Go Forward - ゴー・フォワード -

人生の先行き不透明感が蔓延するニッポン。出口の光を探し求め、もがいている人は多い。そこで「挫折を超えた成功者」たちの「先へ進む」勇気や原動力に迫るヒューマン・ドキュメンタリー。

立ちどまらない保険。MS&AD
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Go Forward
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先週の人。

新たな一歩を踏み出す時、誰もが不安に襲われ、ためらい、立ちすくむ。そんな時こそ、偉業を成し遂げた者たちの言葉が前へ踏み出す勇気を与えてくれる。

そこで、特別編第2弾として「人生に迷っているあなたに伝えたい。前進する勇気を与えてくれる言葉」と題し、お届けします。あなたにもう一度送りたい珠玉の言葉とは?



日野原重明
「(よど号ハイジャック事件で)助かった時に僕の生涯は与えられたものこれからは、誰かにそれをお返ししようという風に僕の第二の人生が60歳から始まって…」
58歳でこの事件に遭遇し、死と隣り合わせ日野原はこの時、尊敬する医師が残した言葉「平静の心」の本当の意味を知った。

金城浩二
「自分を褒める方法を探すというかね、出来るって思ってみたりなんか思いついたら『オレって天才』って思ってみたり」と金城は自分を高めれば、夢は叶うという。


藤巻幸夫
カリスマバイヤーとしてアパレル業界で名を馳せた藤巻。しかし過信から挫折し投げやりになっていた時、
「『逃げるな』と今ここで逃げたら後で後悔するぞって言われましてね」
上司からの言葉に踏みとどまった藤巻は、その後、数々のプロジェクトを成功へと導いた。


金言






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先週の人。

新たな一歩を踏み出す時、誰もが不安に襲われ、ためらい、立ちすくむ。そんな時こそ、偉業を成し遂げた者たちの言葉が前へ踏み出す勇気を与えてくれる。

そこで、特別編第1弾として「今、新たなる一歩を踏み出そうとしているあなたに伝えたい言葉」と題し、お届けします。
あなたにもう一度送りたい珠玉の言葉とは?




國中均
「研究、開発、実用というサイクルはだいたい20年くらいかかっちゃうんですね。大変途方もなく難しい仕事で、本当に成功するのか? どうなのか? 不安になってくるんですね」
そんな彼を鼓舞し続けたのは恩師からの言葉「スペシャリストたれ。ジェネラリストは後からでもなれる」だった。

安藤忠雄
「大工さんが昼飯も忘れて仕事をする姿を見て、この一心不乱の姿を見てこの建築という仕事にはなにかあるんだろうと…」
学歴も知識もないズブの素人から安藤は、脇目もふらず走り続け世界的建築家となった。

島田順子
「もしかしたら苦しい事もあったかもしれないけど、それ以前にとにかくプロになりたい! それで一生懸命一生懸命働いたんです」
そして彼女は努力の末、プロのファッションデザイナーとなり成功をその手に掴み、今なお、前進し続けている…。


金言




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先週の人。

人気洋菓子店「マルメゾン」のオーナーパティシエ 大山栄蔵。日本洋菓子界のパイオニアとして業界を牽引してきた彼。22歳で本場フランスで修業後、帰国した日本で待ち受けていたのは厳しい現実だった。その時、彼を支えたのはフランスでの先輩パティシエから頂いた言葉だった。



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金言

「『シェフやりたい!』って自分を売り込んで『自分はこんな新しいことを知ってんだよ!』『こんなことも知ってんだよ!!』って夢あふれてたのに『なんでこんな若いヤツがフランスちょこちょこっと行ってただけのヤツが仕事できんのかよ?』っていうような対応で…」

「職人っていうのは手と手で携わって教えていくっていうのが基本的なことなんで、材料であったり、テクニックだったり、仕上げだったり、手から手へ伝わってきてるから現在がある」

「お客さんがお菓子食べて笑顔になってくれるじゃないですか、そういう意味での継承って言うか『お菓子ってスイーツって楽しい仕事なんだ』というようなことを伝えたいなって思ってますけどね」




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先週の人。

沖縄で生まれた企業として『沖縄文化』にこだわり続ける
株式会社ジェイシーシー社長 渕辺俊一。
飲食業を中心に次々と成功を収めた社長。しかし、たくさんのものを与えてくれた沖縄に自分は何もかえせてないと悩んだ。県外の人にも沖縄の素晴らしさを伝えるためにとホテルを開業することに。
その時、彼を支えた言葉は福沢諭吉の言葉だった…。



