■監修者・中島洋の深読み
中島洋 中島洋=マルチメディア総合研究所所長

1947年生まれ。東京大学大学院(倫理学)修士修了。73年日本経済新聞社入社。産業部で24年にわたり、ハイテク分野、総合商社、企業経営問題などを担当。1988年から編集委員。この間、日経マグロウヒル社に出向し、日経コンピュータ、日経パソコンの創刊に参加。97年-02年慶応義塾大学教授(大学院政策・メディア研究科特別研究担当)。02年-04年、国際大学(グローコム)教授を務める。現在、MM総研所長、日経BP社編集委員、国際大学(グローコム)主幹研究員などを兼務。

自動車時代「40年」の重み

 筆者が初めて自動車の運転免許証を取得したのは大学2年生当時の1967年、今から39年前だった。驚いたことにトヨタのロングセラー車種「カローラ」の登場は、それより1年前の66年だったという。

 筆者の時代は、免許証取得直後に大学紛争(闘争)に突入、学校を出ると超多忙の新聞記者生活に追いまくられ、という環境で、とうとう自動車の運転の余裕がないまま20年以上が経過した。「マイカー時代」の記事は書いたが、自身では運転する経験はなかった。運転席からモータリゼーションの進行を見る機会を逸したわけである。

 この間に、猛烈な勢いで自動車による社会革命が世の中を変えていた。物流革命を引き起こして、流通業界に大きな構造変化をもたらした。トラックやマイカーに敗れて国鉄が立ち行かなくなった。一方、悲劇も深刻化した。自動車事故による死者の数も一時は1万人を超える悲惨さで、「交通戦争」とまで言われた時期もあった。警察による取締り強化の効果、シートベルトやチャイルドシートの義務化などの努力の甲斐もあって、事故死者数は減少し始めているが、それでも年間、数千人の人の命を奪う状態は、自動車普及の功罪を考えさせる。

 さて、筆者の方だが、その後、「完全週休二日」の波が新聞社にも訪れてくると、郊外の自宅で休日を過ごすとなると、自身で運転をしないと著しい不便を感じる。ほこりにまみれた免許証を取り出してみると、すでに10年以上前に更新し忘れの期限切れで失効していた。仔細に調べてみると、ちょうど、更新に差し掛かる時期に長期の海外出張に出ていてその忙しさに、すっかり免許更新のことは頭から消えていた。

 再度、免許証の取得に自動車学校に通ったが、運転技能テストはマニュアル車のみで、オートマチック車の免許はない。すでに学生時代に免許を取った時代にオートマ車は登場し、その後、急速に普及していた。技能試験でさんざん苦労させられた家内も、免許取得後はオートマ車で楽々と運転し、「なぜ最初からオートマ車の免許証を出してくれないのか」と愚痴を言っていたのを聞いていたので、試験制度が古いままなのに驚愕した。

 マニュアル車の「坂道発進」でのクラッチとアクセルの力の入れ具合の難しさ。それも教習車ごとにそのバランスの地点が違う。さらにのろのろ運転時の頻繁なギアの入れ替えなど、マニュアル車では、実に、難しい操作を習得させられたが、免許取得後は一度もマニュアル車を運転した経験はない。何と無駄な技術をテストするのか、と嘆いたが、さすがに、程なく、「オートマ限定」の免許制度が生まれた。

 いまや自動車は「走るコンピューター」。電子装置が満載されて、外見では分からないが、中身は全く別物の機械に変身している。にもかかわらず、40年、カローラは生き抜いてきている。この長寿には、脱帽せざるを得ない。







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