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2004年7月24日 放送

 

遥かいにしえの芸術が、今もそこかしこに顔を出す街、ローマ。
その西の端に、まるで美術の宝箱のような小さな国があります。
ヴァチカン市国。街のすべてが一級の芸術品。 その中でも最もすばらしいものと云えば・・・、現教皇、ヨハネ・パウロ二世は、こう云っています。
「神は決して見えないはずですが、ここに立つとまるで身近に見えるようです」
・・・神を感じる場所。 ヴァチカンの至宝。システィーナ礼拝堂。
・・・壁にも柱にも、一流の芸術家たちの手で隙間なく装飾が施されています。
荘厳たる芸術に埋め尽くされた部屋。 圧巻は、遥か頭上二一メートルの所にあります。

今から五百年ほど前、除幕式の時、はじめてこの天井画を仰ぎ見た人々は、しばし声を失い、そしてこう囁き合ったと云います。・・・「人間業とは思えない」今日の作品は、システィーナ礼拝堂天井画《天地創造》。
描いたのは、ミケランジェロ・ブオナローティ。 “神の如き”と云われた画家は、四年半と云う歳月をかけ、これを描き上げました。・・・神は土から人間をつくり賜い、しかし人間は神を裏切る。 縦40メートル、横13メートルの巨大な天井に描かれた聖書の物語。 神、精霊、そして人間・・・、登場人物はおよそ三百名にも登ります。
中心部には、聖書の『創世記』に基づき『天地創造』、『アダムとイヴ』、そして『ノアの物語』が各三場面ずつ描かれています。 その中心部を取り囲むように描かれているのは、十二人の預言者と巫女。
三角の部分には、イスラエルの民の救済物語。 さらに、ダヴィデやユディットなどの英雄、そしてキリストの祖先たちの姿までが描かれた壮大な作品です。
ミケランジェロは、四年半の間、この天井画に凄まじいまでの情熱を傾けました。しかし、最初、天井画の注文が来た時、ミケランジェロは必死で断わろうとしたと云うのです。
そう、信じられないことに、この天井画こそ、ミケランジェロが本格的に描いた最初の絵だったのです。それまでの天才と云う評価は、偏に彼の彫刻作品に与えられたものでした。だからこそ、ミケランジェロは最初にこの天井画の話を必死で辞退したのです。
それでも、ミケランジェロは断わることは出来ませんでした。
何故なら、それを命じた者こそ、ヴァチカンの頂点に立つ教皇、ユリウス二世だったのです。
天井画の制作中にミケランジェロが故郷の父に送った手紙が残っています。
「私はいまだに、途方に暮れています。その理由は、仕事が難しいことと、私の業ではないからです。なぜなら私は画家ではないからです。だから、私は時を無駄にしています。神様!お助け下さい」
神を描きながら、我が身を呪う・・・、天井画制作は、ミケランジェロにとって正に受難でした。




正に完全なる美・・・、この彫刻に出会った時、ローマの人々は溜め息しかでませんでした。
処刑されたキリストを膝に抱くマリア・・・、崇高なまでの美しさを持った聖母子像、《ピエタ》。
ローマでは、この非の打ち所のない彫刻の作者の名を巡り、様々な噂が乱れ飛んだと云います。 それを耳にした二五才の青年は、生涯でただ一度だけのサインを聖母の胸を横切る帯に入れました。ミケランジェロ・ブオナローティ。若き天才彫刻家の名は、イタリア中に轟き、そしてヴァチカンにも届きました。 ミケランジェロがヴァチカンに招かれたのは、三十歳になったばかりの頃でした。 呼び出したのは、教皇ユリウス二世。
当初、教皇が命じたのは、壮大なる墓の制作。彫刻家にとっては、最高の名誉でした。ところが、制作途中の三年目、教皇は、突如、考えを変えます。
「システィーナ礼拝堂の天井画を先に描いてほしい」、ミケランジェロ第一の受難でした。しかし、その結果天才画家として、その名は益々高まる事になったのです。
描いたのは、聖書の世界。
まず、神は大地と水を分離し、太陽と月を創り、そして、昼と夜を分けた。神による天地創造。
天地を創造する神の表情は、厳しく引き締まり、一点の躊躇も感じられません。
そして、後ろ姿を見せ、遥か彼方へと飛び去って行く神の軽やかさとスピード感。ミケランジェロは、荘厳な聖書の世界を、ダイナミックに表しました。
続いて人類の創造。神は、まず土から我が身に似せてアダムを創り、アダムの肋骨からイヴを生んだ。 だが、神を裏切った二人は、楽園を追放される。
最初の人間、アダムとイヴの物語。神に似せた理想的な体を持つアダムに、神が指先から命を吹き込もうとしています。
まだ虚ろな目のアダムが、今、神の力で目覚めようとする瞬間・・・。そして、アダムとイヴの十代目の末裔、ノアの登場。
神の審判の大洪水を方舟で逃れたノア・・・。洪水から救われた事を神に感謝する。
ノアの物語にキリストの受難が重なります。




