バッドロケーションにあえて出店!“非常識”戦略なのに人気を生み出す外食企業「バルニバービ」:読んで分かる「カンブリア宮殿」

1月22日(木)に放送した「カンブリア宮殿」のテーマは、「“非常識”戦略なのに人気を生み出す外食企業」。

【動画】外食“非常識”戦略の全貌

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絶景レストラン&創作料理~商業施設から出店依頼殺到


今、大手不動産会社からひっぱりだこの外食グループがバルニバービだ。

東京・港区の「野村不動産」が運営する施設「Hi-NODE」に入ったレストラン「ビサイド シーサイド」もその一つ。ランチタイムには「渡り蟹のトマトクリームソース 生パスタ」(1980円~)や季節の食材を使った「グラタンランチ」(1600円)など、フレンチ出身のシェフが手掛けた一味違う料理が、多くの客を呼び込んでいた。

この店が人気となっているもう一つの理由がロケーションだ。テラス席は海が望める絶景。

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夜ともなればベイエリアの夜景がムードを盛り上げてくれる。

店は施設を手がけた「野村不動産」からの熱烈オファーで出店した。

「浜松町駅から距離があり、アプローチの改善もこれからという時に、環境の良さなどで選択していただき、そこにどう居心地がよくおいしい食事が出せるか、判断していただける事業者はそういらっしゃらない」(「野村不動産」芝浦プロジェクト本部・内田賢吾さん)

一方、「三井不動産」が開発に関わり2020年にオープンした東京・渋谷区の「MIYASHITA PARK」に熱烈な誘致を受けてオープンしたのが「ニューライト」だ。

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店内はほぼ満席。天井が高く開放的な空間で振る舞われる看板メニューは和牛のグリル「香川県産“オリーブ和牛”A5ランク」(5280円~)だ。

香りが鼻に抜けるのは薪を使って直火焼きをしているから。肉だけじゃなく野菜も魚もスモーキーに焼き上がる。オープンキッチンだから薪の燃える様子も見え、野趣満点というわけだ。

東京・港区に拠点を置くバルニバービは社員数682人(2025年10月現在)、売上高143億円(2025年7月期)。立地の魅力を生かす個性的な店づくりで「東京ミッドタウン日比谷」や「東京ミズマチ」など話題の商業施設に次々と出店。全国に104施設を展開している。

バルニバービは神奈川・相模原市で「野村不動産」が開発にあたる施設でもイタリアンレストランの新店舗の準備を進めている。2026年3月のオープンに向けて内装工事の真っ最中だ。

現場にやって来たバルニバービ会長・佐藤裕久(64)は店内を見回し、床が一段低くなっていて店内からの景色が普通の路面店とは違うから、それを活かしてみようと提案した。

「世間の基準でいうと『違う』『おかしい』と思うことも、視点を変えたら『面白い』『魅力的』ということがあると思うんです」(佐藤)

外食に向かない立地でも~わざわざ来たくなる仕掛け


〇バルニバービ常識破りの戦略1~バッドロケーションにあえて出店

バルニバービの店舗は商業施設だけでなく、人通りの少ない住宅街にもある。

東京・文京区の『青いナポリ』は駅から徒歩10分。普通なら飲食店には向かない立地だが、昼時に大行列ができる、本格的な窯焼きのピザや旬の食材を使ったイタリアンの店だ。

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料理を楽しむ施設も独特。以前は印刷工場だった建物を改装して使っている。ほとんど住民しか行き来しない場所だが、住宅街の静かな環境を逆に活かすことに。都心の喧騒(けんそう)を忘れられる空間をつくり、人気店を生み出した。

東京・足立区。北千住駅から徒歩10分のところにも、道路沿いにイタリアンレストラン「アダッキオ」とカフェ「スロージェットコーヒー」の2店舗を出店している。

評判になっていたのは豆からこだわった自家焙煎のコーヒー。来たくなる理由を、客は「店員の人柄がいい」「地元密着で知り合いも多い」などと説明する。

「駅から離れていてバスも通らないので、まずは常連様に来ていただけるような自分たちでなければいけない。近隣の人と毎日話すことを日課にしました」(バルニバービ・平山泰行)

二つの店舗は以前、古いそば店とガレージだった。

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この他にも、バルニバービは使われていなかった場所を改装した眺めのいいレストランや会社のビルを利用したカフェなど、飲食店には不向きと思われるような場所にあえて出店し、繁盛店をつくってきた。これが佐藤の進める「バッドロケーション戦略」だ。

「飲食店として使われてこなかったけれど、飲食店にするとめちゃくちゃ面白くなるということがある。人通りが少なくても、わざわざ来てくれる人がいれば商売は成り立つし、かつ家賃は半額以下になる」(佐藤)

マニュアルなしの「強み」~同じ店名なのに全て違う?


