箔の薄さは1万分の1ミリ!“箔一”金箔革命の舞台裏:読んで分かる「カンブリア宮殿」
12月4日(木)に放送した「カンブリア宮殿」のテーマは、「金箔革命の舞台裏」。
【動画】伝統産業を最新ビジネスへ! 金箔革命の舞台裏
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石川・金沢市のひがし茶屋街に行列ができる店があった。客の目当ては惜しげもなく金箔を一枚使った「金箔のかがやきソフトクリーム」(980円/店舗により価格が異なる)だ。
一方、「かなざわ 美かざり あさの」で客を集めるのは金箔を使ったものづくり体験。あるグループが取り組んでいたのは金箔の箸づくり。30分ほどで金箔により高級感あふれる箸が出来上がった(金箔体験:箸一膳 2000円)。
JR金沢駅に入ってきたのは石川県を走る人気の観光列車「花嫁のれん」。車内はゴージャスな和の空間で、北陸の伝統工芸、輪島塗や加賀友禅をイメージして作り込まれている。なかでも客を魅了するのは、まばゆいばかりの一面に金箔を貼られた美しいドアだ。
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その金箔を手がけた企業・箔一は、120年以上の歴史があるイギリスのスーツケースブランド「グローブ・トロッター」の商品も手がけている。
新作コレクションのスーツケース「Foil」(限定販売)は金の箔ではなく、さびにくい金属、すずの箔で作られている。「Foil Carry-On(Small)」は82万5000円。
「均一ではなくいろいろな箔をちぎって重ねて貼ってある。奥行き感が伝わるものを作っていただきました」(「デザインスタジオ タンジェント」吉本英樹代表)
伝統の技で現代に挑む箔一の2代目社長・浅野達也(57)が東京で案内してくれたのは、「ヤマハ」銀座店。壁面にあしらわれているのは美しい光を放つ金箔だ。
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「ガラスとガラスの間に箔をうまく加工して、表からも裏からも耐久性を持ちながら美しさをキープできる。うれしくて来るたびに写真を撮ります」(浅野)
東京・吉祥寺。10万通り以上の組み合わせからカスタマイズできる腕時計ブランド「Knot」が箔一に依頼した新作時計「TAKUMI Collection 金沢箔」(9万3500円)が2年越しで完成した。
「小さな文字盤の上に箔の世界を。苦労しながら楽しみながらやらせていただいた」(浅野)
光の具合でさまざまな表情を見せる美しい金箔アートだ。
「最初につくったものは売り切れ。素晴らしい商品ができました」(「Knot」遠藤弘満社長)
銀座にある箔一銀座ショールームにはさまざまな業種の商品開発担当者が詰めかける。
専門商社の担当者は「初めはコスメが目的でうかがったのですが、どの商品もぜひ使わせていただきたいと思っています」と言う。
箔一は他にない商品を求める企業から引っ張りだこなのだ。
箔一の本拠地は金沢市。現在、日本の金箔製造はほぼ全てが金沢で行われている。しかし、仏具や伝統工芸品などの需要が減る中、金箔の生産量は減少の一途。1994年からの30年で約20分の1にまで激減した(出所:石川県箔商工業協同組合)。そんな中、金箔技術を武器に急拡大するのが箔一だ。
観光スポットともなっている箔一の本社の「箔巧館」。1階の販売コーナーには日常使いもできる金箔商品が並ぶ。別のフロアには「加賀藩の藩祖、前田利家の金の甲冑のレプリカ」の展示が。プロジェクションマッピングもある体験型の金箔総合ミュージアムだ。
畳一畳分の巨大な金箔を作るために必要な金はわずか2グラム。原料の金塊に少量の銀と銅を加えて合金にする。限りなく薄く延ばすためにはこれが必要不可欠だ。
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高温で溶かして出来上がった合金をローラーで繰り返し延ばす。そして薄くなったものをカットし、特殊な紙に挟み込み、今度はたたいて延ばしていく。ここまでで1000分の5ミリという薄さになった。
仕上げは延ばしたものを厳重に重ね合わせ、今度は1トンの力でたたける強力なマシンに。長年の職人技が1万分の1ミリの金箔を生み出すのだ。
箔一が誇る金箔工場では、熟練した女性たちが小箱にちぎった箔を幾重にも貼り付けていた。
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「いろいろな色味の箔を貼り重ねることで奥行き感が出ます」(箔装飾職人・宮城理美)
このちぎり技法が生み出す微妙な箔の濃淡が飽きのこない風情を生み出す。
別の場所では、大皿の一部に金箔を振りかけるちらし技法が行われていた。
「金箔が落ちる位置で商品の印象が変わります。いかに美しくあしらっていくか」(宮城)
この工房で作っているのは工芸品だ。
一方、別の建物は「食用金箔の工場です」(生産工房部・佐々木千佳)。小さな粒をピカピカに光る箔でコーティングし、食べられる金箔製品が作られていた。
箔一は「湖池屋」のポテトチップスに振りかける金箔から「森永」の金のチョコボールまで、さまざまなお菓子とコラボしている。
さらに別の工房では巨大な金箔を貼る作業が行われていた。
「金箔の壁紙シートを作っている。箔を建築商材に貼る工場です」(箔装飾職人・串岡功介)
金箔を使った建材を作る工房だ。年間300もの案件を受注しているという。
こうして商品ごとに事業部を分けることで浅野はビジネスを拡大してきた。
この日、浅野が視察に来たのは、銀座の中央通り沿いに立つ、2025年11月にオープンしたばかりの宿泊施設「ふふ 東京 銀座」だ。
箔一が任されたのは暗がりにシルバーが舞うエレベーターの内装だ。この仕事は建材部門によるもので、専門性を極めることで難易度の高い依頼にも応えられるという。
「見たことがないエレベーターだと思います。一目で目をひくエレベーターをつくっていただいた」(総支配人・千葉大祐さん)
【動画】伝統産業を最新ビジネスへ! 金箔革命の舞台裏

