獺祭を世界へ!親子2代で“杜氏なしの酒造”へ取り組み続ける日本酒メーカー:読んで分かる「カンブリア宮殿」

3月12日(木)に放送した「カンブリア宮殿」のテーマは、「“ニッポンの食”グローバル化の未来」。

【動画】放送20年の総決算 スペシャル月間 第2弾 “ニッポンの食”グローバル化の未来

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倒産寸前の小さな酒蔵が~常識破りの酒造りで大逆転!


東京・千代田区、丸の内のレストラン「ムスムス」のウリは「旬野菜のセイロ蒸し」。素材を生かしたヘルシーな料理が多くの客を呼び込んでいる。そんな店で注文が飛び交っていた日本酒が獺祭だ。

快進撃が始まっていた2014年、獺祭はカンブリア宮殿に登場。社長(当時)の桜井博志が出演した。当時は注文に生産が追いつかず、巷(ちまた)では「幻の酒」と呼ばれていた。

それから12年、今や獺祭は海外にも広まり大人気となっている。

2024年にはミシュランの三つ星シェフ、ヤニック・アレノ氏とタッグを組み、パリにフレンチと和食を融合させたレストラン「ル・イザカヤ・ダッサイ」をオープンさせた。

2025年にはアメリカのアカデミー賞を彩る祝賀会のメニューに選ばれ、存在感を示した。

前回登場時の2014年51億円だった売り上げは、213億円まで増加し、約4倍になった(2025年9月期)。

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獺祭の本社は山口県の岩国市にある。「カワウソの祭り」と書く獺祭。まさに獺(かわうそ)が住んでいそうな山の中だ。

社屋は以前、築240年という古い日本家屋だったが、今は12階建ての近代的なビルに変貌。ビル全体が酒蔵になっている。社名は2025年に「旭酒造」から獺祭へ変更された。

獺祭の生みの親で現在は会長となった桜井博志(75)は酒造りの現状について「満足はしていない。常に上を目指すから、『これでいい』と思ったら終わり」と言う。

1984年、「旭酒造」を父親の急死によって継いだ桜井。当時は地元向けの大衆酒を造る小さな酒蔵で、売り上げは10年前の3分の1まで減少。どん底からのスタートだった。

桜井は安い紙のカップ酒を造ってみたり、地元・山口の名産品・フグに合う酒を造ってみたりと、あの手この手でなんとか持ち直そうとしたのだが、「みんな1年ぐらいでダメになる。値引きをしたら他社はもっとすごい値引きをしてこれもダメ。これは品質で突破していくしかないと」(桜井)。

そこで挑んだのが純米大吟醸。50%以下に磨いた酒米と米麹で造る日本酒の最高峰とも言える酒だ。酒造りは難航し、結局6年もの歳月を経てようやく完成。桜井は獺祭と名付け、1990年、販売を開始した(当時720ml 1250円)。

これで業績の上向いた旭酒造だったが、落とし穴が待っていた。1999年、ブームに乗って地ビールに手を出し、大失敗。倒産寸前の危機に陥る。この惨状に杜氏(とうじ)にも見限られてしまった。杜氏は外部から雇う酒造りの職人で現場責任者。いわば酒造りのキーマンだ。

「杜氏にしてみたら、年商2億円の酒蔵で1億9000万円の損失が出た。これはもう給料が出ないと。僕も7割、倒産したと思っていましたから」(桜井)

しかし、「杜氏がいない」という危機が獺祭独自の酒造りを生む転機となる。桜井は糖やアルコールの濃度など全てのタンクで途中経過を数値化。そのデータを元に社員だけで酒を造り始めたのだ。

「酒を造り始めて、やはり酒造りには指標がいる。とにかくデータを大事にした」(桜井)

当時、純米大吟醸は少量生産が当たり前。しかし、データ重視のやり方なら大量に造れる。桜井は獺祭の量産に踏み切った。これが日本酒業界に大きな影響を与えることになる。

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東京・中央区の老舗酒店「酒の勝鬨」は、全国の酒蔵と繋がり、貴重な銘酒を販売している。長年、日本酒を扱ってきた商品販売部部長・堀口潤一さんは、獺祭の影響について、「純米大吟醸は市販していても高いので、“ハレの日の需要”でしか飲むことがないお酒だったかもしれない。獺祭が手頃な価格で届けたことで、あまり身近でなかった純米大吟醸が飲めるようになったのは大きいと思います」と言う。

「うちの酒が一番うまい…」~息子が家業を継いだ理由


成功を果たした桜井は2016年、社長を退き会長に。後を引き継いだのは桜井の長男、社長・桜井一宏(49)だ。

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ただ、一宏は学生時代、継ぐ気はなかったと言う。

「財政的にはうまくいってない酒蔵でしたので、学生時代、仕送りがなく、現物支給で酒が送られてきた(笑)。『そうか、大変なんだな』と思いました」(一宏)

