古今東西の歴史、文明、遺跡・遺物の謎を解明し、編集長・ビートたけしが「新・世界七不思議大百科」に掲載するに相応しい物かを判断する。
4回目となる今回は、歴史の闇に葬られた悲劇の美少年とその一族…ツタンカーメン親子と豊臣家の壮大なミステリーに挑む。
スタジオには、50年前に来日した時に作られたツタンカーメンのマスクの精巧なレプリカも登場!
歴史の闇に葬られた美少年とその一族の壮大なミステリーをお楽しみに!
紀元前14世紀、わずか9歳で即位したというツタンカーメンにはいまだ多くの謎が残されている。エジプト歴代のファラオの名が刻まれた王名表には、なぜか、その名がない。さらに、若すぎる不可解な死。なぜ、ツタンカーメンは19歳でこの世を去ったのか?
そして、少年王をめぐる最大の謎がその王墓。驚くべき新説を唱えるのは、エジプト考古学の第一人者、吉村作治。
「あの墓は、本物の墓ではない」
では一体、ツタンカーメンの本物の墓とは、どこにあるのか?
カギを握るのは、少年王に寄り添う、謎の人物。異国からやってきた男は、策略をめぐらし、エジプトを乗っ取ろうとしていた!その手に権力を握るため、繰り返される暗殺劇。歴史から抹殺された、少年王の知られざる真実。
今夜、封印を解き、ツタンカーメンの本物の墓を公開!
太閤豊臣秀吉が造った天下の巨城。大坂城。
だが、秀吉が死に、秀頼が後を継ぐと、宿敵徳川家康の策略によって、大坂城は火の海に。追い詰められた秀頼は自害。ここに、豊臣家は滅亡したと言われている…。
ところが、大阪城落城の際に死んだはずの秀頼が遠い鹿児島まで逃げていたというのだ!
徳川軍に包囲された大阪城。絶体絶命の中、秀頼は、いかに逃げ出したのか?
さらに、徳川幕府を苦しめた島原・天草の乱。一揆軍を率いていたのは、わずか16歳の少年。天草四郎。
敵将、松平信綱が目にした、天草四郎のとんでもない秘密とは!?
果たして豊臣一族は大坂で滅亡していたのか!?それとも…?
西日本各地に残る伝説を繋いでいくと、歴史の常識を覆す真実が浮かび上がってくる!