吉永小百合「大阪万博」での“挫折”“ 平和”への強い思いを明かす
9月28日(日)に放送した「池上彰×吉永小百合 昭和100年」を、「ネットもテレ東」「テレ東BIZ」「TVer」で配信中!
昭和100年となる今年、“昭和を知って未来へ繋げる”をコンセプトに、この100年間で日本が歩んできた成功と失敗の軌跡を振り返る特別番組の第2弾。
昭和の大スター・吉永小百合がテレ東初出演! 番組では、吉永が“こだわり”や“好きなこと”“平和への思い”を明かす場面があった。
【動画】吉永小百合「大阪万博」での“挫折”“ 平和”への強い思いを明かす フィルモグラフィーも
昭和20年、東京・渋谷区生まれ。小学生の頃からラジオドラマで活躍し、昭和34年、14歳の時に映画デビュー。吉永小百合は、押しも押されもせぬ昭和を代表する俳優だ。社会活動にも積極的で、特に、反戦・平和へのメッセージを発信し続けている。
10月31日(金)に公開される最新主演映画「てっぺんの向こうにあなたがいる」(キノフィルムズ)で、吉永の映画出演作は124本に。デビューの翌年は、1年で16本の映画に出演し、「それはそれは忙しい毎日でした」と笑顔で話す。
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吉永が歌った「世界の国からこんにちは」が流れると、昭和45年に開催された「大阪万博」の話題に。
当時、吉永と坂本九は、万博で“どういうものをやっていくか”を選ぶ委員を任され、吉永は会議の時に「広島、長崎の原爆のこともきちっと展示して世界の人に知ってもらいたい」と伝えた。しかし、この意見がまったく聞き入れられずにがっかりしたそうで、「それ以来、(審議委員など)国のいろいろなことをお引き受けするのはやめようと思った」と強い信念を明かす。
池上が「政府に対する不信感を抱いた?」と聞くと、吉永は「(自分に)力がなかっただけです。そういう場所で言うことではなかったのかもしれない。ただ自分の中にはそういう思いがありました。こういうことがあった、今後はこういう風にしていきたいという思いを伝えていくのが万博の一つのテーマかもしれない」とコメントした。
実は吉永、委員になったものの、そんな経緯もあり、昭和45年に開催された「大阪万博」には足を運ばなかったという。「(そういうことがあって)挫折して、行かなかった。忙しかったということもあるかもしれませんが、行く気持ちにならなかった。あまのじゃくだから(笑)」と話し、チャーミングに笑いに昇華させた。
そんな吉永に対して、SNSでは「吉永さんって、確固たる信念のある素敵な方」「心から清らかな方なのですね」と称賛の声が。
昭和100年となる今年、“昭和を知って未来へ繋げる”をコンセプトに、この100年間で日本が歩んできた成功と失敗の軌跡を振り返る特別番組の第2弾。
昭和の大スター・吉永小百合がテレ東初出演! 番組では、吉永が“こだわり”や“好きなこと”“平和への思い”を明かす場面があった。
【動画】吉永小百合「大阪万博」での“挫折”“ 平和”への強い思いを明かす フィルモグラフィーも
昭和45年「大阪万博」で経験した挫折
昭和20年、東京・渋谷区生まれ。小学生の頃からラジオドラマで活躍し、昭和34年、14歳の時に映画デビュー。吉永小百合は、押しも押されもせぬ昭和を代表する俳優だ。社会活動にも積極的で、特に、反戦・平和へのメッセージを発信し続けている。
10月31日(金)に公開される最新主演映画「てっぺんの向こうにあなたがいる」(キノフィルムズ)で、吉永の映画出演作は124本に。デビューの翌年は、1年で16本の映画に出演し、「それはそれは忙しい毎日でした」と笑顔で話す。

吉永が歌った「世界の国からこんにちは」が流れると、昭和45年に開催された「大阪万博」の話題に。
