■監修者・中島洋の深読み
中島洋 中島洋=マルチメディア総合研究所所長

1947年生まれ。東京大学大学院(倫理学)修士修了。73年日本経済新聞社入社。産業部で24年にわたり、ハイテク分野、総合商社、企業経営問題などを担当。1988年から編集委員。この間、日経マグロウヒル社に出向し、日経コンピュータ、日経パソコンの創刊に参加。97年-02年慶応義塾大学教授(大学院政策・メディア研究科特別研究担当)。02年-04年、国際大学(グローコム)教授を務める。現在、MM総研所長、日経BP社編集委員、国際大学(グローコム)主幹研究員などを兼務。


 監修者の中島は昭和30年ころに東京・富ヶ谷で小学生時代を過ごした団塊ど真ん中の世代である。正月は都会の商業・住宅混在の地域で過ごした。住居は私鉄の駅前の商店街の中にあったが、正月といえば暮れに地域の大工さんやとび職の人が回ってきて、ほとんどの店が笹と松で玄関を飾るのが習慣だった。年末のいつだったか、今では日にちまでは記憶が定かではないが、商店街に一斉だったので、この飾り付けがされると、さあ、正月だという思いで気持ちが引き締まったのを覚えている。

 とはいえ、この飾り付けの時期は、まだ、年末の最後の商売が一番忙しい時期で、商店街恒例の福引きもやっていた。集めた福引券を持ってずらりと並んでガラガラと機械を回転させて色つきの玉をしぼり出した。一等が当たるとカランカランと鐘を鳴らす。10回も福引き機を回してすべて5等の赤玉で、泣きべそをかいた思い出も今では滑稽だが、この風景は辛うじて、商店街によっては残っているようだ。

 大晦日の夜遅くまで正月の準備の買い物を慌しくして、翌日の元日は一転して、すべての店がぴたりと戸を閉ざして長い休暇に入った。元日は、どの店も閉じた戸の前に日の丸の旗を掲げていたが、これは最近ではさっぱり見かけない光景である。

 大晦日の遅くから、着物を着て終夜運転の私鉄に乗って明治神宮へと初詣に出かけた。普段は閉まっている臨時改札口から吐き出された参拝客たちは、ボーイスカウトたちが守る松明の明かりで照らされた砂利道を歩きづらい下駄履きで、じゃりじゃり音をさせ、寒さに震えながら拝殿まで長い列を作った。当時は現在の代々木公園からNHKの一帯は米軍家族の住宅地で「ワシントンハイツ」と呼ばれる地域だった。金網で囲まれて直進できなかったので、富ヶ谷側から明治神宮に行くには参宮橋に回り込むか、渋谷へ大回りして原宿から入るコースだった。

 昨今は着物で初詣という姿はさっぱり見かけなくなった。女性の日本髪も見かけない。年末の美容院の売り上げもずいぶん変わったに違いない。羽根突きや凧揚げも昭和30年ころの富ヶ谷近辺では盛んだった。小さな女の子が着物を着て羽根突きをしていた。

 そして最も変わったのがおせち料理だろう。多くの家庭では数の子を戻したり、黒豆を煮たり、サツマイモや栗からきんとんを作るなどの作業をしなくなっているようだ。それに合わせて現在では魅力的なおせち料理セットを消費者に売り込む商戦がにぎやかになった。正月風景が大きく変わったのを実感する。







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