当初、教皇ユリウス二世は、天井画に十二使徒の姿を描くよう、強く要求しました。
しかし、ミケランジェロはそこに自ら選んだモチーフ、天地創造、そして五人の巫女と七人の預言者を描きました。例え、教皇の命であろうと、彼は誰の意見も聞こうとはしませんでした。
カッサネーリ氏「ミケランジェロは、商売人ではなく、純然たるアーティストでした。だから、自らの作品に対してとにかく頑固でした。その頑固さに、十二使徒を描くようにと命じた教皇も屈したのです。作業の前、教皇ユリウス二世のスタッフと、ミケランジェロは打ち合わせをしています。その時もミケランジェロは、自分のやり方で進めると、相当頑固に主張しました。教皇は、彼をローマに呼んだ時点で、真のアーティストは作品に関しての自分の主張は決して曲げないと云うことを知っていたのでしょうね。だから、彼の好きにするよう許したのでしょう。」
モデルの前にキャンバスに向かうと云うわけには行きません。 システィーナ礼拝堂の天井の高さは二一メートル、実に七階建てのビルに相当する高さです。
ミケランジェロは、高い位置に足場を設け、作業を始めます。
しかし、問題は高さより、姿勢でした。それが、第二の受難、肉体の受難でした。
一九八一年、ミケランジェロと同じ場所に足場を組み、天井画を修復した男は、その苦しみをこう語ります。
コラルッチ氏「作業が出来るのは、毎朝九時から昼二時までの四時間だけ、それ以上はとても無理でした。とにかく立った儘、しかもずっと上を向いて作業すると云うのは、想像を絶するつらさなのです。結局、私は膝を痛めてしまい、五週間入院しました。ミケランジェロは、相当頑健な肉体をもっていたんでしょうね。何しろ毎日、しかも何年間もあの姿勢でいたんだから」
描き始めたら止められない。それは、ミケランジェロが選んだフレスコ画と云う手法の宿命でもありました。フレスコ画とは、壁に塗った湿った漆喰に直接描く手法。」色を定着させる為には、その漆喰が乾くまでに全てを描ききらなければなりません。後から大きな修正も描き直しにも出来ません。無理な姿勢をとりながら一気に描き上げるその一瞬一瞬、一筆一筆にミケランジェロは全身全霊を捧げなければなりませんでした。
完璧を求める天才に次々とふりかかる受難・・・、三つ目の受難は、天井画を描き始めたばかりの頃に起こりました。 一体、何があったのか、それはこの絵を見ればわかります。
天井画の中で初期に描かれた『ノアの物語』、《大洪水》。まだ二一メートルと云う高さの感覚がつかめていなかったのでしょう。
画面構成は複雑で、人間の姿は下から見えないほど小さく描かれています。ミケランジェロに降りかかった第三の受難・・・、そのヒントは彼らの表情にあります。彼ら・・・、他の絵に比べて、どこか弱々しいと思いませんか? そう、実はこの人間達の姿・・・、ミケランジェロが描いたものではなかったのです。




