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「江戸小紋」を世界へ!老舗・染物屋「廣瀬染工場」4代目の熱き挑戦

ビジネス

BSテレ東

2017.8.2

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毎回、独自のこだわりや屈指の努力で、近未来を開こうと、情熱を注ぐ人と企業を追う『未来EYES』。今回番組で紹介するのは、伝統工芸・江戸小紋の染物を100年近く作り続けてきた「廣瀬染工場」です。

「廣瀬染工場」は、大正7年に東京・目黒で創業し、今年で98年目。初代が東京・日本橋の染物屋に丁稚奉公に出た後、21歳で独立したのが始まりです。

「廣瀬染工場」が得意とするのが、400年以上続く伝統的な反物の柄「江戸小紋」。繊細な柄とシックな色合いが特徴で、古くから茶室などを中心に愛されてきました。その美しさを継承するために奮闘するのが、4代目の廣瀬雄一さんです。廣瀬さんに、職人としてのこだわりや家業を継ぐことになった経緯について伺いました。


学生時代の4代目を夢中にさせたのは、ウインドサーフィン


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廣瀬:子どもの頃から工場が遊び場で、しょっちゅうのぞきに来ていましたね。子どもにとっては遊び場でも、父をはじめ、職人さんたちにとってそこは神聖な場で、緊張感がありました。板場に誰もいないときに勝手に染物をやってみたことがあるのですが、そのときはものすごく怒られましたね(笑)。


代々続く名門の染物工場の4代目として生まれて、職人である父の背中を見て育ったという廣瀬さんですが、意外にも、10歳の頃から夢中になったのが、ウインドサーフィン。やがてシドニーオリンピックの日本代表強化選手として活躍することになります。なぜウインドサーフィンを始めたのでしょうか?


廣瀬:子どもの頃、千葉の勝浦に祖母の家があって、毎年家族で遊びに行っていました。そのとき地元の若者がウインドサーフィンをしていて、それで遊んでもらったのがきっかけです。以後、毎週海に通って本格的に始めることに。普通なら10歳の子どもを1人で海に行かせたりしないですよね。危ないですし(笑)。父は生粋の職人なのですが、「やるならとことんやれ。オリンピック競技があるなら、がんばって目指しなさい」と、全面的に応援してくれました。父の言葉に背中を押され、いいコーチにも恵まれ、とことん打ち込むことができました。野球やサッカーなどと比べて競技人口が少ないので、大きな大会に進出しやすかったというのもありますね。


ウインドサーフィンをやめて日本一の染職人を目指す


オリンピック強化選手にまで選ばれた廣瀬さんですが、代々続く江戸小紋染め「廣瀬染工場」の跡取り息子でもあります。ウインドサーフィンをやめて、家業を継ぐ決心をしたきっかけは?


廣瀬:子どもの頃から、いずれはこの仕事をやるんだろうなという暗黙の了解のようなものはありましたね。「30歳ぐらいで継げばいいか」などと考えていたのですが、大学生のときに海外での試合前に、父から「最後の試合になるだろうから頑張ってこい」ということを言われたんです。とりあえず頷いたものの、後々よく考えてみたら、「最後の試合ってどういう意味だろう?」と思いましたね(笑)。今思えば、「仕事を継げ」という最後の釘を指す言葉だったんだと思います。


かくして大学卒業後、家業を継ぐ決意をした廣瀬さん。そのときの思いについて次のように語ります。


廣瀬:一生染物をして生きていくという覚悟とともに、日本一の染職人になりたいという気持ちでこの世界に入りました。僕は道具にもこだわるタイプの職人なのですが、そういう意味では、道具のセットを重要視するウインドサーフィンと似ているところがあるんですよ。


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東京・新宿区中落合にある工場の板場の中は、まるでタイムスリップしたかのように昔ながらの道具が現役で使われています。これは自分の手に合わせて使いやすくカスタマイズされた木べら。木べらの状態を見れば、その職人の腕がわかるとのこと。


着物が売れず、仕事がないという現実を打破したものは?


