■監修者・中島洋の深読み
中島洋
=マルチメディア総合研究所所長
1947年生まれ。 東京大学大学院(倫理学)修士修了。73年日本経済新聞社入社。産業部で24年にわたり、ハイテク分野、総合商社、企業経営問題などを担当。1988年から編集委員。この間、日経マグロウヒル社に出向し、日経コンピュータ、日経パソコンの創刊に参加。97年-02年慶応義塾大学教授(大学院政策・メディア研究科特別研究担当)。02年-04年、国際大学(グローコム)教授を務める。現在、マルチメディア総合研究所所長、日経BP社編集委員などを兼務。
日本経済新聞記者として産業界を取材していたころ、大企業のほとんどは社長就任時の年齢が60歳以上だった。例外的に、野村證券、本田技研などごく少数の企業で、50歳そこそこで社長を出す慣例があったが、世界的な大企業ではめったにこういうケースはなかった。たまに、コンピューター業界で日本電気の関本忠弘氏、富士通の山本卓真氏、日立製作所の三田勝茂氏がそろって50代中盤で社長に就任したので産業界を驚かせた。ライバルの日本アイ・―ビー・エムが40代で社長を出すのが通例だったので、グローバルスタンダードに合わせたものだろう。
野村證券、本田技研など、今日に至るまで、その若手抜擢のルールが決まっているところは、役員になる年齢も早い。40代の若手役員が多数いて、それぞれが「経営」の経験を積み重ねている。「帝王学」を学ばせているとも言えるし、早いうちから候補を絞り込んで40代で早々とトップの座を争う最後の競争をさせているとも、見える。
IBMの場合は、トップの候補生は40代に米国本社に研修に出向くコースがあった。日本の本社の役員補佐として経営者のそばで実地訓練した候補生のうちから米国本社の役員補佐に任命されて、米国本社での経営者のノウハウを学んできたのである。もっとも、この役員補佐については、外部から入ってきてIBMを立て直したガースナー会長が、その弊害について批判していたので、今は、どうなったか。役員補佐での研修制度そのものも公表されていなかったので、制度が変わったかどうかの発表がなく、現状は不明である。
ただ、オーナー系の企業では、事は簡単だった。創業者の長男や娘婿、場合によっては近しい親族が若いうちから後継者として目立ってくる。30代から役員になり(場合によっては20代)、他の同年輩の社員とは3ランクも4ランクもポジションが違い、その仕事は経営の経験を積むためのプログラムになるので、30代後半から40代になれば、いつでも継承できる状況になる。周囲の幹部も、早くからこの後継者を守り立てる体制を整える。お家安泰のためには、早めに後継者をはっきりさせるのも効果のある一手だ。
しかし、家族、親族にそれだけの「器」がある者が見つけられなくなると、若手抜擢のための「促成栽培」のコースを作る企業も出てくる。昨今の「社内経営塾」のブームも、そういう背景が垣間見られる。
50代の社長にバトンタッチする。この半年、総合商社、家庭用品大手など、従来は60代の社長就任が当たり前だった大企業で、若手社長の抜擢が急に増えてきた。60歳前後の年代は戦前戦後の最も出生人口の少なかった年代、それに対して50代中盤は「団塊の世代」で層も厚い。そこで、60前後を一気に飛び越えて50代中盤に白羽の矢が立つケースが目立ってきたわけである。さて、この比較的若い世代への「飛び級」でのバトンタッチ、「帝王学」を学ばせる暇を与えていない状況での抜擢で、果たして、期待に応えられる環境にあるかどうか。「団塊の世代」、正念場に差し掛かってきた。
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