晩年、その画家は、どんな傑作を生んでも、にこやかにこう言いました。
・・・「別に工夫無し」、
今日の一枚は、東京の山の中にあります。車窓からビルが消え、緑一色となる辺り、
JR青梅線御獄駅。駅の目の前は、渓谷にかかる橋。せせらぎの音が聞こえてくるほどの静寂・・・。
東京湾に注ぐ多摩川もこの辺りでは、まだ清流です。
ここは昭和一七年から晩年の一四年間、画家が暮らした所です。
その美術館は、小さな橋のたもと、むせかえるような木立の中にありました。
『玉堂美術館』。
近代日本画の巨匠と云われた、川合玉堂の個人美術館です。
日々の喧噪に追われ、いつしか忘れてしまったあの日の風景・・・、
かつてはどこにでもあった静寂の一時・・・、
玉堂の描く日本の自然は、優しく人を包み込みます。
生涯をかけて美しい日本の風景を探し求め、描き残した人。
中でも彼が何度も何度も飽きずに描いたのが、《鵜飼》でした。
今日の一枚は、一九五六年、川合玉堂作、《鵜飼》。
急流の中、鵜飼が始まっています。
「ホーホー」と鵜を操る鵜匠の声、パチパチとはぜる篝火・・・、緻密に描かれているわけではありません。
しかし、躍動感に溢れています。
そして、太い線だけで描かれた鵜のスピード感・・・。
獲物を取り誇らしげに翼を広げる鵜、
よくやったと、声をかける鵜匠。
線の一本一本が生き生きと走っています。
・・・命踊る日本の夏。
川合玉堂がこれを描いたのは、この世を去る前年、八三歳の時でした。
《鵜飼》をテーマにした玉堂の作品は、およそ五百点。
一七歳ではじめて描いてから八三歳の最晩年まで、六六年間、《鵜飼》を描き続けたのです。
何度も何度も、鵜飼の季節になると、玉堂は長良川を訪れたと云います。
画家は、何故、それほどまでに鵜飼に惹かれたのでしょうか?
若くして日本画の巨匠と云われ、横山大観らと共に、常に第一線にあった玉堂・・・、
彼は、何故、生涯に渡って、執拗なまでに《鵜飼》を描き続けたのでしょうか?
玉堂、最晩年の《鵜飼》。そこにあったのは、巨匠と云われた画家が達した最後の境地でした。
|