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テレ東

2018.6.27

日本を知る、地域を考える@奈良県桜井市:「地域の一番星」を目指す老舗・今西酒造の挑戦~前編

2014年秋、東京圏への人口集中を是正し、地方の人口減少を食い止め、日本全体を活性化するために設置された「まち・ひと・しごと創生本部」。「地方における安定雇用の創出」や「地方への人の流れ」「地域と地域の連携」などを基本目標にして、人口減少の問題を克服し、成長力を確保するという長期ビジョンを掲げている。では実際に「地方創生」の現場ではどんなことが行われているのだろうか。本特集では、各地方で活躍する"先駆者"や"成功者"に、各地域の魅力や問題点、そして将来の展望、地方創生の未来を聞く。


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"日本初""発祥の地"が多い「はじまりの街」


今回の訪問先は奈良県中部、中和地域に位置する桜井市。かつて邪馬台国がここにあったという説もあり、市役所や観光協会では「卑弥呼の里」としてPRを行っている。吉野や飛鳥といった奈良の観光名所にも近いこの市には、弥生時代や古墳時代の前方後円墳などの古墳が多く残り、ごく普通の畑を掘り起こしただけで当時の土器の欠片が見つかるという。


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特筆すべきは、この地の歴史の深さ。市内黒崎は雄略天皇の泊瀬朝倉宮があったといわれ、天皇が詠んだ万葉集の巻頭を飾る歌の歌碑が白山神社境内に建っている。桜井小学校の西側にある小高い丘は「土舞台(つちぶたい)」と呼ばれ、聖徳太子が子供たちを集めて、ここで呉(当時の中国)からもたらされた伎楽(ぎがく)を習わせたと伝えられている。そのため、土舞台は日本最初の国立劇場があった場所として、日本芸能発祥の地とされている。桜井市内の相撲神社境内には、日本書紀で歴史上初めて行われたと記された出雲での天覧相撲の勝者、野見宿禰(のみのすくね)を祀る祠や土俵が残る。


また、桜井市は林業が盛んで、良質な吉野材の大規模集散地として知られている。名物は三輪そうめん。手延べそうめん発祥の地でもあり、約1200年以上も前からこの地で愛されている伝統食だ。


そんな桜井市だが、平成12年(2000年)を境に人口は毎年減少を続けている(※1)。人口が減っているのに世帯数が増加していることから、核家族化が進んでいる現状も見てとれる。何も対策や開発をせず、このまま自然推移を見守るとしたら、桜井市も人口減少の一途をたどることになるだろう。「地方創生」がいま、ここでも求められている。


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未経験、引継ぎなしで老舗酒造の14代目蔵主に


今回、話を伺ったのは創業万治3(1660)年、358年もの歴史を誇る今西酒造の14代目蔵主、今西将之さん。老舗酒造の子供として生まれ、周囲にはいつも酒造りがあった。物心ついたころから先代の父・謙之(よしゆき)さんが働く姿を間近に見、自然と「いつか自分が後継者になる」と考えていた。


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キャプション:今西酒造14代目蔵主、今西将之(いまにし まさゆき)さん。1983年生まれの34歳。


彼のような酒蔵の若手後継者は、農業大学や専門学校に進学して醸造学や発酵学を学び、卒業後は造り酒屋や酒販会社である程度の修業や酒についての知識を身に付けてから、後を継ぐというのが一般的。
だが、今西さんは「いいものを造れば売れるという考えだけではこれからの酒造は生き残れない。いいものを造り、なおかつ市場を捉えた経営をするべき」と商学部へ進学。卒業後は酒造りとは全くの無関係の企業に就職した。


「他業種へ就職したのは、社会人としての経験をきちんと積みたいと思ったからです。20代で社会人として成長しておいて、30歳で戻ろうと。そのとき先代は60歳。10年かけて引き継ぎをし、40歳で跡を継ごうと計画していました」


そうして東京で働いていた今西さんの携帯に、実家からの電話が入った。「その時、自分は打ち合わせ中で出られなかったんですけど、何度も何度も着信があって」。
急いで折り返し電話を掛けると、先代が「余命3か月と医者に宣告された」という。
「もちろん青天の霹靂でした。慌てて会社の仕事の引継ぎを終わらせて、実家へ帰ったのですが、その1週間後でした、あっという間に父が他界してしまったんです」


