*著作権上、画像を掲載できません。ご了承下さい。

 ベルギーの古都、アントワープは16世紀からの国際商業都市。アントワープ王立美術館には、ジェームズ・アンソール作『首吊り死体を奪い合う骸骨たち』があります。タイトル通りの、奇々怪々な一枚です。首を吊った男の前でモップと箒で争う骸骨、戦いに敗れたのか横たわる骸骨、そしてそれを見守るように奇怪な仮面を被った人が群がります。恐ろしい光景だが滑稽にも見える、実に奇妙な油彩画であります。

 仮面と骸骨を描き続けた画家、アンソールは晩年にはベルギーを代表する巨匠となりました。しかし、『首吊り死体を奪い合う骸骨たち』を書いた頃、その評価は最悪でした。19世紀後半は古典絵画がもてはやされており、パリではようやく印象派が認められていたものの、ベルギーの芸術界はあまりに保守的でした。絵画は美しいものという当時の常識の中で、アンソールの描く強烈な世界は批評家にも酷評され、彼は画家仲間からも孤立していきました。



 ブリュッセルの西、ベルギーの避暑地として有名な港町オーステンドでアンソールは生まれました。オーステンドでは毎年、謝肉祭の夜に100年以上の歴史を持つ盛大な仮装パーティー「死んだ鼠の舞踏会」が行われています。そもそもはパリのショー・クラブ「死んだ鼠」での楽しい思い出を再現するために、この地の有志が始めたものです。アンソールもこの舞踏会によく足を運んでいました。

アンソールの生家は観光客相手の土産物屋で、謝肉祭で人々が被るマスクも売っていました。彼は少年時代から、毎日のように様々な仮面と対面していたのであります。作品に描かれた仮面の表情も、薄笑いや露わな怒りなど実に豊かであり、あらゆる仮面を見つめてきたことが窺えます。

さらに、骸骨もアンソールが少年時代から慣れ親しんできたものでありました。かつての戦場で17世紀のスペインの攻撃で7万人もの人が亡くなったこの地では、海岸を掘れば骸骨がごろごろと現れてきました。彼は骸骨に執着ともいえる興味を示し、友人の家で医学書の挿絵の骸骨を飽かずに見ていたといいます。

 アンソールは裕福な出のイギリス人の父と、貧しい土産物屋を営む母の長男として、1860年に生まれました。幼いアンソールにとって、母は優しく、父は偉大でした。父の勧めで絵を学ぶようになったアンソールは17歳の時、ブリュッセルの美術学校に通います。当時の彼は、現実の風景をそのまま描くリアリズムの画家でした。しかし作品は、保守的なベルギー芸術界では一向に評価されませんでした。荒々しいタッチも、雑な下絵にしか見えないと馬鹿にされたのです。アンソールは後年、当時のことを「批評家は競って私を引き裂いた。私は汚れた悪者で、無能で無知と呼ばれた」と語ります。この苦境を理解してくれたのは、父でした。

 ところが、父は数々の事業に失敗し、酒に溺れてしまいます。そして母は酔いつぶれる父を口汚く罵り、さらに父を追い込みます。その罵りを忘れようと、父は更に酒びたりになっていきました。こうした悲惨な家庭環境の中、アンソールは彼らの本当の姿、そして仮面を見たのであります。暗い室内の中、二人の仮面が鉢合わせる。酒瓶を前におびえるような仮面の男が、インテリだった父の本当の姿。手に棍棒を持ち父を威圧する仮面の女が、優しかった母の本性。仮面とは本来は顔を隠すものだが、アンソールの描く仮面は、顔を隠しながらも人間の本性を暴いています。彼は仮面を用いて、人間の弱さや愚かさを表現しています。そして骸骨も、彼にとっては冷酷な人間の本性を表現する仮面の一つでした。

 



 アンソールが23歳の1883年、ベルギー芸術界に新しい動きが起こります。革新的な芸術を目指す「二十人会」が展覧会を開催し始めたのです。後にベルギーを代表する象徴主義の画家をなったクノップフを中心に、彼らはモネやスーラの作品も斬新な芸術として展示しました。アンソールは、自分を理解してくれる場所を見つけたと感じ、この団体に参加します。しかしここでもアンソールは嫌われてしまいます。二十人会にとってはフランスの印象派が斬新であり、それ以上に斬新だったアンソールの世界は全く理解不能だったのです。アンソールの絵を単にグロテスクなものとして、メンバーたちは作品を拒否し、会から彼を追い出そうとしました。

 さらなる孤立感の中で、『首吊り死体を奪い合う骸骨たち』が描かれました。苦悶の表情を浮かべる首吊り死体には、フランス語で「シチュー。骸骨や仮面たちは、それを食うために争っている」という札が掛かっています。この死体こそが、アンソール自身でした。アンソールには、自分を非難し続ける評論家や画家仲間が、まるで自分を食い散らかそうとする骸骨と仮面たちに見えたのでした。彼らは必死にアンソールを吊るし上げ、アンソールの芸術を抹殺することに喜びを感じています。アンソールを理解しようともせず、罵るばかりの彼らを恐ろしくも滑稽に描き、逆に笑い飛ばしてみせたのです。

20世紀、ようやく時代がアンソールに追いつきます。ピカソによるキュビズムなどの新しい芸術が生まれた時、アンソールは前衛芸術の巨匠として再評価されたのです。1925年にベルギーの王立アカデミーがアンソールを会員として迎えたとき、多くの苦しみを経験し、戦いつづけた彼は「私は小旗をつけた自分の船を操り、不安を募らせながらも、いたずらの国の海岸へと旅立つ」と語りました。89歳でその生涯を閉じるまで、アンソールは仮面と骸骨の画家であり続けました。

ジェームズ・アンソール作『首吊り死体を奪い合う骸骨たち』は印象派よりもっと過激に、ピカソよりもっと前に、芸術の常識に挑んだ奇怪な作品である。

 
↑Top