■監修者・中島洋の深読み
中島洋
=マルチメディア総合研究所所長
1947年生まれ。東京大学大学院(倫理学)修士修了。73年日本経済新聞社入社。産業部で24年にわたり、ハイテク分野、総合商社、企業経営問題などを担当。1988年から編集委員。この間、日経マグロウヒル社に出向し、日経コンピュータ、日経パソコンの創刊に参加。97年-02年慶応義塾大学教授(大学院政策・メディア研究科特別研究担当)。02年-04年、国際大学(グローコム)教授を務める。現在、MM総研所長、日経BP社編集委員、国際大学(グローコム)主幹研究員などを兼務。
21世紀初頭の日本の海運業界の復活は驚きである。日本の鉄鋼業や家電業界についても同様だが、そのピークの時期はすでに去り、日本の「歴史の一部」としてのみ残るのだろうと推測していた。まったくの想定外であった。
確かに、2度と日は当たらないだろうと確信するほどに、20世紀終盤の「海運ニッポン」の没落は惨憺たるものだった。その最大の要因は直接的にも間接的にも「円高」である。国内と海外のコストの差は歴然とした。石油価格の暴騰、いわゆる「オイルショック」による経済構造の変化がそれに追い討ちをかけた。
70年代半ば、筆者が駆け出しの新聞記者として貿易業界を走り回っていたころ、日本からの輸出として巨額を記録していた品目の一つが「船舶輸出」だった。輸出先はパナマやリベリア、ギリシャなどであった。日本の造船業界は大型タンカーや船舶の輸出で活況を呈していた。これが、実は「便宜置籍船」で、その後の海運ビジネスの海外移転と大いに関係あることにはそのころは気がつかなかった。
世界中を動き回る海運業にとって、税金や登録料の最も安い国に船の国籍を置いてもビジネスでの不便はない。「便宜置籍船」によって海外に船が逃げ出した理由である。日本の空洞化は船籍にも顕著に現れた。 その上に円高で国内の船員の賃金は円高で相対的に2倍、3倍に跳ね上がった。とりわけ、元々安かった東南アジア諸国の船員の賃金は相対的にさらに下がり、日本の船員の賃金競争力は壊滅状態になった。
さらに日本の製造業の海外移転である。人手に多く頼る組み立て産業は人件費の安い香港、タイ、シンガポール、フィリピン、台湾、インドネシア、さらに遅れて、韓国、中国、ベトナム、ミャンマーなどに次々と移転し、貿易立国の日本を背景にした強い海運業が、日本の製造業の衰退とともに、いったんは衰退したのである。
日本の海運業の復活は、海外に幅広く資源を依存するグローバル化の戦略が成功したことが大きな原動力だが、とりわけ海運業の後れている中国を拠点にしたビジネスの成功が指摘できるだろう。海岸線の長さをみると分かるが、日本に比べれば中国の海への依存度は小さい。貿易国としては、まだ、発展途上で、ここに日本の出番が出てきた。中国の製造業、経済力の急発展に比べて海運業の発展が後れている、という大きな段差に、日本の海運業の進出するチャンスが生まれた。日本の海運業復権の背後にもやはり、中国の大きな存在がある。
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