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メガスポ! 川崎憲次郎 川崎憲次郎
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川崎 憲次郎
生年月日 1971年1月8日
出 身 地 大分
出身校 津久見高校 (大分県)
身 長 180cm
体 重 78kg
プロ入り 1988年ドラフト1位
経 歴 高校3年春夏、甲子園出場。春夏ともにベスト8。
3年最後の県大会は5試合すべてで無四球。
成 績 1998年最多勝、沢村賞


チーム 試合数 勝利 敗戦 セーブ 投球回 防御率
89 ヤクルト 23 4 4 1 98 1/3 3.94
90 ヤクルト 29 12 13 0 202 1/3 4.05
91 ヤクルト 28 14 9 1 191 2/3 2.91
92 ヤクルト 0 0 0 0 0 0
93 ヤクルト 27 10 9 0 139 2/3 3.48
94 ヤクルト 20 6 9 0 114 2/3 4.79
95 ヤクルト 7 3 0 0 29 2/3 1.82
96 ヤクルト 5 0 0 0 9 1/3 3.86
97 ヤクルト 22 7 5 0 116 4.19
98 ヤクルト 29 17 10 0 204 1/3 3.04
99 ヤクルト 24 7 11 0 166 3.85
00 ヤクルト 20 8 10 0 137 3.55
01 中日 0 0 0 0 0 0
02 中日 0 0 0 0 0 0
03 中日 0 0 0 0 0 0
04 中日 3 0 1 0 2 1/3 34.71

■プロフィール
1988年、高校三年時に九州の怪腕と称された川崎憲次郎はヤクルト・スワローズからドラフト1位指名を受け、プロ野球の門を叩いた。
プロ入り一年目に早くも開幕ベンチ入りをし、その年24試合に登板し4勝4敗。さらにその翌年の90年には弱冠19歳ながらローテーション入りを果たし、年間200イニングスを超える働きで、チームの柱として一躍桧舞台に躍り出た。
その後、故障による一軍登板機会のない苦悶の日々を乗り越え、98年には投手として最高の名誉である沢村賞、最多勝を受賞した。2000年オフにはFA選手として海を越えた争奪戦の末、名門ボストン・レッドソックスからの誘いを断り、中日ドラゴンズに移籍。その際、これまで敵投手として川崎と対戦していた松井秀喜は同一リーグへの移籍を耳にし「川崎さんがアメリカに行けば、もうオバケシュートに悩まなくてもよかったのになあ」と言った話は有名である。
しかし、移籍一年目の2001年春のキャンプ中に原因不明の腕痛に襲われ、その後の四年間、ゴジラ松井を苦しめたオバケシュートが復活することは二度となかった。そうして多くのファンに惜しまれながら、2004年10月、川崎憲次郎は16年に渡るユニフォーム生活に別れを告げた。
多くの栄光とそして多くの苦境・挫折、その双方を実体験した川崎は野球評論家としての一歩を踏み出そうとしているが、一般の人々に対しても語られるべきものを抱えている貴重な存在であることは間違いない。


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