【薬の中国依存から脱却へ】30年ぶりに復活する「国産ペニシリン」製造の舞台裏:ガイアの夜明け
5月8日(金)に放送した「ガイアの夜明け」(毎週金曜夜10時)のテーマは、「復活!令和のペニシリン」。
日本の抗菌薬は、原料の多くを海外、特に中国など特定の国に依存しており、極めて脆弱な供給構造の上にある。
抗菌薬の代表「ペニシリン」も、コスト競争で中国に敗れ、約30年前に国内製造から撤退していた。しかし、度重なる地政学リスクの顕在化を受け、いま官民一体となった薬の原薬、原材料の「国内回帰」の動きが加速している。
日本の製薬業界が抱えるリスクの実態と、“令和のペニシリン”復活に挑む舞台裏を追う。
【動画】薬の中国依存から脱却へ 30年ぶりに復活する「国産ペニシリン」製造の舞台裏
“命の綱”を外国に握られた日

3月上旬。明治グループの医薬品事業を担う「Meiji Seikaファルマ」(東京・中央区)永里敏秋社長(68)は、生産マネジメントグループ長の清水直人さんから緊急の報告を受けていた。
「航空輸送はロシア上空に続き、イラン上空も空域封鎖となって、中東諸国で発着する航空便の運航が停止している」。
混乱の原因は、2月にアメリカとイスラエルが開始したイランへの軍事作戦。多くの航空貨物が経由する中東地域の空港が機能停止に陥ったのだ。
さらに海上では、イランがホルムズ海峡を封鎖し、物流に深刻な影響が出始めていた。

実は日本の医薬品(後発医薬品)の約7割が、原薬や原材料を海外からの輸入に頼っている。
その調達を担っている清水さんは、複数の輸送業者へ現状確認の電話をかけ、さらにメールでも情報を集めていた。
「患者に薬が届けられなくなり、治療に影響が出ることが一番問題」。
こうした、海外から薬が調達できなくなる事態に備えて、Meiji Seikaファルマは“あるプロジェクト”を進めていた。

この日、「Meiji Seikaファルマ 岐阜工場」(岐阜・北方町)で見せてくれたのは、「ペニシリンの種」。Meiji Seikaファルマは、1994年にペニシリンの国内製造から撤退したが、30年以上の時を経て、再び国産化に向け動き出していた。

“20世紀最大の発見の一つ”といわれているペニシリンは、1928年にイギリスの細菌学者・フレミング博士が、アオカビの培養液から抽出した世界初の抗生物質。第二次世界大戦では、戦場で多くの兵士の命を救った。
日本では戦後、GHQの指導のもと、大量生産技術を確立。人類の平均寿命を大きく引き上げたとされる“奇跡の薬”だ。
ペニシリンの製造再開は永里社長の肝いりプロジェクトで、「コスト競争力で中国に負けて、撤退したのが31年前。非常に歯がゆい思いをした。経済安保の観点から国内回帰」と話す。
30年前の“敗北”とリベンジ

今回30年ぶりの国産復活の鍵を握るのが、「Meiji Seikaファルマ 岐阜工場」製造部の山田浩一郎さん(59)だ。30年前、ペニシリン製造の中核を担った数少ない経験者で、定年までの1年、ペニシリンの国産化という重大な任務を与えられた。

1946年、Meiji Seikaファルマ(当時は明治製菓)はペニシリンの製造販売許可書を取得し、ペニシリン製造から医薬品事業をスタート。戦後の医薬品不足の中、自社のシロップの瓶を流用し、ペニシリンの培養を始めた。その後は得意の発酵技術を生かし、ペニシリン由来の抗菌薬を海外へ輸出するまでに。

1971年、「Meiji Seikaファルマ 岐阜工場」は国内最大規模となるペニシリンの原薬工場として誕生。最盛期には年間1000トンを超える量を製造していたが、1985年のプラザ合意により円高が急速に進行すると、国産ペニシリンは価格競争で窮地に陥る。
そこで1988年、社内でペニシリン製造の存亡をかけた「Pc(ペニシリン)原価低減プロジェクト」が立ち上がった。与えられた期間はわずか1年。当時30歳だった永里社長は、そのメンバーに選ばれた。

「抜本的な技術改良をやってコストを下げる。中国の価格レベルまで対抗できるようにしようということで、何とか粘って頑張ろうと」(永里社長)。
しかし結局、為替の逆風が加わったこともあり、中国との価格競争に敗れ、1994年、Meiji Seikaファルマはペニシリンの国内製造から撤退。国内でペニシリンを製造する会社は無くなった。
一方の中国は、抗菌薬の原材料で世界トップに。抗菌薬の原料を作る中国のある大手企業は、広大な化学工業団地に工場を構え、火力発電所も完備。安い電気を使ってペニシリンなどを大量に生産し、世界20カ国以上に輸出している。
日本も、抗菌薬の原料(βラクタム系)のほぼ100%を中国からの輸入に頼っているのが現状だ。

薬の海外への依存…2019年3月、そのリスクを思い知らされる事態が起きた。
抗菌薬の一つ「セファゾリン」の供給が、突然止まったのだ。
原因は、薬の原材料を作る中国の工場でトラブルが起きたこと。それにより、日本への供給がストップした。
セファゾリンは感染症などの治療や手術をする時の感染予防に使われるため、全国の医療現場では、手術の延期など大きな混乱が起きた。
「抗菌薬がなくなることで、救えるはずだった人が救えなくなる。死に直結する」(薬剤師)。

この事態を受けて、政府も動いた。2022年12月、政府は抗菌薬など11の物資を「特定重要物資」に指定。指定された抗菌薬4成分の国内製造に手を挙げ、選ばれた企業は国の支援を受けられる。
そこでMeiji Seikaファルマは、特定重要物資の2つの抗菌薬の原材料を作ることに。それがペニシリンだ。

国産化への再挑戦に向け、永里社長が名指しした人物が山田さん(前出)だ。入社してから10年間、ペニシリン製造の現場に立っていた。
宮崎・都城市出身の山田さんは、高校卒業と同時に入社し、単身で岐阜へ。以来42年にわたり様々な培養の現場に携わってきた、たたき上げの技術者だ。

ここは、ペニシリンを試験的に培養する実験室。実験用の7リットルタンクの中で、ペニシリンを生み出す菌株を数日培養する。この菌株に餌となるブドウ糖などを加え、温度や酸素の供給量などを調節することで数を増やしていく。菌株が生み出すペニシリンの量が多いほど、生産性が高まるのだ。
培養液の状態や色から菌株の生育状況を見極めるのは、経験がものをいう熟練の技。
「いかに安く生産性を上げていくかが我々の使命。そうすることで、患者に安い薬を供給できる」(山田さん)。
実は岐阜工場では、2023年からペニシリンの製造復活に向け、培養と分析を繰り返してきた。7リットルの培養槽から始めて600リットルまで、規模を拡大してきたのだ。
永里社長と山田さんは、かつて中国とのコスト競争に敗れ、共に悔しい思いをしていた。
熟練技術者と社長――悲願のリベンジは成功するのか?
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