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根っからの大阪っ子である新聞記者の北川万年は、以前は社会部の敏腕記者として鳴らしていたが、妻子と別れてから人が変り、今は文化部のグルメ担当記者として仕事をしている。
ある日、万年は以前の赴任先である松江時代の友人・河津久之と道頓堀で偶然再会する。河津は万年に会うために何度か連絡を入れたが、不在だったと言う。万年が用件を尋ねるが、河津はどこか歯切れが悪い。ふと見ると、河津の連れらしい女が万年に背を向けて立っていた。事情を察した万年は河津と別れる。万年は女の顔は見なかったが、その金色のイアリングだけが目に焼きついていた。
数日後、万年は新聞で河津が隠岐ノ島で若い女性と心中したという記事を目にし、驚く。上方銀行松江支店長の河津は、不正経理の発覚を恐れ、青酸カリの服毒自殺を図ったと書かれていた。
万年が久々に家に帰ると、河津からの留守番電話が入っていた。河津は「助けてくれ、殺されるかも知れない・・・」と言っていた。それは万年が道頓堀で河津に会う前に吹き込まれたものだった。再会した時、河津は何故万年に何も言わなかったのか?万年は友人の死に疑問を抱き、松江−隠岐−出雲を巡るグルメ取材の企画を申請し、一路松江へと向かう。
万年は松江時代の同期で、今は地元の小さな新聞社・湖北新報を立ち上げた須山忠雄のオフィスを訪ねる。須山に再会した万年は、グルメの取材が事件記者よりも格落ちではないことを力説し、グルメの取材で松江に来たことを話す。須山はそこに居合わせた新入社員の近藤奈津子に助手としてつき、勉強をしろといって同行取材を命じる。
万年と奈津子はフェリーで隠岐ノ島へ向かった。そして島の巡査・亀井に頼み、河津の心中場所である通天橋に案内してもらう。亀井によれば、河津は死んだ前日の夜6時のフェリーに乗っていた。別府港から通天橋までタクシーや車を使った形跡はなく、2時間ほどかけて歩いてここまできたらしい。つまり河津が死んだのは、通天橋に着いた夜8時頃から翌朝6時に発見されるまでの間と考えられた。乗客名簿の筆跡も本人のものに間違いなかった。
翌日、松江に戻った2人は河津の実家を訪ねる。河津の妻は堅物だった夫が女と心中したことを恥じ、悲しんでいた。そして河津と心中した女は、松江のクラブ「八雲」のホステス・田村友子だという。その帰り、河津の墓参りに訪れた万年は、松江時代によく通ったスナックの美人ホステス・酒井三枝子と再会する。三枝子は河津の憧れの女性で、今は以前のスナックを辞め、「八雲」のママをしていた。
その夜、万年が「八雲」を訪れると、店内は上機嫌な客たちで賑わっていた。はしゃいでいるのは、河津の後釜である上方銀行の次期支店長に内定している山本と、銀行から融資を受けているスーパー「稲富屋」の社長・稲富の一行だった。万年は三枝子が止めるのも聞かず山本らの輪に入っていき、河津の友達だと告げた。そしてそのはしゃぎぶりを皮肉ってケンカを売り、相手を怒らせる。
深夜、万年は稲富を家の前で待ち伏せする。万年は巧みに稲富を追い詰め、河津は稲富屋への融資に否定的だったこと、それに対して山本は積極的で、融資の約束をした事実も突き止める。さらに稲富は、山本の後ろに地元ゼネコンの赤堀建設が控えていると口をすべらす。赤堀建設は3年以上前から宍道湖のリゾート計画を進めていたが、生態系を破壊するという反対派の力で実行には到っていなかった。山本や稲富は賛成派、河津、そして須山も反対派だった。
翌朝、万年と奈津子は出雲を訪れる。万年は奈津子と3時間後に会う約束をして出雲大社に向かうが、取材の本当の目的を言わない万年に疑問を抱いていた奈津子は万年をこっそり尾行する。出雲大社では、赤堀建設社長の赤堀栄太郎や社員たちが参拝を行っていた。その後、ホテルで赤堀建設創立20周年記念パーティーが行われ、万年もそこに潜り込む。山本の姿を見つけ、融資の話を聞き出そうとしているところに、やはりパーティーに出席していた三枝子が現れ、山本から離す。そして三枝子は「あの人たちは恐い人たちだから近づかない方がいい」と忠告する。そこへ三枝子と親しいらしい若い女性が近づいてきて、三枝子を連れていく。2人の後ろ姿を見ていた万年は、若い女性の耳飾りが道頓堀で河津の連れていた女性が付けていたものと同じであることに気付く。万年は、万年を追ってパーティーに潜り込んでいた奈津子に気付き、三枝子と話している女の身許を調べるように言う。
河津の死の真実とは?宍道湖をめぐる人々の欲と金・・・。河津はそこに巻き込まれたのか?友人を助けられなかった償いをすべく、万年の記者魂が甦る!
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