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2005年2月12日 放送

 
 
本州最南端の町・串本は、細く曲がりくねった道が入り組む漁師町。

その道の果てにある無量寺に、江戸時代半ばの天明6年(1786年)、京の都から一人の絵師、長澤盧雪がやって来ました。

京画壇の巨匠、円山應擧の名代として来た彼は、ある襖絵を残しました。それは無量寺の別院、應擧盧雪館に収められています。

長澤盧雪・作『虎図』。襖6枚からなる、日本で最も大きな虎の絵と言われる襖絵。

躍動する長い尻尾、太くしなやかな後ろ足、地面を掴む柔らかな足には鋭い爪。その肩の盛り上がりは、今まさに獲物に飛び掛ろうと力を蓄えているかのようです。しかし、よく見ると、長すぎる尻尾、後ろ足に比べて貧弱で短い胴、そして顔より大きな前足と、一つ一つはバラバラ。しかも獰猛で勇壮なはずの顔は、まるで猫のようです。それでも全体では絶妙なバランスを保ち、躍動感に溢れています。

盧雪を始め、与謝蕪村、伊藤若冲、曽我蕭白などの天才たちが同時代に生きていた京の町で、その頂点に君臨していた円山應擧。「生を写し、気を描く」を神髄とした應擧は、あらゆる絵画の伝統を統合し、斬新な眼差しで日本画の新しいスタンダードを確立した京画壇の巨匠。その應擧の弟子として活躍し、時に應擧を凌ぐほどの恐るべき腕前を持つ、異能の絵師・長澤盧雪。いたずら好きで多芸多趣味、酒好きで、3回の破門を経験しています。



盧雪は山城ノ国淀藩の下級武士の子だと言われているが、その出自は明らかではありません。盧雪が應擧に弟子入りしたのは10代の頃。町人が多かった應擧の門下で、武士の盧雪は異色の弟子でした。京都四条の應擧宅に修業に通っていたある冬の朝、盧雪は小川に張った氷の中に閉じ込められている魚を見かけます。その帰り道、氷が溶け、自由を得て嬉しげに泳いでいる魚の姿がありました。それを聞いた應擧は、「苦しい修業時代も段々と氷が溶けるようにして画の自由を得るもの。それをよく心得よ」と諭すのです。

師の教えを悟った盧雪は、落款に水中の魚の文字を刻み、生涯使い続けました。やがて盧雪は、1000人を数える弟子の中からめきめきと頭角を現すのです。

盧雪は應擧の絵の細やかさや華麗さまでもコピーするように描き、師匠の技を完璧なまでに自分のものにしました。

ところが腕を上げると、いたずら好きの性格が顔を覗かせ、盧雪は應擧の描いた手本の絵をそのまま持参して直しを乞います。

應擧は自ら手直ししてしまい、次に持って来た盧雪の絵を「上出来」と褒めます。これが應擧にばれて、盧雪は破門されるのです。

天明6年、かねてより親交の深い無量寺の僧、愚海が應擧を訪ねて来ました。愚海は、大地震の大津波によって壊滅した無量寺を再建させ、本堂の襖絵を應擧に依頼しに来たのでした。しかし、多忙な上に旅が嫌いな應擧は、一度は破門しながらも再び重用した盧雪を名代として送り出します。それは兄弟子たちを飛び越えた異例の抜擢でした。

その年の冬、盧雪は淀川から船に乗り、南紀へと旅立ちます。そして、画風が激変するのです。長澤盧雪は南紀滞在中に270枚もの絵を描いたといいます。師の應擧や寒い京の町から遠く離れ、盧雪は解き放たれました。氷に閉ざされた魚が自由に泳ぎまわるように。それは旅先で迎えた人生の絶頂でした。
 



『虎図』の裏側、本堂への入口側の襖には、『薔薇図』と呼ばれる襖絵が描かれています。

下手の襖には雄鳥と雌鳥、尖った大きな岩盤の傍らの草むらから伸びる野生の薔薇の幹。

その枝先には川の岸辺でのんびりと憩う2匹の親猫と、水辺で魚を狙う子猫の姿。

その目は『虎図』の虎の目によく似ています。盧雪は虎の絵を何枚も描いていますが、実際に生きた虎を見たことはありません。一説によると、盧雪は片目が見えなかったともいわれ、独眼だと遠近の間隔が微妙に変わるといいます。

盧雪は新しい画風に挑み、人の意表をつくユーモアとウィット、奇抜な発想で、奇想の画家となって人々の記憶に残ることになります。

金箔の地に描かれた荘厳な水墨画『海浜奇勝図屏風』は、盧雪が晩年に描いた渾身の傑作。

荒波にえぐられた岩を迫力ある筆づかいで描いています。それは画家が初めて見せた魂の姿。

盧雪が晩年に使っていた印章は、かつてのものとは少し違い、魚を囲う輪郭が欠けています。

解き放たれた盧雪。時には師の應擧さえも越えんとするその才能は、やがて自身の命をも脅かすことになります。自由奔放に生き、描いた盧雪を、應擧は最期まで重用しました。そのため、周囲の嫉妬や反感は凄まじかったといいます。寛政11年(1799年)、46歳で謎の死を遂げた長澤盧雪には暗殺説がささやかれています。

一人の絵師の人生を変えた南紀の町。その一角に建つ無量寺に収められた長澤盧雪・作『虎図』。自らを魚と名乗る絵師が描いた生涯の最高傑作。
   
長澤盧雪 「虎図」

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