システィーナ礼拝堂の天井画に取り掛かった当初、ミケランジェロは、五人の助手を使っていました。何しろ巨大な天井、一人で描いていてはいつ仕上がるかわかりません。 しかし・・・、ミケランジェロと交流のあったある画家は、その日のことをこう書き残しています。
「ある朝、彼らの描いた作品を、ことごとく破り捨てた。そして、自分一人だけ礼拝堂に閉じこもって、誰も入れようとしなかった。ミケランジェロは、自分一人でこの天井画を完成させ、完璧なものにしようと決心したのである。」
例え、地獄の苦しみにあおうと、芸術の為に一片の妥協も許さない・・・。
助手達の退去は、天井画に取り掛かったごく初期、アダムとイヴの《原罪》を描いていた頃だと考えられます。それ以前と以降で、根本的に構図が変わっているのです。一人になってからは、人物の数が減り、下からもよく見えるように、人物自体の大きさも二メートルを超えるほどに巨大化しています。
ミケランジェロの作品の魅力と言えばやはり人間です。一人になったことで、作業は著しく遅れましたが、そのお陰で天井に表わされた人物は、生き生きと輝き出しました。
ミケランジェロは、こう言っています。「美の本質は、神に似せて創造された人間の肉体にある。」巨大な天井に描かれた三百もの登場人物、ミケランジェロはそのそれぞれに個性を与えました。
ミケランジェロの描いた女性の中でも最も若々しく美しい《デルフォイの巫女》。老いた《ペルシアの巫女》は視力が衰えたのでしょう、本を目に近づけています。考え込む者、戦う者、ほほえむ者、一人とて同じ表情のものはいません。 ミケランジェロは、神の世界を描きながら、人間を描いていたのです。
来る日も来る日も、地上二十メートル、外の光の射さない礼拝堂の天井で、ろうそくを立て、修行僧のように神の世界を描く。天井画が完成するまでの四年半もの間、ミケランジェロは一人、芸術と立ち向かいました。静寂の中の天地創造・・・。しかし、世界で唯一人、その芸術家の時間を破れる人がいました。 教皇ユリウス二世。
活動的な預言者エゼキエルは、教皇ユリウス二世の姿を写したものだと云います。
ミケランジェロに天井画と云う受難を与えた人・・・、でも、この絵から彼が教皇を疎んじていた風には感じられません。
画家と教皇・・・、二人は激しく対立しながらも互いに尊敬し合っていたのです。 一五一二年秋、システィーナ礼拝堂の天井画完成。
人は、遥か頭上に広がる神と人類の物語に、首が痛くなるまで見入り、そして囁き合いました。 「神の如きミケランジェロ」と。
教皇ユリウス二世が安心したように、70年の生涯を閉じるのはその三ヶ月後のことです。
神の世界を描きながら、人間の姿を描いた芸術家、ミケランジェロ。彼は、この天井画でそれまで誰も思いつかなかった構図も取り入れていました。それは、天井に接する壁面上部に描かれています。 一四代に渡るキリストの祖先たちの歴史です。それまでは、王族や英雄として描かれていた彼ら、しかし、ミケランジェロはその姿を母と子、もしくは家族と共にいる構図で描きました。 人間の業、そして救い これは、まさにミケランジェロという画家ならではの物でした。
カッサネーリ氏「ミケランジェロ自身には、子供はいなかったんですが。家族は大切な存在と考えていたはずです。 しかし、何故家族を一緒に描いたのかは、今も謎のままです。」
そこには、神を描いた至高の芸術が溢れています。神に仕える人が棲むヴァチカン。
門を守る衛兵の制服さえ、ミケランジェロのデザインだと云われています。
その絵は五百年経った今もヴァチカンの礼拝堂を飾っています。
システィーナ礼拝堂天井画《天地創造》。神の如き画家が、神と向かい合い、受難を克服してたどり着いた人間の苦しみと幸福。
ミケランジェロ・ブオナローティが残したルネサンスの至宝。




   
ミケランジェロ 「天地創造」

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