぼかすという意)という技法を使って、どれだけの時間を費やしたのでしょうか。この作品がいくら複製されてもイメージが変わらないのは、このような技法により、何の迷いもなく自分自身の個性とも言える筆触を消し去ったからでした。

画像気の遠くなるような歳月をかけて描いた『モナリザ』。モデルとなった女性は誰だったのでしょうか。そして彼はこの一枚に何を描こうとしたのでしょうか。後編へ続く…。

 
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