2006年06月30日
卒業!
今日で「速ホウ!」を卒業です。
7月からNYに行き、8月から毎朝5時45分からの「モーニングサテライト」でNYのマーケットの今を伝えることになりました。
夕方ニュースを担当して5年3ヶ月。ちょうど小泉政権発足からその締めくくりの時まで
つとめたのだなと感慨深いものがあります。
思えば9.11からイラク開戦、拉致被害者の帰国、新潟中越地震・・・次から次へと押し寄せる事件事故。そのたびに震えるような気持ちでスタジオに入りました。
騒然とする報道フロアのこの熱気ともしばらく離れるのかと思うと寂しさがこみ上げて・・・・くるかと思いきやところがどっこい、感傷に浸る間もなく、
相変わらず毎日、必死。
昨日は、めぐみさんの夫とされる韓国拉致被害者の会見が番組直前に入ってきて、
久しぶりに原稿のない緊迫の時間をすごしました。
番組後、「いや~アドレナリンでました」
みなが高揚した表情でわさわさ集まってきて、何ともいえない「ホット」な空気
ああ~この連帯感や一体感。いいなあ、大好きだなあ。
この「住み慣れた場所」から離れることは正直勇気がいりました。
女性アナウンサーの生き方もさまざまです。「30歳定年説」なんて言葉もささやかれる仕事ですが、アナウンサーに限らず女性であれば誰もが一度は悩み立ち止まって考える時期があると思います。
自分の夢や仕事や結婚や子供・・・。
NYの話を聞いたとき、
考える私に
「孫の顔が遠のく」と母親は言いながら
「人生悔いのないように」と背中を押してくれました。
私が唯一誇れることは
ニュースを5年3ヶ月皆勤できたこと。
次を託す赤平君はちょっと胃が弱いので心配ですが(心臓は強い)
彼は彼なりの道をこれからスタッフと一緒に造っていくと思うので
私もこれからの「速ホウ!」が楽しみです。
どうぞ変わらず皆さん「速ホウ!」を応援してください。
そして「モーニングサテライト」もぜひぜひ見ていただいて
私の報道番組・皆勤賞記録の更新を息をのんで見守ってください。
本当にありがとうございました。
「速ホウ!」キャスター
佐々木明子
2006年06月21日
エレベーターの緊張
エレベーターの中、あまり接したことがない人と二人っきりになった時のあの空気、
とにかく緊張。息詰まる瞬間。別に話をする必要はないけれど何となく心で思う。
“何か話そうかな”
“話し出したとたんに降りることになったら、どうしようかな”
シーン・・・・わずか10秒ほどの時間でも、い・・息が・・・く・・・苦しいっ。
一方、ぎゅうぎゅう詰めで誰もが不機嫌な中、声が大きいMさん。
「お~おまえ元気か、最近、男はどうした」
・・・・・飲み屋じゃああるまいし、プライベートな話を
大声で話しかけられるとこれまた迷惑な話だ。
「すっかりご無沙汰です」いい加減な返答をすると、
後ろの方で「くすっ」と誰かが笑った。
久しぶりに会ってうれしかったりすると
盛り上がってしまう。
自分が降りる階に着いても話が終わらず、第三者が「開」を押しっぱなしでいてくれることもある。「じゃあ、またこん・・・」 「ど」の言葉の前に扉はしまった。
普通、閉まるものである。
閉まってからエレベーターは動き出すものだ。
ところが扉が開いたまま動き出すという恐ろしいエレベーターがあった。
港区で起きたエレベーターの死亡事故。
製造元は世界第二位のシンドラーエレベータ
日本に進出して以来、その安さ、設置の速さ、「安全」を売りにシェアを広げつつあった。
しかもたまたま知人の会社がそのシンドラーのエレベーターの管理点検を担当していた。
いったいこの業界は、どうなっているのかこっそり聞いた。
なるほど・・・大体エレベーターの大手製造元がそのまま管理点検もするそうなのだが、一台のエレベーターに6万円ほどかかる。
この知人の会社に発注すればその点検料を3万円ほどに抑えることができるという。
「安さ」の追求。小さな会社にとってはそこに参入のチャンスがあるのも事実だ。
しかし、
安い料金で大量に受注を増やせばそれだけ人的負担は増えるに違いない。
保守点検の精度に問題はなかったのか。
そもそも、暴走するエレベーターの構造そのものの安全性だって疑問符がつく。
死亡事故をきっかけに
日本各地で、閉じ込められたり、暴走するエレベーターのトラブルが噴出してきた。
六本木ヒルズの回転扉の時もそうだったけれど
死亡事故が起きて初めて問題にスポットが当たるというのも悲しい話だ。
こんなにもエレベーターのトラブルはあるんだ・・・・・。
このニュースを伝えて以来
エレベーターに一人で乗るのが怖くなった。
閉じ込められたとき誰かいればどれだけ心強いだろう。
そう思うと、二人っきりのエレベーターも悪いものではない。
ニュースは人生にいろんな見方があることを教えてくれる。
2006年06月12日
チケット騒動
ワールドカップが始まる
世界中が躍動するあの熱狂
8年前フランスワールドカップの時、取材で1か月近く日本代表に密着した。
開幕4日前にパリの町を歩いたけれど
(私)「サポーターらしき人って全然いませんね・・・」
(K記者)「本当に大会はここで開催されるのかねえ・・・」
ルイ・ヴィトンやエルメスのショップに日本人はうじゃうじゃいるけれど
どう見てもサッカーの匂いはしない。おかしいなあ。
その頃、どうしても見たかった開会式とブラジル対スコットランドの開幕戦
チケットが手に入るという話が突然わたしたちに舞い込んだ。
「それって本物ですかね?」
「いやわからん、正規の旅行会社が持ってきたらしいんだけど」
「でも、日本を出発する時に、偽物チケットの話が出ていたじゃないですか!
