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日本の漫画はここから始まった――これが「完全版・日本貸本漫画史」だ!(解説:みなもと太郎先生)

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テレ東プラス

2020.4.2

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正直、スペースが足りません!

現代日本漫画の礎となった「貸本漫画」のストリーム。さまざまな評論家・研究家・オタクの皆さんも語られていますが、そのあたりの情報を全てコンプリート。且つ事実と異なる知識は修正しつつ、さらに知られざるエピソードも盛り込んだ

「完全版・日本貸本漫画史」

......の省略版を、ここに発表したいと思います。解説をしてくださるのは、"生ける漫画のグーグル先生"(勝手に命名)こと、漫画家のみなもと太郎先生。7時間に及ぶインタビューから得られた貴重な情報の数々から、貸本漫画・激動の歴史を描き出します。

※以下、敬称略

漫画を読むと馬鹿になる!?


manga_20200402_01.jpg▲みなもと太郎先生の書庫には、古今東西の漫画がぎっしり!

──貸本屋ブームはいつ頃から始まったのですか?

みなもと:貸本屋は赤本(書籍の流通ルートに乗らない少年本)が衰退した昭和20年代終わり頃から、突如全国に広がりました。当時の娯楽の王者は映画と歌謡曲。この2つを柱にして、平凡出版(現マガジンハウス)から『平凡』、集英社から『明星』(現Myojo)という芸能雑誌が出版されます。この2誌がドル箱となり、その他の文芸誌、主婦雑誌などと並んで貸本屋専門に発行される貸本小説・貸本漫画が人気を呼ぶようになりました。貸本屋へ通う大人たちにくっついて、子供たちも貸本屋を訪れるようになります。

──ブームの発端は漫画ではないのですね。みなもと先生はいつ頃から貸本屋へ?

みなもと:昭和22年(1947年)生まれで、30年(1955年)頃ですから、8歳前後ですね

──貸本ブーム初期ですね。当時の漫画界はどのような状況だったのでしょうか。

みなもと:すでに手塚治虫が赤本で人気となっており、松本零士もデビューしていました。現在は『ジャンプ』などの週刊誌が主流ですが、当時は月刊誌しかなく、『少年クラブ』、『少年ブック』、『少年画法』、『痛快ブック』、『漫画少年』など。少女漫画は『りぼん』、『なかよし』、『ひとみ』、『少女ブック』、『少女クラブ』などがありました。

また、当時はテレビの創成期で、数年後には『まぼろし探偵』(少年画報社)がドラマ化されて大人気となり、単行本も売れまくります。ほかには『ビリーパック』(少年画報社)、福井英一による大ヒット漫画『イガグリくん』(秋田書店)、特に『赤胴鈴之助』(少年画報社)はドル箱でした。集英社からは『おもしろ漫画文庫』というシリーズが毎月2~5冊出版され、それらが貸本屋に卸されていました。

しかし、朝日新聞の連載だった『サザエさん』以外の漫画の地位は低く、親や先生は「読むと馬鹿になる」と(笑)。中学生で読んでいたら、病気を疑われたくらいです。

──馬鹿になるとは、ずいぶんですね(笑)。今の漫画人気からは想像できません。

手塚治虫も古い! 激震の劇画ブーム


manga_20200402_02.jpg▲劇画で人気の高かった『刑事(デカ)』(東京トップ社)、『ゴリラマガジン』(さいとうプロ)などがズラリ

──貸本屋限定の漫画もあったそうですが。

みなもと:当時、貸本漫画はほとんど書き下ろしです。松本正彦、つげ義春、永島慎二などの大家たちがデビューしましたが、それぞれの個性はあまり生かされず、手塚や『イガグリくん』を真似たような作風でした。つげ義春もこの通り(『熊祭の乙女』を手に取り)、手塚治虫そっくりの絵柄です。ただ、おびただしい数の作品の中にキラリと光る漫画がある。それを見いだすことも、貸本ファンの楽しみでした。

manga_20200402_03.jpg▲つげ義春『熊祭(イヨマンテ)の乙女』。後年の個性的な絵柄とは違い、初期の手塚治虫のようなかわいさ

──キラリと光る作品というと、どのあたりですか?