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金言

「出来るだけ一人でも多くの人に沖縄の文化を広く正しく深く、世界に広げていく仕事ができればなと思います」

「(大学卒業後、鹿児島から沖縄に初めて来た時)当時は異国の雰囲気がありましたね。ユニークな深い文化を持ったところだろうという気持ちがありましたね」

「この沖縄に愛すべき沖縄に何ができるかと…どこまで出来るかという事を今後の大きな柱にしてやっていきます」





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先週の人。

宮城県気仙沼で創業120年の菓子店を
父とともに経営する小山裕隆。
あの東日本大震災で家族の思いが詰まった店は
濁流の中に…。
その店を再建するまでに至る彼を支えた言葉は
自らを奮い立たせる地元の強い言葉だった。
そして5カ月後、店は再建した。




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金言

「近くの大きな建物に避難していて、うちの建物が流されていくってのを目撃したんです。父親に『大丈夫だよ。命があるんだから。建物は建てればいいよ』いっぱい励ましたんですけどもう心が折れて何も返答も無いんですね」

「『なんだ、この野郎』地元の言葉で言うと『おだずなよ!』『ふざけんじゃないよ』ということなんですよね。『人間力は被災してねぇぞ』っていう」

「僕の中ではコヤマ菓子店の復興と港町気仙沼の復興というのが二つ入っているわけです。 人生かけて絶対どんなことをしてでも復活させてやろうと」





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先週の人。

世界で初めて人工による養殖サンゴの移植と産卵に成功した男。金城浩二。
沖縄に生まれ、幼い頃から海とともに生きてきた彼は、以前に比べサンゴが死滅していることを知り、たった一人で養殖を始めた。しかし、世間にはなかなか理解してもらえず、風当たりは冷たかった。そんな時、彼を支えた言葉は自らを鼓舞する言葉だった…。




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金言

「環境のことを言うとキレイ事を言ってるみたいな。自分の感じていることと世間のギャップというのが何をやるのも大変だった。笑われるとか惨めな思いもあったからそういう時はきつかった」

「自分を褒める方法を探すというかね。出来るって思ってみたりなんか思いついたら『オレって天才』って思ってみたり」

「とにかく僕にとって(沖縄は)世界一の島なんで絶対守りたいなっていうのがあるよね」





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メジャーリーガー 西岡 剛。
甲子園で活躍し、ドラフト1位でロッテに入団。
野球エリートとして育ってきた彼にも
大きな挫折があった。プロ入り1年目、
1軍で何本かヒットを打っていたにも関わらず
1度のエラーで2軍に降ろされた。その時彼を支えてのは
父の言葉だった…。




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金言

「プロ入って1年目なんですけど、ちょっと1軍に上がってヒットも何本か打って1つのエラーでまた2軍に降ろされたんですけど、その時に初めて『野球が面白くない』って弱音を吐きましたね」

「親父からもらった言葉が『先憂後楽』って『先に憂いて後で楽しよ』若いうちに色々な努力をして経験して失敗して後で楽するって気持ちを忘れるなっていうことがやっぱり心に残ってますね」

「逃げたら答えは絶対出ないですからね。メジャーに失敗してブーイングされたりだとかマスコミにたたかれたって事をそのまま真正面に受けてみようと思いますね」




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先週の人。

映画監督・行定 勲。
日本アカデミー賞を受賞した「GO」や
大ヒットした「世界の中心で、愛をさけぶ」等を手掛ける。
しかし、テレビドラマのADとしてスタートした彼は
自分が思い描いていた世界とのギャップに
もがき苦しんでいた。
そんな時、彼を突き動かしたのは、
先輩のチーフ助監督からの言葉だった。





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金言

「僕らが覚えた最初の仕事ってのは控室に弁当を配る。なかなか助監督として自分の仕事ってのがちゃんと成り立っているのかどうかっていうところの焦り」

「その時のチーフ助監督さんですかね。当時30歳ぐらいだと思うんですけど『自分でおまえは「自分はダメだ」と評価しているが、俺はお前のことを1回も辞めろと言ってないだろ? お前は歯車のひとつになっているんだよ。自分ではわからないと思うけど。だから、俺が辞めろというまで、辞めるな。それがお前の評価だ』って言われたんですね」

