8月6日に寝坊をしました・・・

 

今日は寝坊をしてしまいました。

 仕事に遅れてしまったわけではありません。

 

今日、8月6日は8時15分に黙祷するのが

恒例となっていたのに

起きたら9時をまわっていました。

 

これが75年前の広島だったなら

私は夢の中のまま、そのまま死んでいたのだろうと思うと

とても恐ろしくなりました。

 

ある朝、

朝ごはんを食べていたら

仕事に向かっていたら

急に空が眩しくなって、瞬きをした...

その一瞬で亡くなった方々がどのくらいいたでしょう。

 

約七万人以上だそうです。

 

その一人一人は

家族がいて、生活があり、夢があった

そして、だれかの大切な人でした。

私たちと何も変わらないかけがえのない一人です。

 

 

小学生の頃

そのころから戦争について関心があった私は、

両親に頼み、広島を訪れました。

被爆地に実際に足を運び、

そこであったことを自分自身の目や耳で感じ取りたいと思ったからです。

事前に自分なりに勉強をし、千羽鶴もなんとか自分で完成させて、

広島へと向かいました。

 

実際に見た原爆ドームは、想像していたものよりも脆く、

今にも崩れてしまいそうと感じる一方で

原爆にも耐えた力強さが垣間見える建物でした。

この姿を何としても残したいと

滞在期間中毎日通い一枚の絵を描き上げたのですが

その絵が県のコンクールで銅賞をもらったのが、

私の想いが他の人にも伝わったようでとても嬉しくて、今でも大切にとってあります。

(それ以降、絵に関してほめられたことは一度もない。)

 

平和記念資料館で見た、投下直後の街並みを再現した人形の展示は

とても衝撃的で、本で何度も読んでいたことのはずが

実際に目の前で再現されると、人形とはいえ

本当に地獄に落とされたように恐ろしく、

泣き出しそうになりながら歩いたのを今でも覚えています。

 

 

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平和記念公園・原爆の子の像にて。自作の千羽鶴を捧げる。



そして、この旅で忘れられない出会いがありました。

袋町小学校平和資料館・・・

ここで出会ったおじいさんに

 

『私たちは、貴方のような小さな子に

戦争の恐ろしさや悲惨さを知って欲しいとまで望んではいません。

ただただ、美味しいものをお腹いっぱい食べて、お友達を大切に、健康に、生きていてくれればいい。』

 

 

と言われた言葉が

今も胸に残っていて、そのことを思うたびに涙がでてくるんです。

 

小学生の私は戦争での犠牲者のことを

「昔の戦争で犠牲になった大勢の人」とみていて

その一人一人が

何を思い、何を願いながら亡くなったのか、考えたことがありませんでした。

 

私が「昔の戦争の犠牲者」と一括りに考えていた人々が

日本や自分の家族を想いながら、生きていたことを

そして、遠い未来の私たちが、日本が、平和であるように願いながら

亡くなったということを、おじいさんの言葉で初めて思い知りました。

 

2020年、私と同世代の人がどれだけこのことを知っているでしょうか

75年前の8月6日に何が起きたのかわかる人がどれだけいるでしょう。

75年前の広島は

今日の東京と同じように

朝から青空が広がる、暑い夏の日だったそうです。

 

私は誰かに褒められたくて戦争のことを話すわけではありません。

ただ、一人のアナウンサーとして、情報を発信する仕事に就くものとして、

私の言葉で、少しでも多くの人に伝えていければとおもうばかりです。

 

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広島滞在期間中毎日原爆ドームに通って描き上げた絵