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2004年7月17日 放送

 

日本の夏です。暑い毎日が続きます。
そこで、暑気払い。今日は、豪勢に国宝と参りましょう。
と言っても、最も国宝らしく無い国宝とも云われる作品です。今日の一枚、久隈守景作『夕顔棚納涼図屏風』。江戸の初期に描かれた二曲一隻の屏風絵です。
大人の人は、無責任に「昔は良かった」などと言いますがこの絵を見れば、納得してしまうかもしれません。本当によかったんだろうな、って。家は、藁屋根の粗末なもんです。
軒先からは、竹で組んだ夕顔の棚が伸びています。 ちなみに夕顔とは、瓢箪のことです。 その下で、ゆるりと夕涼みをしている家族がいます。
 薄物の襦袢をまとった逞しい父親は、酸いも甘いもかみ分けた、苦み走ったいい男。 湯上りの女は、洗い立ての髪を白い背中に流し、半裸の姿で横座り。
年下の恋女房かもしれません。 二人の間には、子宝の男の子。
こんな会話が聞こえてきそうです。「今日は、ちょっと働いちゃったな」「おまえさん お疲れだったねえ」「なあ、おいらは貧乏だけど幸せもんだよ」「あら、あたいもよ」・・・なんてねえ。
この家族の情景を照らすように空には、月がぽっかり。 夏の夜、この世界の充足感。
今日の一枚、この方に語って貰いましょう。
日本美術応援団団長、山下裕二さん。
さて問題は、この絵の作者です。 久隈守景。 狩野探幽の弟子の一人と伝えられていますが生没年も生まれ育った場所も判らない江戸初期の謎の絵師なのです。
だから、とっても無口。
『夕顔棚納涼図屏風』が、国宝に指定されたのは昭和27年の11月のことです。
では、もしこの絵が、日本で最初に描かれた「家族の肖像」だとしたら、どうでしょうか?
その辺りから、お話を進めてまいりましょう。 なぜ、久隈守景という謎の絵師は家族を描いたのか?
この絵の画題となった歌があります。「夕顔のさける軒ばの下すずみ 男はててれ 女はふたのもの」ててれとは、ふんどしのことです。 ふたのものとは、腰巻きのこと。なぜ久隈守景は、家族の団欒を描いたのか?
富山県高岡市にある国宝瑞竜寺。加賀藩二代目藩主前田利長の菩提を弔う為に建立されたこの名刹に、久隈守景の絵があります。8面に及ぶ襖絵です。この『楼閣山水図襖』には、守景という絵師の凄みが隠されています。中国の水墨画の揺るぎない伝統。
時には、雪舟のごとき力強い筆遣い。長谷川等伯の「松林図屏風」を思わせる奔放なる筆触。

余白の中の柔らかな淡墨の風情は、絵師自身の味わい。そう、水墨画のあらゆる技術が駆使されているのです。現存する久隈守景の作品は、200点にも上ります。
しかし、絵師自身の人生については殆ど判っていません。
彼の落款は、驚くほど淡白な自意識です。
描かれた年も、凝った雅号もなく、ただあっさり「守景」と記されているばかり。まるで作者の気配を消すように。 江戸時代、徳川幕府の御用絵師として権勢を誇った最強の絵師集団がありました。
狩野探幽を長とする狩野派です。
その探幽門下の四天王の一人が、久隈守景という絵師だったと伝えられています。
後世に残された僅かな資料には、こう記されています。 「山水、人物を得意とす。そのおもむき雪舟と伯仲」「探幽門下、右に出るもの無し」
狩野探幽にその腕を見込まれた守景は、探幽の姪を妻に娶っています。 狩野派との揺るぎない血縁を結んだ守景。絵師としての未来は、輝いていたのです





久隈守景には、一男一女がおりました。
娘の名は「雪」と言い、長男は「彦十郎」と言いました。二人とも幼い頃から絵の才能があり父と同じように狩野探幽の門下となって絵師の道を歩み始めるのです。
ところが、その雪が『駆け落ち』というスキャンダルを起こしてしまうのです。相手は、同じ探幽画塾の塾生でした。その恋が認められなかったのか、雪は、家と狩野派の名を振り捨てて、愛しい男と、上方へと出奔してしまったのです。
守景を更に苦しめたのが、長男の彦十郎でした。女遊びが大好きだった彦十郎は、遊郭通いの度が過ぎたのか、探幽に破門を言い渡されてしまうのです。 
その上、兄弟弟子が密告したと逆恨みし刃傷沙汰を起こしてしまい、入獄の挙げ句、佐渡へ島流しに処せられたのです。娘の駆け落ち、息子との生き別れ。子供達の不祥事に守景は、狩野派からの追放を余儀なくされたのです。
あの絵は、守景自身の家族の肖像だったのか?
失われてしまった幸せの情景だったのか?その謎を解く鍵は、江戸から遠く離れた加賀の国にありました。久隈守景が残した、もう一つの傑作の中に。




加賀百万石の都金沢は、江戸を離れた久隈守景が6年余りの歳月を過ごした町だと言われています。石川県立美術館には、加賀藩前田家が所有していた美術品が所蔵されています。その一つに、久隈守景の傑作があります。六曲一双の「四季耕作図屏風」です。
左隻の屏風に注目して下さい。男が一人、描かれています。 誰かと似てませんか?
そっくりです。 「四季耕作図」は、権力者が民の苦労を忍び、自らを戒める為に所有したものです。元々は、中国から伝わったもので、多くの絵師が「四季耕作図」を描いています。
その伝統と常識を破ったのが、久隈守景でした。
加賀藩に「四季耕作図」の依頼を受けた守景は、農村を歩き回り、農民たちを交わり、彼らの仕事をつぶさに観察したと言われています。四季の移り変わりの中で、勤勉に働く農民たちの活き活きとした姿。ところが、何もしていない男が一人。
いったい彼は、何者なのか?
『夕顔棚納涼図屏風』は、最晩年の作と言われています。それは守景自身が、長い人生の涯にたどり着いた一つの境地だったのかもしれません。
夜風に遊び、月を愛で、季節の匂いを楽しむ。愛する家族と共にあることの喜び。失われて始めて判る、かけがえのない一瞬。
まさか、こんな経緯で選ばれた訳では決して無い筈です。
彼らこそが本物の委員の方々。
選定理由は、以下の通り。「夕食後のひととき、一日の疲れをやすめる為に涼をとっている我国農民の姿を深い愛情を持って詩趣豊かに表現しており、ややもすれば伝統的な中国的主題を多く画いていた近世漢画派の中にあっては守景の作風は、誠に注目すべきものである」
かくして昭和27年11月22日、久隈守景作『夕顔棚納涼図屏風』は、国宝に指定されたのです。お見事。
しかし、謎がもう一つ。彼らは 何を眺めているんでしょうか? その視線の先にあるもの。
生れた年も、亡くなった年も判らない。どこで生まれ、どこで死んだのかも判らない。その足跡の気配すら消し、ただ絵のみを残した男です。
「家、貧なれども、その志高く たやすく人の求めに応ずることはなし」
久隈守景とは、そういう絵師です。さあこの夏は、ゆるりと楽しみましょうか?
夜風を、宵の月を、かけがえの無い者達と共に。昔の人のようにこんな会話を交わしながら。 「今日はちょっと働いちゃったな」 「お疲れだったねえ、おまえさん」 「なあ、おいらは貧乏だけど幸せもんだよ」 「あら、あたいもよ」
久隈守景作『夕顔棚納涼図屏風』。明日を見つめて。




   
久隈守景 「夕顔棚納涼図屏風」

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