もしかしたら騙されるんじゃないですか?」
円陣を組んでみなが顔を合わせた
「3枚あるらしいんだよ」
「あっこどうする?行きたいか?」
そりゃあ・・・行きたいっ
世紀のワールドカップ。ここまで来たからには多少の出費をしたとしても悔いはない。
「私、買います!」5万円の大きな賭けが始まった。
開幕二日前からどう見てもフランス人とは思えない人たちの姿を見かけるようになり
さあ、いよいよ開幕という日、思わず声を上げた。
驚きの光景。シャンゼリゼ通りが超満員の万国博覧会場になっている。
あざやかな民族衣装をまとって町中がダンスダンスダンス。
民族楽器をけたたましく鳴らしながら、誰もが歌っている。
なにしろインタビューが面白い。
どこから来たのですか?
この問いに、一つとして同じ答えはなかった。
ボリビア、イタリア、トルコ、ブラジル、ナイジェリア、エジプト、チェコ、カメルーン・・・
みんなほんとに楽しそうだっ
そして、もう一つのスリル。
このチケットで会場に本当に入れるのだろうか。
「見た感じは・・・何となく色が薄い気がしませんか?」嫌な色あせ方だ。
「この部分に透かしが入ってるんだよ、かざすと、ほら、一応、絵柄が見えるよな」
まあねえ・・・じゃあ、行きましょうか。
チケット確認ゲートは長蛇の列。
怖そうなお兄さんに「に~」と笑顔を見せてチケットを渡した。
どきどきどきどきどきどき・・・・・・。
5秒ほど見ると「ENJOY!」彼は白い歯を見せた。
ああああ、目の前に広がる巨大なスタジアム。
ありがとう。チケット。ありがとう。フランス。
あの感動を求めて人々はチケットに殺到する
そんな中、今回も起きたチケット騒動
入ると思ったチケットが旅行会社に届かずに、宙ぶらりんのサポーターが数百人いると
ニュースで伝えた。
その中にはチケットを持たずにとにかくドイツに出発するサポーターもいるという。
スタジアムの外でも様々なドラマを生み出すワールドカップが開幕した。
2006年06月06日
村上ファンド
AM11時。
怒号飛び交う報道3階報道フロア
いつもの3倍の人がいる。
「おはよう~、ごめんね、通してもらっていい?」
スタッフをかき分けながら、打ち合わせのキャスター席にたどり着いた。
目を向けると
ずらっと一列にならんだ11個のテレビすべてに
村上ファンドの村上世彰代表の顔が並んでいる
全局がこの村上代表の記者会見を中継でつないでいるのだ。
「こう見るとすごいな」・・・Kデスクがうなる。
よく言われることがある
「テレビ東京は、大きな事件の時に"アニメ"を放送してるよね。」
「どこも同じニュースやっているから、テレビ東京の旅番組みたよ」
独自路線をいっていると
視聴者から好感を持たれることもある。
しかし、本当はみんな伝えたいと思っているのだ。
有事の時に報道ではよく「特番やりましょう!」「番組延長しましょう!」
そんな声が飛ぶ。
GOサインが出るときもあれば出ないときもある。
でも、短い時間だったとしても伝えるべきことはしっかりと伝えていると、担当しながら
実感している。
今回の村上ファンドのニッポン放送株をめぐるインサイダー事件。
11時ジャストに始まった「ニュースワイド11」という番組では、
半分近くをこの会見に費やした。
ずらっと並ぶ村上代表の顔を見ながら私もそそくさと一年前の取材ノートを探し出した
あのニッポン放送争奪戦の中、当時の堀江被告へのインタビューや、
村上ファンドの株保有比率などが雑然と書き記されている。
思えば、堀江被告やフジテレビの日枝会長に次いで、
あの頃、番組でも村上代表へのインタビューを試みていたけれど
先方が首を縦に振ることはなかった。
彼を知る人のコメントとして「絶対に表には出てこない人だから」
「実際に会うととっても気さくな人」「投資家を育てる人」と記されている。
会見の後、逮捕となった村上容疑者について
彼を知る何人かから図らずも同じようなメールが届いていた
「出る杭は打たれるということですね。」
本当に彼は証券業界から身を引くのだろうか。
各夕刊の一面には彼の写真がおどっていた。

