娘が北朝鮮の美女軍団「喜び組」の候補者に!半数以上が落選する衝撃の理由:じっくり聞いタロウ
【配信終了:2021年11月11日(木)】動画はこちら
売れっ子から懐かしのスターまで、芸能人が驚きの近況を報告する番組「じっくり聞いタロウ~スター近況(秘)報告」(毎週木曜深夜0時放送)。11月4日(木)の放送では北朝鮮に40年以上在住した脱北者が、「喜び組」の実態から命懸けの脱北劇までを大暴露!
木下公勝さんは、1960年、15歳の時に家族で石川県から北朝鮮に移住。北朝鮮は1959~1984年に豊富な農作物や豪華な食事に舌鼓を打つ農民の写真などを使って「地上の楽園」と国の豊かさをアピールし、在日朝鮮人とその日本家族の集団移住・定住を推進した。貧しい暮らしから脱したい一心で父は最後まで渋っていた母を説得。子どもたちは帰国船に乗る両親に付いていくしかなかったという。そこで見た光景とは!?
1800人が乗った船が北朝鮮に到着すると、埠頭には約1万5000人の人々がびっしりと集まり迎えてくれた......のだが、木下さんは「今の世の中にこんなとこがあるんじゃろか」と衝撃を受ける。
前列にいた子供たちのスニーカーは破れて親指がはみ出していたが、前の方にいたのはまだ服装がマシな方。6月に蒸し暑い中、人民服を来た人々は「汗臭いわ泥臭いわ、この世で味わったことのないような体験」だった。宣伝されていた風景とはまったく違っていたのだ。
着いたばかりの帰国者に食事が振る舞われたが、そこでもカルチャーショックを受ける。ニシンは腐った臭いがし、箸で割ると中は変色して真っ赤。米も玄米のように黄色だった。木下さん一家の日本での暮らしも貧しかったが、一日三度の食事で白米を食べていた。しかし、北朝鮮では最高のもてなしの食事が、それだったのだ。
その後、家族は招待所で4日間過ごし、中朝国境地帯へ送られ「今すぐ日本に帰りたい」という願いは40年以上叶えられることはなかった。そして40年以上過ごす中、北朝鮮の女性と結婚。子どもと孫にも恵まれたが、およそ15年前の2006年、61歳の時に1人で脱北した。
なぜ木下さんは家族を置いて脱北したのか? 実は、木下さんの娘が中学校を卒業する前、金正日氏や側近に奉仕するための美女軍団「喜び組」の面接に呼び出されたという。
木下さんによると、北朝鮮中から美女を探す専門の労働党員がいて14~15歳の候補生をピックアップ。候補者は肉体労働免除などの特別待遇を受ける中、才色兼備の女性が喜び組に選抜されるという。
候補者の基準は、色白でスラっとした長身で、脚が真っすぐであること。中でも最優先となるのは処女であることだった。検査により「将軍様に捧げる花束を余計な奴が先にいただくなんてけしからん」と半数以上が落選。性体験がなくても激しい運動で処女膜を損傷することもあるのだが、喜び組に選ばれなかった女性は村に帰ると悪い評判が立ってしまうという。
そして厳正な審査で喜び組に入った女性に任される仕事とは? 木下さんによると、「快楽組(満足組)」は体で奉仕し、「幸福組」は風呂で体を洗ったり、飲み物を給仕したりするなど身の回りの世話をするのだという。ちなみに、木下さんの娘は父が日本出身という理由で、幸か不幸か喜び組候補から落選した。
木下さんと一緒に移住した弟と妹は2人とも脱北するが、妹は保衛部に捕まって処刑された。木下さんは妻や子供を残し1人で脱北。普通なら残った家族は強制収容所行きだが、妻の兄たちが金日成のボディガートをするなど実家がエリート一家であることから収容所に送られることもなく無事でいるのだとか。
61歳の時に脱北を決意した木下さんは、国境警備隊の幹部にワイロを渡し、事前に決めた日時に国境へ。雪で覆われた川のほとりで幹部が人払いをするのを待ち協力者の兵士と国境の川を歩いて渡ったそう。40年ぶりに日本に帰ってきた木下さんには、今も1年に2~3回中国製のケータイで家族から電話が来るのだと語った。
この他、北朝鮮で新型コロナ感染者ゼロのからくりや、経済制裁下で行われる闇ビジネスを大暴露!