権力に反抗し続けた男です。自分の絵画が、フランスの芸術を変えると信じていました。
剣の代わりに絵筆で戦った画家‥‥。
湖に面したスイス北部の古都、チューリッヒ。その画家の絵は、ここ、チューリッヒ美術館にあります。
レンブラントをはじめ、モネやゴッホなど、17世紀から20世紀までの名画が揃っています。
その一角に、今日の一枚があります。ギュスターヴ・クールベ作、「鱒」。
清流に棲む魚が、縦55センチ、横89センチのキャンバス一杯に描かれています。
暗い水の中で、光り輝くように描かれた一匹の鱒…。
今にも動き出しそうな躍動感。しかし鱒は今、生と死の瀬戸際にいるのです。大きく開いた口には釣り針が…。釣り上げられれば、死を待つのみ。だからこそ血を流し、必死で抵抗する。生きるか死ぬかの闘いを、激しい筆遣いと強いコントラストで描いた迫力の一枚。
描いたのは19世紀フランスの画家、ギュスターヴ・クールベ。
彼はよく、故郷の風景を描きました。目に見える現実を描く…その写実こそ、真の芸術だと信じていました。そして彼は、自信家でした。時に傲慢と云われるほどに。
絵を買ってくれるパトロンよりも、画家である自分の方が偉い。そう、彼は信じていました。しかし、サロンは彼を認めませんでした。それどころか嫌ってさえいたのです。
クールベは実によく風刺画に登場しました。
サロンの審査員たちがクールベを拒絶し、何とか会場に入れまいとしています。何故、彼はこれほど嫌われたのか?
それは当時のサロンが、理想化された世界を描いた作品ばかりを、賞賛していたからなのです。
アングルのように、描かれる対象は美化され、神や英雄が登場するものこそ、絵画にふさわしいとされていた時代。そんな固定概念を崩そうとしたのがクールベでした。あの印象派よりも前に、サロンにたった一人で立ち向かった画家。
神も英雄も登場しない、リアリズムの世界で。そんな反逆児が描いた今日の一枚。何故、彼は瀕死の鱒を描いたのか?
パリから南東へおよそ350キロ、フランシュ・コンテ地方オルナン。
スイスにほど近い、山あいの小さな村です。
1819年、クールベは、この村の大地主の長男として生まれました。その生家は、今では彼の美術館。作品だけでなく、彼が愛用していた画材道具も見ることが出来ます。
彼がパリへ出る以前に描いた作品。若き画家は、ありのままの風景をとらえ、キャンバスに描いていたのです。
20歳の頃、パリに出てきたクールベは、ルーブル美術館に通いつめ、古典絵画の数々を模写します。なかでもレンブラントは憧れでした。いかにすればこのように描けるのか?線という線、色調という色調を脳裏に焼き付け、研鑽を重ねました。
そのレンブラントのように、クールベは今日の一枚で、明暗法を駆使しています。だからこそ、鱒の存在がより浮き立って見えるのです。そして、クールベは、そこに荒々しいタッチを加えました。その激しさが、この絵により大きな迫力を与えているのです。非難されれば、どんな権力者であろうと、真っ向から立ち向かう。激しさは、画家の気性の表れでもありました。
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