「やっぱり人の気持ちを動かすものをなるべく作りたい。観客の心が動くことってのは、そんな簡単なものでは出来ない。結局、俺はこれなんでどうぞ。勝手に観てください。勝手に色々思ってくださいなんていうのは、やっぱり意味があまり感じられないで、自分個人 としては、やっぱり観客の評価がすごく自分の次の作品を作らせていく。批判も含めて」




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先週の人。

最近では、表参道ヒルズや六本木ミッドタウンの
21_21デザインサイトなどが代表作。
世界的評価を得ている建築家・安藤忠雄。
元ボクサーという異色の経歴をもつ彼は、
独学で建築を学ぶ。
頼るべき先輩や仲間がいない中、彼を支えた言葉は…。
実家の長屋を建て直す大工さんの
姿を見て感じた言葉だった。





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金言

「初めから挫折してますからね。建築の設計家を志しながら大学に行けなかった。専門教育も受けれなかった人間が建築の設計をしようとするところから間違ってますよね。けれども野心はありました。死に物狂いで生きてましたよ」

「私の家の平屋建ての長屋を二階建てにしました時に大工さんが昼飯も忘れて仕事をする姿を見て、この一心不乱の姿を見てこの建築という仕事にはなにかあるんだろうと…」

「とにかく一つでも人々の心の中にしっかり残っていくようなものを作りたい。そしてその感動で生きる喜びを見出してもらえるようなものを作りたい。感動がなかったら人間前に行かないんですよ。その感動の少しの部分を建築というものが受け持てていればいいなと思います」




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先週の人。

聖路加国際病院 理事長 日野原重明。
昨年100歳を迎え、なお現役で医療に従事。
人生の転機は58歳の時に遭遇した大事件。
極限状態で脳裏をよぎったのは、
尊敬する医師の言葉だった…。





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金言

「(よど号ハイジャック事件に遭遇した日野原氏)北朝鮮に行くようにハイジャックされた僕は自分で脈をみたの、脈が80くらい打ったからね。少し気持ちが動揺してるなっと思って」

「何とか耐えながら心を動じないですべきだと感じた時には、オスラー先生はコレ(平静の心)を言ってたんだってことを初めて分った」

「助かった時に僕の生涯は与えられたもの、これからは、誰かにそれをお返ししようという風に僕の第二の人生が60歳から始まって」

「ここからがスタートラインだ。100歳までにやってないことを100歳過ぎてからやってみよう、未来志向」




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上野由岐子

ソフトボール日本代表のエース・上野由岐子。
北京オリンピックではラスト3試合を一人で投げ抜き
金メダルを獲得した。しかし4年前のアテネオリンピックで
銅メダルで終わったことで金メダルへの強い思いが彼女を
苦しめた。その時、彼女を支えた言葉は、
小学生の頃に読んだ詩集に書かれていた言葉だった…。





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金言

「やはりアテネが終わってからの4年間が一番、壁にぶち当たったというか苦しかったですね。プレッシャーだったり、どのくらい自分を追い込んだらいいのかという思いだったり…」

「オリンピックで金メダルという思いはあったんですけど365日そういう思いで頑張れるかというとやっぱ、そうじゃなかったし。もう逃げ出したいなって思う時もあったり…」

「4年間の中でいろんな経験をさせてもらって最後の最後で自信を持って
マウンドに上がれる自分を作り上げることが出来たんだなって思うし。最後まで諦めなくてよかったなって…」




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櫻田 厚

株式会社モスフードサービス 代表取締役社長 櫻田厚。
1972年に誕生した「モスバーガー」日本の食文化を意識した 独自の手法で躍進を続けている。櫻田が店長を務める1号店の前に 突如、ライバル店がモスを遥かに凌ぐ大型店舗をぶつけてきた。 負けられない戦い。
彼を支えたのは父の言葉だった。





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金言


「(ライバル店は)多分、朝いろんなポテト無料券とかいっぱい配るだろうから そういものはそういうものとして、我々は今までやってきた以上に今度、お店に前を もっと掃除しようとかこういう中で来てくれて『ありがとう』とそういう気持ちを表そうと」

