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ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ

◆チャン・イーモウ/監督
 チャン・イーモウは、革命直後の1950年、西安で生まれる。父親は、国民党の元兵隊、医者であった母親が、家族の収入を支えていた。66年の文化大革命当時、学校が閉鎖され、何百万人もの若者とともに、田舎へ送られる。■西で、3年間農業に従事したのち、西安へ送られ、粉ひき労働を課される。このとき、製図の才能を認められ、毛沢東の肖像画を描かされるようになる。幼い頃から絵画や写真に興味を抱いていた彼は、自分の血を売りながら、カメラを買う金を貯めていた。
 78年に、北京電影学院が再開されたことを知ったチャン・イーモウは、入学を申請した。描き溜めたポートフォリオを提出し、優秀な成績で入学試験をパスしたが、27歳という年齢は、当時の学校年齢制限を5歳も上回っているとして、入学を拒否された。彼は、その後も2度、北京へ出向き入学を願い出たが、受け入れられなかった。そこで、文化省に手紙を書き、自分は文化大革命により10年もの時を、無駄に過ごさねばならなかった旨を説明した。2カ月後、政府の介在により、チャン・イーモウは入学を許可された。その後82年に大学を卒業し、広西映画スタジオへ入社。85年、西安スタジオへ移る。
 チャン・イーモウは、カメラマンとしてキャリアをスタート。82年のチャン・チュンチャオ監督の「一人と八人」を始めとし、数々の作品のカメラを担当する。83年、チェン・カイコー監督の「黄色い大地」では、最優秀カメラマンとしてゴールデン・ルースター賞を受賞。翌年のナント映画祭でも、同等の賞を受賞した。85年にも、チェン・カイコーの「大閲兵」の撮影を担当。
 87年、ウー・ティエンシンの「古井戸」で、役者としてデビュー。この演技で、東京国際映画祭、最優秀男優賞を受賞。90年にもチン・シュウタン監督「テラコッタ・ウォリア」で熱演を見せている。
 88年、初監督作品「紅いコーリャン」ガ、ベルリン映画祭金獅子賞を受賞。89年には、アクションスリラー「ハイジャック台湾海峡緊急指令」を監督している。90年「菊豆」が、カンヌ映画祭の正式出品に選ばれ、アカデミー外国語映画賞のノミネートを受ける。91年「紅夢」は、国際的な成功をおさめ、ベネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞、さらに、アカデミー外国語映画賞にノミネートされた。92年の「秋菊の物語」は、ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞、コン・リーは、主演女優賞を受賞した。コン・リーとのコラボレーションは「上海ルージュ」まで続き、多くの話題を生み出した。

◆撮影

「一人と八人」(82)監督チャン・チェンチャオ
「黄色い大地」(83)監督チェン・カイコー
「大閲兵」(85)監督チェン・カイコー

俳優
「古井戸」(87)監督ウー・ティエシン
「テラコッタ・ウォリア」(1990)監督チン・シュウタン

監督
「紅いコーリャン」(88)○ベルリン映画祭・金熊賞
「ハイジャック台湾海峡緊急指令」(89)
「菊豆」(90)○バリャドリード映画祭ゴールデンスパイク賞
「紅夢」(91)○ベネチア映画祭・銀獅子賞
「秋菊の物語」(92)○ベネチア映画祭・金獅子賞
「上海ルージュ」(95)
「Keep Cool/未公開」(97)
「あの子を探して」(99)○ベネチア映画祭・金獅子賞
「初恋のきた道」(2000)○ベルリン映画祭・銀熊賞

◆オペラ演出
プッチーニ「トゥーランドット」(97)

【スタッフ】

脚本/ユイ・ホア、ルー・ウェイ
原作/ユイ・ホア
製作/チウ・フーション
製作総指揮/コウ・フォン、クリストフ・ツェン
アソシエイトプロデューサー/バーバラ・ロビンソン
撮影/リュイ・ユエ
編集/ドゥ・ユアン
美術/チャオ・ジュピン
メイク/スン・ウェイ
衣装/ドン・フャミアオ
音楽/チャオ・チーピン
録音/タン・ジオ
照明/チン・チアンミン


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