世界ナゼそこに?日本人~知られざる波瀾万丈伝~

毎週金曜 夜7時54分放送

司会:ユースケ・サンタマリア、杉崎美香

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2013年419放送

日本に妻子を残し
タンザニアでサファリツアーを始めた日本人

斉藤弘さん(当時56歳)

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アフリカ大陸の東に位置するタンザニア。タンザニア最大の都市ダルエスサラームから北へ約500km。野生動物の楽園と言われるアルーシャで、日本人で初めてサファリツアーを始めた日本人、斉藤弘さん。

サファリツアーとは、車で野生動物を見に行くツアー。なんと斉藤さんは、日本に家族を残し、ほとんど一人で、ツアーの運営のほぼ全てをこなしている。

しかし一体ナゼ、斉藤さんはタンザニアでサファリ会社を営むのか?元々は日本で働いていた斉藤さんが、タンザニアに来てサファリ会社を営むまでには、様々な苦難が…。
そこには、大自然に惚れた1人の男の波瀾万丈の人生ドラマがあった!

マレーシアの秘境サラワクで
先住民族の子どもを養子にもらった日本人女性

酒井和枝さん(当時57歳)

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世界の島の中で面積第世界で3番目に大きな島、マレーシアのボルネオ島。そのサラワク、クチンで、旅行会社を営む酒井和枝さん。

実は彼女、日本人として初めてマレーシアの永住権を取り、しかも、マレーシアで生まれた先住民族の娘を養子取ったのだという。一体ナゼ、酒井さんは、マレーシアに住み続けているのか?そしてナゼ、先住民族の娘を養子に迎え入れたのか?

そこにはマレーシア人と恋に落ち、移住するも離婚・・それでもマレーシアに残り、子ども達の故郷を守ろうとする波瀾万丈の人生ドラマがあった!

シベリア抑留を生き抜き日本へ生還!
それなのに そのロシアに戻って日本との架け橋になった日本人

田中猛さん(当時86歳)

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ロシア極東部の町・ハバロフスク。その美しい街並から日本から最も近いヨーロッパと呼ばれている。冬には零下30℃を下回る日もある極寒の地。そんなハバロフスクと日本との決して忘れてはならない悲劇、それが68年前に起こったシベリア抑留。

太平洋戦争後、旧ソ連が約60万人の人々を捕虜として強制的にシベリアに連行した。その結果、約5万5000人以上の尊い命が奪われた。ハバロフスクには多くの犠牲者の魂が今も眠っている。

そんな歴史的遺恨の残る地で日本とロシアの架け橋となった日本人が、田中猛さん。68歳の時、日本に家族を残し、たった一人でロシアへ移住。田中さんはシベリア抑留の体験者。終戦後、厳寒・飢餓・重労働の三重苦に耐え、生き残った一人。

しかし一体ナゼ彼は、そんな辛い過去があるロシアに舞い戻ったのか?そこには長い年月がなければ成し得なかった、波瀾万丈の人生ドラマがあった!

日本の台所に必ずある!
“アノ調味料”をカンボジアで作り続ける日本人!

倉田浩伸さん(当時43歳)

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世界遺産のアンコールワットを有するカンボジアの首都・プノンペン。そんなカンボジアは現在、急激な経済発展により近代化が進んでいる。

しかし一方でカンボジアは世界屈指の貧国。国民の50%が1日2ドル以下で暮らしていると言われ、その貧しさ故に働きながら学校に通う子どもや通学すら出来ない子どもが数多くいる。

そんなカンボジア人の役に立ちたいと、日本の台所に必ずある“アノ調味料”を、日本に妻子を残してまで作り続けているのが、倉田浩伸さん。“アノ調味料”の正体とは実は、“黒コショウ”!

実はカンボジアの黒コショウ、フランス統治時代から、世界的にとても評価が高かった。そんな黒コショウが、なぜか作られなくなってしまっていた。なんと、倉田さんはカンボジアの黒コショウを復活させたのだという。

しかし一体ナゼ、日本に妻子を残してまで、カンボジアでコショウ作りを続けているのか?そこには愛する奥さんにまつわる、波瀾万丈の人生ドラマがあった!

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