「(ライバル店出現に)お客様が危機感を持ってくれたんじゃないですかね? 『モス応援しないとヤバいと』中高生がみんな制服で寄ってくれて『いや店長 大丈夫 私たちがいるからね』とかね。もう厨房の中で泣いちゃいましたよ。みんなから支えられて モスがあるんだなと」





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宮間あや

日本女子サッカー代表・宮間あや。
なでしこジャパンの中心選手。
昨年、ワールドカップで体格がまるで違うアメリカやドイツを相手にどんな苦戦を強いられようと、常に笑顔を絶やさず戦い、栄冠を勝ち取った。
そんな彼女の信念ともいえる言葉があった…。





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金言


「試合に勝ったら自分の勝利ではなくチームの勝利なので。今回は本当に結果が出たのでそういう風に強く思えるっていうのはありますけど、そうは言っても結果が出ないこともあるので、それでも辛抱強く続けてきて良かったなという風に思います」

「(ワールドカップ優勝で)得たものは最高の仲間で、それ以外では自分の中では特に変わっていないです。勝つということを目標に自分の味方も敵チームをやっている中で芽生える友情や絆っていうのはサッカーをしていなければ得られなかったと思います」





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岩手佳代子

東日本大震災で店をなくした人たちを応援する
復興屋台村 気仙沼横丁・実行委員長・岩手佳代子。
当初、地元でもある気仙沼の被災に絶望と途方に暮れていた彼女。
その閉ざされた心に灯を点し、背中をそっと優しく押してくれたのは被災したカマボコ屋の80歳近い店主の言葉だった。
「俺、またここでやっからね」この言葉で「私もやらなきゃって」と思った彼女は、復興に向け、歩み始めた…。





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金言


「ここに帰って来るまでずっと泣いてばっかりだったんですよ、四六時中。
実際に帰ってみて、ここを見たら涙が出なくなって、あまりにも悲惨すぎて。もうこの町に住めないのかなっていう悲しさで一杯でしたね」

「私もすごく小さい頃からお世話になってるカマボコ屋のおじさんがいたんですけど『佳代ちゃん、大丈夫だからな。俺もう一回やるから』って。
もう80歳近いおじいちゃんが普通だったらあの状況で言えないと思うんですよ。その時に何か私もやらなきゃって思って」





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若旦那

魂のこもったメッセージが若者たちの共感を呼び
社会貢献活動でも注目を浴びるアーティスト・若旦那。
二十歳の頃、家庭問題がきっかけで、
「この家族を守りたい」と 家に引きこもり
不得意な勉強をし始めるが…
2年が経過した時、人とうまくコミュニケーションが
取れない自分がそこにいた。
そんな時、彼の心を解き放ち、
家族の絆を取り戻させてくれたのは
母からの「今までありがとう」という言葉だった…。





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金言

「お袋に『せっかくお袋とか親父とか守ろうと思ったけど自分が先に壊れちゃいそうだ』と言った時(お袋が)『今までありがとう』って言ってくれて。その『ありがとう』っていうのが(心に)スッと入ってきて…急に心がピュアになったというか…」

「あの時、お袋に言ってもらった『ありがとう』とかのシンプルな言葉が人って大切なんだ。すごい難しい言葉は要らなくて、シンプルなものが一番(心に)届くんだなと思って…」





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柿沢安耶

世界初の野菜スイーツ専門店を営むパティシェ・柿沢安耶。
幼少の頃から体が弱かった彼女が野菜のスイーツ開発の
発想の原点となった言葉があった…。





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金言

「身土不二『身と土が二つとない、離れられない』っていう意味でその土地に出来てるモノをその土地で生きている人が食べる事が自然でありそれが身体に良いモノである。それが身体のバランスを整えるものっていう考え方で、それはそうだよなって思ったんですよ。」

「『身土不二』って『土』が入ってるんですけど『土』があるから農業があるから私たちってご飯が食べてれていて、そこがなかったら健康な料理を作るも何も無いなっていうのを、やっと気づく事が出来て…」





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石橋 凌

ロックバンドA.R.Bのボーカルとしてデビュー後
ある問題がきっかけでレコード会社を去ることに…。
歌う場所を求め、突き進んだ彼を支えた言葉とは?





