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大人気! 料理が絶品になる器~世界が認める錫100%:読むカンブリア宮殿

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テレ東

2019.9.28 カンブリア宮殿

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東京・調布市の「ダンダダン酒場」。大盛況の店内で客たちがほおばっているのは、具だくさんの焼きたて「肉汁焼餃子」(6個497円)。だが、この店にはもうひとつ客を引き寄せる切り札が。それは銀色のタンブラーで出てくる「ハイボール」(497円)。このタンブラーで飲むと圧倒的においしくなるという。

「錫100%で作っていて、熱伝導率が高いので氷が溶けない。ずっと冷えています」(社長・井石裕二さん)

このタンブラーは温度が一気に伝わる金属、錫だけで作られたもの。「一般的なガラスのジョッキに比べると、値段は20倍くらい」(井石さん)と、驚くほど高価だが、確実に客をリピートさせてくれるという。

実は今、そんな「錫100%」が引っ張りだこになっている。

東京・中央区の「人形町やま田」でも客をつかむのは錫の食器のおもてなし。冷製スープを味わうのも錫100%。特に「日本酒を美味しくする」と評判なのが錫のぐい飲みだ。

この店が錫にこだわるようになったきっかけは、総料理長の天野智之さんが6年前に出会った商品。一見、なべ敷きのようだが、金属なのに簡単に曲がり、あっという間にカゴになり、果物などを入れる。自由に曲げられる錫100%の特性を活かした「KAGOスクエア」(1万2960円)。この店で使う錫製品は全て能作というブランドのものだ。

「初めて能作さんのものを見て、一目惚れして感動し、『これしかない』と」(天野さん)

錫を中心とした金属製品のブランド・能作は、ここ数年で、全国のデパートなどに直営店を展開。ファンを増やしている。

能作がこだわる100%の錫は、世界的にも珍しいものだ。錫は人類の歴史で最も古くから使われていた金属の一つだという。

紀元前4000年頃、銅に錫を混ぜることで、加工しやすく強度も強くなる青銅が発明される。これが後に、長い石器時代から金属の時代へと、歴史を動かすことになる。そんな歴史の中でも、錫は多くの場合、他の金属と混ぜて使われてきた。純粋な錫はあまりにも曲がりやすく、使いにくいからだ。

ところが、今や海外でも注目される能作の錫製品はその逆。「曲がりやすい」という欠点を魅力に変えたことで、客を魅了しているのだ。

今、ニューヨーク近代美術館のショップをたずねると、世界中の優れたデザインの商品の中に能作の「KAGO」が扱われている。

「この能作の商品は扱い始めてから驚くほど売れています。私も気に入っている商品で、お客さんが何か探しているときはいつも紹介していますよ」(ドナルド・コロ店長)

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12万人が殺到する「遊べる工場」~ベースは高岡の伝統の技術


世界から評価される能作の本拠地は富山県高岡市にある。400年にわたり鋳物の町として栄えてきたが、今、高岡の伝統産業にかつての元気はない。

そんな高岡の郊外、田んぼの真ん中に奇跡ともいえる場所がある。特徴的な建物の能作の本社だ。

その社内には驚くほどの人がいる。実は能作の本社は高岡市屈指の観光スポットだ。年間来場者数は12万人。高岡一番の名物、高岡大仏の10万人をはるかに超え、神社仏閣では一番人気の国宝・瑞龍寺の16万人に迫るほどなのだ。遠方からの客も少なくない。

物販コーナーでは能作の商品を売っており、昼時に行列を作るのはカフェレストラン「イモノキッチン」。「大門素麺とおにぎりセット」(1500円)など、全てを錫100%の食器で味わうことができる。

そして目玉は巨大な空間で行われている見学ツアー。鋳物作りを間近に見ることができる。ガラス張りのコースからの見学と違い、能作では、普段目にしない職人仕事を間近に見せる見学にこだわっている。この工場見学ツアーの仕掛け人が、能作社長・能作克治だ。

「鋳物の匂いがするでしょう。最近は工場見学に行っても、機械が人を使っているようにしか見えない。うちは手づくりでやっているので、人間が手を使ってものづくりをしているところを見てほしいんです」(能作)

もともとは下請けに過ぎなかった鋳物工場だったが、能作は2002年の社長就任以来、そのビジネスを一変。世界的ブランドへと劇的に進化させた。原動力となったのが錫100%の美しい商品だ。