みなもと:昭和30年(1955年)以降、貸本業界に突如、不健全(笑)な作品が出始めるんです。それまでは子供向けのスポ根、友情や家庭などがテーマでしたが、ギャングが命をかけて闘ったり、殺し屋が暗躍したりという、大人の鑑賞に堪えうる映画のようなストーリー漫画です。

『影』(日の丸文庫)、『街』(セントラル出版社)という2誌の短編集が代表的で、主な漫画家はさいとう・たかを、辰巳ヨシヒロ、松本正彦、そして『黒い傷跡の男』シリーズで知られる佐藤まさあき。彼の家には楳図かずおが居候していたことがあります(笑)。時代劇では平田弘史です。彼はリアルな画風と卓越した画力も評判でしたが、なによりコマの使い方が天才的でした。彼らの人気が爆発したことで、いわゆる『劇画』の時代が始まります。

manga_20200402_04.jpg▲さいとう・たかをや永島慎二が活躍した、貸本劇画雑誌『刑事(デカ)』

──それは大きな革命ですね。しかし、そうなると当時ディズニーテイストだった手塚治虫の評価も変わりそうです。

みなもと:手塚は劇画人気を目の当たりにして「こんな下品で汚い漫画どこがいいんだ!」と階段から転げ落ちた......という伝説があるんです(笑)。劇画ブームの前は漫画家がデビューしたら「手塚の画風を真似ろ」と言われたのに、わずか数年後には編集者までもが手塚を「古くさい絵柄だ」と馬鹿にする。恐ろしいものです。

──漫画の神様ですらその扱い......まさに激動の時代ですね。

『おそ松くん』ブーム、そして貸本漫画の凋落


manga_20200402_05.jpg▲インテリ学生から爆発的人気を得た白土三平の『忍者武芸帳』(三洋社、復刻版は小学館)も漫画の地位向上に一役買った

みなもと:それからすぐにテレビが一家一台という時代になり、大衆演劇、紙芝居、娯楽の王様だった映画までもが、あっという間に斜陽になります。実は漫画も消滅する危険があったんです。でも、それを救ったお化け作品がありました。イヤミ、チビ太といったサブキャラまで大人気になった、赤塚不二夫の『おそ松くん』です。

──おそ松くん! 派生アニメの『おそ松さん』が2015年に放送されて大ブームとなったのも記憶に新しいですね。

みなもと:当時のブームは凄まじいもので、登場人物のイヤミが繰り出す「シェー!」を見たさに、子供から大人まで掲載誌の少年サンデー(小学館)を買い求めたのです。ゴジラや皇太子時代の徳仁天皇陛下も、「シェー!」をして話題となりました。

──ゴジラと皇太子が(笑)。では、そこから漫画は、今に続く繁栄が始まったと。

みなもと:そうですね、雑誌漫画が爆発的に部数を伸ばしました。その漫画雑誌ブームに押されるように、貸本漫画の凋落が始まるのです。衰退期に入ったのは昭和37~8年(1962~63年)ごろ。『平凡』や『明星』が人気だった頃は全国に3万軒あった貸本屋が、この頃は2000軒を割るようになりました。

──昭和20年代末のブーム発生から、10年足らず......。テレビはともかく、週刊漫画誌にも駆逐されるとは、皮肉ですね。

みなもと:でも、業界が衰退期にさしかかってから、逆に作品のクオリティはかつてないほど高度になっていくんです。

──なんと! 末期になってもなお発展ですか!?

燃え尽きる前の貸本漫画成熟期


manga_20200402_06.jpg▲みなもと先生にもっとも大きな衝撃を与えた貸本漫画、矢代まさこ『ピーナッツを一粒』

みなもと:その頃、私は中学~高校の感受性の鋭いときで、その不思議さに酔いしれました。貸本業界は失速しているのに、貸本屋を訪れるごとに作品世界が高度になっていく。でも衰退期ですから、同級生は誰もそのことを知らない。「なんだこの現象は!」と。

──そのムーブメントに立ち会った時の興奮はよくわかります。それだけ盛り上がると、劇画登場に匹敵するような新しい動きもあったのでは?