列車・ビル・腕時計…~金沢発!金箔で魅了する箔一
石川・金沢市のひがし茶屋街に行列ができる店があった。客の目当ては惜しげもなく金箔を一枚使った「金箔のかがやきソフトクリーム」(980円/店舗により価格が異なる)だ。
一方、「かなざわ 美かざり あさの」で客を集めるのは金箔を使ったものづくり体験。あるグループが取り組んでいたのは金箔の箸づくり。30分ほどで金箔により高級感あふれる箸が出来上がった(金箔体験:箸一膳 2000円)。
JR金沢駅に入ってきたのは石川県を走る人気の観光列車「花嫁のれん」。車内はゴージャスな和の空間で、北陸の伝統工芸、輪島塗や加賀友禅をイメージして作り込まれている。なかでも客を魅了するのは、まばゆいばかりの一面に金箔を貼られた美しいドアだ。

その金箔を手がけた企業・箔一は、120年以上の歴史があるイギリスのスーツケースブランド「グローブ・トロッター」の商品も手がけている。
新作コレクションのスーツケース「Foil」(限定販売)は金の箔ではなく、さびにくい金属、すずの箔で作られている。「Foil Carry-On(Small)」は82万5000円。
「均一ではなくいろいろな箔をちぎって重ねて貼ってある。奥行き感が伝わるものを作っていただきました」(「デザインスタジオ タンジェント」吉本英樹代表)
伝統の技で現代に挑む箔一の2代目社長・浅野達也(57)が東京で案内してくれたのは、「ヤマハ」銀座店。壁面にあしらわれているのは美しい光を放つ金箔だ。

「ガラスとガラスの間に箔をうまく加工して、表からも裏からも耐久性を持ちながら美しさをキープできる。うれしくて来るたびに写真を撮ります」(浅野)
東京・吉祥寺。10万通り以上の組み合わせからカスタマイズできる腕時計ブランド「Knot」が箔一に依頼した新作時計「TAKUMI Collection 金沢箔」(9万3500円)が2年越しで完成した。
「小さな文字盤の上に箔の世界を。苦労しながら楽しみながらやらせていただいた」(浅野)
光の具合でさまざまな表情を見せる美しい金箔アートだ。
「最初につくったものは売り切れ。素晴らしい商品ができました」(「Knot」遠藤弘満社長)
銀座にある箔一銀座ショールームにはさまざまな業種の商品開発担当者が詰めかける。
専門商社の担当者は「初めはコスメが目的でうかがったのですが、どの商品もぜひ使わせていただきたいと思っています」と言う。
箔一は他にない商品を求める企業から引っ張りだこなのだ。
箔一の本拠地は金沢市。現在、日本の金箔製造はほぼ全てが金沢で行われている。しかし、仏具や伝統工芸品などの需要が減る中、金箔の生産量は減少の一途。1994年からの30年で約20分の1にまで激減した(出所:石川県箔商工業協同組合)。そんな中、金箔技術を武器に急拡大するのが箔一だ。
観光スポットともなっている箔一の本社の「箔巧館」。1階の販売コーナーには日常使いもできる金箔商品が並ぶ。別のフロアには「加賀藩の藩祖、前田利家の金の甲冑のレプリカ」の展示が。プロジェクションマッピングもある体験型の金箔総合ミュージアムだ。
畳一畳分の巨大な金箔を作るために必要な金はわずか2グラム。原料の金塊に少量の銀と銅を加えて合金にする。限りなく薄く延ばすためにはこれが必要不可欠だ。

