芸術の秋。今年の秋は、今までとはちょっぴり違う本格的な芸術の世界に触れてみませんか? ……ということで、今回は世界的に有名な音楽を数多く産み出してきた芸術の都、ロシアのサンクト・ペテルブルクをご紹介。心の深いところまで響く、偉大なるロシア音楽の魅力を、たっぷりとそしてわかりやすくお届けいたします。
サンクト・ペテルブルク
18世紀、ピョートル大帝によって築かれたサンクト・ペテルブルク。詩人プーシキンがヨーロッパへ向けて開かれた窓と表現したように、この街はピョートル大帝によって、政治・軍事・文化など、さまざまな面で西洋化が進められました。ロシア音楽も当然その影響を受け、大きく飛躍していきます。ヨーロッパ音楽に追いつけとばかりに力が注がれたロシア音楽。ようやくヨーロッパと肩を並べられるまでに上り詰めたのは、エカテリーナ二世の時代でした。彼女は美術・音楽などの芸術をこよなく愛し、すべての贅と芸術品をこの街に集めました。政治・ビジネスの中心がモスクワなら、このサンクト・ペテルブルクはアーティスティックな文化が中心。リアリティズムなモスクワに対し、ロマンティックなサンクト・ペテルブルク。今回はロシア音楽をキーワードにこの美しい街を紹介します。
音楽とペテンブルク
音楽・芸術の都、白夜祭で賑わう美しい運河の街、サンクト・ペテルブルク。街中には演奏が楽しめるレストラン、路上で演奏するミュージシャンの姿、そして伝統的なオペラやバレエ。そのサンクト・ペテルブルクにある楽器博物館をご紹介します。街中を流れるコンタンカン(?)運河に面した一等地に建つシェレメーチェフ伯爵の宮殿。ロシアでも5本の指に入る領地の持ち主である彼の宮殿は、現在ロシアでも最も重要な楽器博物館になっています。この中には、3,000を超す楽器のコレクションが展示されています。ここにある楽器はすべて演奏ができる状態になっていて、現在でも生きている楽器が並んでいます。また、コンサートホールがあり、演奏会も開かれています。
あの天才音楽家も
ロシアが生んだ天才音楽家・チャイコフスキーもこの街と深い関わりがあります。1848年、チャイコフスキーが8歳のとき、一家でペテルブルクに移ってきます。彼はこの街で法律学校に通い、卒業後も法務省の事務官として働きますが、チャイコフスキーが21歳のとき、アントン・ルビンシテインが開いた音楽教室に役人勤務のまま入学。翌年、ペテルブルク音楽教室は音楽院になり、チャイコフスキーは正式にペテルブルク音楽院の一期生となります。チャイコフスキーがその才能を開花させ、音楽の基礎を学んだペテルブルク音楽院。場所は少し動きましたが、今でも音楽家を目指す学生たちがここで学んでいます。
世界のロシア音楽へ
1850年代、サンクト・ペテルブルクにはイタリアとロシア二つのオペラ劇団がありました。当時はイタリアオペラが優遇され、ロシアオペラはサーカス劇場で公演。そのレベルも低いものでした。しかし、1860年代になると、ロシアオペラはめざましい飛躍を遂げます。その舞台となったのが、火災で焼けたサーカス劇場の跡地に建ったマリインスキー劇場。1860年、グリンカの「皇帝に捧げた命」で幕開けして以来、モスクワのボリショイ劇場と並びロシアの伝統を誇るロシアオペラ・バレエの殿堂として現在も高水準な音楽を発信し続けています。ロシア音楽芸術の最高峰、マリインスキー劇場には毎年6月の白夜祭シーズンになると、世界各国から観客が集まります。
ロシアから発信される音楽芸術は、いま、世界でも一目置かれる一流のものとして観客を魅了しています。
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