manga_20200402_07.jpg▲大胆な構図と詩的な表現があいまった、革新的な矢代まさこの作品

みなもと:はい。特に少女漫画に顕著でした。最初は「これだけ激動の時代だ、少女漫画でも同じことが起きているはず」と、興味を持ったのですが、思春期で照れちゃって、なかなか少女漫画の棚を覗けない(笑)。

仕方なく、レジのおばさんがトイレ行っている間に(笑)、こっそり少女漫画の棚を見てみたら、案の定です。ある作品の繊細で斬新な表現に、強い衝撃を受けました。「この人いったいなんなんだ!」とむさぼるように読み、なけなしのお小遣いをはたいて「この作家の新刊を買ってきてください」と店のおばさんに頼んだ。こうして、初めて購入した貸本が、矢代まさこ『ピーナッツを一粒』です。

その後、矢代の貸本時代の作品はかなりそろえました。さいとうや平田などの天才たちももちろん衝撃でしたが、少女漫画では、矢代まさこです。このように、貸本少女漫画の世界でも、卓越した表現力を持つ女性作家が活躍していました。

さいとう・たかをがもたらした新しい漫画の時代


manga_20200402_08.jpg▲劇画ブームを牽引し、一般誌にも旋風を巻き起こしたさいとう・たかを

──その感動体験は羨ましい限りです。でも、業界は終わっていくのですね。

みなもと:貸本出版社が次々潰れて、あぶれた劇画家の数も相当なものでした。そんな中、貸本劇画界の成功者であるさいとう・たかをが、「これからは劇画の時代がくる」と小学館へ青年劇画誌を出すように働きかけます。今まではマニアだけのものだった劇画ブームが、社会現象になると。

でも、「漫画は社会人になったら卒業するもの。大人が読むわけない」と、けんもほろろに断られた。そこで当時はまだ弱小出版社だった、芳文社に持ち込みます。そこでも難色を示されたんですけど、なんとか21ページの長編を載せた。21ページって今では読み切り短編ですよね。でも当時は8ページで大長編と言われる時代で、21ページは破格でした。そして、これが大ヒットとなり、芳文社が青年漫画誌を出版し、2年後には自社ビルを建てた。すると、断ったはずの小学館も慌てて『ビッグコミック』を出した(笑)。

そして、さいとう・たかをが言った通り、青年漫画の爆発的ブームがやってきます。この間わずか、2~3年ですよ。

manga_20200402_09.jpg▲21ページの劇画漫画。当時、21ページは大長編だった

──流れの速さもしかりですが、『ゴルゴ13』のさいとう・たかをがそこまで重要な役割を果たしていたとは。

みなもと:彼がいたから、今のバラエティ豊かな漫画文化が花開いた。漫画評論家や漫画オタクも、こうした彼の功績をこそ認めるべきだと思います。

manga_20200402_10.jpg▲辰巳ヨシヒロ、松本正彦、佐藤まさあきなど貸本・劇画ブームの立役者たちが書く劇画史が出版されている

──本当にその通りですね。そして、そのさいとう・たかをもまた、貸本漫画カルチャーが生み出した天才であったと。そうして終焉を迎えた貸本ですが、現在は手に入るものなのですか?

みなもと:ものによりますが、無名の人なら数百円から、著名作家は数十万~100万を超えるものも。つげ義春や水木しげるは価格が高いですが、比較的手に入りやすいです。矢代まさこは数千円~数万円ですが、市場になかなか出てきません。でも、復刻版や貸本短編集などは、矢代以外は手頃な価格で手に入るものもありますので、そちらを読んでみるといいですよ。

──なるほど! ではまず復刻版から読んでみます。戦後突如のブームからあっという間の凋落、そして終末期の百花繚乱......。本当に激動の貸本漫画ヒストリーでした。漫画ファンもそうでない人も楽しめる貴重なお話をいただき、ありがとうございました!

manga_20200402_11.jpg▲日本漫画史の貴重な資料の山に埋もれつつ作業をするみなもと先生

【プロフィール】
みなもと太郎さん
漫画家。1967年『別冊りぼん』(集英社)の『兄貴かんぱい』でデビュー。1968年に作画グループに入会、日本の漫画同人界の礎を作る。『週刊少年マガジン』(講談社)連載の『ホモホモセブン』がヒット。2004年に代表作『風雲児たち』(リイド社)で手塚治虫文化賞特別賞を受賞。


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