〇バルニバービ常識破りの戦略2~同じ店名なのにまるで違う

バルニバービが都内で7店舗を展開する「グッドモーニングカフェ」。

「グッドモーニングカフェ 中野セントラルパーク」は夜も営業していて、イタリアンを中心としたオリジナリティーあふれる料理が楽しめる。

この日、厨房(ちゅうぼう)では新メニューの試作が行われていた。

シェフの黒田俊輔が用意したのは大分産のブランドブリ「美人鰤」。飼料に酒かすを混ぜて育てたという。わらに火をつけ、カツオのタタキの要領でブリの表面をあぶっていく。表面だけ火を入れたブリは薄切りにして、合わせるのは「自分の地元、富山県の食材で、氷見の寒ブリの身と塩だけでつくったしょうゆのソース」(黒田)。いわゆる魚醤で仕上げた「美人鰤の藁焼きカルパッチョ」だ。

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黒田は「美人鰤と塩熟トマトのアーリオ・オーリオ」というパスタも試作する。バルニバービではメニューやレシピが統一されていない。店ごとにシェフが工夫を重ね、独自メニューを開発している。新メニューはシェフの腕の見せどころというわけだ。

だから、同じブリを使ったメニューでも、店によって出している料理は違う。早稲田店は「美人鰤のピッツァ」、池袋店は「美人鰤のクリームリゾット」、神田錦町店は「美人鰤のタリオリーニ」といった具合だ。

「料理に対しての評価は自分たちで負わなければいけない部分もある。常にアンテナを広げて、食材や調理勘を勉強して形にしていくのが我々の仕事かなと思います」(黒田)

他よりも安くておいしい~新たな食材との“出会い旅”


〇バルニバービ常識破りの戦略3~極上食材との新たな出会い

徳島・阿南市にグループの総料理長を務める大筆秀樹が食材の視察にやって来た。訪ねたのはブランド牛、阿波牛の「のべ牧場」。阿波牛は柔らかく甘みの強い肉質を持つ。

「当牧場は約400~500頭いますが全部メス牛。メス牛の方が肉の味もおいしいし、脂質も良いです」(「ミートセンターのべ」・延隆久さん)

大筆は全国を回り、店でまだ使っていない極上食材を探している。

「こだわりを持ってつくっておられると県の人に聞き、紹介していただいた。こだわって生産している食材は、シンプルに調理するだけですごくおいしいものができます」(大筆)

大筆はさらに徳島・松茂町のシイタケの生産者「徳島椎茸ファーム」を訪ねた。アワビのような食感と濃厚な味わいを持つ「天恵菇(てんけいこ)」というブランドのシイタケを育てている。「天恵菇」は「栽培が難しい」(三浦祐太郎さん)と言う。

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こうして極上食材を探し出し、各店舗に伝えている。この時、最も重視するのはコストパフォーマンスだという。

「この食材でなぜこんなにいい価格なのか。それをちゃんとお客様に届けようと。他のレストランより安くておいしいものを出せるようにしたいので」(大筆)。

人気外食グループ誕生秘話~料理の原点と大きな転機


大阪にあるバルニバービの本社の一室で会議が始まっていた。リモートで参加したのは社長の安藤文豪。定期的に行っている経営会議だという。バルニバービには店舗運営に当たる子会社が9社もあり、会議に参加した8人のうち6人はその代表だ。

子会社をこんなに増やした狙いを、佐藤は「頑張った人が評価されない、報われない会社だったら、絶対に今日のようになっていない。『経営者のように頑張れ』より『経営者として頑張れ』の方がいい」と説明する。

佐藤は1961年、京都の和菓子店の長男として誕生。祖母・クニが洋食のシェフの経験があり、子どもの頃から料理を習い、熱中したという。

最初の起業は24歳の時。アパレルの会社を興した。フランスのブランドと独占販売契約を結び、初年度から2億円を売り上げるなど大成功。

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ところが3年後、そのフランスの会社が倒産。すぐに佐藤の事業も行き詰まる。結局、会社を手放すことになり多額の借金を背負った。