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金言

「小さい時から洋楽を聴いて育ちましてね。何か問題提起できる音楽、意識をその音楽に込めることが出来るものが、僕の中でロックミュージックだったと思いましたから。僕はそれを日本語でやりたいと思ってましたから」

「全身全霊でその状況というか、生活にたぶん向き合ってたんだと思うんですよね。もう余裕なんて全くない。ただ気概だけはあるって、その時に「魂こがして」っていう言葉が浮かんだんですよ」





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田渕久美子

大河ドラマ「篤姫」や「江」など数々の人気ドラマを
手掛けてきた脚本家・田渕久美子。
新人の頃、ある大きな悩みを抱え自分を追い込んでいた。
そんな彼女を救い出した言葉とは?





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金言

「今は『自己肯定』だの『自分を認める』なんて言葉は当たり前にある時代だと思うんですけれども、当時は『自分を認める』ということが概念として私の中にないものをぶつけられたので、ちょっと衝撃を受けて…」

「『自分を認めきる』という自分自身に優しくなることによって人様にもそういう思いを抱ける…。それによって全く意識の違う敵と味方ともいえるような人物同士の思いをより深く描けるようになった思います」






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hitomi

ストレートでポジティブな歌詞が圧倒的な支持を集める
シンガーソングライター・hitomi。
デビュー後、一躍トップアーティストになった彼女は人知れず悩んでいた…。彼女に本来の自分を取り戻させた言葉とは?





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金言

「表に出る機会がすごく多かったので他人の評価ばかりを
気にしてる自分がどこかにいた気がするんですね。
歌は歌いたいし、メッセージを伝えたい気持ちはあるけど、
ロボットみたいな感覚になってきて、自分の心も
どんどん何かわかんなくなっていくというか、意識が…」

「『強く生きる言葉』という岡本太郎さんの名言集の中にある言葉で、
この言葉を聞いた時に、自分が歌いたいと思った意味って何だったんだろうとか、子供の時どうして歌いたいと思ったのかとか、もともとの基本の気持ちに戻らされたので、そこから変わっていこうというか、変えていこうというか、捕らわれていない自由な発想とか感覚をやっぱり前に持って発信していきたい…」






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國中 均

JAXA宇宙航空研究開発機構 國中 均教授
7年にも及ぶ宇宙での任務を終え、見事帰還した小惑星探査機「はやぶさ」のイオンエンジンを開発!
しかし、その開発には約20年間を費やすことに。
本当に成功するのかわからないこの研究を支えた言葉は、恩師から頂いた言葉だった。





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金言

「研究・開発・実用というサイクルはだいたい20年くらいかかちゃうんですね。それが途中で失敗したとすると、研究者人生の半分が終わってしまうわけですね。大変途方もなく、難しい仕事で、本当に成功するか?どうなのか?不安になってくるんですね。」

「(言葉を頂いたのは)私の恩師の栗木先生ですね。國中といえばイオンエンジンのスペシャリストだというような分野を作らないといけないと。そう言っているんだったらちゃんとそれは結末を示したいと。悔しいですからね。言われっぱなしでは…」






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神田瀧夢

全米でイチローや松井秀喜よりも有名な男。神田瀧夢。
アメリカ3大ネットワークの ゴールデンタイムに史上初めて
自分の番組をもった日本人。
しかし、大学卒業後、渡米したあとは苦難の連続。160社ものエージェンシーから断れ、やっと161社でチャンスを掴んだ。その時、彼を支えたのは父親からもらった言葉だった。






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金言

「誰にも頼まれてないんですけど、日本という国を背負って、日本は素晴らしいんだよってことを世界に伝えようと思ってアメリカに行ったんで」

「仕事とか夢とか、自分のやりたい目標に関して、挫折した事は一度もないです」

「アメリカに行って自分を売り込みながら、キツいとこで生活しながら走っているときにいつも心の中にあったのは父親が言っていた『後悔しない人生を歩め』ということですね」






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島田順子

ファッションデザイナー 島田順子。パリと東京を往復しながら精力的にコレクションを発表し続ける彼女。今年で60回目となるパリコレ。そんな彼女が渡仏したのは、1966年の24歳の時。そこで出会ったプロのデザイナーの姿を見た時の印象が彼女をここまで支えてきた。






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金言

「差別はどっかであることだし、もしかしたら苦しいこともあったかもしれないけどそれ以前にとにかくプロになりたいんだ。素敵な女性たちがこんなに生き生きと毎日会社に来て思いっきり仕事しているってことは、私は美しいし素晴らしいと思ったわけ。私もその一員になりたい! そんな感じで一生懸命一生懸命、働いたんです」

「もう少し素敵な事が出来るかもしれないとか、もうちょっと何かいいものを生み出せるかもしれない。そういうものをまだまだ求めてるし、やっぱりまだまだまだ不服」





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藤巻幸夫

“日本一予約が取れないレストラン”として有名な 「ラ・ベットラ」のオーナーシェフ。
数々の受賞記録を持ち、超人気店を経営する落合務の
「先へ進む」原動力とは!?






