赤と青 ④ (シリーズ物です)

【メナム川】

「コンニチハ、ゲンキデスカ?ボク、チョシ、イイデス。オヨグノ、ウマイデス、ムカシカラ」
デンが、プールサイドに手をかけて取材の僕に話しかけてきた。

かつてデンが中島健選手相手に防衛戦を行う直前の伊東キャンプを尋ねた時の話だ。ロードワークやスパーリングは当然だが、施設併設のプールで水泳トレーニングを行っていたのだ。しかし、そこで見た泳ぎと言うのが不思議なものだった。8割がクロールなのだが、時折奇妙だ。横泳ぎとでも言おうか。横になって顔と片手を上に出して、なんとも上半身が落ち着いた泳ぎなのだ。しかも顔に余裕があるものだから、こちらを見てはニコニコと微笑むのだ。

ところでプールといえば短水路で25m・長水路で50m。たいていの日本人ならば小学校中学校で体験している短水路だろう。

必死に泳ぐ、伊東君という友達がが15m過ぎから右に大きく曲がって、しまいに本来とは垂直にずれた方向に泳いでいる姿をプールサイドから眺めながら、申し訳ないが爆笑したのがは懐かしい記憶だ。
プールではないが、九十九里の海で、波が来るたびにフワ~ンとジャンプするように波に乗って楽しんでいたお相撲さん二人が、15分後にはるか彼方左の方の沖へと流されていたのを見て潮の流れの怖さを知ったのは小学6年生の夏だった。

距離を泳ぐことは大半の人にとっては大変なことだ。しかも流れのある水で泳ぐとなると尚更だ。

忘れ物をした時に、授業の合間に体育館裏の塀を越えて直線で500m程の家にそれを取りに帰ったこともしばしばあった私の小学生時代、遠くタイのデン少年はそんなことが許されるはずも無い、いや不可能に近い通学経路を通っていた。

家と学校の間には大きな川=メナムが流れているのだ。その名はチャオプラヤ川。渡しの船に乗ってみんな通っていたのだ。デン少年以外の、だ。ワラの屋根に電球もない廃墟同然の佇まいの家から、毎朝川を泳いで渡って学校や寺院に行ったという。友達はみんな船だ。デンの家には船賃など出せる余裕は無かった。後日、日本で結婚した奥さんがデンの郷里を訪ねたとき、その川幅に驚いたそうだ。「幅70m位あって水は土色。昔はもっと幅があったと彼は言っていましたけど・・・」。

濡れてはいけないものがあるので、横向きになりで顔と片手をしっかり上に出して泳ぐと言うのが身についていた。・・・・そう、私が伊東キャンプで見たあの泳ぎだ。原点はここにあったのだ。

学校が終われば寺に寄らなければならなかった。信仰心と言うよりも、リアルな現実かもしれない。朝の托鉢で集まった食べ物が残っているので、それを家族のために持って帰るのだ。自分は済ませたからと、いつそれを家族に全部渡して、自分は近所に生えているバナナを食べて空腹をしのいでいたという。学校の道具、そして家族の食べ物、濡らすわけには行かなかったのだ。


つづく