高温で溶かして出来上がった合金をローラーで繰り返し延ばす。そして薄くなったものをカットし、特殊な紙に挟み込み、今度はたたいて延ばしていく。ここまでで1000分の5ミリという薄さになった。
仕上げは延ばしたものを厳重に重ね合わせ、今度は1トンの力でたたける強力なマシンに。長年の職人技が1万分の1ミリの金箔を生み出すのだ。
箔一の金箔革命1~専門部隊が業界を深掘り
箔一が誇る金箔工場では、熟練した女性たちが小箱にちぎった箔を幾重にも貼り付けていた。

「いろいろな色味の箔を貼り重ねることで奥行き感が出ます」(箔装飾職人・宮城理美)
このちぎり技法が生み出す微妙な箔の濃淡が飽きのこない風情を生み出す。
別の場所では、大皿の一部に金箔を振りかけるちらし技法が行われていた。
「金箔が落ちる位置で商品の印象が変わります。いかに美しくあしらっていくか」(宮城)
この工房で作っているのは工芸品だ。
一方、別の建物は「食用金箔の工場です」(生産工房部・佐々木千佳)。小さな粒をピカピカに光る箔でコーティングし、食べられる金箔製品が作られていた。
箔一は「湖池屋」のポテトチップスに振りかける金箔から「森永」の金のチョコボールまで、さまざまなお菓子とコラボしている。
さらに別の工房では巨大な金箔を貼る作業が行われていた。
「金箔の壁紙シートを作っている。箔を建築商材に貼る工場です」(箔装飾職人・串岡功介)
金箔を使った建材を作る工房だ。年間300もの案件を受注しているという。
こうして商品ごとに事業部を分けることで浅野はビジネスを拡大してきた。
この日、浅野が視察に来たのは、銀座の中央通り沿いに立つ、2025年11月にオープンしたばかりの宿泊施設「ふふ 東京 銀座」だ。
箔一が任されたのは暗がりにシルバーが舞うエレベーターの内装だ。この仕事は建材部門によるもので、専門性を極めることで難易度の高い依頼にも応えられるという。
「見たことがないエレベーターだと思います。一目で目をひくエレベーターをつくっていただいた」(総支配人・千葉大祐さん)
箔一の金箔革命2~新たな技に挑む職人たち
2020年、「トヨタ」の高級車ブランド「レクサス」に箔が採用された。シックな車内を引き立てる輝きのプラチナ箔だ。
10年越しで受注に繋げた職人・串岡は「箔のデザインを9分の1サイズに小さくして、小さい面積で箔の世界観を見せよう」としたと言う。
「よく見ていただくと分かるのですが、一つずつがずれているんです。バラバラの曖昧さが美しい。車の分野に参入できたのは非常にうれしいです」(串岡)
箔一がさまざまな顧客をつかめる理由は、職人たちが生み出し続ける魅力的な金箔技法にあった。
常識を破る一貫生産システムが、九州新幹線を彩る内装から、世界的メーカーの重厚なスーツケース、さらには黄金のキットカットまで、伝統の技に新たな命を吹き込み、人々の心を動かすものづくりを生み出している。
金沢の金箔を世界ブランドに~たった一人で革命を起こした女性
佐賀・唐津市を浅野が訪れた。やってきた理由は佐賀を代表する祭り「唐津くんち」。江戸時代から続き、ユネスコ無形文化遺産にも登録されている。
「くんち」に使われる豪華絢爛な山車。だが全体の劣化が進み、売りだった金箔は一部はがれてしまっていた。2020年、箔一は金ピカに光る部分の修復を行った。