「当時の僕にとっては気を失うぐらいの金額だと思います。周囲にも迷惑をかけたし二度とあんな思いはしたくない。それが原動力になったんじゃないでしょうか」(佐藤)

借金を返すために寝る間を惜しんで働き、ようやく返済し終えたのは5年後だった。

ホッとしたのも束の間の1995年1月、阪神・淡路大震災が起こる。神戸は大学時代を過ごした街だった。

「これから人生をもう一度やり直せると、希望しかないような時に地震が起きた。とりあえず今は自分のことよりも何か神戸に役立つことがしたいと思い、炊き出しを手伝うようになりました」(佐藤)

被災地・神戸で手伝った炊き出しが人生の転機となる。配ったのは塩とごま油で味付けしただけの質素なおかゆ。しかし、被災者たちから「おいしい」と感謝された。

「粗末なおかゆです。でもみんな『ありがとう』『頑張らな』と。僕はいつしか涙が止まらなかった。そこで食べ物はすごいと思って、『食べ物店』を始めようと思ったんです」(佐藤)

こうして飲食店の開業を決意した佐藤だが、資金は乏しく、立地のいい物件は借りられない。そこで目を付けたのが大阪の南船場。問屋街として発展したが、当時は人の往来が少なく、家賃相場も安かった。

そんな場所に1995年、自らペンキまで塗って一軒の店をつくった。それが1号店のカフェレストラン「アマーク・ド・パラディ」。周辺は空き物件だらけだったが、佐藤はこの場所に可能性を感じたという。

「材木店のショールームだったんです。だから天井が高く2階は吹き抜けになっている。見た瞬間に“絵”はできていました。パリの路地にあるような店だなと、思った通りになった」(佐藤)

オープンすると佐藤の直感は当たり、店は大ヒット。たちまち南船場を代表する人気店となった。

「崖」に新店舗を出店のワケ~新たな挑戦は街づくり


佐藤の推し進める「バッドロケーション戦略」は新たな段階に突入している。取り組んでいるのは「食から始まる地方創再生」だ。

やって来たのは愛媛・伊予市。市の中心部から30分ほど車を走らせた海岸沿いの崖の上に、新店舗の出店を予定しているという。瀬戸内海を臨む崖の上にレストランや宿泊施設などをつくる計画だ。

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「何も人工の光がなかったら、どれだけ星がきれいに見えるか。バッドかもしれない環境を生かして、逆にないものをつくる」(佐藤)

すでに佐藤は兵庫県の淡路島に飲食店や宿泊施設が集まる観光拠点「フロッグス ファーム アトモスフィア」を開発している。今では年間38万人が訪れる人気スポットとなったが、もともとは地元の人も訪れない野原だった。

島根・出雲市の「ウィンディ ファーム アトモスフィア」や兵庫・南あわじ市の「トラットリア アマランチャ」などでも、食の力で地方に人を呼び込む取り組みを続けている。

今回の伊予市のプロジェクトは、これまでよりさらに一歩踏み込んだ形を考えているという。

「住宅をつくる。空気のきれいな食べ物がおいしい場所で人が暮らせると『実は幸せだよね』ということが、ここならできると思う」(佐藤)

広大な土地を取得して、観光拠点に留まらず、新たな街をつくるつもりなのだ。

誰かを幸せにしたいという佐藤の人生を賭けた仕事は止まらない。

※価格は放送時の金額です。

~村上龍の編集後記~
社名は『ガリバー旅行記』に由来。ガリバーがたどり着いた国の名前。飲食業に入るきっかけは、阪神大震災で、シンプルな塩とごま油だけの炊き出しをやり、被災者の喜ぶ顔を見たことになっている。だが、わたしは少し違う印象を持つ。祖母がシェフの店があった。後に、お菓子屋になったが、祖母はハイカラな料理を作り、教えてくれた。それが楽しかったらしい。アパレルで失敗するが、その後、南船場に店を出し、大成功する。その秘訣は、バッドロケーションにある。周囲に何もない場所だが、眺望を独占できるのだ。

<出演者略歴>
佐藤裕久(さとう・ひろひさ)1961年、京都生まれ。1984年、神戸市外国語大学中退。1991年、バルニバービ設立、代表取締役社長就任。1995年、飲食業に参入、1号店オープン。2021年、代表取締役会長就任。

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