世界ナゼそこに?日本人~知られざる波瀾万丈伝~

毎週金曜 夜7時54分放送

司会:ユースケ・サンタマリア、杉崎美香

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2018年618放送

人々の命を救い世界で感謝されているスゴい日本人2時間SP

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●アメリカ合衆国
アメリカ合衆国ルイジアナ州の南部に位置するニューオーリンズ。ジャズ発祥の町としても知られるこの町で、“世界初のある方法”を使って2万4000人以上もの命を救い続け感謝されている75歳の日本人男性を発見!その男性は、路上ライブを行う現地人に交じってドラムを叩いていた。かと思いきや、ライブ終了後すぐさま飛行機に乗り、ノース・カロライナ州のとある建物へ。白衣に着替え部屋の中へ入ると、脳腫瘍を患っているという妊婦を執刀し始めた。一体どういうことなのか? 実は男性は、脳腫瘍を神業で取り除く世界有数の脳外科医。患者の負担を軽減する“ある方法”を37年前に確立し、これまでに2万4000人以上もの命を救ったという。
手術成功率はなんと、驚異の99.5%!その手は“神の手”と呼ばれ、彼の元には他の医師から匙を投げられた患者たちが最後の望みを託してやって来る。難しい手術を次から次へと行い、さらに4か国の大学で教授を兼任する多忙な毎日。休みも、自由になる時間もないという。広い自宅に1人で暮らし、部屋には資料が山積み状態。食事はほぼレトルト食品で、夕食を2分で済ますと、世界中から届いたすべてのSOSメールに目を通す。日本にいた頃は年間960件もの手術をこなし、37歳の若さで名門病院の脳外科部長に就任するなど華々しく活躍していたというが、そんな彼がなぜ日本ではなくアメリカで活動することになったのか。聞けば、日本にいたかったけど、泣く泣くアメリカに来たのだという。過去に日本で何があったのか?何かを得るために何かを失う…波乱万丈の人生ドラマに迫る!


●ドイツ連邦共和国
第一次世界大戦下の日本。軍に逆らうのはご法度の時代に、自らの立場を顧みずドイツ人捕虜1000人の命を救うべく奮闘した日本人男性がいたという。日本ではほとんど知られていないが、ドイツでは現地の有名新聞で紹介されるほどの有名人。その日本人の謎を探るべく向かったドイツで、命を助けられたという人々の子孫を続々と発見!彼らが“英雄”“命の恩人”“ノーベル平和賞を贈るべき”と涙を流しながら感謝する日本人とは一体どんな人物なのか。
1872(明治5)年、会津藩の武士の家系に生まれた男性は、貧しい生活を経て陸軍へ入隊。第一次世界大戦が勃発すると、日本はドイツと交戦。降伏したドイツ軍兵士約5000人を捕虜として日本に連行し、うち1000人が、徳島県のとある収容所に収容された。当時の捕虜は家畜同然の扱いが当たり前。満足な食事や休養もなく、過酷な強制労働を強いられる日々。まさに地獄のような生活を送っていたが、この男性が所長として就任したことで、その生活は大きく変わっていくことに。男性は、これまで禁止されていた私語や自由行動をはじめ、音楽や楽器演奏、さらには飲酒、外出、商売を許可。村人との交流も生まれ、いつしか収容所は“捕虜の楽園”と呼ばれるように。しかし、この行動は軍の怒りを買い、食料の供給を絶つという非情な制裁を受けることに。そこで男性はあるとんでもない行動に出て餓死の危機を脱することに成功。やがて戦争が終結し、捕虜たちの開放が許されると、命を救われたお礼にと、ドイツ人の“至高の宝”を贈られる。今では日本全国に広まり、日本人の誰もが知るようになったそれが日本に登場したのは、実はこのときが初めて。ドイツ人が男性に贈った“至高の宝”の正体とは? そしてなぜ男性は、捕虜たちのためにここまでできたのか。彼を突き動かしていたのは、ある言葉だった…。

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