NYの大手術 恐怖の体験

NYで、友人Mちゃんが入院した

 

お腹にできた腫瘍を取る手術だ

 

えー
こっちで手術なんて不安じゃない????

私なんて親知らずを抜いたとき大変だったよ?

 

 

あれは2007年の冬のこと。
レントゲン写真を見ながら先生が
「○×△○×△・・・・」

 

 

なにかしゃべっている・・・・・
表情はかなり厳しい・・・・

 

きっと このまま放置しておくとまずい、とか言ってるんだろうが
専門用語を駆使した高度な内容、わかるはずもない。

 

読んでもわからない難解な契約書に言われるがままにサインをすると、
治療室に連れて行かれ
「○×△○×△・・・・・」

 

 

えええええっ
もしや、もう抜くんですか?

 簡単に終わるの?
どのくらい腫れるの?

 

聞きたいことは山ほどあるのに、言葉が出てこないっ

 

 

そして、あああああ、思い出したくもない、
苦痛に満ちた3時間に及ぶ大手術が始まったのであった。

 

 

 

これが痛みに耐えた勲章である。
 

 

 

スーパーで同じ形をしたさつまいもを発見し、感動のあまり買ってしまった。

でっかいうえに、よりによって根が最後ちょこんと曲がっている。
あまりに抜けず私が苦しむため、のこぎりで半分に割ったのである。

言葉が通じない、私の恐怖がわかっていただけよう。

 

 

 

ということで
Mちゃん大丈夫かなあ。

 

手術当日。
番組後、病院にかけつけると

 

 

「あ、あっこちゃん、来てくれたんだ・・・・」

 

ああ、よかった。意識もあるね!

でも、顔は真っ白。
ううむ。痛そう・・・・・。

聞けば6時間の大手術。私の親知らずどころではない。

 

痛みを緩和するためにモルヒネの点滴につながれている。

 

 

看護婦さんに
痛いときは、手元のボタンで調整しろといわれたそうだ。

 

「痛いけど・・・まだ大丈夫」

そうだよね、モルヒネなんて出来るなら打ちたくはない。

だが、息をするだけで顔をしかめるMちゃん

 

 

あああ、日本人は本当に我慢強い民族である。
忍耐の人である。

 

耐えられる痛みならば、耐えて見せよう

そんな大和魂が見えてくる光景である。


が、
さすがに痛みがつらそうで
看護婦さんを呼ぶと・・・

 

 

「何よ、あん?痛い?  

あんた 何でモルヒネ打たないの?
痛かったら ばんばんボタンを押せっていったでしょ。」

 

 

弱った患者に が鳴りたてると

 

ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお

 

 

ばんばん、打ちましたか?
そんなに打っていいんですか??????????????

 

 

Mちゃんも目をむいた

 

しかもなんて、荒々しいっ
あなた方は白衣の天使ではないのか???

そして笑顔ひとつなく去っていった。

 

 

そうなのだ
この人たちは、無駄な「我慢」はしないのである。

 

 

ちょっとでも痛くなったら
ばんばん、痛み止めを打つのである。

 

だから出産も
NYでは無痛分娩が当たり前

 

 

「痛いの我慢して苦しんで、何になるよ。
これから大変な育児が始まるのだから、
無駄な体力は使わないわよ」

アメリカ人の友人が言い放っていた。

 

そりゃあそうだけどさあ・・・

 

「痛みにたえてこそ」

 

日本の美学は
ここにはひとかけらもない。

 

 

なんて話をしていたら
夕食の時間だ!

 

 

NYの病院の食事って
どんなだろうね。

 

おっ
黒人のおねえちゃんが、トレイを持ってきたよ。

なんだろうね

ふたをあけると・・・・
目をむいた。

 

 

ぬおおおおおおおおおおおおおお!!!

 

 

こ、これは何っ

こぶし2つ分ほどの巨大な鶏肉に、

な、なんと、
こってり濃厚な デミグラスソースですか?!

 

しかもサイドには、ソフトクリームのようにたっぷりのハッシュドポテトがっ

 

 

わずか5時間ほど前に大手術を終えた患者に
これを出すのかっ

 

みんなこれを食べるのかっ

 

うっぷす。みただけで十分である。
Mちゃんは、ショックで気絶したようだ。

 

 

手術後にあの肉を平らげるNYカーたち。
・・・・・・・アメリカ人はすごい。本当にそう思ったものだ。

 

 

狩猟民族と農耕民族との「燃える生命力」の差がここに見え隠れする。

 

獲物を「追いつづける」民族と
天の恵みを「待つ」民族

 

血しぶきに対し 田畑の実り

 

楽観主義に対し 悲観主義

 

 

肉を食べようとは言わないが
NYにいると彼らの体に宿る民族のエネルギーをみせつけられる。

 

 

Mちゃんにはその後、日本のレトルトパックのおかゆを連日運んだのだった。