家業を継いだのにはきっかけがあった。一宏は早稲田大学を卒業するとそのまま東京に残り、メーカーに就職した。その仕事帰りに同僚と飲みに行き、獺祭を見つけて注文。すると久しぶりに飲んだ味に「こんなにおいしかったのか」と驚いた。

「意識し始めると、周りのお客さんが(獺祭を)飲んでいる。飲んで笑顔になった様子を見ると、『お酒はお客さんにとって価値がある』と思うようになっていきました」(一宏)

獺祭の価値に気づいた一宏は2005年、旭酒造(当時)に入社。11年間、父の下で働き、2016年、社長に就任した。

経営者が変わった獺祭だが、実は中身も進化を繰り返しているという。

「データをどう使っていくかが重要になります。日々少しずつ、変化を繰り返しています」(一宏)

進化を続ける酒造り~“最高の米”競うイベントも


〇進化する獺祭1~データと職人技の融合

醸造チームのリーダーを務める入社10年目の村田大輝。毎朝、数値化されたデータを確認しながらその日の作業内容を決めていく。

内部の数値を見ながら、タンクをどれだけ冷却するかを判断していく。ただし、決まったルールはなく村田の判断次第。冷却水のレバーひとひねりで味が変わる、重要な仕事だ。

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「過去の分析値のデータが残っているので、同じような分析値だったら『こうした方がいいんじゃないか』と生かすことができる。毎日、試行錯誤です」(村田)

社内に村田のようなチームリーダーは4人。データを元にした酒造りの経験を積み判断の精度がアップ。よりおいしい獺祭が造れるようになったのだ。

〇進化する獺祭2~最高を超える米

獺祭の原料は全て酒米の王様と呼ばれる山田錦。ただし山田錦は稲の背が高く風で倒れやすい。また、病気にかかりやすいなど栽培しづらい性質を持つ。そのため生産する農家は少なく、質のいい山田錦を大量に確保するのは難しかった。

「山田錦が足りない。米が足りないから酒が造れないこともありました」(一宏)

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そこで2019年から始めたイベントが「最高を超える山田錦プロジェクト」。全国の農家から山田錦を募り、粒ぞろいや中心部の心白が大きすぎないなど、うまい酒になる特性を持つ米を選ぶコンテストだ。

このコンテストに参加した栃木県の農家・五月女文哉さんは7年前から山田錦を作っている。毎年出品し、2024年には優勝を果たした。その際の買い取り価格は相場の20倍以上、60俵で3000万円だった。

「生産者の意欲が高まるのはやはり価格。1俵(60kg)50万円は、我々生産者からすると夢がある話です」(五月女さん)

優勝した山田錦は特別な獺祭に仕上げられる。世界的なオークション「サザビーズ」に出品され、2020年には1本約84万円、2022年には約115万円で落札された。

こんな取り組みによって少しずつ山田錦を作ろうと言う生産者が増えているという。

「『山田錦って魅力のある米なんだ。やってみよう』と参入する農家が増えていますし、結果的にいい山田錦が安定して私たちのもとに入ってくるようになります」(一宏)

酒造りの進化を模索しながら原料も極める。こんなやり方で山口県の小さな酒蔵は躍進を遂げた。

海外販路を地道に開拓~日本食を超えた新市場へ


この日、本社の蔵で酒造りの説明に聞き入っていたのは、カナダで獺祭を販売している卸業者のパトリック・エリスさん。

「蔵人といろいろ話をして感じたことをカナダに持ち帰り、お客に伝えることができます」(パトリックさん)

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パトリックさんは20年前から獺祭を仕入れている古い取引先。一宏が営業に回り、開拓した一人だ。獺祭の海外販路の開拓は、ほぼ全てを一宏が任されてきた。

「私が(家業に)戻ってきた前の年の海外の売り上げは年間で数百ケース。海外の人は誰も知りません。しかも純米大吟醸は高い。『何それ』って感じで、回っても回ってもダメでした」(一宏)

一宏は入社して2年目には一人でニューヨークに渡り、日本食レストランを中心に一軒一軒売り込んで回った。そんな地道な営業のかいあって、2025年の海外への輸出額は日本酒メーカーでトップの79億円になった。

そして獺祭の海外戦略は今、新たなステージへ。ニューヨークが雪に包まれた2026年2月、その郊外に一宏の姿があった。

やってきたのは獺祭がつくった海外の拠点となる施設。2023年にオープンさせた「ニューヨーク蔵」だ。

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日本と同じように酒造りが出来る設備を導入。海外に初めてつくった製造拠点となる。

