■監修者・中島洋の深読み
中島洋
=マルチメディア総合研究所所長
1947年生まれ。東京大学大学院(倫理学)修士修了。73年日本経済新聞社入社。産業部で24年にわたり、ハイテク分野、総合商社、企業経営問題などを担当。1988年から編集委員。この間、日経マグロウヒル社に出向し、日経コンピュータ、日経パソコンの創刊に参加。97年-02年慶応義塾大学教授(大学院政策・メディア研究科特別研究担当)。02年-04年、国際大学(グローコム)教授を務める。現在、MM総研所長、日経BP社編集委員、国際大学(グローコム)主幹研究員などを兼務。
激減した商店街の背景
筆者は東京・渋谷の育ちである。小学校は現在のNHK放送センターに近い、渋谷区立富ヶ谷小学校に通学した。同級生の多くは小田急線代々木八幡駅、代々木上原駅周辺の商店主の子弟だった。文房具店、自転車販売店、中華料理店、和食レストラン、青果物小売店、鮮魚小売店、精肉販売店、酒類販売店、乾物類販売店、総合食品販売店、ファッション小物販売店、理髪店、美容院経営など、「××屋さん」と言うのを言い換えるのに苦労する商店の子弟が級友だった。そういえば「お風呂屋さん」の子供もいたが、これは何と言い換えれば良いのか。「公衆浴場経営」か。
残りが会社員、公務員子弟、工務店などの経営者の指定だが、合計しても少数派だった。会社員も近所の鉄工所などの近隣の中小・零細事業所の従業員が多かったように記憶している。
最近、訪れてみると、周辺の景観は大きく変わっている。山手通り、井の頭通りが拡幅されて、級友たちの店のいくつかが跡形もなく消えていた。もちろん、会社員の社宅だった集合住宅も形を変えたところが多かったが、最も変容が激しかったのが商店街だった。有名な演歌歌手の実家だった店舗も消えていた。
幹線道路の拡幅を機会に商店を閉じたのかと思ったが、実は、そうではない。親の生業を継いだ級友はほとんどいない。団塊世代の筆者が小学校に入ったのが昭和29年(1954年)、中学を卒業したのが38年(63年)、高校卒業が41年(66年)。高校卒業の時期は高度経済成長の真っ只中である。高校卒業のころは一時的に東京オリンピック後の不況期だったが、すでに世間の就職の視線は「サラリーマン」に焦点が合わされていた。
商店主の過酷な労働の割には報いられない収入を嫌気して、「後継者難」が始まっていたようである。卒業後、同級会を開いても、親の跡を継いだ商店主はほとんど見られなかった。その店舗が、やがて、姿を消すことになった。店構えはそのままで、別の業種に変わっていたり、スーパーやコンビニになって、店を守る店員さんは級友たちとは無縁の人々であるケースがほとんどだ。
親子2代の商店主は、筆者の近辺では稀有の存在のようである。
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