故郷・長崎の地へ。

「戦後70年」 節目の夏が終わろうとしています。

 

 

この夏。 私が担当する番組でも、

他のテレビ局の番組でも、様々な特集が放送されました。

ただ、節目を越えた これからが心配です。

 

 

世界を見渡すと、戦争は未だに続いていて

70年間、武器を交えての戦争を放棄してきた日本は「稀な」存在です。

核弾頭も世界には約1万6千発もあって、保有国はなかなか減りません。

戦争は 無くならないのかもしれません。

核廃絶の出口が見つけられないまま、焦りと空しさが募ります。

それでもきっと。

「日本」は、めげずに世界に語りかけていく責任があるのでは、

そして それが出来る唯一の国民なのでは・・

とも思います。

 

 

 

大好きな平和記念像・・・突然の登場です。

(よく見ると 不思議なポーズですね)

この夏、久しぶりに 故郷「長崎」に帰省しました。

番組の取材ですが、改めて「いい街だ。」と再確認。

石ころにつまずいても、長崎の地の石は愛おしく(笑)

幸福な気持ちに包まれます。

 

 平和公園は小さい頃からよく訪れていました。

 

長崎での私のお気に入りの場所は「大浦天主堂」なのですが、

今回は「浦上天主堂」にお邪魔しました。(↓)

爆心地に近く、ほぼ壊滅した天主堂は生まれ変わりました。

手つかずの遺構は、落下した鐘楼など ごくわずか。

 

 

素敵なおじいちゃまに出会います。

 

深堀好敏さん。 86歳とは思えないエネルギッシュさ。

 

 

16歳の時に被爆し、肉親を失った深堀さんは

被爆の写真を国内外から収集し、毎年 写真展を開いています。

  

『 写真や映像は ありのままを伝えるもの。

  主観や脚色は入り込む余地がない。 それがいい。』 (深堀さん)

 

 なるほど。。

 

特に海外などでは、主観の入った「語り」は敬遠されることもある。

写真や映像だと、そこから何を感じとるかは見る人に委ねられ、

原爆について 「自ら考えてもらう」 という大切な体験をしてもらえるの

かもしれない。

 

語り部はいなくなってしまっても、

写真は生き続ける。

『未来永劫 原爆について伝える』 決意をした深堀さんが選んだ

命がけの伝承の方法です。

 

まさにその使命感で、長時間のフライトなど無理を押して

毎年、資料の収集にアメリカに足を運びます。

 

あの原爆のキノコ雲の下で何が起きていたのか・・

 

核兵器の恐ろしさを想像してもらう。

 

世界中に、深堀さんの活動が広がっていくといいな、と思います。

 

そして 『私には、何ができるのか。』

番組で伝えること、書き記すこと、海外の友達と共有すること。

小さな行動かもしれないけれど、

一人一人が考える、

それが大切なのだと おじいちゃんが教えてくれました。

 

 

次は 私たちの世代の番。

 

 

秋の風と共に 戦後71年の歩みが始まります。