■監修者・中島洋の深読み
中島洋
=マルチメディア総合研究所所長
1947年生まれ。東京大学大学院(倫理学)修士修了。73年日本経済新聞社入社。産業部で24年にわたり、ハイテク分野、総合商社、企業経営問題などを担当。1988年から編集委員。この間、日経マグロウヒル社に出向し、日経コンピュータ、日経パソコンの創刊に参加。97年-02年慶応義塾大学教授(大学院政策・メディア研究科特別研究担当)。02年-04年、国際大学(グローコム)教授を務める。現在、MM総研所長、日経BP社編集委員、国際大学(グローコム)主幹研究員などを兼務。
ロボットについて取材するのはかれこれ15年ぶりではないか。
80年代後半、日本の産業界が国際競争力を向上させていた時期、その中心になってきたのは工場の中で働く工業用ロボットだった。人間の腕のような部分だけが力強く動いて大きな自動車部品や機械部品を空中高くつるし上げ、天井に敷設されたレールに導かれた高速移動する。アーム型の「搬送ロボット」と呼ばれた。
どこが「ロボット」か? と取材しながらいぶかしく思ったが、当時の定義では(今日でも)、立派にロボットだった。世界的な自動車工場ではじめてみたときには圧倒されたが、全国各地の工場を取材しているうちに、あっという間に、その他の業種にも普及していったのには、さらに驚いた。当時は世界でも追随する国のない、日本産業界が圧倒的に独走する技術だった。これで人手を介さずに工場内部では、きわめて精度の高い作業を機械に行わせて、生産性を向上させ、米国を一気に追い抜き、差を広げていたのである。
個人的な感想をいうと、このロボットはロボット自身の生産コストが劇的に安くなる上、生産を移管するアジアの開発途上国では、いずれ賃金が高くなるので、日本国内との差が縮小して、このアーム型ロボットによって再び日本は国際競争力を取り戻すのではないかと感じてきた。それは果たしてどうだったか。もう少し、産業の進化を見てみないとなんとも言えない気はするが。
80年代には、もう一つもっと「ロボット」らしいロボットも登場した。床に張り巡らされたガイドレールを動き回るトロッコのような搬送車にも少し動物の様な形をつけて利用していた。ここまで動物に議せられるようになると、愛称がつけられるようになった。太郎とか花子などのように、きわめて当たり前の名前がつけられたのには、日本人の「常識感覚」に感動した。もっと工場名や地名、企業名、工場長名、家族の名前など、遊び心があるのかと思ったら、小学校の国定教科書のような名前が出てきた。日本の工場を支える技術者たちの几帳面な性格がそこからうかがえて、思わず笑みを浮かべてしまったのを覚えている。
時を経て、この人間の世界とは異次元にあったロボットも、手塚治虫さんのイメージに近い「ヒューマノイド」と呼ばれる人間型ロボットへと移りつつある。それが今回、テーマとして取り上げた、次世代のロボットである。
珍しく、産業界だけでなく、大学もこの技術開発で世界をリードして、産学協力が成り立つ分野である。各種部品メーカーやソフトウエア開発、保守・メンテナンスなどの周辺産業界への波及も大きいだけでなく、日本の少子化によって労働力が不足するときに、これを人間型の親しみあるロボットで補うという社会的な意味も大きい。経済産業省が、日本の5年後、10年後を切り拓く新産業と期待するのは自然である。
しかし、まだ、「鉄腕アトム」には程遠い。次の飛躍の余地もまだまだある。繰り返し、この分野は取り上げる必要があるだろう。
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