当時、吉永と坂本九は、万博で“どういうものをやっていくか”を選ぶ委員を任され、吉永は会議の時に「広島、長崎の原爆のこともきちっと展示して世界の人に知ってもらいたい」と伝えた。しかし、この意見がまったく聞き入れられずにがっかりしたそうで、「それ以来、(審議委員など)国のいろいろなことをお引き受けするのはやめようと思った」と強い信念を明かす。
池上が「政府に対する不信感を抱いた?」と聞くと、吉永は「(自分に)力がなかっただけです。そういう場所で言うことではなかったのかもしれない。ただ自分の中にはそういう思いがありました。こういうことがあった、今後はこういう風にしていきたいという思いを伝えていくのが万博の一つのテーマかもしれない」とコメントした。
実は吉永、委員になったものの、そんな経緯もあり、昭和45年に開催された「大阪万博」には足を運ばなかったという。「(そういうことがあって)挫折して、行かなかった。忙しかったということもあるかもしれませんが、行く気持ちにならなかった。あまのじゃくだから(笑)」と話し、チャーミングに笑いに昇華させた。
そんな吉永に対して、SNSでは「吉永さんって、確固たる信念のある素敵な方」「心から清らかな方なのですね」と称賛の声が。
吉永小百合が語る“平和への使命感”と“未来への継承”
吉永は「戦争」をテーマにした作品にも多く出演している。昭和41年に公開された「愛と死の記録」は、戦争で被爆し、原爆症を発症した青年にひたむきな愛を捧げる純愛物語で、吉永と渡哲也の初共演が話題を呼んだ。
平成30年に公開された「北の桜守」は、太平洋戦争末期の南樺太(現在のサハリン)と昭和40年代の北海道、2つの時代を繋ぐ物語。戦後の混乱と貧困の中、吉永演じる“てつ”は息子を懸命に育て上げるが、やがて記憶障害を発症してしまう。
戦争によって引き裂かれた家族の再生物語を描いた作品だ。
「てつが南樺太で経験した大変な思いを撮影しましたし、現地に行って、実際に住んでいらっしゃる日本人の方のお話を聞きました。様々な映画に出て、少しずつ(戦争について)勉強することができていると思います」(吉永)。
昭和20年8月9日、ソ連は日本との中立条約を一方的に破棄し、南樺太や朝鮮半島、千島列島に侵攻。その際、軍人と民間人約57万5000人がシベリアなどに強制抑留され、多くの人が犠牲になった。また、家族や仕事の理由などで、日本に帰れなかった人も多くいた。
昭和20年8月15日、日本は戦争を終えたつもりだったが、ソ連軍はその後も攻撃を続けた。同年8月22日、南樺太からの引き揚げ船が、留萌沖でソ連軍の潜水艦に襲撃される。その船は今も留萌沖に沈んだままだが、今年8月、水中ドローンが沈んだ船の撮影に成功。船には魚雷が当たったとみられる穴が開いており、この襲撃で、死者・行方不明者は1700人以上にも及んだ。

「早く日本に帰りたいと思って船着き場まで行ったら、船が出て行ってしまい、ピョンピョン飛び跳ねながら『待ってほしい!』と言った方のお話を聞きました。それはもう、大変な思いをなさった方たちがたくさんいらっしゃったた。私たちが知らないところで、苦労して苦労して生きてきた方たちの話を大事に伺って、自分たちの胸の中に持っていなくてはいけないと思います」(吉永)。
これまで戦争を描いた映画に出演し、「戦争のことに気づいてほしい、考えてほしい」との思いを抱いて演じてきた吉永。
最後に池上が「悲惨な戦争から80年…今の世界をどう見ているのか」と問うと、吉永は「すごく心配しています。つらい思いをしてる人がいっぱいいる。何とか世界のみんなの力で、惨状を回復しなければいけないという願いを持っているが、今のところ、なす術がない。飢餓で亡くなっていく子どもたち、ウクライナの方たちも、どれほどつらい思いをしているかと思うと、どうすればいいのか…みんなで答えを見つけなければならない。そのためには、戦争の時にどんなことが起きて、どういうことがあったのかを繰り返し知り、次の世代や未来に生かしていくことがとても大事だと思います」と伝えた。
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