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金言

「一週間も10日も過ぎるとお客さん来ないんですよ。全然。100席のお店にいつも閑古鳥だけが飛び回ってた感じで。ふて腐れながら仕事してましたよ。」

「オーナーの桂さんが朝、来ますよね。『落合君、昨日どうだった?』って聞かれたときに『15人位しか来ませんでしたよ』こ ういう感じでふて腐れて返事をしたんですよ。そこで桂さんがビシッと『15人お客さん来たんだろ?その15人来たお客さんをお前全員満足させて帰したのか?』と言われたときに、ドキッとしたんですね。」

「お客様を大事に、お客様の言う事をキチンと受け止めて、それを自分の仕事に反映させていく事が一番なんだし、教えて下さったのが桂さんですよね。あの一言はずうっと自分の心に、頭の中にも心にもずっと残っていることですね。」





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藤巻幸夫

ライフスタイルプロデューサー藤巻幸夫。
伊勢丹入社後、商才を発揮し、バーニーズ・ニューヨーク 日本第一号店の創設メンバーに大抜擢。しかし、商品の買い付けや勤務態度などが悪いと評価されロンドン出張時に、帰国命令が。
そんな彼を救った言葉が当時の上司から貰った言葉「逃げるな!」 その後の、彼の心や生き方の起点となった。






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金言

「商品の買い付けしたり勤務態度が悪いとかやっぱ自惚れたと思いますね。そこでロンドンの出張時代にもうお前はいらないから日本に帰れ、という 命令が下りまして、夢に見たバイヤーと言う仕事が無くなり正直、会社をやめようかと思った。自分にも罪悪感があったし、負け犬のカンジでしたから。それがすごくイヤで。」

「伊勢丹、三越の元社長の武藤信一という男と出会いまして、逃げかけてたんでそこで確実に『逃げるな!』と。今ここで逃げたら後で後悔するぞってカンジでしたね。それが大きい、僕にとっては大きい心とか全ての生き方の起点になりましたね。」






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川嶋あい

2003年「明日への扉」でI WISHのボーカルとして
デビューし大ヒットを記録した川嶋あい。
しかし、ソロ活動に専念するためインディーズへ。
当時、母と決意した「路上1000回ライブ」。
しかし、その途中で、母は亡くなった…。
その時、彼女を支えとなった 言葉が
「人は頑張った分だけ、幸せは訪れる
苦難が多い分だけ、ホンモノの人間になれる」
また、彼女は途上国の子供達のために
学校を作る作業にも力を注いでいる。






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金言

「(路上ライブ)100回目くらいの時ですかね。
母が突然亡くなってしまって…。絶望というか、暗闇のどん底に叩き落とされたというか…心の支えを失ってしまって…」
「とてもシンプルな言葉(上記)ですけど、この言葉に救われました」
「今までたくさんの人たちのたくさんの愛で自分は生きてこられました。
これからはその自分が受け取ってきた愛を愛に飢えた子供達のために
還元しなくてはと思っているんです」





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工藤公康

昨年、西武から戦力外通告を受けた工藤公康投手。
今年で48歳。彼は、現役続行にこだわり、
メジャーリーグへ挑戦!そんな彼を支える言葉とは…。
「絶対に諦めない心」
目標を掲げ、決して諦めずに、努力を積み重ねること。
その言葉を胸に彼の挑戦はどこまでも続く…。


 

工藤公康
今言

「自分では諦めないとか、よし俺は絶対にできるようになってやるだという心さえあれば出来るんだという事を証明したい…。」
「やったんだという自分が大事だし、やれるんだという気持ちで努力したい。そして、もし(メジャーで)投げられる事になったら、自分はここまでやったんだという気持ちでマウンドに立ちたい。」






TV TOKYO