「(酒が)現地のうまいものだと、ニューヨークの人たちから始まり、アメリカ全土、ヨーロッパに伝えていく一番大事な拠点になります」(一宏)

工場内では現地採用したアメリカ人スタッフや日本から派遣したスタッフが働いている。獺祭USA製造部のタイラー・リードは「日本の蔵と同じように集中力と情熱をかけて酒造りをしています」と言う。

「日本人メンバーとアメリカ人メンバーが共同で酒を造っていく。日本のメンバーが彼らに教えながら作業しています」(一宏)

アメリカで造る獺祭は日本とは同じようにはいかない部分もある。酒米はアーカンソー州産の山田錦を使っているが、アメリカの水は硬水のため、軟水の日本とは発酵の仕方が全く違うという。

こうした課題を一つ一つクリアして完成させたのが「獺祭BLUE」。日本の獺祭よりアルコール度数は低めで、甘口な仕上がりとなっている。

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出来上がった獺祭を携えて一宏が向かったのは、ニューヨークのマンハッタンにあるイタリアン・レストラン「ガブリエルズ バー&レストラン」。「獺祭BLUE」を店に置いてもらおうと、売り込みにきたのだ。

アルコール度数はワインと同じくらい。マネージャーのガブリエル・アイエロさんの反応は「とてもいい。フレーバーも上品で申し分ない」「ボロネーゼやラムチョップに合いそうだ。マグロの前菜にもいいと思う」と、イタリアンに合いそうだと認めてくれた。続いてスパークリングの獺祭も試したが、感触は上々だ。

「日本酒は日本食と一緒にしか飲めないと思っている人が多いので、そこを突破してもっと大きなマーケットをつくっていきたいと思います」(一宏)

一風堂の海外戦略~NYに新業態を続々出店!


日本の食を世界に発信している企業はここにも。ラーメンチェーン「一風堂」を展開する「力の源(もと)ホールディングス」だ。提供しているのはとんこつラーメン。濃厚でありながら臭みがなく食べやすい味が客を引き寄せ、日本人のみならず海外からやってくる旅行者にも評判になっている。

創業40年で今や国内171店舗、海外141店舗に。売り上げの4割を海外で稼ぐ。

「一風堂」が海外戦略の足がかりにした街がやはりニューヨークだった。

2008年にニューヨークで海外1号店をオープン。2025年には別業態のラーメンチェーン「五行 Gramercy」を出店した。

店内は高級レストランさながらの落ち着いた雰囲気。出てきたのはマグロやハマチ、刺身の盛り合わせに創作和食の数々。ラーメンはシメの一杯だった。

こうした店づくりを指揮するのが力の源ホールディングス・会長の河原成美(73)だ。

「さっと来て、さっと食べていくというようなラーメンの食べ方をアメリカ人は好みません。ゆっくり座って構えて、というところがある。食事に対する考え方そのものが違うところがある」(河原)

河原は2025年、ニューヨークにもう一軒、現地の細かいニーズを捉えた新業態のラーメン店「ippudo V ブルックリン店」をつくっていた。

動物性の食材を一切使わないビーガン専門店。豆乳ベースだが香味油や辛味噌󠄀で深い味わいを出し、健康志向の強いニューヨークで大ヒットとなった。

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一方、インドネシアには2025年、イスラム教徒でも食べられるハラル対応の店をオープン。豚やアルコールを使わず、鶏や魚介でスープをとっている。

世界各地の細かいニーズを探り出し、そこで喜ばれるラーメンを開発しては出店しているのだ。

「ラーメンという日本を代表する食文化が世界中に広がっていくのが僕の夢です。ラーメンという文化を感じて味わってほしいというのが一番です」(河原)

~村上龍の編集後記~
由来は、獺(かわうそ)が捕らえた魚を岸に並べ、まるで祭りをするように見えることから、「参考資料」を並べることを指す。明治時代、日本文学を代表すると称された正岡子規が自らを「獺祭書屋主人」と号した。早世したが、酒は生きて「外に外に」という精神で発展を続けている。地元から、外の市場に可能性を見てきたのだ。まずは東京で、無名の酒を、飲食店や居酒屋を回り営業した。著名なフランス人シェフと組んだり、2023年にはNYに酒蔵を開設した。獺祭のチャレンジは、苦難の連続だが、止むことがない。

<出演者略歴>
桜井博志(さくらい・ひろし)1950年、山口県生まれ。1973年、松山商科大学卒業。1976年、旭酒造(現獺祭)入社。1984年、代表取締役社長就任。2016年、代表取締役会長就任。
桜井一宏(さくらい・かずひろ)1976年、山口県生まれ。2003年、早稲田大学社会科学部卒業。2006年、旭酒造入社。2010年、取締役副社長就任。2016年、代表取締役社長就任。
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