その製造にはかなりの技術を要する。通常、真ちゅうなどの鋳物は、高温で溶かした金属を型枠に流し込み大まかな形を成型。それを時間をかけて研磨して製品化する。

ところが錫100%の場合、柔らかすぎて磨き工程には頼れない。錫100%の製品作りは、高岡伝統の砂で鋳型を作る技術で行なわれている。

その元となるのが、商品の型をとる「原型」と、その原型とセットになった石膏の型。まず石膏の型に原型をかぶせ、さらに流し込む錫の通り道を確保する棒状の型を置く。その上に鉄枠をセット。そしてここに鋳物砂と呼ばれる砂をいれていく。この砂を固めていくことで原型をかたどった砂型を作るのだ。

ちなみに熟練の加減で押し固める鋳物砂は粘土や水を独自に配合したもので、水分量をわずかでも間違えれば、表面が美しく仕上がらないという。

錫を流し込むための穴を開けたら、ひっくり返して石膏の型を外す。これでまず半分の砂型が完成する。そして原型はそのままに、上にまた鉄枠を乗せ、もう片方の砂型を作るための砂を入れる。これで原型を上下から砂型で挟んだ格好となる。

この砂型の中から、慎重に原型と錫の通り道のための棒を取り除き、寸分のズレもなく上下を合わせると、砂型の中に幅1ミリ程度の原型と同じ形の空洞ができる。そして溶かした錫を、固まらないように手早く流し込み、冷えるのを待って砂型を割ると、中から美しい製品が現れる。

「真ちゅうの製品と比べると薄いので、作業が微妙に狂うと全部がだめになってしまいます」(能作)

あとは余分なところを削り取り、縁を整えるだけ。錫100%は柔らかすぎるため、表面加工が一切できない。完成形を一気に鋳造する、失敗できない職人技。その独特の砂模様は、研磨をしていない錫100%の証だ。

能作では、職人の見学だけでなく、その鋳物技術を学び、自分たちで製品を作る体験まで行っている。錫のぐいのみ製作(90分)は4000円。販売価格と同程度の料金で、自分だけのものを作ることができる。

衰退する伝統技術で地域に人を呼び込む能作。売り上げは14億円を超え、その業績は驚異的な成長を続けている。

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下請けを変えた衝撃の一言~錫100%製品誕生の裏側


この日、能作がやってきたのは東京・日本橋。まもなく開業を控える巨大な複合ビル「コレド室町テラス」の中に作ったのが、能作初となる路面店(9月27日オープン予定)。東京の一等地に構える旗艦店だ。

「インバウンドの方がこちらに流れてくると思うので、高岡のPRをすることもできるようになります」(能作)

能作は1958年、福井県生まれ。大阪芸大を卒業後、新聞社でカメラマンとして働いていた。その時に知り合ったのが、鋳物工場・能作の一人娘だった。

「一人娘と恋愛をしまして、義父に『うちは娘一人。娘を出したら家系が途絶える。考えてくれ』と言われました」(能作)

当時の能作は、今と全く違う商売をしていたという。

「仏具とか花器関係が非常に多かったですね」(能作)

長年続けてきた伝統的な仕事。しかも高岡の鋳物は、原型作りから研磨や着色まで細かく分業化されていて、能作はその鋳造工程だけを行う下請けにすぎなかった。

見知らぬ土地・高岡でカメラマンから鋳物職人となった能作。当時、能作がよく相談に訪ねたというのが、同じ鋳物業者の水巻銅器製作所・水巻利則さんだ。

「全く素人でかわいそうだった。何も分からないでこの業界に入ってきたのは、能作さんが初めてだと思いますよ」(水巻さん)

しかし能作は、前向きだったという。

「『こんなのはどうでしょうか』『どうすればいいですか』と聞いてきた。普通そういう立場だとためらうじゃないですか。研究熱心だったし努力家だった」(水巻さん)

だが、能作が鋳物職人として必死で働いていたある日、見学に案内した親子のこんな言葉を聞いてしまう。それは「あなたも勉強しなかったらあんな仕事に就くことになるのよ」。

「すごくショックな言葉でした。本来なら誇りを持っていい産業なのに、こんなことを言われるのはおかしい」(能作)

若者が働きたくなるような仕事にしなければ、鋳物作りに未来はない。そう思った能作は、下請け仕事でなく、優れた自社製品を作ろうと決意する。

大学時代に学んだデザインを生かし、能作は商品を作り売り始める。すると転機はすぐに訪れた。それが「ベル」。

「うちのオリジナル第一号の商品です。店員さんから『売れないけど、非常に音がきれいでスタイリッシュ。風鈴にしたらどうですか』と言われたんです」(能作)