こうして今西さんが14代目蔵主となったのは2011年、彼が28歳の時のこと。10年かけて先代から引き継ごうと計画していたものすべて――今西酒造の伝統とは何か、日本酒業界の慣習、醸造知識や技術、一つとして引き継ぐことはできなかった。


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革新を進める中、「あそこはもう終わったな」という声が


その当時、今西酒造は酒造業のほかに飲食店、ホテルと手広く事業を展開していたが、「正直なところ、赤字も赤字。(家業を継いで)数字を初めて見たとき、本当に頭を抱えました」と今西さんは苦笑する。


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だが今西さんは前を向いていた。「まずは現実を知ろう」と蔵主就任後の1年間は、日本全国の酒蔵、醸造所などを渡り歩き、酒造りについて必死で勉強したという。
どうやって酒を造るのか、そのためには何が必要で、何が大切なのか。
「お金がないから漫画喫茶とかに泊まりながらでしたね(笑)。このあいだまで都会の高層ビルのお洒落なオフィスでバリバリ仕事していたのに、自分はいま何やってるんだろう、なんて思ったこともありました」
それでも全国各地で学んだ酒造りをベースに、これからの今西酒造に必要なことも見えてきた。


そんな今西さんがぶち当たった壁が、なんと家業の主軸であるはずの酒造り。多角経営をしていた先代は、酒造りに関しては職人に任せきりだったという。2人の職人は「効率的な酒造りを優先させるタイプ」(今西さん)だったといい、いいものを作るための努力は一切惜しまない、と考える今西さんとは相容れなかった。今西さんが積極的に酒造りに関わっていく中で、彼らは自ら退いた。


先代の頃からずっと今西酒造の酒造りを担ってきた職人がいなくなった。その事実を知った周囲からは「素人には無理」「もうあそこの酒は終わった」というような声も囁かれたという。


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設備投資に米作り。妥協せず進めた革新


絶体絶命の危機にあって、今西さんは「いい酒造り」を諦めなかった。
各地の酒蔵や醸造所で学んだことを生かして、醸造タンク、洗米機等酒造りをする環境を一新。非効率でも手造りに拘った丁寧な酒造りが出来る設備を整えた。
さらには地元の農家と契約して、酒造米づくりにまで着手した。一般的な酒造所、酒造メーカーは、原料となる酒米(酒造好適米)を農家から購入して酒を造る。酒造会社そのものが米の栽培まで手がけるというのは、あまり見られないケースだ。


「酒の味を決めるのは米と水。うちは昔から三輪山の伏流水を使っていますが、地元の米を使ってこそ、ここの酒だと胸を張って言えますから」と今西さん。
老舗としての大看板があり、また古くから続いているからこそ、彼が推し進める革新が反発を招いたことは想像に難くない。


だが、今西さんとともに「いい酒を作りたい」という人、奮闘するその姿を見て、「一緒に働きたい」と新たに集ってくる人もいた。現在、今西酒造の社員の平均年齢は28歳。若い世代の革新と努力が実り、全国新酒鑑評会などで金賞を四年連続受賞するほどの美酒を生み出すようになった。「みむろ杉」と「三諸杉」という二大銘柄を筆頭に売り上げは順調に回復。売り上げは「継いだ時の約5倍」というから驚く。


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蔵主に就任して事業計画を立てたとき、「絶対無理だと言われた」目標もすべて達成した。だが、この現状で満足はしていない。今後の5か年計画では、「酒造りをさらに研ぎ澄ませていく」と力強く語る今西さん。
同じ種類の酒米だったとしても、どこの農家が作ったかによって、酒を造る時の吸水や発酵の仕方が違うのだという。
「米は土壌と農家さんの力によるもの」。今西さんはその違いを踏まえたうえで、それを生かすような酒造りをしたいと言う。これから今西酒造がどのような酒を生み出すのか、彼の話を聞きながら楽しみになってきた。


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後編では、今西さんが取り組む「地方創生」についての具体例を紹介するとともに、桜井市の未来について聞く。


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テレビ東京では、これらの番組や「テレ東プラス」の連載【日本を知る】を通して、今後もさまざまな日本の姿をお伝えします。


出典※1 平成28年版桜井市統計

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