■監修者・中島洋の深読み
中島洋 中島洋=MM総研代表取締役所長

1947年生まれ。東京大学大学院(倫理学)修士修了。73年日本経済新聞社入社。産業部で24年にわたり、ハイテク分野、総合商社、企業経営問題などを担当。1988年から編集委員。この間、日経マグロウヒル社に出向し、日経コンピュータ、日経パソコンの創刊に参加。97年-02年慶応義塾大学教授(大学院政策・メディア研究科特別研究担当)。02年-04年、国際大学(グローコム)教授を務める。現在、MM総研所長、日経BP社編集委員、国際大学(グローコム)主幹研究員などを兼務。

就職「氷河期」時代の教え子たち


 直接には「就職氷河期」は1990年代前半に始まった新卒生の就職難を指すようだが、その後一時期、多少の回復を見たものの、2000年代初頭から4-5年ほどは再び深い就職活動の谷間が現れた。筆者は、この時期に慶応大学のSFC(湘南藤沢キャンパス)の教授として卒業を控えた学生たちと付き合ったが、非常に厳しい状況の中で就職活動を続ける多くの学生に胸が痛む思いを抱かされた。「新卒採用・・・・広がる格差」をテーマにした今回の企画取材をしながら、その卒業生たちのその後のことを思い返していた。

 筆者が受け持った環境情報学部、総合政策学部は相対的には優秀な人材を輩出する学部として世間の評判は悪くなかったが、それでも、採用数を激減させて、卒業生に対して門戸を狭めた就職戦線は学生には厳しく、就職先の採用内定をもらうために学生たちは長く憂鬱な時間を経験させられた。

 それでも4年の卒業までに就職先を決めてキャンパスを後にしたが、それから3年、4年。「転職した」という挨拶メールをいくつかもらうことになった。もちろん、厳しい就職戦線の中で選抜されて迎え入れられた企業で元気に活動する卒業生も多いのだが、やはり、転職した学生のほうが気になって、印象が強い。ある学生は急速に業容を伸ばす一部上場企業のITベンチャーに就職したが、その後、未上場の別のITベンチャーの誕生とともにそちらに転職した。いまやベンチャーとは言えない巨大企業に成長したIT企業の経営中枢門に進んだ卒業生も、2年ほどで、誕生間もないITベンチャーに転職した。すでに形が固まり始めた企業よりも真新しいベンチャーで自分の実力を確かめたい、というのである。このタイプの卒業生はエネルギーに満ちた人が多い。

 人気があった大企業に就職したはずの何人かも、転職した。ある者は業種が異なる別の大企業に。ある者はベンチャーに詳しいはずの筆者でも名前を知らなかった歴史の浅いベンチャーに転職した。ただ、この後者のタイプは、最初に転職したベンチャーには程なく失望して、もう一度、別のベンチャーを選びなおした者が多く、今のところ再転職先で落ち着いている。「自分探し」の旅に出たタイプで、このグループの卒業生が自分自身にぴったりの企業にたどり着くのは大変そうである。むしろ、いずれは自分が主導するベンチャーを自ら作り出すのではないか、という予感がする。

 さて、まだ最初に就職した企業に残っているグループだが、多くは大企業である。その企業の重要部署に異動したエリート組もいるし、仕事に生きがいを感じて元気百倍の者もいる。ぶつぶつ愚痴を言いながら、なんとなく大企業になじんだものもいる。同期が少ない職場で、期待されながらビジネスマンとして成長してゆきそうな気がする。

 就職の条件が良くなった現在の学生よりも、彼らには、社会にもまれ、自分を見つめてきたたくましさを感じる。記事を書きながら、厳しい就職活動を続けていた学生の顔が一つ一つ思い出された。





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