当初は全く売れなかったのだが、実際に風鈴に変えると、「とたんにヒットしました。3カ月で3000本。100倍です」(能作)。

「商品開発は、実際の店舗で売る人の声を生かすのが間違いないと分かりました」と言う能作は、必死で店員の声を集めるようになった。するとある時、「もっと身近な商品はないですか?」という声が。何がほしいのか尋ねてみると、「食器がほしい」だった。

食器に向いた金属は何か。行き着いたのが衛生的にいい錫だった。

「誰もやってないことで探し当てたのが錫100%の鋳物でした。世界で誰もやっていなかった」(能作)

鋳物作りを誇れる仕事に。能作は難しい錫100%の鋳造を成し遂げ、他にない商品が客の心をつかんでいった。

能作の長年の夢が、2年前に完成した本社工場だった。世界に誇る素晴らしい製品を生み出す自慢の職人を、一人でも多くの子どもたちに見てもらいたい。そんな思いを込めて見学ツアーを行っているのだ。

その片隅では、「小学校5年の時に見学に来て、その後『就職したい』とやってきた」女性社員が作業をしていた。

「めちゃくちゃ嬉しかった。だって『勉強しなかったらこんな仕事に』と言われたのが、自分から入りたいと来てくれたんだから」(能作)

「見学に来てみたら、すごく新しいことをやっている会社だと思って」、他県から移り住んできた若手の男性社員もいる。能作の20年に及ぶ戦いが次の時代を切り開いた。

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鋳物の町を元気にする秘策~伝統技術で攻め続ける


能作本社で結婚式のようなイベントが行われていた。これは能作が新たに始めた企画「錫婚式」(挙式、衣装、食事などで8万6000円~)。結婚10年目を錫婚と呼ぶことにかけた新たな集客のアイデアだ。

今や能作は高岡市の一大観光拠点となった。その象徴として、本社の入口に能作が掲げたのは、膨大な数の鋳物の型枠だ。展示用ではなく、全て現在も使われているもの。本来なら倉庫に大切にしまっておくべきものだが、鋳物の街を盛り上げることができるならと、集客のために展示することを決意した。

「うちは伝統産業だから、地元がないと仕事にならないということもあるし、高岡にいっぱい人が来れば、全員が潤いますから」(能作)

この日、能作の呼びかけで集まったのは、高岡の鋳物を支える研磨や着色など、さまざまな技術者たちだ。持ち込まれた大胆な花瓶は、高度な表面加工など、彼らの技術を持ち寄って作りあげたもの。「能作プレステージ」という、鋳物の町を発信する新たな商品だという。

「それぞれの持っている技術を生かした製品作りをやろうと。実際に自社製品を開発して販路を伸ばしたら、違う世界が見える。『違う世界を見せてあげたい』という思いもあります」(能作)

能作が考えた、鋳物職人が主役のブランドなのだ。

そんな能作には、新幹線の新高岡駅前にどうしても作りたいものがあるという。それがドラえもんの鋳物の大仏。作者の藤子・F・不二雄は高岡出身なのだ。

一方、年と共にかかりやすくなる関節の病気、激痛が走るヘバーデン結節の患者にために開発したのが、指を保護してくれる錫でつくった「ヘバーデンリング」(3240円)。錫の柔らかさが指にフィットして患部を守ってくれるという。

錫にも負けない柔軟性で新たな地平を切り開く。

「『できない』『無理です』と言うのが大嫌いなので、とにかく『やります』と」(能作)

~村上龍の編集後記~
錫100%の製品は柔らかで、研磨ができない。だからその表面に、独特の微細な模様が生まれる。鋳型の細かい砂の痕だ。それが抽象画のように美しいテクスチャーを生む。しかも、一粒一粒の砂の集積具合は鋳型によって違うので、同じ模様は他に存在しない。
錫はおもに合金として使われてきたが、能作は生き残りをかけ、錫100%に挑戦し、作り上げた。鋳造の奇跡だ。代表作「KAGO」は魔法のように繊細だった。感触は金属なので、一瞬「折れるかも」と思ってしまう。あんな柔らかさ、わたしは初めて体感した。

<出演者略歴>
能作克治(のうさく・かつじ)1958年、福井県生まれ。1980年、大阪芸術大学芸術学部写真学科卒業。1984年、新聞社勤務を経て能作入社。2002年、代表取締役社長就任。

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番組情報INFORMATION

カンブリア宮殿

カンブリア宮殿

多彩なゲストを迎え、村上龍が日本の今を切り取るトークライブ。

放送日時:テレビ東京系列 毎週木曜 夜10時

出演者

【メインインタビュアー】村上龍【サブインタビュアー】小池栄子

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