戦争を考えるSP第5弾

 

8月17日(日)夜7時54分~、約2時間にわたって

 

池上彰の戦争を考えるSP第5弾」が放送されます!

 

  

ゲストは八千草薫さん、峰竜太さん、宮崎美子さん

パックンさん、本仮屋ユイカさんです。

 

”悲劇が生み出した言葉”という副題にもあるように

戦争の中で生まれた”言葉”に注目しお伝えしていきます。

 

今回、私は沖縄と南樺太に取材に行かせていただきました。

 

パックンさんと沖縄戦について取材しました。

第二次世界大戦で沖縄では日米の軍、民間人を合わせて

戦没者約20万人という悲惨な現場となりました。

そのうち沖縄県民は約9万4000人です。

県民の4分の1が犠牲になったのです。

 

 

 

 

 

 「沖縄県民かく戦えり 県民に対し後世特別のご高配を賜らんことを 」

 

海軍の大田司令官が死の一週間前、海軍次官あてに

異例の電文を発しました。これは、電文の最後に結ばれている言葉です。

電文には沖縄県民の犠牲的な戦いぶりが具体的に述べられています。

 

 

 

 実際に海軍壕跡を取材し

この手紙がどのように書かれたものか、探ります。

 

 

 

また、沖縄戦でひめゆり部隊として

実際に日本兵の看護にあたった本村さんに取材させていただきました。

当時、壕の中に作られた陸軍病院での

生々しい記憶をお話ししてくださいました。

暗い蒸し暑い壕の中のにおい、

狭い手術台で麻酔なしでおこなわれた手術のこと・・・。

当時はただただ必死で、そんな大変な現場にも

不思議と慣れてくるのだとおっしゃっていましたが

今でも、その悲惨な光景を夢に見るのだそうです。

戦争が終わって、しばらく戦争のことは話したくなかったけれど

今は戦争を知らない人たちに”伝えたい”のだと

その”伝えたい思い”というのを強く感じました。

 

そして、樺太へ。

 

 

 

 このがれきは旧王子製紙真岡工場跡です。

かつて樺太は林業、漁業、炭鉱業等がさかんで

約40万人の日本人が住んでいたそうです。

 

 

日本の神社があった場所にはソ連軍の戦車が・・・。

 

実は私の祖母も樺太出身でした。

 

8月15日は終戦記念日であり、多くの人たちが戦争はこの日に

終わったのだという認識かもしれませんが

ソ連軍が日ソ中立条約を破り樺太に侵攻してきていたため

樺太では8月15日を過ぎても戦争は終わりませんでした。

南樺太在住の日本人は戦争に巻き込まれ、

各地で様々な悲劇が生まれました。

 

私の祖母は当時10歳だったそうなのですが

樺太から命辛々、引き揚げ船に乗って北海道に渡ってきました。

 

祖母が本来乗る予定だった一つ前の引き揚げ船は

人がいっぱいで乗れませんでした。

しかし、その祖母が乗れなかったという引き揚げ船は

ソ連軍の軍艦によって撃ち落とされ、

1700人以上の日本人が犠牲になったそうです。

 

自分が現在の平和な時代を生きていること。

それは、戦争を生き抜いた人たちの命のリレーによって

生かされているのだと、取材を通して考えるようになりました。

 

 

 

命が紡いだ言葉をぜひ多くの人たちに知っていただきたいです。

 

戦争を考えるSP、ぜひご覧ください。