「フィギュアスケートの求道者」町田樹の果て無き旅

その他

2018.5.23

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フィギュア界の異端児、町田樹。彼は3年前、25歳で競技生活を引退。周囲が惜しむ中、アイスショーの世界に進んだ。

間近に迫る公演があった。とりわけ力の入る桧舞台、プリンスアイスワールドだ。数々の有名スケーターが集うこの舞台に、町田は毎年立ち、圧倒的な支持を集めてきた。成功の秘密はどこにあるのか?準備を追った。開演2日前、町田の足はまずリンクではなく客席に向く。審査員がいないアイスショーでは、観客全員が採点者。そのつもりで、滑るコースや身のこなしを考えるという。

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プログラムも自分で決めた。町田が選んだのは「ボレロ」。幾多の先人が使ってきた舞台芸術の定番とも言える楽曲。有名な曲故に、他人のパフォーマンスと比べられてしまうリスクを承知で町田はあえてこの曲を選んだ。

表現者としての挑戦はそれだけではない。他の演者の曲が3・4分なのに対し、町田のボレロは8分もの長丁場。滑り切れるのか。自分でも未知数だった。氷を降りると、演者の自分から演出の自分に切り替わる。照明のスタッフを集め、自作の資料を配布し作品の意図を細かく説明する。

人任せにはできない性質らしい。気がつけば時刻は夜10時。こんなスケーター、他にはいない。脚光を浴びた時期は早かった。16歳で全日本ジュニア優勝。しかし、その後は低迷。思う結果を残せず、悩み続けた。考え抜くスケーターはそこから生まれる。一挙手一投足に理を求めた。たどり着いた独自の世界。町田はそれを世界に問い掛ける。

ソチオリンピック5位入賞という結果は、世界が町田の世界観を認めたひとつの証だった。続く世界選手権では羽生結弦をあと一歩まで追い詰め銀メダル。次のオリンピックではメダル確実とも目された。

だが同じ年の12月。誰もが惜しんだ唐突な引退。惰性に任せず、もっと積極的にフィギュアと向き合いたい。それが町田のビジョンだった。町田は早稲田の大学院に入学し自分を「フィギュアの研究者」と位置づける。ショーに出るのも研究の一環。自らを実験材料にして見せるスポーツの最前線を探っている。

アイスショーの初日が来た。ここから8日間に渡る長丁場。普段は決して見せない舞台裏。特別に撮影を許された。ここでも町田の強烈なこだわりを目の当たりする。

まずはメイク。自ら15分ほど掛けて入念に行う。ここまで細やかにメイクするのは男性スケーターの中では町田くらいだ。

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その後、きっちり20分間寝る。本番直前に少し眠ることで集中力が高まるという。続いて、舞台裏の通路を7往復走る。6往復でも8往復でもいけない。

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その後は振り付けのチェックに8分。メイクの手直しは5分。全てのルーティーンを淀みなくこなしていく。あらゆるところに滲むこだわり。衣装は、筋肉が透けて見えることを意識した。

おごそかに始まった町田のボレロ。曲は前代未聞の8分。最後の見せ場、4連続のバレエジャンプ。2つめのジャンプを跳び損ねてしまった。心配していたスタミナ切れ。足が限界だった。

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8分という異例のプログラム。その代償。だが失敗を許すわけにはいかない。公演最終日。この日は2公演。午前の出番を終えた町田は休息の時間も惜しんでテレビの中継車へと向かった。なぜか...

「ちょっとストップ!」

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収録された午前のショー。自分の映り方を見て演出面の修正を依頼する。照明の全容が見えるよう、思い切り広い画を加えた。そして出番が近づいた。初日のような失敗はもう許されない。この演技が町田のボレロとして、後世に残る。

静から動へ。闇から光へ。

スケートの魔力に無限の可能性を見出した男が、突き進んでいく。照明と音楽と動き。磨き抜かれた調和の芸術がそこにあった。そしてフィナーレ、4連続のバレエジャンプを見事成功させた。

ショーの世界に勝ち負けはない。だが時に、それを超えるロマンスがある。フィギュアスケートの求道者、町田樹。次は何を追い求めるのか。果て無き旅。その道は続く。

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