赤と青 ① (シリーズ物です)

【茜さす微笑みの国】

ゴールデンウィークも終わり日常を取り戻した街に、初夏のような日差しが降り注いでいる。東京では最後となった路面電車の姿が数秒、ビルの間から時折見える街角に、そのガラス張りのボクシングジムがある。

何かに取り付かれたかのように汗を流し続ける、浅黒い肌の青年の名はデン。
160センチ足らずの小さな世界チャンピオンである。ハンドタオルを片手にハンカチ王子気取りの私に時折微笑みをくれる彼の祖国は、東南アジアのの王国タイ。もしかするとこのくらいの暑さはなんて事無いのかもしれない。

リングネームはイーグル京和。角海老宝石ジム所属28才。栄光の緑のベルト、WBCの世界ミニマム級チャンピオンである。
本名はデン・ジュンラパンだからまったく違う名前であるが、これもタイ人ボクサーならではである。日本デビューは2001年で、そのときはイーグル奥田、後にイーグル赤倉、そして現在と名を変えてきた。マネージャーやジム、或いはスポンサーの名前をつけるのがタイボクサーの慣習なのでそれ自体に驚くことは無いのでこれは余談である。

来る6月4日、デン青年がベルトの防衛戦に臨むことが決まった。ベルトは世界王者の証であると同時に、彼にとっては日本で生きて行くための通行手形であり、夢とか何とかという男のロマンはそこには無い。あるのはリアルな現実。防衛失敗は、それこそこのまま日本にいられるかどうかという問題にも直結する。輸入ボクサーには輝く将来など今は見えないのだ。

デンは日本では稀に見る好青年だ。礼儀正しく、いつでもニコニコしている。身を削って稼いだファイトマネーで祖国へ救急車を贈り、故郷で未だ貧しい暮らしを強いられている家族への仕送りも欠かさない。妻と二人の息子も日本にいる。彼に自由なお金なんて恐らく無いはずだ。ストップエイズの活動にも常日頃から力を入れている。
彼に触れるたびに、自分がむなしくなるものだ。忘れてはいけない、しかしこの日常で忘れかけているモノをいつも彼はその微笑で教えてくれる。

そんなデン青年の人格形成は、勿論彼の生い立ちを抜きには語れない。

つづく