ところが、勇んで家業を継いだものの、ある問題が待ち受けていました。


廣瀬:いざ継いでみて一番切なかったのは、着物が売れないという現実でした。仕事が少ない時期が続いたときは、自分の生きていく価値さえ見出せなかったですね。職人は仕事があって初めて成り立つものですから。


それを打破するために、廣瀬さんは伝統工芸・江戸小紋を世界に発信しようと、ストールブランド「comment?(コモン=英語で「How?」、日本語で「どう?」の意味)」を立ち上げます。


廣瀬:世界に発信したいというと壮大な話ですが、そもそも「comment?」を立ち上げたのは、現実的な問題として工場を存続させるためとか、1カ月後、明日の仕事をどうするかという逼迫した状況から始めたものでした。


うちには代々積み上げてきた数百ものオリジナルの型があるので、そうしたデザインをロイヤリティとしてメーカーに売るという選択肢もあったと思います。でもやはり、僕は染物職人の息子なので、自らの手で反物を「染めたい」という気持ちが強くありました。


江戸小紋を世界へ発信した気づいたこと


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染物職人としての熱い渇望を語ってくれた廣瀬さん。江戸小紋を世界に発信しようという思いにはどんな背景が?


廣瀬:若い頃、金髪にしたり、カラーコンタクトを入れたりしたことがあって、そういうことも含め海外への憧れがありました。でも海外の人から見たらそれはおかしなことなんです。本来ならば、日本人が日本人らしく美しく見えるには?と考えたほうがいいわけですよね。


「comment?」の展示会を海外でやったときに気づいたことは、まさしくそういうことでした。当初、「海外で受けるにはどうしたらいいか?」いうことばかりにとらわれていましたが、実際はその逆で、海外の人は日本らしいものを求めているんですよね。「comment?」というブランド名は、海外の人にわかりやすいようにつけたのですが、「(フランス語のブランド名が書いてあると)おみやげにならないじゃないか。タグを外してくれ」と、目の前でお客さんに言われたのも衝撃でした。

むしろ彼らからのリアクションが大きかったのは、たとえば僕が着ている、法被やその色あい(藍色)がかっこいいね、といったありのままの日本文化でした。ヨーロッパや中東など、地続きの国同士はどこか文化が似ているものですが、彼らからしてみたら、島国の日本は、固有の文化がある国なんですよ。そのことに気づいてからは、新型を考えるときに、流行を追ったり、なにかに媚びようとしたりするのはやめました。


祖父たちが残してくれた偉大なものを昇華させながら、世界へ


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江戸小紋を用いたストールブランド「comment?」は現在、約30柄をラインアップ(男女兼用)。


現在、3代目の父とともに工場を切り盛りする廣瀬さん。今後のビジョンについて、次のように語ります。


廣瀬:これまで祖父たちがコツコツ努力し続けてきてくれたおかげで、うちには、柄の見本帳や型をはじめ、染物のノウハウのすべてが揃っています。僕の曾おじいちゃんにあたる初代に関しては、30歳そこそこで現在の母屋を建てているんです。また、当時すでに、今見てもモダンな柄を編み出しているということに、ただただ驚くばかりです。そのバイタリティに、僕はまだまだ到達できないという気持ちが強いですね。


職人は日々の努力と精進が基本だということを職人である父の背中を見て教わりました。そうした中で、自分の手で作ったものをどんどん大きく育てていきたいと考えるようになり、「comment?」を始めました。もちろん、大量生産できず少量しか売れないのですが、それでも美しい江戸小紋を作るために惜しみなく努力し、生涯をかけて技を追求し、磨いていきたいですね。

江戸時代に鎖国されて海外の文化を遮断された中で、自分たちのアイデンティティーが花開き、さまざまな文様が広がり、粋なものが生まれました。そうした中で生まれた江戸小紋は、今の自由な日本では、決してできないものだと思います。今のようなインターナショナルな時代だからこそ、江戸小紋の価値があるのではないでしょうか。海外に江戸小紋を発信する旗ふりをしながら、自分の技の世界を死ぬまで追求していきたいですね。ゆくゆくは、僕もそうだったように、子どもにも継がせたいと密かに思っています(笑)。

脈々と受け継がれ、4代目の廣瀬さんによって昇華していく江戸小紋の世界。番組では、江戸小紋の美しい模様とともに、廣瀬さんの日々の奮闘ぶりに密着します。お楽しみに!


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『未来EYES』
ナレーター:知花くらら
BSジャパンにて毎週日曜22:30〜23:00放送中。
https://www.bs-tvtokyo.co.jp/official/eyes/
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※このページの掲載内容は、更新当時の情報です。

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