■監修者・中島洋の深読み
中島洋
=MM総研代表取締役所長
1947年生まれ。東京大学大学院(倫理学)修士修了。73年日本経済新聞社入社。産業部で24年にわたり、ハイテク分野、総合商社、企業経営問題などを担当。1988年から編集委員。この間、日経マグロウヒル社に出向し、日経コンピュータ、日経パソコンの創刊に参加。97年-02年慶応義塾大学教授(大学院政策・メディア研究科特別研究担当)。02年-04年、国際大学(グローコム)教授を務める。現在、MM総研所長、日経BP社編集委員、国際大学(グローコム)主幹研究員などを兼務。
改めて「保険」の歴史を考えた
日本で生命保険が誕生するきっかけを作ったのが福沢諭吉の西洋見聞の旅行記だったということは今回、初めて知った。西洋の視察になんとか潜り込んだ福沢諭吉が、貪欲に西洋文化、文明社会の仕組みついて吸収した意欲には敬服せざるを得ない。
もちろん、ヒントだけで新しい仕組みを日本に誕生させられるわけもない。日本社会の側に受け入れる何かがあったのだろう。生命保険の歴史を勉強してみると、大正期の疫病の流行や関東大震災で加入者に多額の生命保険が支払われたことが生命保険発展するのに大きく寄与しているらしい。さらに戦後は核家族化によって、大家族が支えてきた仕組みが崩れ、家計を支えてきた夫の不慮の事故や思いがけない病没などで遺族が困窮する事態が生まれて、生命保険のメリットが理解されたことも大きかったようだ。
福沢諭吉は生命保険の相互扶助の機能を強調して紹介したが、これは、制度的にはローカルだったが、日本社会に根付いていた「無尽講」「ゆいまーる」などのコミュニティ内での扶助システムと共鳴するものがある。不安定な社会を生きるために、少しでも金銭的な不安を除く、という意味で、共通する機能である。こうした下地があって、より規模を拡大させた生命保険制度が受け入れやすかったのかもしれない。
「保険」にはもう一つ「損害保険」がある。この出自は明確である。「賭け」である。大航海時代のイギリスで、遠くアジアまで出発した船が、果たして、期待する貿易品を大量に持ち帰ることができるかどうか。大金を投資している荷主は不安である。もし無事に帰還すれば莫大な利益を得るが、嵐か海賊か、原因はともかく、なんらかの事情で船が帰ってこなければ、投資は無に帰し、大きな損害をこうむる。
そこで考えられたのが「賭け」である。船が帰還するか、帰還しないか。どちらかに賭ける「賭け」が仕組まれた。もちろん、帰らないほうに賭けるのは荷主だ。他の参加者は帰還するほうに賭ける。無事に帰還すれば、荷主に対抗して張った参加者は利益を得られる。他方、不幸にして帰還しなければ、荷主は貿易品が入手できないという打撃を受けるが、「賭け」には勝ち、多額の賭け金を獲得できる。
もちろん、船が帰還した場合に得られる利益に比べればわずかで、また帰還しなかったことによる損失をカバーできるほどではないが、「元も子もなくす」という最悪の事態は避けることができる。賭け金を払っているので、貿易品を入手したことによる利益の一部が賭け金で減らされてしまうが、巨額の貿易利益に比べれば支払った賭け金はたいした事ではない。「元も子もなくす」不安を緩和してくれるならば賭け金の支払いはたいしたことがない。
「賭け」といえば、社会の正統派からは疎んじて見られかねないイベントが、実は、保険という形で社会の不安緩和の機能を果たしている。
今回の調査の過程では「保険」の意外な側面をのぞかせてもらった。
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