
京都・立命館宇治高校時代から陸上部で活動を始めるが、インターハイに出場することはできず部内でも4番手の選手に過ぎなかった。
しかし、卒業後は陸上の名門「旭化成」に。その時、初めて走った10000mでその適応力を高く評価され、ついに1997年の世界陸上では10000m銅メダルを獲得するまでになる。
トラックで実績を残し、「次はマラソンへ!」と転向を試みるが周囲の過剰な期待とケガなどから思うような結果を残せないでいた。
転機は2001年。殻を破るために「旭化成」から小出義雄監督の「佐倉アスリートクラブ」へ移籍。"とてつもなく"激しい練習の中で徐々に自信を深め同年の北海道マラソンで初優勝。マラソンランナー"千葉ちゃん"が新しく生まれ変わった。
それでも2003年大阪国際で日本歴代4位(2時間21分45秒)の記録を出し、世界選手権代表に。03年世界選手権パリ大会では見事"銅メダル"を獲得し世界で十分戦える実力を証明した。
だがここでもスポットライトを浴びたのは"銀メダル"の「野口みずき」。佐倉アスリートクラブでの「高橋尚子」同様、超えなければならない存在を実感したのも事実だ。
アテネ五輪出場をめざし、それまで以上に激しいトレーニングを積んだが予選となるレースではあと一歩及ばず・・・
あまりの悔しさに佐倉に帰って「泣いた・・・」。
結局、野口・坂本・土佐の後塵を拝し"補欠"という扱いをうけることになった。
「これからは全て自分でやらなければなりません。練習場の確保、練習メニューも・・・」
2005年春、千葉真子は独立することを決めた。さらに自分を磨き大きくするための選択だった。「補欠になった私」という副題の本を出版し自分を見つめなおした。
「もっと世界に出て挑戦を続ける!」そう決意した千葉はひと回り大きくなって今年の北海道マラソンを独走で優勝した。その2週間前に世界陸上のリポーターをしていたことを考えると自分自身をコントロールする何かをつかんだかのようだ。
「これからも世界中の人に育ててもらいます」またまた新しく生まれ変わった千葉ちゃんが世界中から注目を集めるシカゴを駆け抜ける。