「感動とうれしさがあります。実際に光の下に出ると全然違う」(浅野)
難しい修復を成し遂げた技術開発室職人リーダー・木戸口善夫は「目の周りの金の太さが数ミリ違うだけで、表情、見え方も変わってくる」と言う。
日本の伝統文化も金箔の技術があってこそ残していけるのだ。
ジリ貧だった金沢の金箔作りを今に繋いだのは一人の女性だった。
箔一の本社にある金箔商品の販売コーナー。売り場の一角に掲げられる写真の女性は、浅野の母で、金沢の金箔を金沢箔として売り出した創業者・邦子だ。
1967年、結婚を機に京都から金沢へ。夫の家業は金箔作りの小さな会社だった。当時から金箔作りが行われていた金沢だが、産地として全国的な知名度はなかった。
「『箔屋』として仏壇店に製品を出すことをずっとしていました。当時は金沢という名前もそれほど知られていなかったと思います」(浅野)
まだ20代だった邦子は売り上げが減り続ける金箔作りに危機感を持ち、金沢の金箔を、誰もが知るブランドにしようと決意する。そして取り組んだのは、仏具ではない、日常使いできる金箔商品作りだった。
だが、「身近な商品も作ってもらえませんか」と言う邦子に、職人たちは「仏壇に使う金箔を食器になんてあり得ない」と協力的ではなかった。邦子は必死で説得して何とか商品を作りあげると、東京の百貨店に飛び込み営業に回った。
「見たこともないものなので、いろいろな所へ持って行った。(母が)出張に行って戻ってこない日もたくさん続きました」(浅野)

断られても諦めず、商品のデザインの改良を重ね、必死で百貨店に金沢箔を売り込み続けた。そんな格闘から半世紀がたった2019年、今は亡き邦子の72歳の時の貴重な映像が残っている。
「金沢箔を世界のブランドにする。へこたれた時には『あなたの夢は何なの。逃げちゃいけない』と自分に言って、『夢は逃げない、逃げるのは自分』という言葉を今日までの支えにしてきました」(邦子・当時72歳)
そんな邦子のビジネスの突破口となったのが、あぶらとり紙。実はあぶらとり紙はもともと、金箔作りから生まれたものなのだ。
「金箔を打つ時に使う紙は、あぶらがよく取れるんです」(美粧生産課・石野梨恵)

1976年、「金箔打紙製法あぶらとり紙」を開発。邦子が東京の百貨店などに売り込むと、それが人気に。その後のビジネスの足がかりとなったのだ。
震災で破損した食器が感動の再生&銭湯が金箔ソフト店に
この日、箔一にやってきたのは石川・七尾市で日本料理の有名店「一本杉川嶋」を営む料理人の川嶋亨さん。店は、2024年1月の能登半島地震で壊滅的な被害を受け、いまだに営業を再開できていなかった。
並んでいたのは、震災で粉々になったはずの川嶋さんの貴重な食器の数々。古くから伝わる金を使った修復技術「金継ぎ」によって、箔一が直してくれたのだ。
「金継ぎ」が作り出した新たな美しさ。粉々になっていた食器を丁寧に繋ぎ合わせてくれた職人技に、川嶋さんは「本当にすごいです。ちょっと涙が出そう。ありがとうございます」と感無量の様子だ。

震災で店が壊れた川嶋さんに、浅野は無償で「金継ぎ」する支援を申し出た。
「僕らしかできない能登への支援は何かなと思ったので」(浅野)
浅野の地元支援は伝統の街並みでも行われている。
冒頭で紹介した金箔ソフトクリームの店は以前、銭湯だった。天井の高い空間をそのまま生かし、2011年、「箔一 東山店」としてリニューアル。持ち主から頼まれた浅野が、街を盛り上げる新たな施設へと生まれ変わらせた。

「住んでいた人が年齢を重ねていらっしゃらなくなった場所がそのまま残っている。そこを昔の通りに再現している」(浅野)
ひがし茶屋街は高齢化や人口減少で街の美しい景観を維持できなくなっていた。それをなんとかできないかと浅野が立ち上がったのだ。
赤い外壁が美しい代表的な茶屋建築も箔一が買い取ったもの。
内部には茶屋建築らしい風情を残した一方、2階は金箔スイーツが楽しめるカフェ「茶房 やなぎ庵」に改装した。撮影スポットになっている金箔の廊下も浅野が新たに作ったものだ。
こうしていくつもの建物を再生し、金沢が誇る伝統を次の世代に繋げている。
※価格は放送時の金額です。
~村上龍の編集後記~
金箔は、四号色の品位があるものだと食べてもいいことになっているらしい。ちなみに四号色とは、金が約94%、銀が約4.9%、銅が約0.66%の合金だ。それを、厚さ0.0001ミリメートルの箔状に延ばすと金箔ができる。わたしは触れたことがない。装飾としての金箔は普段から目にするが、何かに埋め込まれていたり、貼ってあったりする。その技術を駆使しているのが「箔一」だ。創業者の母が、基礎を築いた。浅野さんがあとを継いだ。金箔は食べても味はない。だが、豪華さを競えば無敵だ。
<出演者略歴>
浅野達也(あさの・たつや)1968年、石川県生まれ。1992年、法政大学工学部を卒業後、アメリカの大学へ。1995年、箔一入社。2009年、社長就任。
見逃した方は、テレ東BIZへ!
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